第18話 制服貸与

 掃除を終えた犬塚は、ロッカールームにいた。

 あまりにも汗をかきすぎていたため、早々と二枚目に着替えた。制服として貸与されたポロシャツは三枚で、充分とは言えないが、不足はしていない。毎日洗えと言う事だろう。異臭対策のため、丸めてビニール袋に包み、カバンに押し込む。

 鹿の子素材のザラッとした感触が心地よい。生地は相当厚めで、直に着ても乳首が透けたりしないのは、ありがたい仕様だ。この辺は暑さとトレードオフなのだろう。なんでも、客の子供に引っ張られたりしても、簡単には破損しない、というのが社内規準だったらしい。


 女性の職場というのは色々気を使う。使い過ぎてもしょうがいくらいの取り組みをしたところで、結局女性から見れば、たいていそれは不足している。特に中年以上の男性、いわゆるオヤジ嫌悪感と言うのは半端ではない。それは意識的にしろ無意識的にしろ、人間関係に影響がでる。潜在的に、女性は嫌いな相手の指示を聞かない。自分がその対象に一度でも踏み入れてしまえば、後の展開が不利になるのは目に見えている。


「若さが羨ましいな」


 たるんだ腹を見ながらため息をついた。頭には営業エースの坂田が浮かぶ。犬塚も、この思考が偏見であることは理解しているつもりだった。優秀な女性も沢山いる。現に、會田商事内にもポストについている女性はいた。けれども反対に、経験で嫌というほど思い知らされたこともあるのだ。


「女の敵は、女だ」


「あら、よくわかってるじゃない」


 犬塚は驚きのあまりロッカーを叩きつけるようにして閉めた。けたたましい音が二畳程のロッカールームに反射する。振り向けば、中性的な顔立ちの好青年が腰に手を当てて立っていた。


「分を知るってことは大切よ。ほら、ついでにこれも、やっといて損はないわよ」


 30代前半だろうか? 犬塚は記憶を巡らせるが、出会ったことのある人物に誰一人として合致しない。青年はおもむろにロッカーから取り出したそれを、振り返らずに放り投げる。犬塚が手にしてみれば、凝ったプリントが施された制汗スプレーだった。使え、ということだろうか。


「知ってる? 今じゃスメル・ハラスメントと言って、体臭を放置しておくのもハラスメントの一貫になるのよ。略してスメハラ」


 青年は腕をクロスしてピチピチサイズのTシャツを脱ぎ捨てる。まるで男性アイドルグループのように無駄がなく引き締まった裸体がそこにはあった。付きすぎていない筋肉がどことなくセクシーだ。切れ長な横目で使用を促された犬塚は、脇の下に噴射した。


「でも本当、あんたの言う通り。結局のところ、女の敵は女よ。自分で自分の首を締めるんだから、世話ないわ」


 ポロシャツを被って直すその所作に、女性的なニュアンスが含まれているのを見て、犬塚はピーンと来ていた。


「私から言えば、あんなのは餌に群がる野良猫と同じよ。必死に戦ってはいるけれど、遠目から見たらみんな同じ猫なのに、ね」

「あの、これ、ありがとうございます」

「いいわ、それ、あんたにあげる。なかなか似合ってるんじゃない? その香り」


 そう言い残し、青年はロッカールームから消えていった。後手で軽くいなされたロッカーの扉が、スマートに閉まった。犬塚は自分の脇の下の匂いを嗅ぎ、念入りにスプレーした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る