第10話 あけみちゃん

 程なくして、一人の女性がノックと共に入ってきた。想像通り、最初に顔を合わせた女性だった。ピンクのエプロンはそのままだが、うさぎ耳のカチューシャは外していた。


「あけみちゃん。こちら今日から入る犬塚さん」


 笠原の紹介に合わせて、あけみちゃんという女性は気まずそうに会釈する。犬塚も立ち上がって会釈した。顔合わせで気まずい雰囲気を久しぶりに味わった。


「ってさっき顔合わせてると思うけど。彼、全くの新人だから、色々教えてあげてね」

「え…、私が教えるんですか……?」

「そうだよ。嫌かい?」


 彼女の表情には驚きが通り過ぎた後、しっかりと「嫌」という本音が滲んでいた。それが犬塚に悟られたと思うと、しまったとばかりに顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「嫌、じゃない、です」

「そう、じゃ、お願いね」笠原は笑顔で続ける。「犬塚さん、こちらあけみちゃん。彼女は長いししっかりしてるから、基本困ったら彼女に聞くといいよ。ほら、挨拶して」


 犬塚は彼女と目があった。おどおどしているその空気を変えるためにも、年長者である自分がやらねばと、フランクな挨拶を心がけた。


「犬塚と申します。今日からよろしくお願いします。えっと……」

「あけみです」


 聞きたいのは名前でなくて、名字だ、と心の中で呟いた。初対面で下の名前から名乗られるというのは日本文化的に珍しいと感じるのは自分だけではないのでは無いか。キャバクラのお姉ちゃんのような対応に違和感を覚える。実年齢が伺い知れないルックスがそれに拍車をかけていた。


「あけみちゃんはあけみちゃんだよ、犬塚さん」


 そして笠原もよくわからないことを当たり前のように言った。どうやらこのトイアイダ鎌ヶ谷店においては、犬塚が積み上げてきた社会人としての常識は通用しないらしい。


「改めてよろしくお願いします。……あけみさん」

「よろしくお願いします。犬塚さん」


 郷に入っては郷に従え。犬塚は初対面の女性を名前で呼ぶという恥ずかしさをこらえながら、挨拶する他なかった。


「という訳で犬塚さん、あとの仕事はあけみちゃんに聞いてね。私はこれから午後の会議の準備、昼には中抜け、運が悪いとそのまま直帰するから」


 そう言ってカバンをラフに肩に担ぎ部屋を出ていく笠原に、彼女が声をかける。


「え、店長。もしかして今日の会議、いらっしゃるんですか? ひとみさん」


「そうなんだよ」笠原はわかりやすく頭を抱えてため息をついた。「あの人が来ると毎回会議が荒れるんだよねぇ。とりわけウチは規模が大きいから、的になることが多いから。そ~ゆー訳なんで、あけみちゃん、郁子いくこさんと協力してね、後は頼んだから」


 そう言って休憩室の扉が締められた。あっという間にあけみさんと二人きりにされてしまった。犬塚はいつの間にか笠原という男の雰囲気に飲み込まれていたことに気が付き、彼の店長としての手腕を実感したのだった。

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