第24話 犬塚少年のヒーロー

 昼休憩になる頃には、犬塚の脳内は、すっかり酸欠になっていた。まずできる事として、レジのボタン配列全てを覚えるを優先したのだった。せめて商品ジャンルを把握するだけでも、自分の脳をコントロール出来るような気がしたのだ。


 しかし、一体だれが、こんな区分にしたのだろうか。種別名にその法則性が無い。間に合わせで作業を行ったのが、そのまま現在まで続いているのだろう。これだけで犬塚の脳は混乱した。おかげで脳内の糖分は使い切った。


「犬塚さん」


 休憩を明け、フロアに戻る際にあけみちゃんに捕まった。彼女の手元には何かしらの女児向け人形が握りしめられている。そう言えば、シフト表を見る機会があったのだから、彼女の名字をチェックしておけばよかったと、犬塚は反省した。


「どうしたました?」

「私、悲しいです」彼女は唐突にうつむき、本当にそんな顔をして続けた。「瓜生さんから聞きました。犬塚さん、おもちゃにあんまり興味が無い、そればかりか、嫌いだって」


 犬塚は瓜生の言葉を思い出していた。今にも泣き出しそうな彼女を見て、何かしら弁明せねば、と犬塚は焦った。なかなかに女優である。


「いえ、そこまでは」犬塚は薄くなった頭髪に手を乗せ、続けた。「お恥ずかしい話なのですが、私は根っからの仕事人間でした。あまりにもこういった文化に関わらなさ過ぎて、実際、どう受け入れていいか分からないのです」


 あけみちゃんは両手でその女児人形を握りしめながら、「本当ですか」と言わんばかりの上目遣い。


「学ぼうにも、どれから手をつけていいか。特に、女児向けのものは全く見分けがつかなくて、いやはや、参ったものです」


 犬塚は少年の頃を思い出していた。テレビや漫画に夢中だったのは、いつの歳までだっただろうか。大人たちが作りあげていた虚像であることは認知しながらも、それらがブラウン管の中で活躍するたび、心が踊っていたような気がする。今では名前を思い出すこともかなわない、犬塚少年のヒーロー達の姿は、この売場には無い。


 とは言え、商品の区別がつかないというのは、販売員としては致命的であろう。もし自身が経営者だったなら、そんな職員は契約更新しない。犬塚はそんな事を考え、このままでは自身もそのコースにいることに、改めて危機感を持った。


「じゃあ、嫌いじゃないんですね?」

「ええ」

「興味が無いわけでもないんですね?」

「ええ。出来るなら、好きになりたいと思っているくらいです」


 その言葉に、まるで少女のように、ぱぁっと明るくなった彼女。ころころと表情が変わる人だな、と犬塚は思った。一瞬、かつての妻の姿を思い出した。


「それなら、私にいい考えがあるんです。ふふ、これは絶対うまくいきますよ! 楽しみにしていてください!」


 そう言い残し、犬塚がその言葉の意味を理解するよりも先に、フロアへ駆け出していった。犬塚は嫌な予感に身震いした。

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