パート④ 初日を終えて

第14話 怒涛の初日

 風呂上がり。バスローブを身にまとい、タオルで頭をかき回す。冷蔵庫からビールを取り出して、350mlを殆ど一気飲みに近い形で飲み干し、乱暴にゴミ箱に叩きつける。


「畜生が」


 犬塚はガラス戸を開け、ベランダに向かった。眼の前にはネオンきらめく都会の夜が広がっている。少々寒いが、長風呂で火照った体を冷やすにはちょうどいい。タバコを取り出し、深々とふかす。


 この都内の高層マンションは決して安く無かったが、すでに支払いは終わっている。長いこと役職についている上、成果もあった。ボーナス等も含めればかなり良い待遇で、無理なく買えたのだ。仕事場も遠くなく、セキュリティもしっかりしている。何より、この一望にそれだけの価値がある。


「疲れた。しかし、疲れた」


 犬塚はフェンスによりかかって項垂れた。慣れないことだったからだろうか、久しく感じたことのない疲労が体を重くさせていた。


 初日は散々だった。よくわからん女に、やたらと当たりがキツイ中年おばはん、そして態度の悪いガキ。そんなメンツに教えてもらうレジ打ちは最悪だった。全く訳がわからない。


 まず一人目のあけみちゃんは、全てを感覚で理解しているのだろうか、犬塚にとってその説明は全く理解出来なかった。悪気は無かったのだろうが、なんで伝わらないんだろうという表情がまた腹立たしい。中年の中島は幾分ましだが、テンポが早すぎてついていけない。まだまだ若いつもりでいる犬塚だったが、自身の脳の衰えを感じてしまった。メモを取ろうものなら、まくしたてる口調に余計に混乱した。最後の男など教えてくれもしなかった。奴が部下なら相当にシゴキ甲斐があっただろうに。


 だいたいこのデジタル全盛のご時世、なぜあんなローテクな機材を用いているのかがまず理解出来なかった。受け取り金も売上金もお釣りも、テンキーを叩きはするものの、事実上手計算だった。こんなんじゃレジ金がずれるのは当たり前だ。


「はぁ。理解できん」


 犬塚が売っていた商品はより高度だった。もっとユーザビリティにあふれていた。頭が悪い訳ではない自分が初日につまづいたのだ、多くの新人たちが同じような経験をしてきたのであろう。それは社員教育の点から言って非効率だ。改善の余地がある。


「ふ。悪い癖だ。全く」


 タバコをふかして思い出す。そう、それはもう自身の仕事では無いのだ。商品価値を創造し、金を回す――。それは過去の自分に課せられていたものであって、今は違う。今は、一刻も早くあの環境に慣れ、レジ打ちをマスターし、現場の歯車として使い物にならなければならない。


 そこまで考えて、再び今日の出来事を思い出して頭を抱えた。幸いにも胃袋と精神は丈夫な方だ。なんとか乗り切ってやる。犬塚は自身の腹を叩いて気合を入れた。


 その時、携帯が振動していることに気がついた。


「こんな遅い時間に?」


 時刻は22時を回っていた。そして携帯を手に取り画面を見て、眉間に皺が寄る。


 画面に映し出されていた名前は、伊勢崎だった。

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