第二夜 マキちゃん

 Iさんは昔、派遣ホステスをやっていた。


 専用の派遣会社に登録し、昼間は普通の会社で働きつつ、依頼があればその日の夜に三、四時間程度働くというものだ。通常は一日だけだが、場合によっては一週間から数週間、同じ所で働くこともあったという。


 そんなIさんだが、少し不思議な体験をしたことがある。


 あるときIさんに、「急に辞めてしまった子がいるので、一ヶ月程度入れないか」という依頼が入った。昼間の会社もちょうど繁忙期から外れていたこともあって、Iさんは承諾した。

 店は世見町でも少し奥まった場所に合ったものの、固定客も何人かいるようなところだった。


「どうも、はじめましてぇ」


 Iさんはいつものようにテーブルにつくと、にこやかに接客をはじめた。

 接客に関してだけは場数を経てきたので、通常の客に対してどうすればいいかは心得ていた。客たちも初めて見るIさんに気を許し、快く受け入れてくれた。

 話も弾み、お酒も入ってちょうどいい具合になってきたころ、不意に客のひとりがこんなことを言い出した。


「そういえば、この店にマキちゃんっていただろう? あの子、どうしたの?」


 一瞬、お店の女の子たちに緊張が走った。


「ああ、マキちゃんならこの間、辞めちゃったんですよお」

「ええ? そうなんだ。先週の金曜にも会ったばっかりだったのになあ」

「それじゃあ残念でしたね」


 Iさんはぴんときた。

 ひょっとして急に辞めてしまった子というのは、このマキちゃんという子ではないだろうか。


 お客はずいぶんとマキちゃんが気に入っていたらしく、そのあとも問いただしてきた。

 女の子の一人が「マキちゃんのことばっかり」と拗ねたように言って、ようやく客もご機嫌取りをしはじめた。それからは、マキちゃんの話題も無くなってしまった。


 この世界に足を突っ込んでいる人間は、いろいろな事情を抱えている。

 結婚や転職をするから足を洗うとか以上に、突然の失踪も珍しくはない。特に世見町は、三年で人がそっくり入れ替わるとまで言われている。

 ここのマキちゃんも何らかの事情があったんだろう。それくらいに思っていた。


 辞めてしまったようだし、自分も一ヶ月程度とはいえヘルプで入っているだけだから、それほど深く関わるつもりはない。

 別の日に同じ質問をしたお客さんがいたときも、Iさんは別段疑問に思わなかった。


「ねえ、マキちゃんって子はどうしたの?」

「ああ、その子。なんか、少し前に辞めちゃったらしいですよ」


 Iさんはお酒を注ぎながら答えた。

 ところがだ。


「ふうん、そうかあ。そりゃほんとに急だったねえ。おととい会ったときは普通だったのになあ」


 ――え?


 聞き間違いかと思った。

 この間会ったお客さんは先週の金曜日と言っていた。それから少し経っているし、おとといに会うはずがない。

 大体、おとといといえばIさんが既に働き始めていた頃だ。


 注意深く聞きつけると、お客さんによって言うことがまったく違っていた。

 マキちゃんはどうしたのか尋ねるのは同じだが、お客さんによって「先週会った」だとか、「一ヶ月前」だとか、ひどい時には「昨日会ったばかりだったんだけど」などと言われる始末。


 客側が最後に会った日付がばらばらなのはともかく、”マキちゃん”が最後に勤務していたと思われる日までばらばらなのは理解に苦しむ。


 さすがにこうも続くと不気味だ。

 Iさんも次第に訝しむようになった。だが、お店の子たちはそれが普通であるかのように、辞めたんですとだけ答えている。そのあと詳しく聞こうとするお客さんには、言葉巧みに話をそらしていたのだ。


 何日目かの勤務の日、仕事を終えてロッカールームに入ったIさんは、先に部屋にいた店の子に聞いてみた。


「ねえ、マキちゃんって子、ずいぶん人気だったみたいだけど……いつまで働いてたの?」


 探りを入れるように言ったが、お店の子は首を振った。


「いえ、それが私もわからないんですよ」


 店の子はちょっと困った顔をしてそう言った。


「どういうこと?」

「マキちゃんって名前の子がいるにはいたらしいんですけど、ずいぶん昔のことみたいっていうか……」


 いつからかははっきりとわからないが、何度か来ているお客さんに限り、店にいないはずの「マキちゃん」なる人物の行方を尋ねることが多くなった。

 同じ客から二度以上聞かれることはないらしいが、とにかくこの店にマキという女の子がいたと主張するのだ。しかも、「このお店にはマキという名前の子がいる」と聞いてきたわけではなく、はっきりと「前回来た時には会った」と言われるのだ。


 客側の悪戯にしてもばらばらだし、誰かが悪戯でマキと名乗っているんじゃないかと思って調査までしたが、結局犯人はわからなかった。あまりの不可解さに、幽霊が接客しているんじゃないかという話まで飛び出した。


「でも、それ以外に特にこれといった不思議なことは無いんです」


 防犯カメラに霊が映っていたとか、急に扉が閉まったとか、そういうことはまったくない。ただ、お客さんたちが”マキちゃん”はもういないのかと聞くだけだ。

 最初は不気味に思っていた店の従業員たちも、次第に慣れていった。


 そのため、今は単に「辞めた」とだけ答えるのが最善だとされたのだ。


 その後もヘルプとして入っている間、何度かマキちゃんについて尋ねられたことがあった。お客さんの証言から考えられるマキちゃんの最後の勤務日はやっぱりばらばらだったが、何か見たとかそういうことはまったく無かった。


 Iさんもしばらくは不気味に思っていたが、結局最後の日になるまで何かを感じたり、実害を被ったりすることもなかった。

 本当にそれ以外に何もなく、これといった由来もわからなかったのだ。


 その後、結婚を期に仕事を辞め、同時にホステスの派遣も辞めた。

 当のお店も、今は違う店が入っていると風の噂に聞いたくらいだ。今どうなっているのかはわからない。


 でももしかしたら、マキちゃんはまだそこにいるのかもしれない。

 Iさんは時折、そんなことを思うのだという。

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