第4話 別れの朝

 灰の白と、雪の白が混ざって積もる。私の無力さを責めるように、冷気が肌を突き刺す。砕けた腕も、捻じれた足も、焼けた舌も、今は何もなかったように元通り。あまりにも肉体に何も戦闘の痕跡がなく、昨夜の出来事は痛みを伴う夢だと思えるようだ……残念ながら、そうでないことは天に上った太陽と、破れた服、つぶれた矢立てに折れた弓。そして何よりも、血袋になったまま凍り付いた父の遺体が物語っている。

 白い吐息を狼煙のように立ち上げながら、さらに白く輝く太陽を見続ける。


「こりゃひどいな、生存者は居ないかー。居たら返事しろ―」


 ぐさり、ぐさりと新雪を踏み込む音。金属同士のこすれる音、武装した人間の声がした。


「ここに居るぞ」


 積もった雪の中からむくりと起き上がり、声に返事をする。主を探すとすぐに見つかった、少し錆の浮いた鎧に、脂肪がついた丸みのある顔。防寒具の装備された馬に乗った、軽装の兵士たち。毎年税の徴収に訪れる領主の部隊。

 村が燃えているのを見て、駆け付けたか。


「お前は……?」


 領主様が直々にお尋ねになるが、お前は、と主語だけ言われても困ってしまう。名前を尋ねられているのか、身分を尋ねられているのか、ここの住民なのかを尋ねられているのか。それとも、すべてを答えろということか。めんどくさいから全部答えよう。


「ジーク・フリート。この村の狩人……だった。見た通りのあり様で、狩りなんてしてる場合じゃないけど……そこの死体は父親」

「ひとりだけか? 他には?」

「森に逃げ込んだ。逃げきれていたら……生きてるといいなぁ」

「そうか。お前たち、森に入って生存者の捜索を急げ! 凍死する前に発見するんだ!」


 兵士たちが無言で頷き、馬に乗ったまま森の中へと入っていく。領主は一人残り、馬から降りて私の顔を担ぎ上げ、馬に乗せようとする。


「自分で歩けますって、領主様」


 この領主、見た目は太っているが全身鎧を着込んでいるだけあって結構力がある。人を一人かついでも平気な顔をして歩いている。


「体が冷えているだろう、無理をするな。お前には話を聞かねばならんのだ」

「……」


 しかたなく、抵抗せずに馬に乗せられて、焼け落ちた村の入り口に停まる馬車まで連れていかれる。馬車には幌が張られていて、その中に小さなカンテラが吊るされていた。おかげで外よりも暖かい。凍った肺が溶けていき、自分が生きていることを実感できた。ほんの少しだけ体が温まり、末端に血が通っているのがわかるくらいに感覚が戻ってきたところで、どこかからか体に注がれる熱を感じ取った。

 これが何かは、教えられなくてもわかる。あの竜との繋がりだ。


「さて、何があったか聞かせてもらおうか。君のお父さんの死体と、村のあり様から大体の察しはつくがね」

「竜に襲われた。父は戦って死んだ。村は焼き払われた。俺……私も戦ったけど、見ての通りです」


 報告はわかりやすいように、修飾はせず、短く簡潔にまとめる。それから、思い出したように敬語を使いだす。


「落ち着いているね」

「現実味がなさすぎて、夢を見ている気分でして」


 あまりにも突然に起きた日常の崩壊。日常を平和、と言い換えればわかりやすいか。毎日毎日、学校へ行って授業を受ける平和な生活。そこに突然テロリストが乱入してきて、銃をぶっ放して自分以外を皆殺しにして、その主犯格の美女が自分にキスして帰っていった。

 突然そんな状況に遭遇したら、誰だって同じことを思うだろう。これはきっと悪い夢だ、と。最後の一文だけ見れば最高の夢だな。


「だから、喪失感も何も」

「悲嘆に沈むよりはいい。今はゆっくり休みなさい」


 暖かい毛布を与えられて、それを被る。寒さも多少マシになった。


「ありがとうございます」


 片手に握り続けていた槍。自分の意志で握っていたわけではなく、凍ってはがれなかったそれを皮膚ごとひっぺがす。偉い人の前で武器を持つことは失礼にも程がある、と冷静になって思ったが、それには何も言われなかった。寛大な方だ。


「さて。私も探索に加わるか」


 馬車の中に被害を受けた私たちのために持ってきたのか、毛皮を使った防寒着が大量に積んであったので、一着失敬して幌の外に出る。体はもう温まっているから動くのに支障はない。はっきり言って異常な回復速度だが、それよりも身内の安否が気になる。森の中へ逃げ込んで、果たして無事に逃げてくれたのか。逃げてくれていれば言うことはないが、逃げられず、あの火の雨で焼かれていれば……考えたくはない。

 つい想像してしまった家族の焼死体を振り払い、炭となった木々の間を縫って、雪に足跡を刻んで……早速、第一村人発見。うつぶせに倒れているのをひっくり返すが、こちらも真っ黒で誰の顔かもわからない。背の高さからして成人。場所は森に入ってそう遠くないから、足の遅い老人だろうか。

 普通、人間の死体を見たらもっと取り乱すものなのだろうが、こう真っ黒に焼け焦げていれば人間とわかっていても人間には思えない……それが良いか悪いかは、今はおいておこう。さらに奥へ。見慣れた森は面影もなく、今や黒と白のモノクロの世界。元に戻るまで何年かかるか、なんて的外れなことを考えつつ、また次の焼死体を見つける。今度は二つ。サイズが違うから、親子だろう。がさり、がさりと雪を踏みしめる。奥へ進むたびに、死体の数が増えていく。


「ああ……こりゃぁ」


 ひどい。という言葉は音にならない空気として吐き出された。まばらに散らかる大勢の遺体。火に巻かれて逃げようと散々になったが、空から降る火の雨からは逃れられず、そのまま一人ずつという感じか。数は一々数えてられない。

もしかすると、村の最後の一人になってしまったのか……俺は生まれてこの方村から出たことが一度もない……外部との人間の関わりは、商人とのみ。ああ。俺はこの世界にたった一人になってしまったんだ。



 結局、あれから森の中を生存者を求めてさまよったが、悲しいことに出てくるのは焼け焦げた死人と、同じように森の中を捜索する領主の部下ばかり。村の人間はやはり皆死んでしまったのだろう。


「帳面にある数から一人引いたら、死体の数と一致する」


 希望に縋ろうとも、これ以上は無駄だという知らせは、強かに空洞の胸を打ち据え、虚無感が全身に響いた。蜘蛛の糸が切れた瞬間のカンダタはこんな気分だったのだろう。なんとまあ、言葉にしがたい感情だ。


「辛いだろう。泣いてもいいんだ」


 優しい人に肩を叩かれて、脆い殻が破れた。辛いのかどうかはよくわからない。心は喪失を受け入れられず、しかし頭は現実を認めている。その温度差に、体がついていけないから、脆くなっていた。それが破れて、卵の白身がこぼれてくるように、ほろほろと心がこぼれ出る。冷たい外気に触れ、あっという間に凍りつく。

 これでは、この世界でのつながりを持つ人間を、一度に、すべてを喪ってしまったことになる……持ち上げるとぼろぼろと崩れ落ちる炭のほのかな暖かさに、ようやく世界が現実味を帯びてきた。

長い時間を共に過ごした者を亡くす悲しみは、耐え難いものだ。本来ならば時間をかけて克服し、次の別れに備えるものが、こうも一度に訪れては。

 今日からどうして生きればよいのだろう。この世界に、たった一人だけで。


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