第3話 (真依視点)
その日、わたしはいつものように屋上に向かう階段の踊り場で休んでいた。
この場所には予備の机や椅子が乱雑に積まれていて、滅多に人が来ないし、人目も避けやすい。空気は悪いしいつも薄暗いけど、わたしはこの場所が気に入っていた。
ふと窓から射す光が赤みを帯びていることに気づく。もうこんな時間か。そろそろ帰ろう。そう思ってわたしは腰をあげた。
帰り道、恐らく部活帰りであろう1年生たちとすれ違った。部活動か。ふと美術部のことを思い出す。新年度が始まり、きっと新入生も何人か入ったんだろう。玲さんは今年は絵をちゃんと描けるのかな。そんなことを思ったが、去年の秋の事を思い出して胸が苦しくなった。
あれ以来、玲さんとは顔を会わせていない。あの天使の絵をこっそり持ち出して燃やしてしまいたいと思ったこともあったけど、そんなことをしても過去の自分の罪が消えるわけではない。わたしはあの過ちを一生胸に閉まって生きていくんだろう。そう思って、学校を後にした。
家に着いたら携帯電話が玄関に置いてあった。そういえば今日は忘れてたんだっけ。なんて呑気に思って携帯を開くと新着メッセージが来ていた。なんと差出人は玲さんだ。恐る恐る開いてみると、内容はこうだった。
“ひさしぶり!新入部員で真依ちゃんの絵が好きって子がいたから紹介しといたよ。明日自分の教室で待っといてあげてね。あと入部もよろしく!”
端的で朗らかな脅迫だった。全く気乗りがしなかったが、そもそも気乗りのする贖いなどないのだ。明日は授業をさぼれないな、と思うと乾いた溜め息が出た。
翌日。
目覚めは最悪だった。なんだかよく覚えていないが、とても悪い夢を見た気がする。まぁいいや、学校に着いたらたっぷり寝させてもらおう。そう思ってわたしは家を出発した。
「あの、すいません……」
「……ん?あぁ、おはよう……」
気がついたら放課後だった。6時間目の途中までの記憶はあるんだけど。話しかけてきたのは赤いリボンの女の子だった。栗色の髪を肩くらいの高さで切り揃えている、純朴そうな印象の子だ。もちろん初対面。
「……あぁ、あなたが玲さんが言ってた人?」
「玲さん?あぁ、部長か……はい、佐藤夏美といいます」
彼女は佐藤さんというらしい。この子が玲さんが仕掛けた刺客、というわけか。せっかく美術部に入ったのにこんなことに巻き込まれて、かわいそうに……
ぼんやりとそんな事を考えていたけど、彼女はわたしの様子を伺っているようだ。わたしから話しかけた方がいいのか。
「あぁ、わたしのことは玲さんから聞いてるかな?」
「いえ、全然聞かされてないんですけど……」
「そっか……えーと、何から話そうか……」
「あの、私、美術部入りたてで、何から手をつけたらいいか分からないので、教えていただけたら……」
玲さんはわたしに何をさせたいんだろう。わたしが絵なんか描けないということを、彼女が一番よくわかっているだろうに。まぁ絵は描けなくても、彼女の絵の練習に付き合ったり、いろんな場所に連れていってあげて感性を育んだりはできるかもしれない。外で活動するのは悪くないな、と思った。そうすればわたしも美術室に行かずに済む。玲さんと顔を会わせることも。
じゃあ具体的にどこで制作をするか、と考えたとき、わたしにはあの公園しか思い浮かばなかった。
「……あの絵を見たんだっけ。そうだな、じゃあ着いてきて。今日時間あるよね?」
例の公園についた頃、すでに日は沈みかけていた。でもちょうどいい。この時間帯が一番景色が綺麗に見えるんだ。彼女、佐藤さんはフェンスに近づき、食い入るように景色を見ていた。ふと昔の事を思い出した。
玲さんと初めて出会ったのは、2年前のこの公園だ。その頃玲さんは高校1年生、わたしは中学3年生。彼女は一生懸命に絵を描いていて、授業をサボって公園の木陰で休んでいたわたしはしばらく彼女に釘付けになった。
彼女は絵に集中してこちらに気づいていないのかと思ったが、突然こちらを向いて笑顔で会釈してきた。これが始まりだった。ちなみにその日は高校は振替休日だったらしい。残念ながら玲さんはわたしのような不良とは違ったのだ。
わたしは彼女に絵についてたくさんの事を教えてもらい、様々な表現方法を試させてもらった。思えばこの頃がお互いに一番幸せだったのかもしれない。わたしは彼女の高校の事を聞き、そこを志望校に決めた。きっと高校に入ればもっと素敵な生活を送れるのだろうとわたしは希望に満ち溢れていた。それがたったひとつの過ちですべて崩れてしまったわけだけど。
佐藤さんはずっと眼下の町の様子を見ている。日は完全に山の向こうに隠れ、少しずつ団地の窓に灯りが点き始め、街灯は道を照らし始めた。きっと彼女の頭の中はあの絵のこととこの景色のことで一杯なのだろう。羨ましい。ふとそう思った。わたしもあの頃みたいに戻れるのだろうか。そんな風に思ったけど、すぐにそんなでしゃばった思いは捨てた。願わくば、彼女はわたしのようにはなってほしくない。そんな思いから、わたしはもう少し彼女のそばにいてあげようかなと、柄にもなくそう思った。
「すっかり遅くなっちゃったね。わたしは家がこの近くだからいいんだけど、帰り道は分かるかな?」
「来た道戻るだけなので、たぶん大丈夫です。携帯もありますし。」
そんな会話をして、わたしたちはお互いの連絡先を交換した。彼女は明日からは美術部に来てほしいと言ったが、正直に保証しかねると答えた。そのあと彼女が入部届を渡してきたので、わたしは交通費とコロッケ代をいれた巾着袋を渡してあげた。わたしは義理堅いのだ。
家に帰ったわたしは白紙の入部届に必要事項を記入していった。こんな風に絵も描けたらいいのに。仕方の無いことだとわかっているけど、それでもわたしはこの事を悔い続けるしかないんだ。2度目の美術部生活前夜は、こうして更けていった。
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