第4話

 次の日、私は満を持して美術室に向かっていた。

 毎日部活に行く必要は無いとはいえ、昨日はやむを得ない事情でサボってしまった。みんなは何をしていたんだろう。もしかしたら親睦を深めるためにパーティーでもしてたのかもしれない。もう部内でいくつかコミュニティができてたらどうしよう。そう思うと気持ちは晴れないけど、でも今日からは好きなだけ絵の練習ができるんだ。昨日の体験で私の絵に対するモチベーションは上がっていたので、頑張ろう、と自分を鼓舞しながら美術室の扉を引いた。


 部屋にはまだ誰もいなかった。若干薄暗い教室の電気を点ける。すると、教卓の上にスケッチブックがあることに気がついた。近くに行ってみると、メモも一緒に残されていた。


“佐藤さんへ たぶん石膏か静物のデッサンするのがいいと思うのでこのスケブを使ってください 真依”


 律儀な人だと思った。スケッチブックを開いてみると、1ページ目に折り畳まれた昨日の入部届が挟まっていた。部長が来たら渡しておこう。




 10分ほど経っただろうか、デッサンの準備をしていると他の部員がちらほらと集まってきた。木のブロックとノミみたいなものを持った女の子が私の横を陣取った。前に彫刻がしたいって言ってた人だ。確か名前は……


「古谷さん……だっけ、こんにちは」

「こんにちは!佐藤さんだよね、昨日サボってた!」


 うっ、この子、いきなり痛いところを……


「昨日はちょっと、深い事情があって……」

「あはは、いいっていいって!美術部あるある!」


 ぺしぺしと肩を叩かれた。なんだろう、距離が近い。でもこの子は確か美術部の経験が長いはずだ。


「あの、古谷さん、デッサンについて教えてほしいんだけど……」

「うん、初心者だもんね!何から話そっか!」


 なんだかテンションが高いが、無事デッサンのあれこれを教えてもらった。鉛筆も貸してもらえた。良かった、なんとかなりそうだ。



「ところで佐藤さん、あ、夏美ちゃんって呼んでいい?」

「え?うん、いいけど……」

「夏美ちゃん、昨日ヤバい先輩のところに行ってたらしいじゃん」

「えっ、真依先輩のこと?」

「そうそう。作品展で絵の代わりに退部届提出したっていう」


 彼女は木材を大胆にノミで削りながら話を続ける。


「昨日けっこうその話で盛り上がったんだよね。どんな人だった?やっぱヤンキーだった?絵上手いのかな?先輩とどこ行ってたの?」


 おかしい。目線は確かに手元を向いてるはずなのに、マシンガントークの銃口はこちらに向いている。というか何だやっぱりって。そんな噂が立っていたのか。


「真依先輩は普通に優しい人だったよ。このスケッチブックも譲ってくれたし。昨日は公園に行ってた」


 私も石膏に目をやりながら答える。こういうおしゃべりが美術部流なのか。なんとなくわかった気がした。


「公園?なんで?」

「うーん、準備室に私がすごく好きな絵があって、その話をしたら連れていかれた……って感じかな。あの絵の背景がその公園からの景色で、ずっと見てた」

「へー……夏美ちゃん、結構一途なタイプなんだね」

「えっ?」


 ずっと景色を見てたらそんな風に思われるのか。ちょっとビックリして手元の線が狂ってしまった。




「その話、私も聞きたいな。隣いい?」


 話しかけてきたのはこの前のミーティングで書記をしていた先輩だった。緑のリボン、2年生か。どうしよう、名前覚えてない。


「あっ、柴田先輩!どうぞどうぞ!」


 助かった。この人が柴田先輩、忘れないようにしよう。先輩が引っ張ってきた机にはノートパソコンとペンタブが置かれている。噂に聞くデジタル絵描きというやつか、初めて見た。


「こんにちは、夏美ちゃん。ちゃんと挨拶してなかったね。私は柴田澪。今2年で、副部長やってる。よろしく。」

「あっ、私、佐藤夏美です。よろしくお願いします」


 副部長だったのか。髪はロングで、緑色のフレームの眼鏡をかけている。割としっかり者っぽいというのが第一印象だった。



「で、昨日の事なんだけど、吉田さんなんて言ってた? 美術部復帰するのかな?」

「は、はい……あっ、これ入部届です」


 さっきの入部届をポケットから出し、先輩に渡した。


「へー、そうなんだ……ありがと。やっぱり川島先輩には逆らえないのかな」

「なんかそんなこと言ってましたね。あの二人、やっぱり何かあったんですか?」

「うーん、まぁ、あったっちゃあったんだけど……」

「えっ、何ですかその面白そうな話! 私にも聞かせてください!」


 隣からガタッと音が聞こえてきたので振り向くと、古谷さんが彫刻道具を机の上に置く音だった。彼女は完全に作業を止めてこっちの話に身を乗り出している。


「逆らえない関係ってなんですか! 実は部長の方がヤンキーでいじめっ子だったとか? それとも何か弱みを握ってるんですかね? すごく気になります!」


 古谷さん、すごく目を輝かせている。迫力が怖い。どうしようかと柴田先輩に視線を向けたら、彼女も苦笑いしていた。


「うーん、でも結構あれな話だからな……もうちょっとあの周りが落ち着いてきたら教えてあげる」

「えー、なんですかそれー! 絶対秘密にするのにー」


 古谷さんはブーブー言っているが、私にはなんとなくわかる気がした。あの二人の因縁は簡単に踏み込んでいいものではないような気がしたからだ。あと古谷さんは絶対口が軽いだろうな、とも思った。


「それで、真依先輩は部には戻るけど部室にはあんまり来たくないって言ってました」

「まぁ、そうだろうね……あの子、部員だったときからほとんど部室来てなっかたし」


 そんな話をしつつ、私たちはそれぞれの作品づくりを進めていった。特に私は2人に口を挟んでくれたお陰で、デッサンについて少しわかるようになった。いろんな堅さの鉛筆があるといいとも教えてもらったので、今度買いに行こうと心に決めた。結局この日は部長も真依先輩も来なかった。




 帰り道。古谷さんは家の方向が途中まで同じだったので、一緒に帰ることになった。


「柴田先輩、結局教えてくれなかったねー」

「仕方ないよ。真依先輩も話したくない感じだったし」

「……夏美ちゃん昨日いなかったから知らないよね。実は柴田先輩、けっこうすごい人なんだよ」

「えっ、どういう事?」

「先輩、1年生のクラスの担任とか先生の事情にかなり詳しくてさ。たぶんあの様子だとこの学校の大体の先生や生徒についていろんな情報持ってるよ。昨日ちょっと引いちゃったもん」

「……へぇー、そんな人って本当にいるんだ……」


 ちょっと怖い話を聞いてしまった。先輩とは仲良くしておこうと私は心に誓った。

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