パート⑧ 二日目アフターナイト

第28話 救世主の対価

「災難だったな」


 都内の飲み屋。座敷の向かいに座るのは伊勢崎だった。窮屈そうに足を折りたたむと、運ばれてきた生ビールジョッキを掲げる。力強いそれに対して、犬塚の腑抜けた乾杯は、ゴン、と鈍い音を立てた。


「それにしても、お前にそんな趣味があるとは」


 一口で半分程飲み込むと、テーブルに置かれた人形を見下ろしながら言った。


「冗談でもよせ」


 犬塚もヤケとばかりにビールを続け様にあおり、既に一杯目のビールは空になっている。追加オーダーを取りに来たバイトの女性が、机に無造作に横たわるキュアチェリーを見てゾッとしていたが、今さらもう何も気にならない。項垂れる様子がおかしいのか、そんな犬塚を見た伊勢崎は上機嫌だ。


「よかったじゃないか。一瞬とは言え、救世主になれたのだからな」

「その後が問題だろ。一瞬の対価にしちゃあ、大きすぎる」

「まぁそう言うな、今日は俺のおごりだ。飲め」


 あの後、嫌気が指した俺は、伊勢崎に電話した。犬塚の端的な「いつもの所に来い」に、伊勢崎もやはり端的に「わかった」と答え、その数十分後が現在。


「お前の面白い話が聞けたからな。お釣りが来る」


 伊勢崎とは長年のライバルで、オフィス内では険悪な二人として知れ渡っている。あるとき実は住まいが近いことがわかり、試しに一度飲みにいったことがある。体格も性格も手段も異なる二人だが、野心に溢れているという点で共感できる部分が多く、話は盛り上がった。それ以来、こうして良く二人で飲みに来る間柄だ。

 この様子を会社の連中が見たら、その目を疑うに違いない。會田商事において、犬塚と伊勢崎が同席で飲むことは事件なのだ。


「しかし、実に興味深いな」


 空のジョッキを掲げ、店員におかわりを注文する伊勢崎は、ただでさえデカイのに、余計に大きく見える。恵まれた体躯は学生時代、ラグビーで鍛え上げられたものだそうだ。


「何がだ、伊勢崎」

「その女だよ。お前が言うところの、お嬢様、か」


 そんな伊勢崎が「お嬢様」だのなんだと口にすると、違和感しかない。気色が悪いとはこのことだ、と思いながら、あの女に向けられた視線を思い出し、胃が縮む。


「わからないな」

「犬塚、お前、なんでそのお嬢様を助けたんだ」

「なんでって、そりゃぁ――」


 犬塚は口ごもった。


「そこに、俺の感心がある理由わけだ」


 運ばれてきたタコ刺を箸でつまみ上げながら、伊勢崎は続けた。

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