第26話 双方の事情と、お互いの距離感
帰還術式と呼ばれる魔術品の原理は、
ノザメエリア、レインエリア、ネズエリア、セリザワエリア、この四ヶ所の出入り口には大きな水晶のようなポイントが設置されており、それが空間転移、帰還術式の目印となっている。
しかし、転移には距離が問題になる。
各エリアへ一気に転移することが可能ならば、随分と便利なのだが、遠すぎる。だって、今まではずっと、ほかに街があることすら知られていなかったのだ。そんな近距離にあるのなら、かつての冒険者だとて気付けていた。
ならばどうするか。
いくつかの地形に存在する中継地点を経由する。
先ほども述べたが、問題は距離なのだ。
最短ではないにせよ、地形が変動して距離が短くなり、転移できるタイミングを待つ――それが、現状における外の歩き方だ。もちろん、凪の宿と呼ばれる地形に中継地点があるため、危険性はそれなりに低くなっているが、魔物の発生もあるため、商人などは状況に応じて冒険者を護衛に雇う。
だから――夜になれば。
「あちこちでたき火だねえ」
「酒場でもなし、寄り合いもあるが個人の方がトラブルが少なくて済む。まあ常駐してる冒険者もいるし、そういう気配はないんだけどな。実際にこうして、薪もわけてくれる」
お互いに火を間に置いて向かい合って、小さく笑いながら
「手慣れてるね。学園でもサバイバル訓練はあったけどさ」
「ここ二ヶ月、まずはディカに連れられて奥まで行って、それからファゼットさんに訓練を受ければ、この程度ならいつでもできる。水浴びがしたいなら言ってくれ、そのくらいは可能だ。夕方から今まで、紐付けに関してはだいぶコツを掴んできた」
「その紐付けって?」
「……」
視線を左右へ、そして声が漏れないようESPのバリアを張った。
「
「――ああ、命綱と同じね。術式で構成するのは、私だと骨が折れそう」
「そもそも、メジェットさんは魔術師としてどうなんだ?」
「それほど研究には熱心じゃないし、戦闘じゃ使わないから。いや使えないのかな……? とにかく、居合いの方がよっぽど速いから」
「……」
「なに?」
「スカートに二―ソックスで太もも見せるスタイルで居合いってどうなんだと、真面目に考えてた」
「――馬鹿」
「ああ似合ってるからいいんだけどな。確かに、それだけ刀が扱えるなら、術式の介入そのものが遅すぎる。……なるほどねえ」
「ちらちら太ももを見るな」
「じっくり見ていいのか?」
「返答に困ることを聞くな!」
「へいへい」
「……み、見たいの?」
「返答に困ることを聞かないでくれ」
「――こいつ」
また怒りだしたので、保存食の肉を一つ投げ渡した。
「けどまあ、紐付けは本当に初歩だ。何本も作るわけにもいかないし、一本を長くしたって途中で切れる。一つ戻れるだけでも優位性はあるだろうが、安全性という面においては欠けるし――帰れないって状況は避けたい」
「なんで? あ、いや、もちろん当然だとは思うけど」
「大爺さんを見てるからな」
「……そう」
「改めて、しかし上手い仕組みだなと思う。帰還術式があるとはいえ、各エリアごとを分断してある。人間同士の争いは、起こりにくい。各エリアも、自分たちのエリアの発展のため、他エリアの視察はするが――侵攻は考えない」
「できないから?」
「やることのデメリットが大きすぎる。魔物っていう目の前の脅威もあるしな」
「なるほどと、納得はできるけど……なんでまたそんな考えを」
「それ以外のエリアについても、同様だと思ってな」
「……あは、気が早いねえ」
「なんだ、遅い方が好みか?」
「え……っとぉ、それはどういう意味かな? んん?」
「ベッドの中での話だ」
「んなっ」
「照れて顔を赤くするのはメジェットさんの方だったな。もうちょい上手くやれよ……」
年上なんだし、と言おうとして止めたが、たぶん気付かれている。
「うっさいなあ、私はそういう方面が苦手なの。だから育成役をしてるの……まあそこらは、デディさんにだいぶ助けられたけど」
「ミルルクさんが愚痴ってたのを聞いたが、あのやり方まで一緒にしなくてもいいだろ」
「うん? 加減してるし、私もストレス発散してるから」
「まあ、育ってる連中がいるなら、それでいいのか……」
「ところで、もう一ヶ所を中継するんでしょ」
「ああ、正規のルートなら、そうするしかない」
「正規じゃないルートって? ディカちゃんにも言ってたよね」
「一つはディカのやり方で、一気にレインエリアへ跳ぶこと。こいつは今の俺には不可能だ。もう一つは徒歩で行くこと。どっちも今回の選択にはねえよ」
「ああ、そういう……でも一気にいけるものなの?」
「
「特定ヶ所への三次元座標指定」
「その場合、距離は術者の錬度による。おそらくディカの場合は、これから向かうもう一つの中継点までは可能だ」
「うっそぉ……そこまでとは思ってなかった」
「だから逆に、次の中継点からレインエリアに繋がる道ができていれば、ほぼ一瞬で転移できる――と、俺はそれを体験したあとに、考察してみたんだが、それほど間違ってはいないだろうぜ」
「……ディカちゃんって凄い?」
「見てただろ」
「体術は知ってたけど」
「俺も最近気付いたんだから、偉そうには言えないけどな。けどディカは身内には手を出さないって話だし、体験することはないだろ」
「ああ、ファゼ
どういう意味で捉えてんだと思ったが、やめておいた。
「最初のうちはこうやって、各エリアを回るのが先だな。足場も見て回れねえのに、向かうのは得策じゃない」
「……ディカちゃんを頼るって選択は、ないんだね」
「それはディカがいなくちゃできねえって証明だろ。メジェットさんは、それでいいのか?」
「光風ちゃんは頼ってるよ」
「そうかい」
「む……」
「あ? なんだよ」
「そこは喜ぶところじゃないの?」
「喜んでないように見えたなら、夜だからだな」
「く、この男は……!」
光風に言わせれば、メジェットだとて同じだ。距離感は曖昧なままで、どちらかというと光風に近寄って欲しい雰囲気があって、自分は足踏みしたまま。
悪いとは言わないが。
そういう状況が見えてしまえば、光風だって踏み込みにくい。
もっとも、踏み込み方すら知らないが。
「一応、言っておくが――メジェットさんと行動するのは、俺にとっても冒険だからな?」
「そういうとこ卑怯だから!」
「なんでだよ……」
「くそう、ずっと負けてる感じがすごく嫌」
「勝ち負けじゃねえだろ。主導権を握ってなきゃ、何もできないならそう言ってくれ。優しい配慮で取らせてやる」
「そういうんじゃなくって!」
「へいへい」
「……、……私、うるさい?」
「安心しろ。うるさくするだけ、俺のことが嫌いじゃないと受け取ってるから」
「くううう……!」
「顔が赤くなってるな」
「たき火のせいだから!」
「だろうな」
「……、なんでそんな落ち着いてんの?」
「取り繕ってるだけだ。――夜中に繋がる、こっそり移動するぜ」
「――ん。どっちがいい?」
「俺は慣れてる、休んでていいぞ。怖いなら膝枕くらいやってもいい」
「そっ……それは遠慮しとく」
「ん」
頷き、ごろんと寝転がった光風は、防音用のバリアを解除した。
「眠らないから安心しろ。そっちが寝ぼけてても、移動はこっちでやるけどな」
「はーあーい!」
怒ったり拗ねたり、大変だなあと思いながら、光風は空を見上げる。本来は夜間の転移は危険が伴うため、推奨されてはいないのだが、呑気に眠る気にはならなかった。
それに――。
二人というのは、息が詰まるわけではないが、まだ落ち着かない。
踏み込めば、変わるだろう。拒絶が怖いとは思わない――が。
やっぱり、臆病だろうか。
まだ曖昧にしておきたい、そう思うのは。
朝日が昇る頃には、二ヶ所目の中継地点へ。そこから昼まで休み、レインエリアへ到着した。
「ほえー……」
「ここだけ、時間の流れが遅い感じがあるだろ。たまにはこういうのもいい」
「たまに?」
「穏やかな時間ってのは、できれば自分で作りたいんだよ」
「なんで?」
「その方が安心するから。こっちだ、リットエット牧場へ向かうぜ」
「ミルルクちゃんの実家かあ……そうえば、光風ちゃんの実家も知らないんだけど」
「俺だって
「そりゃそうだけど」
「うちの実家も、どうもクソ親父が訳ありらしいから、ちょっとばかり聞き出すこともあるんだがな」
「そうなの?」
「評議会が潰れた時に、どうも関わってたような雰囲気があってなあ……裏の事情だから、エレットさんにも聞いておくつもりだが、まあ今はいい」
「ん」
「ほら、もう見えただろ、あの牧柵の範囲がリットエット牧場だ。牛が中心で、豚は少なめ。加工は別工場で、育成メインらしい」
「うっわ、かなり広いね……」
「ノザメエリアだけに限らず、商品は出回ってるからな」
「お、いたな。おおい、コーリーさん!」
牛にブラシをかけていた男が、こちらに気付いた。手招きをされたので、牧柵を飛び越えて中へ。
「――おう、来たか光風。そっちは、初見だったな?」
「メジェットです、よろしく」
「コーリーだ。
「ありがとな。だがコーリーさん、そうじゃねえよ」
「なんだ?」
「猫だ。猫がいるだろ、猫」
「――はは、確かに猫はいるなあ」
「名前は?」
「トラゾウだ」
「猫だろ?」
「おう猫だ」
猫なのにトラゾウ。だが実際には虎とは、これいかに。
「可愛いヤツだ、殺されるなよ?」
「大丈夫、いくつか手持ちの道具もある」
「よし。おおうい、トラゾウ! 遊び相手だぞ!」
手に持っていたリュックを地面に置いた光風は、ゆっくりと大きな手足を動かして現れた、白をメインにして黒色の縞が入ったその巨体を前に、立ちふさがった。
視線が合えば、トラゾウの腰が落ちる。噛みしめられた歯の間から洩れる吐息と共に、喉の唸りが発生した。敵意と、警戒である。
「よう、トラゾウ。俺は光風だ――まあ、落ち着けよ。こっからは勝負だ」
手持ちの道具を、
――それは。
二メートルはある棒と、その先にある糸と――鳥の羽で作った遊び道具だ。
「クックック……こいつは強力だぜ? ほうれ」
右へ左へ、かさかさと音を立てて移動するそれに、トラゾウは視線を投げる。ゆっくりと光風が円を描くよう右側に移動すれば、トラゾウも立ち上がって向きを変える。
「遊ぼうぜトラゾウ」
「――」
尻尾が揺れる――そして。
初動はメジェットにもわかる。大地を噛む両手両足、それから尻を振るような位置調整――跳びかかる、そこからが遊びの始まりだ。
「まったく……ああいう子供っぽいところを、もっと見せてくれてもいいのに」
「なに言ってんだ。男なんてのは、女の前じゃ見栄くらい張りたくなるもんだぞ」
「コーリーさんもそうですか?」
「うちは母ちゃんが最強だ」
「あはは……」
「しかしお前さん、刀か」
「そちらは、ミルルクちゃんと同じく、糸のようですね」
「範囲内の警戒は充分――と、言いたいところだが、足元が疎かだな」
「一応やってますけど?」
「魔物相手でも下手を踏むぞ? 警戒の範囲は、最低でも一メートルは地中までやっとけ。まあ、光風の野郎がそこまで警戒してるから、必要ねえのかもしれんが」
「え……と、してましたか、あの子」
「おっと、こいつは俺の失言か。知らない振りをしとけ、それも野郎の見栄だ」
「あんにゃろ……」
「いいじゃねえか、好きにさせてやれよ。男ってのは、どうせ負けるんだ」
「そうですか?」
「馬鹿、惚れたら負けなんだよ、男はな」
「――」
「なに顔を赤くしてんだ嬢ちゃん――ああ、そうか、まだそういう関係じゃなかったか。なら忘れてくれ。できれば言わないでくれ、母ちゃんが来た。また余計なことを言ったと怒られる」
「……ふふ、ええ、はい」
太っている――というよりは。
妙に割腹の良い女性が歩いてきた。いや太ってはいるか。
「はい来たね、あんたがメジェットかい?」
「ええ、あっちで遊んでるのが光風です。お世話になります」
「リーザだよ、よろしくね」
「母ちゃん、こいつ痩せてるだろ。太らせろ、肉だ肉」
「あんたは、私じゃ満足しないのかい?」
「……牛舎に戻すかー」
「まったく、ちょっとくらい太ってた方が丁度良いけど、私みたいになったら重くってしょうがないからねえ。ほれ!」
「痛いっ! どうしてお尻を叩くんです!?」
「挨拶だよ挨拶! 小屋はこっちだ、ついといで!」
「はーい」
放牧する区域の隅にある小屋は、木造小屋ではあったものの、中に入れば随分と設備が整っていた。
「うわ、広いですね」
「そりゃね。リコを産んだのもここさ、あいつらは隠れなくちゃいけない理由もあったからねえ。ここで子供を作っても構わないよ」
「しませんって!」
「なんだそうなのかい? いいかいあんた、男なんてのはね、女が許してやるもんだよ。しょうがないってね、笑って受け入れてやんのさ」
「はあ、そんなものですかね」
「好き勝手やるのが頭にくることはあるが――男はね、帰る場所がなくちゃ好き勝手できやしない。だから、勝手ができるんなら、女のお陰さ」
「あいたっ、やっぱりお尻を叩くんですね!?」
「ほら、まずは掃除からだ。あとで新しいシーツを持ってきてやるよ。小屋の周囲では好きに鍛錬していいし、火を熾しても構わないからね。
「はあい。……リーザさんも糸?」
「旦那の方が上手くやるさ。ま、昔話は旦那に聞くんだね。しばらくいるんだろう?」
「三日か、四日くらいは考えてます」
「――あんたは、それだけの時間があっても、結論を出せそうにないねえ」
「ええと……そんなにわかりやすいですか?」
「誤魔化してるつもりだから、わかんないんだよ。いいねえ、若さってのは、じれったくて。ははは、夕食の材料は持ってきてやるからね!」
「お肉?」
「うちが野菜を作ってるように見えるかい?」
「ですよねー。じゃ、楽しみにしてます」
「はいよ」
リーザを見送ってから、改めて見るが、言うほど汚れてはいない。定期的に掃除をしているのかもしれないが、しかし、使った痕跡そのものは、ほとんど見当たらなかった。
公園でよく見かけるような長椅子に荷物を置いて、水回りの確認をする。リビングの奥にはキッチンや寝室、浴室まで完備。確かに一年やそこらは過ごせそうだ。
コーティングされた板張りの床は、バケツとモップで掃除をする。テーブルや椅子などはタオルを使い、順序立てて手早くやるのは、侍女としての必須スキルだ。本職でもあるフェリットに言わせれば、掃除をしている姿を見られるのは恥と思え、らしい。
メジェットは掃除が好きだ。しかし、綺麗になった結果よりも、綺麗になっていく工程を好む。汚れとの対比が、面白いのだ。
「んーふふー」
総じて、楽しい。
――そう思えるようになったのも、最近のことだ。今まではただ、やるべきことと受け取って、ただやっていた。
わかっている。
気持ちを動かしてくれたのは、間違いなく光風で、ああいう気遣いをしたやり方であっても、充分に心強くて。
あれから五日、逢うのを我慢した。それでディカの店へ押しかけてみたのだが――。
考えてみれば、笑い話だ。
我慢していたのだから、素直に言えば逢いたかった。
けれど。
――でも。
まだ光風は学生で、メジェットは男性との付き合いがほとんどない。
お互いを知る時間もまだ、少ない。
いくつかの条件が重なれば、お互いに足踏みするのも、致し方ないだろう。
だから。いや、だったら。
楽しんだ者の勝ち、だ。
「いや充分に楽しんでるんだけどね、あの野郎だけ、くそう……」
ぶつぶつと文句と鼻歌を交じりに、あれこれ準備していれば――夕方。
泥だらけになって、光風は帰ってきた。
「あー悪い、準備とか任せちまったか?」
「いいよ、こういうの好きだから」
「じゃ、ありがとうだな」
「うん。……で、なんでトラゾウは耳までぺたんとして、地面に伏せてるわけ?」
「前に言っただろ、メジェットさんの気配は怖いって。よしよし、たぶんリーザさんよりは怖くないからなー」
がりがりと頭を掻くようにして撫でているが、トラゾウはやられるがまま、尻尾も動かさず伏せたままだ。メジェットは視線を合わせるが、怯えた子猫のようにも見える。
「動物は素直って言うけど、怖がられるってのも、なんだかなー……」
近づいて、しゃがみ込み、ゆっくりと頭を撫でてやるが、細い声で鳴くだけだ。
「ん……おう、リーザさん」
「随分と楽しんだみたいだねえ、光風。ほらトラゾウ、ご飯入れたから、食べておいで」
「飯だってさ、行ってこいトラゾウ」
ゆっくりと起き上がったトラゾウは、退くようにして距離を取ったあと、ゆっくりと躰を回転させ、尻尾を揺らしながら去っていった。
「ああいう姿もいいな」
「光風ちゃん……」
「いやマジで猫だぞ、あれ。猫」
「はいはい。リーザさん、それが食材?」
「うちの肉さ」
「おう、ありがとな」
「夕食終わったら、旦那が来るからね」
「あいよ」
「ありがとう、リーザさん」
「あー、さすがに俺も腹が減った。調理、任せてもいいか、メジェットさん。俺だと焼くしかない」
「今日は焼く」
「どうであれ、他人の料理は美味いもんだぜ」
「そこは、私の料理だからって言うところじゃない?」
「手料理を食べたことがないのに、どこで比較しろって?」
「この男……!」
「誰かの料理と比較はしねえよ……」
「まったくもう!」
「なんだよ、俺の料理でいいなら作るが」
「いいから待ってて!」
またぷりぷり怒ってんなあと思いながら、光風は中に入って様子を確認すると、荷物を適当に置いた。
「奥ね」
「おう」
浴室まで完備とは豪勢だなと思いながら、服を着たままシャワーで汗と泥を落とす。それが終わったら服を絞って水を軽く切って、また着る。寒い季節だが、ESPもあるし、火に当たっていればそのうち乾くだろう。
さっぱりして外に出れば、キッチンにいたメジェットが。
「あ、ちょっと着替えなさいよ!」
「また怒りだした……」
「正当な主張でしょ!」
「そのうち乾くから」
「いいから着替える!」
「へーい」
「私が洗っておくから、置いといて!」
「わかった、頼む」
頼む――か。
洗い物を頼むのも小恥ずかしいが、自分でやるよりは綺麗になるんだろうと考えれば、断る理由はない。
似たようなシャツとズボンに着替えて、洗い物はかごの中へ。
「食事まではゆっくりしててー」
「……ありがとな」
長椅子に腰を下ろして、天井を仰げば、ふっと視界が暗くなる。自分が眠っていたと気付いたのは起こされてからで、思ったよりも疲れていたらしい。
食事を終えて、洗い物は光風が。その間に服の洗濯をメジェットが行い、お互いに落ち着いた頃、コーリーが顔を見せた。
「おう――って、トラゾウは入れねえだろ?」
のそりと、続けて顔だけを屋内に入れた虎は、軽く頭を叩かれてずこずこと引っ込んでいく。
「虎としての威厳はどこに……?」
「なに言ってんだ、お前さん」
「そうだぞメジェットさん、ありゃ猫だ」
「この男どもは……」
「よし、明かりは大丈夫そうだな。明日は?」
「レインエリア全域を見て回るつもりだ。一応、形式上は課外授業、うちの学長にも最低限の筋は通しておかないとな」
それよりもと、メジェットが三人分のお茶を持ってきてくれて、一息。
「ミルルクさんがぼやいてたぜ? 実際に俺が見た限りでも、コーリーさんの方がよっぽど糸の扱いが上手いだろ」
「ああ、その話な」
「我流でもなさそうですけど、何かあったんですか? ミルルクちゃんには、リーザさんが教えてたみたいですが」
「そこらへんは、俺の無精が招いた結果でもあるが――ま、確かに師事はしてた。事情はあるが……ところで、俺から一つ聞いておきたいことがある」
「なんだ?」
「魔物に対する感覚だ」
「あ、私はノーコメントで。まだ外に出たことありませんから」
「そうか。じゃあ
「……」
問われた本人は視線を左下に投げて、しばらく黙してから、小さく笑った。
「ま、いいか。そうだな、魔物なんてのは基本的に、トラゾウと同じだ。すべてがそうじゃないのは人間と同じだが、敵意そのものには必ず理由が存在する。相手の嫌うことをやれば、敵意を抱かれるのは当然だな……で、仮に友好的だったとしても、あっちの遊びでこっちは死ぬのが現実だ」
一般人が虎に出逢っても、一緒には遊べない。両手で抱き着かれれば、そのまま死ぬ可能性だとてあるからだ。
「そこでだ、メジェットさん」
「え、私?」
「俺からも一つ質問がある。今の話に疑問は?」
「んや、そういうこともあるだろうし、納得できるだけの経験があるんだろうとは思ってるところ。錬度が高ければ高いほど、相手の敵意を軽く受け流せるってのは、現実でしょうね」
「じゃあ、こうだ。人型の魔物がいたとして、そいつは何だ?」
「――」
お茶を飲もうとした手が、ぴたりと止まった。
「そもそも、魔物ってのは独特の気配を持ってる。存在そのものが違うからな。仮に人型で、気配を抑えていたとしても、メジェットさんが目の前にしたら、間違いなくこいつは魔物だと――断定するだろう。だが、そうであっても人の言葉を話し、多少は常識外れかもしれないが配慮を持ち、人の形をしたそいつは?」
「それは――……、トラゾウと同じなのね?」
「俺は、そうだ。存在が違い、強い力を持っていようとも、それを抑える意思と、言葉での疎通、そして人と応じるならばそれは、――人間なんだよ。そうだろ、コーリーさん」
「はは、短時間でよく考えやがる」
「魔物に関して質問されりゃ、話の流れから想像はするさ。ファゼットさんがよく、単語だけぽつんと置くようにして、違う話を始めるから、会話に追いつくためにも身に着けたんだ。たぶん、俺に素養があったから、なんだろうけどな」
「ま、そういうことだ。ネコメと名乗った少女でな、本当に猫の目をしてる人型の存在だった。本人は、魔物とは少し違うと言っていたが――まあ、魔物だな。だが間違いなく武術家だった」
「糸か」
「そうだ。まだエリア間の交流はなかったが、いずれあるだろうことを断言した上で、十年くらいは親身になって教えてくれてな。たまにいなくなることもあったが……」
「だから、ミルルクさんには直接教えなかったんだな? 元を、いわゆる源流ってやつを探られると面倒だから、独学の範囲に含まれるリーザさんが適任だった」
「言い訳ならもっとあるぜ? 人に教えるのが苦手だとか、エリア間交流が行われるってネコメが言ってたから、先取りしてうちの事業の立ち上げとかな。ミルルクが産まれる頃は一人でやってたし――それからも、あんま余裕もなかった」
「今は?」
「ミルルクが道を決めるのが先だなあ」
「なるほどな。ま、時間がありゃ訓練に付き合ってくれ。細かい攻撃に関しては課題にしてるんだ」
「細かいって、なにが? 針とか?」
「厳密に言えば、多角的な同時攻撃だな。三つ目から判断が迷う。四つ以降になると、自分の動きによって生じるその後の変化、それらへの対応が追い付かない。認識範囲が狭いんだろうな」
「へえ、課題か」
「まあな。速度に対しては、誰かさんのお陰でだいぶ良くなったが」
「もっと褒めて」
「はは、こっちに滞在中、時間がありゃ付き合ってやるよ。糸の基本は、捕縛術だ」
「じゃ、コーリーさんの糸はどうなんだ?」
その言葉に、笑って立ち上がったコーリーは。
「それは自分で確かめな。ゆっくり休め、それと明日は楽しめよ」
そう言って、小屋を出ていった。
「……ま、せいぜい楽しみにさせて貰うとするか」
「うん。でね、光風ちゃん」
「おう」
「ベッドが一つしかないの」
「じゃあトラゾウと寝てる」
「――、ああもうっ! お風呂入るから覗かないで!」
「トラゾウと遊んでる」
まだ怒ってるなあと、そう思いながら外へ。だが、ほかに選択肢があったろうか。
一緒のベッドで寝てしまえば、何かが変わるだろう。それはたぶん、お互いにわかっていて、まだ早いとも思っているはずだ。
――ただ、まあ。
メジェットにはもう少し、年上の余裕でもあれば、良いのだろうが。
それは逆に言えば、光風が落ち着いている証明でもあるけれど。
「どうしたもんかね……」
そう悩むくらいには、光風もきちんと、メジェットのことを考えてもいる。
外は暗い。
ノザメエリアと違って明かりが少なく、夜空の星がよく見えた。
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