第5話

 美術部の活動は基本的に自由だ。期限内に作品を完成させられれば制作の場所、日時は問わない。美術室でなくても、家や自分の教室、はたまた屋外で作業をしても構わない。土日に集中的に作業をする人もいるだろう。しかも全員が作品を出す必要のある作品展は10月の文化祭の日だけだそうだ。そんなわけで、いつも放課後の部活の出席はまばらだ。入部届も他人に出させ、全く教室に現れない先輩もいる。それはいつもの事なんだけど、特に明日からはゴールデンウィーク。ほとんどの部員は連休に備えるつもりなんだろう。この日教室に来たのは私と古谷さんの2人だけだった。


「夏美ちゃんは私がいるときいつもいるよね。毎日来てるの?」


 相変わらずこの子は器用に木を削りながら私に話しかけてくる。ちなみに彼女がダメにした木材ブロックは既に片手で数えられないほどだ。不器用には見えないんだけど、彫刻というのは意外と難しいものらしい。 


「まぁ、そうだね。部活って初めてだから、あんまり休み方分かってないのかも」


 私もデッサンに集中しつつ、そんな風に返した。スケブはこれで4ページ目。自分の鉛筆も買い揃え、時々来る先輩や同級生にアドバイスを貰いながら練習を進めている。最初の頃よりはだいぶ描き方がわかるようになってきている、と思う。



 教室に鉛筆を滑らせる音と、ノミで木材を彫る音だけが響く。雑音のはずなのに静かに感じる。いつも必ず聞こえてくるおしゃべりが今日はないからだろうか。そういえば、いつもの吹奏楽部の楽器の音や体育館からの運動部の声出しも今日は心なしか小さく聞こえる。みんな連休前だから休んでるんだろうか。やっぱり今日は家に帰るべきだったのかな、とも考えたけど、でもこういう環境の方が落ち着いてデッサンに取り組める気もする。うん、やっぱり今日も最後まで練習しよう。



「夏美ちゃーん」

「なーにー?」

「前から思ってたんだけどー、なっちゃんて呼んでもいいー?」

「まぁ別にー」

「私もえーちゃんでいーよー、みんな呼んでるしー」


 この子はまた話しかけてくる。集中が乱れたりしないのか、それとも話しながらの方が集中できるタイプなのか。私もこの子のおしゃべりが嫌いなわけでもないし、適当に答える。あまりに適当に話してたらあだ名が勝手に決まってしまった。


 3、40分経ち、私は休憩のために一旦教室を出て自動販売機に向かった。

 どこ行くの? 一緒に行く、と古谷さん、いや、えーちゃんも着いてきた。休憩の間、話題は真依先輩と部長の話になった。


「作品の代わりに退部届って、絶対文化祭準備で何かあったと思うんだよね。何か作品を人に見せたくない事情があったとか」


 えーちゃんはまるで刑事か探偵になったみたいに独自の理論を展開してくる。私も気になるけど、あまり部外者が踏み込んでいい話ではないと思ってる。気になるけど。


「気になるんでしょ?」


 ……気になるけど。


「美術準備室行ってみようよ。何かわかるかも!」

「……しょうがないなぁ」


 私は乗り気ではなかった。決して。乗り気ではなかった。これは仕方の無いなりゆきだ。




 全く人気の無い美術準備室は、どこか無機質な雰囲気を漂わせている。机に並べられた画材、壁に連なるように立て掛けられたイーゼル。それらを尻目に、私たちは目的の絵の棚に向かう。

 棚も机もいつも通りの状態でそこにあった。えーちゃんはこれを見るのは初めてらしいから、私が絵を取り出して立て掛けてあげた。


「へー、こんなのがあったんだ……確かに、展示しないのがもったいないくらい、なんというか、凄い絵だね……」


 いつもはテンション高く話しかけてくるえーちゃんも、どこか呆気に取られたようなリアクションを見せた。彼女は絵描きの経験が私より長い分、この絵について色々なことがわかるのだろうか。羨ましい。


「私も見つけたのは本当に偶々だったんだけどね。この絵がなかったら、私たぶん美術部に入ってなかった」

「へー、素敵な話じゃん。で、この絵を描いたのは川島先輩、だったのかな……サインとか特に見当たらないけど」

「どうなんだろうね。確かに真依先輩はそんなことを言ってたけど、だったら何で川島先輩はその辺ごまかしたんだろうね。やっぱりなんか気になる……」

「うーん……あっ、そうだ!」


 えーちゃんは何かを思い付いたのか、一旦絵を棚に仕舞って別の棚をいじり始めた。美術に関する本やノートが入ってる棚だ。


「この中に去年の文化祭のパンフレットがあるかも! それ見たらこの絵のことが書いてあったりして!」


 なるほど。名案だと思った。最初はえーちゃんのお目付け役になるつもりだった私は結局欲求に負けて一緒に棚を探した。パンフレットは一箇所にまとめられていて、去年のものは簡単に見つかった。2人でドキドキしながらページをめくった。






「うーん……どういうことなんだろう……」

「十中八九、川島先輩の作品だろうと思ってたんだけど……」


 夕暮れの中、そんなことを言いながら私たちは家路についた。あの後は一切デッサンに集中できそうになかったからだ。きっとえーちゃんも同じだったのだろう。



 作品リストには真依先輩の名前はもちろん、川島先輩の名前も無かった。天使の絵については、何もわからなかった。

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