第20話 あの女
「はよー、ございま、すっ」
足取りおぼつかない笠原は、半ば倒れ込むようにして瓜生の隣に座った。何が入っているのか、大きな肩がけカバンがどしゃっと大きな音を立てる。
「おはようございます」
「おはよう、笠ちゃん」
まるで戦地にでも赴いたかのようにくたびれている笠原は、三割増でだらしなく、社会人の身だしなみとしてはとうに失格だった。一体何があったと言うのだろうか。
「体調を崩されているのですか?」
「昨日、会議だったんでしょ?」瓜生が言う。「来たの、あの女が」
笠原は顔を真っ青にしてカバンを枕代わりに突っ伏した。
「来たよー。そんで絞られた。アフターシックスから終電まで」
「そりゃご苦労さま」
瓜生の返答に笠原はゲップで対応した。微かに胃酸とアルコールとニンニクの匂いがする。酷く飲まされた様子だ。
「あの女、笠ちゃんの事好きなのよ」
「うげー」笠原はさらにゲップした。「やめてくれよー、本当、笑えない」
「おはよーございまーす」
空間を切り裂くようなハツラツとした声の主は中島だ。二人の間に手を伸ばしてシフトカードを切ると、去り際にカードケースで笠原の頭をスパン!と叩いた。
「いっつぁ! 痛いよ、郁子さん」
「酒臭い! 飲んで出勤しないで下さいって、何度も言ってるでしょーが」
「飲んだのは昨日だよ」
「んじゃ飲み過ぎないで下さい。なに、くっさ! 何これニンニク!?」
「正解〜、流石郁子さん、昨日は餃子屋でしたぁ」
「知るか!」中島の平手がその背中に炸裂し、いい音を立てる。「今すぐ吐いてこい!」
両腰に手をついて胸を張る中島は、夏休みにごろごろしている息子を怒鳴りつける母親のようだった。笠原はボサボサの頭を掻き回して一段ととボサボサにした後、「へぇい」とやはりこれもそんな子供のようにやる気無く立ち上がり、渋々トイレに向かっていった。
「郁子さん、容赦無いわね」
瓜生の言葉に、中島は消臭スプレーをシャカシャカ振りながら答える。
「あたりまえでしょ。自己管理がなってなさ過ぎ。だいたいおもちゃ売り場に酒の匂いって無いでしょ」そして遠慮なくスプレーを振り回した。「店長が酒に溺れるって何? 今すぐ禁酒よ」
あんまりにも乱雑に振り回したスプレーが犬塚の目に滲みたが、瓜生と目があったので指摘はしない事にした。
「まったく男ってどいつもこいつも!」
そう言って中島は指定のエプロンをすばやく着用してフロアへ消えていった。犬塚は、全く女は、と思ったが口にするのを耐えた。
「あ、店長おは――、うぅわっ! クッサ! 酒くせぇ!」
トイレですれ違ったのだろう、奥からあの青年、竹中の声が響き渡った。
「いつものことよ。慣れるわ、悲しいけど」
瓜生は何事も無かったようにシフト表に向かった。犬塚は手にしたエプロンを見つめて、溜息をついた。
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