第29話 感心が持てるかどうか

「例えば今回の話、俺なら絶対に助けない。そもそも、助けを必要としているかどうかが分からないしな。まぁ、一番の問題は服が汚れるという点だが」


 出向した犬塚と違って、伊勢崎は本社勤務部長職にふさわしい格好をしている。スーツもブランド物で、クリーニング代だって馬鹿にならないのはひと目でわかる。


「第一、助けた所で得が見当たらない。社会に生きるなら、極力悪いことで目立ちたくはないからな」

「まぁ、そりゃあそうだが」

「そして俺から見て、犬塚、お前もそういう男だったはずだ」


 そこまで来て、犬塚は伊勢崎の言っている事の意味が解ったのだった。


「あの犬塚が、わざわざそういう事に干渉した。犬塚という奴が変わった、というなら分からなくもないが、ほんの一月で人間性まで方向転換してしまったなど、俺はそうは思えん」

「なるほど」

「となるとだ、そんなお前にそこまでさせたとなれば、やはり、原因はその女しかない」


 伊勢崎は饒舌ながら、飲むペースも早かった。先程運ばれてきたばかりのビールをもう空けてしまっている。相変わらずの飲みっぷりだ。手振で次を進められたが、まだ十分に残っていたので断っておいた。


「その女、お前好みだったんだろ」


 犬塚はビールを吹き出しそうになった。手ぬぐいで口元を押さえ、鼻腔まで上がってきた炭酸の痛みをこらえながら、むせこんだ。


「図星か」

「バカを言え、アホか。荒唐無稽すぎる」

「そうか? 男が馬鹿をする時なんぞ、女絡みと相場は決まっているだろう」

「あのな、世間の男はどうだか知らんが、俺はそういう男じゃない」

「どうだか」

「それにな、お前の推測は致命的な事実を見逃しているぞ。相手は子供だ」

「子供?」


 運ばれてきたビールを気前よくあおる伊勢崎。犬塚をからかうのが相当に楽しいらしい。


「ああ、まだ若い。その男がガキと言っただけあってな。小柄だし小奇麗にしているからわからんが、ありゃまだ二十代前半、下手すりゃ十代もある。自分の娘と同世代の奴に、邪な感情など抱くはずがない」


 今度は犬塚が残りのビールをあおった。嫌なことを思い出しそうになり、それを飲み込んだ、に近い。


「世の中にはそれに金を出す酔狂もいる、って話だがな。じゃあこれはどうだ、娘と同世代がゆえに、放っておけなかったとか」

「知らん。覚えてない。もういいだろう、この話は」


 片腕を挙げ、追加のビールとツマミを要求する。こうなりゃ、値段は気にしない。どうせ奴のおごりなのだ。


「だがまぁ、俺の勘が言ってるんだよ」


 ニヤついた伊勢崎の迫力は凄まじい。本人に悪意はないのだろうが、本社の悪魔と呼ばれただけのことはある。


「その女は、確実にお前になんかしらに関係してくるだろうな」

「またお前の勘か。根拠が不明瞭すぎる」

「ふん、だがまぁそうそう外れないぞ。俺の勘は」


 犬塚が理論武装するタイプなら、伊勢崎は嗅覚で躱していくタイプだ。気持ちの悪いことに、この伊勢崎の勘は中々に鋭いのは確かなことだ。その危険察知能力で、会社の危機を回避したこともあるのは、有名な話だ。


「いいぞ、いいぞ。また俺の楽しみが増えた」


 一層上機嫌になる伊勢崎を前に、嫌な予感が益々積もっていく。犬塚は結局、また頭をかかえることになった。

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