第2話「マジカルキャンディーを集めよう!」

 マジカルキャンディー争奪競争がはじまり、最初の脱落者が出るエピソード。ねむりんというのは不思議なキャラクターで、原作本編では台詞なんてあってないようなものなのですが、「シリーズ最初の退場者」というある意味おいしい立場が、作り手の遊び心を刺激し続けてやまないらしく、シリーズが展開していくごとにかえって存在感を増していくキャラクターだったりします。「退場するのが惜しいデザインにしたかった」というマルイノせんせいのキャラデザにはじまり、短編では真っ先に主役を任され、ドラマCDでも実質の主役、アニメでは出番増はもちろんweb予告まで任されるなどなかなかどうして忙しい。アニメ本編においても、短編「ねむりんの冒険」が本筋に組み込まれたことで「真の黒幕」感が増していますし、夢の世界のファンシーなアートワークと花守さんのCV効果も相まって本当に惜しい人を亡くした……と思わせるキャラクターになっていたと思います。


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 2話を一言で表すと、夢の終わりです。子どもの時間はいつか終わる。そんな残酷な真理をスノーホワイトの「夢」の延長線上にいるねむりんが身をもって示し、文字通り夢の世界に別れを告げる。それと同時に夢のようだった魔法少女の世界が血生臭い現実へと様相を一変させる。そういう話です。


 まほいくにおける魔法少女とはいわばアバターです。「魔法少女」が必ずしも少女であるとは限らず、それどころかいい年した大人だったり、男だったり、エジプトリクガメだったりすることもある(いや、本当にいるんですよ。原作シリーズでは)。であればこそ「変身」が重要な意味を持ち、夢――自己実現とイコールでつながっていくわけです。4話のルーラ/早苗が象徴的ですが、大人だからといって社会で自己実現が成功しているとは限らず、むしろそんなことはほとんどない、という世知辛い認識がまほいく世界のリアルなんですね。


 さて、自己実現のために社会人の立場を捨てたのがルーラなら、大人になるために魔法少女の立場を捨てるのが今回のねむりんです。「夢で頑張っても現実で頑張らなきゃ意味ない」という台詞がありますが、これは魔法少女全体にかかってくる言葉なんですね。今回の演出はあえて他のキャラクターの視点同士をつなぎ合わせるような構成が取られているのですが(リップル/華乃が部屋に帰ると、外でサイレンが鳴っている→スノーホワイト、ラ・ピュセルが火事の現場に→スノーホワイト/小雪が就寝→ねむりんが夢の世界で活躍)、ここからわかるのは気楽な身分の魔法少女ほど遅くまで活動できるっていうことですよね(リップル、トップスピードはそれぞれバイト/パートをしている高校生と主婦、スノーホワイトとラ・ピュセルは中学生、ねむりんはニート)。


 また、今回のねむりんとスノーホワイトの活動が火と飛翔のイメージで重なり合うようになっているのもそのことを示唆していると思います。つまるところ、社会から見た魔法少女と、魔法少女たちから見たねむりんを重ね合わせてるんですね。そんなことやってないで現実で頑張れっていう。ルーラがねむりんを小馬鹿にしてましたけど、あの人も社会ではニートだったりするわけです。このことは、助けられた人たちがあくまで背景としてしか描かれていないことからもうかがえます。


 1話でも述べましたが、この時点で、魔法少女というのは子供時代のメタファーなんですね。夢の世界なんです。それを象徴するのがねむりんというキャラクターで、このエピソードでは彼女を通して夢の世界が徐々に血生臭い現実にすり替わっていく過程を描いている。


 今回、ねむりんが入る夢は二回とも子供の夢なんですね。しかも、二回目に至っては、わざわざあの夢がいいって選んでるとこを見せてる。あれはきっと子供の夢を好んで選んでるんです。何で子供かっていうと、ねむりん自身が子供だからですね。


 それが最後、就職するっていう、すごくわかりやすい大人になるっていう選択をするわけです。原作では「就職しようかな」くらいのニュアンスでしたけど、こっちの合歓はもう面接の日取りまで決まってるわけです。しかも、家の経済力もどうやら大したことなさそうで(原作の三条家は大地主)、原作より重い実感がある。


 そもそも原作では三条合歓としての台詞って一言もないんです。そのことに象徴的ですが、原作ねむりんは幾分か人間臭いわりにまほいくキャラ特有の生活感に欠け、ほとんど仙人みたいな人なんですね。人間としての生活がないに等しいわけです。だから、ねむりんが人間として、合歓として喋るってこと自体、重みがあるんです。


 それも、もう魔法少女をやめなければならないとわかった直後、そこではじめて合歓の姿ってのが出てくるわけじゃないですか。しかも、ねむりんのときには見せなかったようなシリアストーンです。だから、やっぱりすごく重いんですね。


 そして最後、綾名の夢に入るシーンです。ここではもういつものねむりんに戻ってるんですね。直前まで、つまり合歓のときに浮かべてたアンニュイな表情はどこへやら、その前の夢のシーンと同じように子供に接するねむりんがいるわけです。変身前後であまりに乖離してるんですね。しかし、それがかえって、生身の合歓の存在を感じさせるんです。


 早い話が、これは意識的にしろ無意識的にしろねむりんってキャラクターを演じてるんだなと。習い性なのか、なけなしのプロ根性なのかわかりませんけど、アニメの合歓はねむりんになるとそういうスイッチが入るわけですね。二つの人格はイコールじゃない。原作以上にふわふわして見えるねむりんにも、その下に生身の合歓ってのが常に存在してるんだなと示唆してるんですね。


 また、このシーンはねむりんから他の魔法少女たちに向けたエールにもなっています。綾名がその代表ですね。「お姫様」と魔法少女を重ね合わせることで、「自分は大人になっちゃうけど、君たちはまだ夢を見てていいんだよ」っていうことを伝えてるわけです。


 また、最後にそうしたメッセージを発する機会を持てたことでねむりんの中でも心の整理がつくというか、自分が脱落することの意義を実感できる、そんなシーンになっていたのではないでしょうか。これはもう、まほいくで最初で最後の、脱落=死ということがわかる前にしかできないあったかな退場劇なんですよ。


 ただ、それも最後に梯子を外されてしまう。とうとう最初の死者が出るんですね。ですからこのシーンっていうのは、文字通りの夢の世界と「夢と魔法の世界」を重ね合わせて、その終焉を描いてもいるんです。画面が暗転して「これで全部さよならだポン」という台詞がかぶさる。あの瞬間、ねむりんと、そして小雪の「夢」は幕を閉じるわけです。これ以降、魔法少女の世界は血生臭い「現実」へと様相を一変させてしまうんですね。

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