第7話
見慣れた家具。見慣れたカーペット。見慣れた間取り。ここは間違いなく私の家だ。シャーというシャワーの音がお風呂場から聞こえる。私に兄弟はいないし、両親も昼間は仕事でいない。外はバケツをひっくり返したかのような大雨。時おり雷鳴が轟いている。私の荷物は雨でびしょびしょだ。そして同じくびしょ濡れの鞄が玄関にもうひとつある。しばらくして、お風呂場のドアが開く音が聞こえた。私は身構え、音の主を待った。
「なっちゃん、シャワーありがとう。お次どうぞ」
「玲先輩。ありがとうございます」
そこにいたのは私の服を着てタオルで髪を拭いている我らが美術部部長、川島玲先輩その人だった。どうしてこうなったのか、その経緯は今朝に遡る。
今朝の天気は曇りだった。梅雨は明けたはずだし、雨の予報は出ていなかったけど不安に思った私は折り畳み傘を鞄に忍ばせ学校に向かった。その時はまだ何ともなかった。
4時間目頃からポツポツと雨が降りだした。私は傘を持ってきてよかった、なんて呑気に考えながら授業を受けていた。雨は授業中、どんどん勢いを増していった。内心すごくヒヤヒヤしていた。きっと先生も含め、学校中のみんながヒヤヒヤしていただろう。そして授業終了と同時に警報発令のアナウンスが流れ、先生の指示の下全校生徒が帰宅することになった。
結論から言うと折り畳み傘は全く役に立たなかった。開いた瞬間に強風で骨が反対側に折れた。私は泣く泣くそれを丁寧に畳み直し、袋にいれて鞄にぶら下げた。ここからは所々屋根があるところで休みつつ、走って帰るしかない。幸いにも私の家はこの近くだ。
「あっ、なっちゃん。こんにちは」
「玲先輩。こんにちは。先輩も雨宿りですか」
玲先輩とはある歩道橋の下でばったり鉢合わせた。ちなみに私のあだ名はあれからえーちゃん経由で美術部内に一気に広まり、多くの部員が私のことをなっちゃんと呼ぶようになった。玲先輩もその一人だ。私も玲先輩のことを下の名前で呼ぶようになった。美術館での一件の後、あの公園でたまに真依先輩に絵を教えてもらっている。先輩は口出しするだけで、決して筆を持とうとしないけど。そこで玲先輩についての色々を聞いた結果、私も呼び方を改めたというわけだ。
「そうなんだけど、さっきの雷のせいで電車が止まっちゃったみたいで、帰るに帰れないんだよね。困ったなぁ……」
こんな場所にいるんだ、明らかに私の家を当てにしているんだろう。私の家が学校の近くなのは美術部員は皆知っている。今のところ誰も家に上げたことはないけれど。私も特に断る理由がないし、緊急事態だし、私の家に来るように勧めた。どしゃ降りの中、2人で傘も差さずに全力で家まで走りきった。
先輩がお風呂場から出てきたので私もシャワーを浴びることにする。制服を脱いで、目印の安全ピンをつけて乾燥機に入れた。中には先輩の制服も入っている。スイッチをつけると目安時間は50分と表示された。それまでに雨は上がるだろうか。そんなことを気にしながらお風呂場に入った。
シャワーを浴びていると脱衣場のドアが開く音がした。先輩が入ってきたのだろう。先輩はそこにあった椅子に座ったようだった。
「なっちゃん、今いいかな?」
「はい、何でしょうか」
「真依ちゃんについてね、聞かせてほしいなって思って」
「真依先輩、ですか。確かに部室には一度も来てないですもんね」
それから私は真依先輩の話をした。初めて会った日、あの絵のモデルになった公園に連れていってもらったこと。交通費を律儀に出してもらったこと。ゴールデンウィークに美術館でデートしたこと。絵を教えてもらう約束をして、たまに公園に出向いていること。それから、天使の絵について聞こうとして、何も教えてくれなかったことも。玲先輩は静かに相槌を打って聞いてくれた。
「ねえなっちゃん、あの絵について知りたい?最初から、最後まで、全部」
全部。聞いてしまってもいいのだろうか。
「私は正直なところ、なっちゃんには協力してほしい。私はあの子が絵を描いているところをもう一度見たいの」
それは私も同じだ。でも協力って、どうしたらいいんだろうか。
「約束する。なっちゃんが全部を知って、あの子を救ってあげられたなら、私もそれに見合った決着を秋の文化祭でつける」
救い。確かに真依先輩はあのままでは良くない気がする。でも、それはとても難しいことなんじゃないだろうか。
「聞かなくてもいいよ。そしたらなっちゃんは自由に部活動をやってもらって構わないから。これは元々私たちだけの問題だし」
先輩の言うとおり、私はこの件について完全に部外者だ。だけど私は、あの絵に魅入られてしまった。それは変えられない事実だ。
「私はリビングに戻っとくね。気持ちが決まったら、聞かせてほしい。待ってるよ」
私は先輩を追いかけるようにお風呂場を出て、すぐに着替えてリビングに向かった。雨はまだ強く降り続いている。
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