第7話 初出勤

 扉が奥へ引かれる。しかしそこには誰もいない。見えるのは荷物でごった返した空間だけだ。一瞬の空白ののち、自然と閉じようとするその扉を抑える形で最初に現れたのは、誰かのおしりで、続いてピンクのエプロンで縛り付けられた肢体が、そして最後に、巨大なうさぎの耳を取り付けた女性の顔が出てきた。


「おはようござー、あれ」


 女性と目があった。ふんわり系の女性だとすぐにわかった。ウエストをキツく締めたピンクのエプロンは胸の辺りがキツそうで、そして何より明るい髪に乗ったそのうさぎの耳。よく見るとカチューシャ型玩具だった。ファンシーな装いで実年齢が分からないが、化粧の感じから言って10代では無いだろう。


「あ、えっと」


 女性はみるみるうちに顔が赤くなっていき、かぁぁあと言う音が聞こえてきそうだった。


「おはようございます。犬塚と申しますが」


 犬塚が頭を下げると、胸元を押さえた彼女も一緒に頭を下げた。しかしその瞳は犬塚の顔を覗き込んでおり、一体だれなのかを探っているようでもあった。この時点でうすうす、ここの店長は犬塚がやってくることをちゃんと周知していないのだろうと予想出来た。


「あの、すみません」


 そしてその女性は扉の奥へと消えていった。一体このやり取りはなんだったのか。お客様対応としては0点である。取引先の受付嬢がこんな感じなら、取引そのものを検討するレベルだ。周知されていなかったとは言え、お客様というのはかくも突然やってくるものである。


 犬塚は頭を抱える代わりに額の汗を拭った。もう一度チャイムを押し直そうとしていたところ、今度は勢い良く扉が開け放たれ、別の女性が登場した。


「誰よあんた。あけみちゃんにつきまとってるヤツ?」


 その女性は犬塚を見るなり睨みつけ、意味のわからない事を言った。見た感じ、先程出勤してきた例の中年女性だろう。顎下で揃えられたショートカットが若々しいと言えばそうだ。しかしフレッシュな見た目とはうってかわって、その態度は敵意むき出しである。犬塚は一抹の不安を覚えてながら、念の為確認した。


「失礼ですが、ここはトイアイダ鎌ヶ谷店で間違いないでしょうか」


「当たり前でしょ。店の看板にそう書いてあるんだから。あんた誰よ。一体こんな朝っぱらからなんの用?」


 やっぱりそうか。この展開にさすがの犬塚もため息をついた。


「はじめまして。私は犬塚正男と申します。本日よりこちらでお世話になります」


 犬塚はその仁王立ちする女性に、丁寧な所作であいさつをした。


「え?」


 その女性の目はわかりやすく点になった。


「重ね重ね恐縮ですが、もしかして、お聞きになられてはいないのでしょうか。店長様はいらっしゃいますか?」


 そこまで言うと、女性は頭も下げずに奥へと消えた。閉まりゆく扉の奥から「テンチョー!!」と叫ぶ声が聞こえる。

 犬塚はいよいよもって頭を抱え込んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る