パート② アイダ玩具 初出勤編

第5話 異動

 犬塚の異動人事は、かくも速やかに行われた。社長との面談があった同日より特別休暇が支給され、有給消化を経て翌月一日に発令となった。あの日以来、職場の誰とも合わずに出向先に出向くこととなったのだ。半月ほどに及ぶ長期休暇となったが、気持ちの切り替えが十分に出来るほどだったかと言えば、そんなことはなかった。

 デスクに置きっぱなしの荷物は祝日に取りに行った。誰もいない職場に目を盗むようにして行う身支度は、まるで懲戒解雇によって退職させられたかのような気分だ。引き出しから出て来た表彰状を見るたびに、己の表情が歪むのを実感した。


 犬塚は自室でワインを飲みながら、渡された資料に目を通していた。それは急な異動にしては手際よく丁寧に用意された『アイダ玩具株式会社』の資料だった。


 アイダ玩具は會田あいだ興行の子会社であり、大きく二分にぶんされた事業を持っている。一つは主に幼児向け玩具の開発製造を担う開発部、もう一つは大型玩具販売店「トイアイダ」の運営を取り仕切る運営部だ。犬塚が配属されるのは後者だった。


 トイアイダは民間の玩具販売店の中では最大手と言っていい規模を誇っている。ショップ運営から得られたマーケティング情報を開発部に提供し、需要の高い商品を日本国内で開発製造、それを直営トイアイダショップにて戦略性を持って提供する。

 自社ブランドを持つこと自体は大型スーパーなどを始めとして今や珍しいことではないが、それが「おもちゃ」という市場に限定された中で取り組んでいる会社はアイダ玩具のみと言っても過言では無く、それが強さの秘訣でもあった。

 なぜなら問屋を通さなくていい自社製品は販売コストに無駄が少なく、色々な面で勝負出来る。競合他社と同じ価格帯なら、その分製造コストに費用を回せるので品質で勝り、商品レベルで勝負するなら価格で勝てる。それも十分な利益を確保しながらである。

 顧客から見ればプライベートブランドを持つ大型小売ショップと言った仕組みで、その売場は様々な商品を比較検討出来る場として提供しつつ、アイダ玩具の品質の高さを示すステージでもあるという訳だ。


「この俺が、おもちゃかよ」


 注ぎ足そうとしたボトルからワインは出てこなかった。いつの間にか飲み干してしまったらしい。ここ数日の休暇のおかげで、酒の消費量は目に見えて増えていた。


「ちくしょうが」


 運営会社に入ったら、まずは現場を学ぶところか始める。その例に漏れず、犬塚も現場へ配属されることがすでに決まっていた。


「トイアイダ鎌ヶ谷店」。資料の中には、自分が配属されることになるその場所が一面に印刷された社内誌があった。犬塚はそれを丸めて、苛立ちと共にゴミ箱へ叩きつけた。

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