誕生日の大人たち


 彼女は舌打ちをした。

「気持ち悪い」

 一組の男女がボートを漕いでいる。男の方は緑のシャツ、女の方は白と水色のワンピース、笑いあいながら池を進んでいく。降り注ぐ日差しは透明で、木漏れ日を二人の頬に投げかけている。夏の恋人たちと題名をつけて絵画にしてもよさそうな光景だ。それを池の反対岸から見つめる彼女は、心底見下げ果てたという顔でそんな二人を眺めている。ベンチに浅く座って背もたれに後頭部を預け、大きく足を投げ出している。

「気持ち悪い」

 もう一度呟いて、彼女はちらりと私の方を窺った。ひとつ隣のベンチに座る私が、気持ち悪い大人なのかそうでないのかを確かめるために。

 彼女は今日、十三歳になって、それはちょうどこの世に性欲が溢れているのに気づく時期で、彼女はそれをまったく受け入れられなかった。街を仲睦まじげに歩くカップルも、自分の父親と母親も、月日に脱臭されてすっかり干からびた老夫婦も、誰も彼もベッドの上であのおぞましい痴態を演じているか、演じていたのだ。耐えがたい野蛮な世界。そんな世界に生を受けてきたことを呪い、毎月やってくる生理に「いずれ赤ちゃんを産む準備です」と言われては嘔吐しそうになって、彼女は何もかもを睨みつけて過ごしていた。

「私は絶対に恋愛をしない」と彼女は事あるごとに世界に宣言した。絶対にしない。しない人だっているはずだ。しない人だけが清浄で、他は全て汚らわしい。恋愛をしない人だけの世界に行きたい。そして滅びてしまえばいい、生まれごと汚い人類など。

 どうしてそんなふうに彼女の内面を知っているかというと、彼女は十三歳の頃の私だからだ。

 彼女は小石を拾い上げ、池に向かって投げた。舟のカップルにはもちろん届かない。彼女はもう一度ちらりと私を見た。私が未来の自分だと、彼女も知っているのだ。だから自分がこの信念を貫いているのか、なんとかして見出そうとしている。薬指に指輪はない。誕生日に一人で公園にくるくらいだから、孤独なのかもしれない。その辺りで推測は止まってしまう。

 私は意味のない微笑みを浮かべて彼女を見つめる。


 この国では、誕生日には過去のあるいは未来の自分に会えることになっている。

 誕生日に去年の誕生日と同じ場所に行くと、去年の自分に会える。去年の自分にとっては、来年の自分に会えることになる。少しくらいなら話すこともできる。他の人には、過去や未来の自分の姿は見えない。

 だから誕生日休暇には、多くの人が自分に会いに行く。もちろん、未来のことなんて知りたくないから毎年違うところに行くと言う人もいる。

 私も気が向けば誕生日にはこの公園に来る。池の向かいの高台では、小さな乳母車に乗せられた一歳の私がすやすや眠っている。今の私より若い姿の母が、私の頬に触れて微笑み、突然泣き出す。その横を四歳の私が駆け抜ける。十九歳の私は今頃入り口のそばでアイスを食べている。二十三歳の私は熱中症になりかけて公園を去るところ。

 集合したりはしない。それはやっぱりちょっぴり気味が悪いから。若い頃の気持ちを思い出し未来の自分から助言を受けるために毎年集まっていると豪語する人もいるが、そういうのは一般的に、あまりよろしくない、慎みがない、みっともない、とされていた。もっとも、十三歳の私が嫌悪する事柄のように、おおっぴらに言わないだけで、みんな多少なりとも過去や未来の自分と会話しているのだろう。

 十三歳の私に接触するのは初めてだった。

 彼女の目の色を見れば、当時の憤りがありありと蘇ってきた。同級生たちが恋と呼ぶもの、自分が恋だと呼んできたものが、砂糖菓子の顔をした生肉だと気がついて、心底傷ついた。吐き出したいのに、それを受け止めるバケツはなかった。

 彼女はもう一度石を投げた。

「ねえ、なんの仕事してるの」

 私は微笑みを絶やさないまま答えた。「ひみつ」

「理系? 文系? 数学の勉強って意味あった?」

「ひみつ」

「……何歳?」

「三十歳」

「さんじゅう……」

 永遠に近い未来だと思っているだろう。そんな歳まで死ねないのかあ、と彼女は呟き、「ジュースおごってくれない?」と言う。私は黙って立ち上がり、私が十三歳のころはなかったブランドのレモンジュースを買う。彼女は缶を受け取ってまず首筋に当て、気持ちよさそうなため息をついた。

 誰もが言う、子供の頃、三十歳がこんなに幼いなんて思わなかったよね。もっとずっとちゃんとした大人だと思ってたよね。誰もが誰もが口を揃えて言う。そのとおりだ。時々あまりの不甲斐なさに寝っ転がって足をばたばたさせたくなる。それを十三歳の自分にぶつけたくなる時もあるけれど、それを聞いたら子供の自分をより絶望させるだけなので、私はなにもかも秘密にする。

 だから十三歳の彼女は知らない。水色と白のシャツワンピースは、向かいに座る男からの、少し早い誕生日プレゼントだったこと。池の向こうに十三歳の自分の姿を認めて、屈託なく手を振った時、十三歳の自分の抱えていた憤りを、ただの幼い思い込みだと笑っていたことを。彼女は手を振る女を見て、吐瀉物でも見たような顔で目を逸らし、レモンジュースをごくごく飲む。でもまだそれが未来の自分だとは気づいていない。

 過去は皆過ぎ去り、いまの私には、十三歳の私も二十歳の私も愛おしい。そして申し訳ない。永遠だと思っていた気持ちはいつか終わることを、幼い自分に伝えられない。

 でも誕生日にはこの公園に来る。気持ちが確かにそこにあったことを確かめるために。この世を呪っていたことを、初めての恋に溺れていたことを、赤ん坊の私が母に愛されていたことを。過去の自分はいつも愛おしく、恥ずかしい。三十になってもこんなもんだよ、と、三十になったら何もかも変わっちゃうんだよ、の間で、彼女たちを抱きしめたい衝動に駆られる。

「あのね」

「うん?」

「来年の私は来ないの。遠くに引っ越すから」

 それを聞くと、彼女は目を輝かせ、「本当? この街から出て行くの? どこに行くの?」と尋ねてくる。私は笑って答える。

「ひみつ!」

 もうここには来ないと決めているのだけれど、でもその誓いもいずれ破られる。雨も降っていないのに青い傘を差した老女が、私たちをずっと見ているから。彼女にとって私たちはたぶん愛おしくて恥ずかしい存在なのだろう。可愛くてたまらないだろう。七十になってもこんなものよと思っているのだろう。

 それってちょっと、ほんのちょっとではあるけれど、やっぱり侮辱だと思う。

 だから私は十三歳の彼女を抱きしめない。助言も予言もしない。立ち上がって、ばいばいと手を振る。ばいばいと手を振りかえされる。舟の上の彼女は恋人に夢中でこちらを見ない。この気持ちもいつか消えてしまうとしても、それを未来の自分に否定させはしない。

 一度だけ振り返る。最後に見る木漏れ日の中、十三歳の彼女はレモンジュースを飲みながら、水面の輝きだけを見ている。その頬に汗が滑り落ちて、あごのそばで輝いて、そして永遠に消えた。

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