第30話 新しい朝

 歳を重ねると二度寝は体に負担になる。同じように、寝坊だとか、いつもより長く睡眠時間を取ることはかえって倦怠感を増長させていく。春眠暁を覚えず、と言うが、深酒の翌日ならばそれは季節関係なくいつでも味わえる。


 朝方の日光が眩しい。カーテンの隙間から差し込むそれは、痛覚にも近い。犬塚はそれを避けるように、日が昇るより早く起床する習慣があった。シャワーを浴び、日の出を見届けながらコーヒーを飲み、誰もいないオフィスに出社する。各社から寄せた新聞に目を通し、それを部署内の同僚に配布する。そんな朝方の生活が犬塚のスタイルだった。


 でも今は、確かな痛覚で目が覚めた。太陽である。休日だからということで目覚まし時計は遅めの七時に設定していたのだが、感覚を信じるなら、おそらくしばらく鳴り続けていたのだろう。止めようと腕を持ち上げるが、酒の余力なのか、腕は鉛のように重い。


 犬塚は悲鳴に近い呻きを挙げながら、手を伸ばした。頭上のラックの上に設置した目覚まし時計に手のひらをかぶせたつもりが、いつもの金属質ではない手触りに違和感を覚え、体を起こしてそれを確認する。そこには、犬塚の手によって首を変な方向に向けている女児人形の姿があった。今度は本当の悲鳴をあげた。


「なぜこれがこんな所に」


 犬塚は枕に突っ伏しながら、昨日の夜を振り返った。口と息が臭い。あまり覚えていないあたり、帰るなり布団に潜り込んでしまったようだ。


「だらしないな」


 天井を見上げた。カーテンを透過した鮮やかな日差しが天井を彩っている。視界の上方には、ラックに腰掛けたキュアチェリーの足首が見切れている。それをぼんやりと見ながら、随分と造形が丁寧で細かいな、と思った時だ。


「これは」


 犬塚は女児人形を手に取り、持ち上げる。


「こりゃあ、すごいな」


 犬塚は感心していた。様々な角度から見渡すと、見えてくるその芸の細かさ。キュアチェリーが着せられている洋服は、構造として人間が着用しているものと同じ様なだった。試しにベストのボタンを外してみると、簡単に脱がせてしまいそうだった。やがて犬塚の視線はスカートの中へと吸い込まれて行く。


「まじかよ。まさかだろ」


 犬塚は年甲斐も無く驚いた。キュアチェリーはパンツを履いていたのである。よく見るとスカートも二重構造になっており、それもベストを外すとスカートフックの様なものが現れ、簡単に取りはずしができる。

 犬塚は最終的に女児人形を素っ裸にし、着用していたものをベッド上に並べ、あぐらをかいて腕を組み、それらを見つめた。


 會田商事で取り扱ってきた電子商品達は、最終的には電気製品へと生まれ変わる。それが家電なら、周辺機器、例えば携帯電話ならケースや傷防止シートなどもオプション製品として展開されていく。そんな商品達を数多く見届け、時には製造に関わっていた犬塚には、この凄さがわかる。

 樹脂性の人間にベストフィットするサイズ。この小ささでありながら丁寧な仕上げの服飾。適当に握りしめたりしてもズレたり脱げたりしないのは、それら製品としてのレベルの高さがもたらしているのだ。


 犬塚の脳に、電気が走った。それは探究心のスイッチだった。体を奮い立たせると、犬塚はノートPCに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る