第8話
台風一過、という言葉がある。台風が来て天気が荒れたあとは、カラッと晴れて気持ちのいい天気になるという意味だ。確かにあれから天気は暑すぎるくらいの快晴だ。だけど、私の気持ちはどんよりとしたままだ。それは決して期末テストの結果が悪かったからというわけではない。
あの大雨の日の後、すぐにテスト期間に入って、美術部も一旦お休みになった。今日は久しぶりの活動日だ。ちなみにあれ以来真依先輩とも連絡を取っていない。誰に会うにしても、非常に気まずい。
あの日、玲先輩から天使の絵についての話を聞いた。私なりに覚悟を持って聞いたつもりだったけど、真依先輩の特殊な事情は私の想像を超えていた。
私は玲先輩の味方だし、真依先輩にまた絵を描いてほしいと思ってる。でも、きっと本人はそれを望んでいないだろう。
美術室の近くまで来て、何人かの部員の談笑の声に気がついた。思わず足を止める。今、私の心は玲先輩との約束によって重圧をかけられている。あの中に入って楽しくおしゃべりできる気がしない。絵の練習にも集中できるだろうか。かといってここまで来て帰るのもどうかと思う。どうしようかと考えながら歩いていると準備室へのドアが目に入った。私は半ば無意識にドアを開け、しっかり閉めきり、例の絵の棚に向かっていった。
幸運なことに準備室には誰もいなかった。この前のように絵を棚から出して、近くにあったイーゼルに立て掛けて、対面に用意した椅子に座った。額縁もついておらず、保存状態もあまりいいとは言えないその絵をじっくりと見る。
やっぱり私はこの絵が好きだ。でもあの話を聞いてしまった以上、前までと同じ感想をこの絵に抱くことはできない。確かにこの絵は今でも真依先輩を苦しめ続けているんだ。私はどうすればいいんだろう。心の中で目の前の絵に問いかけてみても、当たり前だけど返事はない。ため息をついて悩んでいると、後ろでドアが開く音がした。振り向くと、そこにいたのは柴田先輩だった。
「おっ、なっちゃん。来てたんだ。こんなところで……その絵、見てたんだ」
先輩は足元に気を付けながらこっちに近づいてくる。私は何となく2つ目の椅子を用意し、そっちに座り直した。先輩は軽く笑顔で会釈して、私の隣に腰を掛けた。
「この絵、久しぶりに見るなぁ……なっちゃんはやっぱり、この絵が好きなの?」
「そうですね。でも、ちょっと色々あって……」
「色々、ね……それって私が今聞いてもいいことかな?」
「……そうですね……」
私は少し考えたけど、柴田先輩に相談してみることにした。あの雨の日、玲先輩と約束したことと、それについて私が何をすればいいのかわからなくなってしまったこと。そもそも柴田先輩は去年の文化祭を生で見ていたんだ、2人の事情は私よりも詳しいだろう。
「へー、教えてくれたんだ、川島先輩が……」
「私、玲先輩の気持ちはわかります。でも、真依先輩の気持ちもわかる、というか想像ができて、どうしたらいいかわからなくて……」
「そっか……」
先輩は困っている様子だった。やっぱりこの話は止すべきだったかな、と自省していたら先輩がゆっくりと口を開いた。
「この絵は川島先輩が去年かなり気合いを入れて準備してた絵でね、文化祭だけじゃなくて県のコンクールにも出そうとしてたんだ、って話は聞いてた?」
「いえ、初耳です。そうだったんですか……確かにこれだと、コンクールには出せないですよね……」
「だから余計に、吉田さん、自分を責めちゃったんじゃないかなって思うんだよね」
「……先輩はどう思いますか? 私、どうしたらいいんでしょうか?」
「……私は今までは、そっとしておいてあげようと思ってた。退部届を吉田さんが出したとき、誰も吉田さんを非難したりはしなかったんだけど、部の全体としてそんな雰囲気があったんだ。顧問もそうだった。もしかしたら川島先輩が根回ししてたのかもね」
私は真剣に先輩の話を聞く。先輩はいろんな事を知ってるし、あの一件に関して別の面が知れるかもしれない。
「吉田さんは飄々としてるように見えて結構人との約束はきっちり守る、割と律儀なタイプでね。そんな吉田さんだから結構自分を責めたんだと思う。で、その理解者の川島先輩が、できる限り吉田さんが傷つかないように配慮した結果が今の形なんだよ。たぶん。
吉田さんがこのままずっと絵なんか見たくない、関わりたくもない、って思ってるならそれは仕方のないことだし手を引くところなんだけど、彼女、戻ってきてくれたんだよね。実感はないけど。
だから、なっちゃんはできるだけ吉田さんと一緒にいてあげて、吉田さんと美術部の間の架け橋になってあげるのがいいんじゃないかな。つながりさえあれば、きっと戻ってきやすくなると思う」
先輩がそんな風に教えてくれたのが、私はちょっと意外だった。柴田先輩もちゃんと真依先輩のことについて悩んで、考えてくれていたんだ。私もその想いに応えたいと改めて強く思った。
アドバイスありがとうございます、とお礼を伝えたところで、何人かの部員が準備室に入ってきた。きっとそろそろ帰りの時間なんだろう。絵を片付けようとしたら、柴田先輩も手伝ってくれた。先輩は少し嬉しそうだった。
「私もこの絵、結構好きなんだ。だから、なっちゃんには頑張ってほしいかな。大丈夫、きっと上手くいくよ」
先輩のお陰でちょっと自信がついた気がする。帰り道、部活に来てたのにずっと美術室に顔を出さなかったことをえーちゃんにぶちぶち言われててしまった。
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