第16話 猿橋

「なんで内海なんだ」


 犬塚は混乱していた。去った部署の人事など興味は無かったはずだが、自身の左腕とも言える男の話とあれば、流石に狼狽うろたえもした。


「優秀な人材だったからだろう」

「いや、そうじゃない、伊勢崎」犬塚は頭をかき乱した。「内海が優秀なのは分かる。だが、あいつは経理課長だろう。なぜその行き先が経営企画なんだ。突飛過ぎやしないか」


 思わずアツくなっていることに気が付き、残りのビールを一気に飲み干した。喉が焼けるようで、かえって喉が乾いた。


「猿橋だよ」


「あいつか!」伊勢崎の言葉に眉間を抑えた。


 経理部長の猿橋は、典型的な保守派で、犬塚からすれば無能な男だった。実際やつが使えないから、内海を巻き込んでいた節がある。利益を筆頭に会社の貢献度で言えば、間違いなく内海が上だった。


「今のポストについて長いからな、あのジジイは」伊勢崎が毒気づく。「今更環境が変わるのが嫌だったんだろう。社長に一言添えたのもあの狸らしい。彼を評価してやってはどうかと」

「成長しない奴め」電話越しの伊勢崎のため息に犬塚も合わせた。「あいつのせいでどれだけ足を引っ張られたか」

「まったくだ」


 経理部は会社に必要な組織だ。会社が金を回す生き物なら、その金を管理する経理部は心臓部だ。きちんとした流れをしているのか目を光らせる必要がある。

 しかし新しいなにかを始めるには必ず金が必要になる。経営企画は常に新しいビジネスチャンスを追い求めている。時には投資もあるだろう。経理にその理解があるかどうかは、スピーディーなビジネス展開に大きな影響を及ぼす。

 そんな中、猿橋は徹底した保守派だった。新規事業には常に懐疑的、今の母体から金を生み出す算段に全神経を尖らすような男だった。大企業としては盤石と言えなくも無いだろうが、犬塚との確執はなるべくしてなったというところだった。


 となれば、内海は追い出されたのだろう。面倒な案件を抱えて仕事を増やしにくる内海を、内心では疎ましく思っていたのかも知れない。経営企画なら、その積極的な姿勢を活かせるだろう、とかなんとか口添えしたのかも知れない。


「早くくたばればいいのに」


 犬塚の舌打ちを聞き、伊勢崎も苦笑いのようだった。


「さすが、犬猿の中だな」


 伊勢崎の冗談に笑うしかなかった。犬塚は三本目のビールを取り出していた。

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