第9話

 運動部が合宿をするのはわかる。大会に向けて、基礎から実戦まで幅広い練習メニューをこなすのに夏休みのような長期休暇はうってつけだ。部員同士で共同生活をすることで、部員間のコミュニケーションの増進も図ることが出来るだろう。だけど文化部、特に人と争うわけでもなく、チームワークが必要なわけでもない美術部においてその必要があるのだろうか。私は合宿開催のお知らせ、というSNSのメッセージを見てそんな風に訝しんだ。

 ぼんやりと画面を見ていたら新たなメッセージの通知が来た。真依先輩からだ。


”明日、終業式が終わったら公園に行くけど、どうかな?”


 私は ”わかりました。楽しみです。”と返して明日の準備をした。先輩から連絡が来たのはあれから初めてだ。しかも終業式終わりで時間はたくさんある。一旦玲先輩との約束は忘れて、今は絵の練習を楽しもう。



 終業式は退屈だったけど、終わってしまえばあとは夏休みだ。私は急いで公園に向かった。真依先輩は既に着いていて、絵の具や水などを準備してくれていた。この人は本当に今日登校したんだろうか。


「こんにちは、お久しぶりです。いつも画材とか準備させてしまってすいません」

「あぁ、こんにちは。気にしなくていいよ、家近いし、わざわざ来てもらってるし」

「いやいや……今日は何描きましょうか?」

「そうだね、この前はこの木をメインに描いたから、今日はこの遊歩道を中心にした風景にしようか」



 先輩が用意してくれた椅子に座る。ちょうど道が中央に見える構図だ。まずは鉛筆で下描き。薄く輪郭を取っていく。キャンバス、というか画用紙は横向きなので、地平線を上下の中央くらいにとる。背景は遠くの山をうっすらと。水彩なので空の雲なんかは絵の具で表現する。先輩に教えてもらった通りに絵を進めていく。


「うん、いい感じ。じゃあそろそろ絵の具を入れていこうか」

「はい。薄い色、遠景から、ですよね」

「そうそう。佐藤さん、飲み込み早いし、この夏でかなり上手くなるんじゃないかな」

「そうですか? ふふっ、ありがとうございます」


 先輩に褒められた。なんでもない会話だけどちょっと嬉しい。それにしても夏か。私はふと昨日のメッセージを思い出した。


「真依先輩、そういえばこの美術部って合宿なんてやるんですね。参加した方がいいですか?」

「そうだね、普段とは違う環境で練習するのも悪くないと思うし、行ってみたらどうかな」

「先輩は……やっぱり行かない、ですか?」

「そうだね……玲さんからも好きにしていいって言われたし、今年はやめておくつもり」

「今年はって、去年は行ったんですか!?」

「まぁ、そうだね……玲さんに半ば無理矢理連れていかされた、という方が正しいかな」


 真依先輩はあまり部の行事に参加するタイプに見えなかったから、私はすごく驚いた。先輩はゆっくりと去年の合宿について話し始めた。






 去年の夏。わたしたちは電車に乗って船に乗って、ある離島の旅館に向かっていた。ここで2泊3日、絵の練習に励む。というのは半分建前で、多くの部員は観光やお泊まりを楽しみにしているんだろう。わたしは複雑な気分だった。


「真依ちゃんが来てくれるって言ってくれて嬉しかった! 2日間よろしくね!」


 隣で嬉しそうに玲さんが言った。この人が一緒に行こう一緒に行こうと会うたびにわたしをけしかけたんだ。こうして嬉しそうな玲さんを見ると、まぁ、来てよかったなと思う。あとは平穏無事にやり過ごすだけだ。



 宿に着いて、部屋割りが決まった。基本的に学年ごとに部屋が振り分けられるようで、わたしは玲さんと同部屋にはなれなかった。別にたいした問題ではないが。私はずっと宿で待機しているから何かあったら連絡するように、と顧問が言って、わたしたちは自由行動となった。玲さんが私の方に駆け寄ってきて、2人で島の散策をすることにした。


「わぁ、あそこ。猫がいっぱい!」


 わたしたちはしばらく歩いて、ある神社に着いた。炎天下で意識が朦朧としていたわたしはここで休憩しようと思ったけれど、わたしは思ったより体力がなかったらしい。わたしの意識はここで途切れた。遠くに蝉の声が聞こえていたような気がする。



 気がついたら、見知らぬ天井。天井に見覚えがないだけで、辺りを見回すとわたしが割り当てられた和室だった。部屋の中央の机に目をやるとPCにペンタブを繋いで絵を描いている人が見えた。


「あっ、吉田さん、目が覚めたんだ。気分はどう?」

「柴田さん、だっけ……うん、ちょっとフラフラする」

「今日はもう安静にしといた方がいいよ」

「……そうさせてもらう」


 柴田さんとはそれだけ話して、彼女はすぐに自分の作業に戻った。私は少し休み、水分補給をして、携帯を確認した。時刻は18時ごろ。外はまだ明るいが、そろそろみんな帰ってくる頃だろうか。そういえば玲さんはどうしたんだろうか。


「柴田さん、玲さんは……」

「あぁ、吉田さんが倒れたって顧問に連絡して、宿の人に車出してもらって一緒に戻ってきたんだけど、別の先輩にまた連れていかれちゃってた。『真依ちゃんが心配だよ~』って半泣きで言ってたんだけどね。一報入れといた方がいいよ」

「……ありがとう」


 玲さんに迷惑をかけてしまったな。わたしは言われた通り玲さんにメッセージを送った。一瞬で返事が来た。良かった、という内容の長文が綴られていた。これは帰ってきたら大変だな、とわたしは苦笑した。



「柴田さん、体調どう? 良さそうならちょっとこっちに来てほしいんだけど」

「うん。呼び方、真依でいいよ」

「そんなこと言って、私のことは柴田さんって名字呼びでしょ? この方が対等だよ」


 よく分からない理屈を並べる柴田さんを軽くいなしてわたしは彼女の横に移動した。PCの画面には描きかけの絵が表示されていた。画面の中央には浴衣姿の女の子。視点の主は女の子の左後ろにいて、彼女がこちらに振り返ろうとしている、という構図だ。


「この絵なんだけど、吉田さんから見てどう思う?」

「そうだね……柴田さん、手を書くの苦手? この構図なら左手が映ってた方がいい気がする……上の方にスペースが空いてるってことは花火とか描こうとしてた? それなら光の当たりかたにちょっと注意が必要……この女の子の表情はきっと”驚き”だよね」

「すごい、全部的確! 何でそんなこと分かっちゃうの?」

「何でって……なんとなく?」

「普通わかんないよ、流石あの川島先輩のお気に入りなだけあるね」

「お気に入りだなんてそんな……わたしこんなことしか出来ないし……」

「いやいや、それって才能だって! 私も手を描くの練習しないとなぁ……あ、影についてはデジタルだから色々やりようがあるんだけど、確かに気付かなかった、ありがとう」


 人と話すのはあまり得意じゃないけど、感謝されて悪い気はしない。どういたしまして、と返事をして、それからしばらく柴田さんの絵を見せてもらった。デジタル絵はあまり知らなかったから勉強になった。そんなこんなで、合宿には悪い印象は特にない。今回の合宿は気まずいし参加しようとは思わないけど。




 柴田さんとの話はあまり深堀りせずに、わたしは去年の合宿について佐藤さんに教えてあげた。彼女は黙々と聞きながら、自分の絵もしっかり進めていく。上手いものだ。時々こっちを向いてアドバイスを要求してくるのも可愛らしい。合宿から帰ってきたときが楽しみだね、と笑顔で伝えたら、なぜか俯かれてしまった。プレッシャーに捉えられてしまったとしたら、なんだか申し訳ない。

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