第24話 涙の一歩、自覚の一歩
ジャージで訓練していたのが幸いだったのか、しばらく待っていたらメジェットが制服を持ってきてくれた。ESPの使い過ぎで空腹だったので、荷物を取りに行って学食へ行こうとしたら、外で食べようと言われた。
「まあ、たまにはいっか」
「うん。そういえば、学生だったね、光風ちゃんは。ごめん」
「その通りだけど、何故謝られるかよくわかんねえから、頷きはしねえぞ……?」
「あ、そう」
以前、食事くらいちゃんと誘えと思ったのだが、稼ぎがない学生を相手にはちょっと無茶だったなと、思い出したのだが、本人が覚えてないならそれでいい。
……いいのか?
覚えていて欲しいとも、思うのだが。
「とにかく、一気に腹が減るのは、どうにかしてえなあ」
「訓練だから限界まで追い込むんでしょ」
「ESPに関しては、限界までやると逆に暴走するんだけどな」
「そうなの?」
学園の外に出れば、メジェットが先導する。あまり高いところを選ぶつもりはないが、お互いに満足する店となると、限られるので、いっそのこと喫茶店の方が気楽だろうか。
「メジェットさんって、魔術に関しては?」
「一通り。戦闘じゃ使わないけど」
「じゃあ――魔力が尽きた際にも、術式が発動可能だって話は、知ってるか?」
「……危ない発想ね。続けて」
「本来、魔力が尽きるって状況が、ありえない。最低限の魔力を持ってねえと、自然回復もしないからな。で、術式に必要な魔術構成は魔力がないと作れない――んだが」
「そうねえ。……でも、命を代価にしたって魔力は生まれない」
魔力がなければ、構成は具現しない。
「具現しなくたって、構成は作れる。――躰だよ、血液の循環を魔力の精製として、血管そのものを構成に当てる」
「毛細血管まで使って? 現実的じゃないねえ……ただ、可能だろうけど」
理屈としては、可能だ。そして現実にもそれはできる。
血管そのものを構成の代価とするなら、その部分を捨てることになる。――肉体という器はそのままに、躰をもぎ取られる感覚を飲み込めるかどうかが問題だ。
飲み込めなければ。
代価はそのままに、術式だけが失敗する。
だから――現実的では、ない。
「ま、ESPの場合はそういうことはない。ないんだが、超能力ってやつは、俺が意識できてねえ部分で抑制してる力を、勝手に発現させる。
「死なないの?」
「可能性はあるが、魔術と比較すればだいぶ低い。ただ、術式よりも厄介かもな。人間ってのは、あんなに力を持ってるものかと、呆然とする。死ぬ気になりゃ何でもできる――なるほどと、頷きたいくらいだ」
「もしかして……暴走した?」
「ん、ああ」
喫茶店に到着したので、中に入って席につき、注文をしてから、水を飲んで吐息を一つ。
「暴走させられた、んだろうな。本来なら十日は寝込むぞって、三日目には全快した俺を見たファゼットさんは笑ってたけど」
「実際にはどうだったの、その暴走は――ああ、感覚はたぶん理解できない。結果を教えて」
「だいたい、ノザメエリア全域。――山を一つ潰した」
「……え?」
そこで食事が運ばれてきた。光風がカレーで、メジェットはチャーハンだ。
「意識はあるんだよ。ただ、ESPのエネルギーだけが暴れ回る。制御を離れるから頭痛はするが、どっちかっていうと、エネルギーそのものが消えないんだ」
「へえ、維持の方が楽?」
「まあな。ただ、イメージを固定したままになるから、今はやらないようにしてる」
「勉強中ね」
「扱いを始めて一ヶ月だ、試行錯誤の連続だな。無駄が多すぎるって言われてるが、何が無駄なのかも経験がものを言う……俺の話ばっかだな」
「いいの、私が聞きたかったんだから」
「ならいいか」
「……」
「なんで睨む?」
「私が女だって、わかってる?」
「何故そうなる? どう見ても女性だろ。ちゃんと意識してる」
「……ぬう」
「ちゃんと相手ができてねえのは、わかってる。そこらはすまん」
「くっそ……」
そういうところがズルい。だいたいズルいのは女のはずなのに、この男は自然にこういうことをする。謝られれば、文句も言えない。
食事を終えてからは、珈琲で一息。
「メジェットさんは珈琲、自分で落とすか?」
「家事全般、侍女長クラスまでは無理だけど、新入り侍女を育成できるくらいには、一通りできるよ」
「俺、なんか味が安定しなくてなあ。妙に苦かったり、濃かったり、薄かったり。同じやり方なのに違うって、もしかして豆をいろいろ変えられた可能性ある?」
「ファゼ兄さん?」
「そう」
「あるある、可能性高い。首を傾げてる間はにやにやしてるけど、指摘すると、ようやく気付いたのかって大笑いするタイプ」
「一セット買って、ちょい勉強するか。ここ一ヶ月、ずっと飲んでたし」
「私より上手くならないでね」
「そう簡単に追いつけるとも思えねえよ」
そうして、店を出て。
無言になった。
「ついてきて」
そう短く言ったメジェットの心境を、わかったなんて言えないけれど、少なくとも何をするのかはわかったから、光風は黙ってついていく。
その場所は。
「ねえ、光風ちゃん」
「ん?」
五日前、二人が出逢った場所でもある。
「手を繋いでくれる?」
「――おう」
左手を差し出せば、メジェットの右手が添えられ、握られる。軽く握り返してわかるのは、僅かに汗ばんでいることだ。
あとは。
光風が決めることじゃない。
一歩、二歩。
ゆっくりと進むのを見て、感じて、改めて光風は歩幅の違いを意識する。それもそうだ、背丈が違うのだから歩幅も違う――なら、隣を歩くならば、光風はペースを落とさなくてはならない。
次からはそうしようと、思う。それが気遣いだから。
――なんて。
次があるという前提の思考には気付かないが、振り返ればこのあたりから、もう気にしていたのだろう。
三歩、四歩、次第に近づいて行けば、入り口の門柱が大きいものだとわかる。
「――光風ちゃん」
「おう」
小さく、震えもあった。
「ね、行きたいの、あそこへ」
「ああ」
「……連れてって、お願い」
「――、わかった」
うつむいてしまったメジェットの表情はわからない。けれど、軽く引っ張るように一歩を動けば、きちんと一歩を踏み出す。
だから、先ほどの歩幅の感覚を思い出しながら、ゆっくりと近づく。
そうかと、光風もかつて墓所の前で立ち止まっていたことを思い出して、納得を一つ。けれど門の前、庭が見える位置で足を止めた。
「俺は、ここまでだよ、メジェットさん」
「――」
顔を上げたメジェットは、奥歯を噛みしめていた。けれど、正面から屋敷を捉えて、大きく深呼吸をして。
一歩、そして二歩、中に入った。
「誰もいないね」
「ああ」
「私はさ、この庭で、先生に居合いを教えて貰ったの。最初は一週間、最後の方は毎日のよう、遊びに――」
我慢していたのは、わかっていた。
今にも泣きそうな顔だったのだ、その瞳から滴が落ちるのを見るのは、二度目になる。
「――やっぱり、いないんだ……!」
手を握ったまま抱き着かれ、一瞬の驚きはあったものの、その硬直をすぐに解いた光風は、胸元にある頭に視線を落とし、空いた右手で軽く撫でた。
泣いているのだ、そのくらいはする。
光風との違いは、そこにあった。
死を伝えられただけで、死に目に会えていない。ファゼットたちに伝えたのならそれは事実で、一度は受け入れたのかもしれないけれど、それを改めて確認することが、ずっと怖くてできなかったのだろう。
認めてはいたのに。
認めたくはなかった。
人間らしい感情だ。きっと光風も、墓所の前で言葉が出ないのは、そういう感情を抱いているのかもしれない。
鳴き声が小さくなって、嗚咽が少しだけ落ち着いた頃、頭を撫でたまま光風は口を開いた。
「一つわかったよ……かつて、墓所を前にして、立ち止まってた時に、俺はこう言えば良かったんだ。――助けてくれ、誰か俺の手を引いて、連れて行ってくれって。そのぶんは、メジェットさんの方が賢いよな……」
「……ばーか」
「ん――、……誰か来る」
「だいじょぶ」
いいのかと思いながら、けれど軽い警戒を入れれば、入り口から顔を見せた女性を、光風は知っていた。
「リリットさん」
「みっちゃん」
「なんだその呼び方は」
「それ、こっち預かるよ」
「ん? ――ああ、そう。メジェットさん、もういいか?」
「……うん、ありがと、光風ちゃん。情けなくてごめん」
「情けなくはねえよ。面倒をかけられたとも思ってねえ。――良かったと、そう思う。次は、一人でこられるといいな」
「うん」
両手で押すように躰を離して、まだ涙の残る顔で小さく笑った。
「――母さんいるから、話聞いて」
「おう……?」
メジェットは、リリットに抱えられるようにして、屋敷を去った。
大きく、深呼吸を一つ。
「……泣き顔が可愛いとか、まずいだろ俺。泣かせといて何だよ」
女性への耐性が問題なのかと、周囲を見る。広い庭だ、下手をすれば学園の訓練場よりも広い。同様に、屋敷もまた相応しいサイズだ。
何か、ある。おそらく術式の布陣だろうが、確定はできない。
ぽつりと、肌に当たった水滴を涙と勘違いしそうになって空を見上げれば、雲から雨が落ちてきていた。
「今日は、雨の予報だっけか――」
冬はまだ到来していないのに、落とした吐息が白くなりそうなほど、寒さがある。
寒さか、それとも寂しさか。
――寂しさ?
何故?
「おお、降ってきたのう」
「……」
声に振り向けば、屋敷の中から小柄な侍女が姿を見せた。
エレット・コレニア。
「屋敷へ入るか?」
「ここは俺の家じゃない」
「では店じゃ、安心せい。わしの奢りだ。気分が良いからのう」
「ああそう……」
光風としては、泣かせた件で親が出て来たような気分なので、少しだけ気分が重かった。
向かった先は同じ喫茶店だった。一ヶ月は外で暮らしていたので、雨に濡れるのはもう慣れていたが、相手もそうだとは限らないし、話をするなら座った方が良いのだろう。
先ほどとは違って、円形テーブルの二人席、木造のチェアに座れば、頭一つ――以上、視線の高さが違う。どうすればこんなに小さいままでいられるのだろう、その疑問は口に出したら殺されそうだ。
「ファゼットさんから、聞いたよ」
「うむ、ファゼもわしに報告してきた。まずは」
小さく笑った表情は、間違いなく年上のそれだ。落ち着き払ったと、そう表現してもおかしくはない。
「メジェが世話になった、感謝する。これであやつも、前へ進めるじゃろう」
「俺は何もしちゃいねえよ。……いやそうでもねえな」
「うむ。二回も泣かしたしな」
ざわりと、店内が揺れ動いた。
「否定はしねえよ、そいつはできない……付け加えるなら、何故かあの人は、俺に対してぷりぷり怒ってんだけどな」
「メジェをどう見る」
「今日の戦闘訓練をした限り、素直なのはよくわかった」
「うむ」
珈琲が運ばれてくる。にっこり笑顔のウエイトレスに、受け取った光風は苦笑する。
「随分とメジェットさんは慕われてるらしい。家族総出で俺を捕まえるのは勘弁してほしいね」
「それはこれから次第ね? ごゆっくりどうぞー」
とりあえず、珈琲を飲んでおく。
「メジェはあまり、感情を動かさなくなっておった。安定はしておったが、愛想笑いばかりでのう……昔のメジェはそうでもなかったが」
「鷺城さんか」
「うむ。あやつらが外に出てからは、随分と寂しそうにしておったが、すぐ帰るわけもなく、次第にな。今はうちの育成役として、随分と役立っておるが、外出したくないメジェにとっては、良かったんじゃろうな――む、このあたりは聞いておるか?」
「いいや、まったく。この前は――ああ、それ、ありがとなコレニアさん。シャッカリザードの件」
「なに、事後処理を請け負っただけじゃ、気にするでない。いずれにせよ、わしは結果が出るまでは手を出さん」
「そりゃどうも。あの後もすぐ、なんか怒り出して帰るし、次は今日の戦闘訓練だ。すげー不機嫌そうに怒ってた。屋敷に向かったら泣いてたけど……よくわからん。わからんけど、なんか怒ってんだよ」
「わからんか」
「わからん。まあ嫌ってる感じはないから、いいんだけど」
「わはは、それをメジェに言ったか?」
「言ったらすげー怒ってた」
「だろうなあ……」
「納得すんのかよ」
「良いことだ。メジェも、泣いて怒って、感情を動かすことができた」
「それが良いなら、まあ、良かったんだろうな」
「
「俺の成果だって? そんなもんはねえだろ。結果、メジェットさんが選んだだけだ。――今のところは、な」
「ほう?」
「選んだ結果を、メジェットさんがどう言うかで、俺の態度も変わる。俺のお陰だと仮に言ったとしたら、それは違うと否定するほどの馬鹿じゃねえ」
「……なるほど? 確かに腹が立つのう」
「マジかよ」
なんでだ。
「現実がきちんと見えておるくせに、その裏を読もうとせん。まあ、わしがとやかく言うことでもあるまい」
「なんで腹が立つのかを教えてくれよ……」
「男が相手ならば、それで良いだろうなあ」
「俺、これでも女性には一定の配慮してるんだけど」
「それはそれで、きちんと伝わっておる」
「わけがわからねえ……」
「若いのに、若さを感じさせず、だが若い現実がそうなる。悩め悩め、それを見守るのがわしらの役目だ」
「そりゃどーも。ところで、これはちょっとした疑問なんだが」
「なんじゃ」
「鷺城さんはどうして、メジェットさんには妙に優しかったんだ?」
不思議だったのだ。当時の
「簡単な話だ。
「つまり、俺にはわからないってことか」
「幼少期は、新しいものにどん欲だ。辛さよりも、楽しさを優先して身を削る」
「そのぶん、飲み込みは早い」
「何かを教えるのには、責任が伴う。鷺城は外に出るのを決めておったし、滞在期間を延長する予定もない。そして、ファゼたちは連れて行くつもりだ」
「……、程度ってやつか?」
「ほう、続けろ」
「開拓者四人に関しては、責任を負うつもりだったから、厳しくも徹底した。だがメジェットさんは、いわゆる外注と同じで、制限がある。時間は短いが、教えるならば区切りをつけなくてはならない。厳しく徹底するよりも、楽しさを優先して教えるなら、頭を叩くよりも褒めた方が良い」
「教えられる範囲を定めることができれば、だがな。鷺城はそのあたり、充分な見極めをしておったとも――憎らしいほどにな」
「そうか……その楽しさが、なくなったわけか」
「どっちつかず、浅く広く、そんなメジェにとっては、良い出会いだったからのう……」
「期待、信頼、信用、――裏返しか。わかったようなことを言っちまったかなあ」
「そんなことはなかろう」
「……ま、いいか」
「いいのか?」
「文句があるなら本人から聞くさ」
「――で、お主はメジェに好意を持っておるのか?」
「悪意はねえよ。ただ俺はいずれ、外に出る。目安は一年だ、急ぐつもりはないが目標は立ててる。気まぐれに、ファゼットさんたちが道を作る前にな」
「はは、お主はそちらを目指すか」
「挫折することは、まだ考えたくはねえな」
「惜しいのう。それだけ自己把握ができておるなら、うちに引き抜いても良いくらいだ」
「そりゃどうも。まだ学生だってのを忘れてなければ、ありがたく受け取っておくよ」
「メジェとの戦闘はどうだ」
「ああ」
どうかなと、軽く天井を見上げてから、視線を戻す――そうとして、更に下げて、視線を合わせた。
うんごめん、小さいなこの人。
「もう慣れた」
「お、おう」
視線の動きで気付かれた。
「で、対応はできたのか?」
「受けるだけなら、まあなんとか。見ての通り、打撲は多少あるが、体力さえ回復すりゃ歩けるようにもなる。加減はしてくれてたしな」
「加減したメジェに、受けたじゃと?」
「途中からは素直だったし、俺としては速度に対応できりゃそれでいい」
「魔術師ではないだろう?」
「まあな。説明は面倒だ、そこらはメジェットさんから聞いてくれ。感覚としては、自分の周囲に水の膜を張っておいて、それに触れた瞬間から回避すりゃ、ぎりぎりって感じ。ともかく速いし、攻めてくる」
だからと、続けそうになった光風は一度口を閉じて、――苦笑した。
「だから」
そうして、思い直した上で、続ける。
「横に並ぶなら、あの速度に追いつかないとな」
「ほう! その気があるのか?」
「俺がこう言っていいのか迷うけど、――放っておけねえだろ。いずれメジェットさんは、あの場所を目指す。鷺城さんたちが生活していた場所だ、外にある。んで、あー、ここだけの話、また泣くだろあの人は」
「ふむふむ」
楽しんでやがるなと思いながらも、言う。
「隣に誰もいねえなら、俺がその役目でいいと、今はそう思ってる」
「自分がいてやらないと――とは、言わんのだな」
「それは俺の選択じゃねえ。メジェットさんが、ほかの誰かを選んだのなら、それはそれで安心する」
「おい、おい誰か、こいつ殴れ」
「なんでそうなる!?」
「そこは安心するところではなかろう……」
「呆れたように言うなよ。実際に今はそんくら――いたっ、本当に殴りやがったこのウエイトレス!」
「馬鹿だから。メジェ姉さんを泣かすな」
「好きで泣かしてるわけじゃねえよ……」
「じゃあ笑っててほしい?」
「本人に言う」
「この子は……おかあさん、なにこれ」
「お主はこういう男に引っかかるでないぞ」
「気をつけまーす」
一体どういう男だ? 本当によくわからない。冗談でいじられるなら、それはそれで良いのだが……。
「勘違いするでないぞ? わしはお主に感謝しておる」
「ここの珈琲をおごってくれるくらいには?」
「可愛くないのう……」
「野郎が可愛くてどうする」
何故か、店内にいる女性陣が揃ってため息を落とした。
「馬鹿」
「馬鹿ね」
「馬鹿じゃのう」
「ばーか」
「馬鹿だ」
五人も聞いてたのかよ、勘弁してくれ。
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