第23話 居合いとESPと好きと嫌いと
メジェットが学園に足を運ぶのは、去年くらいにディカとリコが卒業演武をした時以来になる。ただし、左手に刀を持って行くのは初めてであったし、さすがに武装をした状態だったため、古い知り合いでもある学園長のリンに挨拶をして、許可を得た。
この学園には四つの学科が存在する。選択は自由であり、十歳以下でも通える仕組みになっているため、年齢を追うごとに学科を変える者も少なくない。
武器などを作成する工匠科、魔術品などを作る開発科、戦闘を中心とする冒険科、都市運営に関連する政治科。
いずれにしても、最低限の戦闘訓練は科目に含まれているが、特に冒険科などの成績優秀者は正式な授業には出ず、自分で訓練を行うことも多い。学園長は苦笑しながら、サボりの口実だなと言っていたが、気持ちはわかる。メジェットもかつては、学業を放って屋敷に向かったものだ。
改めて。
そうやって、ちゃんと過去を思い出せるのも、数日前に泣かされた影響だろうと、メジェットは認めることができた。躰が軋むような感覚も、今はない。
そりゃそうだよなと、認めてやるのが最初の一歩だ。
ともかく、リンから聞いていた訓練室に入れば、三人しかいなかった。
「あれ?」
いつもこんな感じなのかと思えば、壁際で休んでいた
「あれ、メジェットさん」
「おー」
とりあえず返事をして、刀を扱う小柄な少女と、ナイフを扱う少年を見て。
「キャロと?」
「アーグルって同級生だ。やたら細かい動きをするんだよあいつ」
「少ないね」
「隣の訓練室に、仮想で魔物と戦闘できるシステムを、デディさんが導入したから、みんなそっちで遊んでる。キャロはまだ学園に慣れなくて落ち着かないって、遊びにきた感じだな」
言って、水のボトルを口に当てて一口。
「――で、メジェットさんはどうしたんだ? 学園の案内ならミルルクさんに頼んだ方がいいし、キャロの相手ならちょっと休憩入れてからだな」
「光風ちゃん」
「ちゃん付けかよ……」
「光風ちゃんをぶっ飛ばそうかと思って」
「な……なにか俺に恨みでも……? さてはあれか? 俺が敬語を使わないとか、泣かしたとか、そういうやつか?」
わき腹を殴られた。
「うるさい」
「悪かったよ……。というか、本当によくわかんねえから、はっきり言ってくれ」
「光風ちゃんをぶっ飛ばそうかと思って」
同じ言葉を繰り返された。
「キャロじゃなくて?」
「うん」
「やっぱり恨みか……」
どうやって逃げよう、そんな思考をしつつ腕を組めば。
「光風ちゃんは冒険者希望?」
「ん、ああ、今はそうでもねえよ。――今の冒険者じゃ奥地まで行けねえ」
「奥地を目指してるの?」
「目指してるのは奥地じゃなく、未踏の場所だ。言うなれば、開拓者の後追いだよ。あの人たちを放っておくと、奥地まで道ができちまう。その前に、ちゃんと自分の足で確かめたい。この一ヶ月で、それは強く思ったよ」
「なんで?」
「なんでって……冒険って、そういうものだろ?」
「んー、若いとは言わないけど、帰ってくる気はあるの?」
「そうじゃなきゃ、こんな訓練はせずに、今からもう行ってる」
そこだ。
この若者は妙に、そういうところがある。
「自己把握ができてる。普通なら無茶してもおかしくないのに」
「無茶をして、昔に派手な失敗をすりゃ、自分を見つめ直す時間を取るようにもなるだろ。つっても、たまには無茶をして、自分の限界をきちんと見つめるようにしてる」
「じゃあ丁度良いね?」
「なにが」
「光風ちゃんをぶっ飛ばすから」
「…………」
そこだけは譲らないのかと目を向ければ、何故か不機嫌そうな顔をしていた。
「丸い顔がもっと丸くなってるぜ」
「なによう」
「可愛いって卑怯だよなあ……」
文句が言いにくい。
「……なによう」
「何に怒ってるのか、よくわからん」
「まったくもう。そういえばリコちゃんはいないの?」
「あーリコさんは気まぐれだから、どっかで寝てるんじゃないか? 俺はリコさん怖くて苦手だから、急に出てこないかと、ひやひやしてる」
「私も怖いって言ってたじゃない」
「あー……」
これは上手くやらんと、また機嫌が悪くなりそうだなと思いながら、光風は腕を組んだ。
「俺、猫好きなんだよ。あの気まぐれさとか、特に長毛種が好き」
「うんわかる。短毛もいける」
「けど俺は、虎が――」
言って、ぴたりと動きを止めた光風は、しばらく無言で。
急に見上げたかと思えば、ややあってから首を傾げ、それから深い頷きが一つ。
「けど俺は、魔物が同じことやってたら逃げる」
「虎は?」
「虎は良し! ンーゴロ、ンーゴロ鳴いてたら、俺は行く!」
「あー、うん……?」
「ともかくリコさんは、そういう印象。嫌ってはないからいいんだけどな。あっちも、それほど俺には興味ないだろうし」
「つまり、私への怖さとは違うんだ?」
「あー……まあな」
「同じ刀なら、キャロちゃんも持ってるじゃない」
「――あ」
何かに気付いたようメジェットを見た光風は、視線を反らすように頭を掻く。
「的外れかもしれねえけど」
「うん、前の時もそういう配慮してたね」
「年齢が上だから怖いとか、そういうんじゃねえから――あだっ! 何故殴る!?」
しかも拳だった。
「気にしてることを言わないの!」
「いてぇし……十歳も離れてねえだろ、気にすることか?」
「このやろう……!」
「あーわかった、わかった。これに関してはきっと俺が悪いんだろう、謝る。ごめん」
それでもやはり、キャロとは違うんだよなと思っていれば、訓練を終えて二人がやってきた。
「おーう」
「おうキャロ、こっちがメジェットさんな」
「あ、お、おう、キャロだ、よろしく。父さんから話は聞いてる……けど」
「よろしくねキャロちゃん。けど、なあに?」
「いやこれ、なあ光風、あたしの訓練相手じゃないだろこの人。マジで怖いぞ」
「んふふ、そうねえ」
「……? なんであっさり肯定するんだ?」
「おい、おい光風、おい。この綺麗なねーちゃん、お前の知り合いか?」
「アーグル、確かにその通りだがお前な? 興味本位で近づきたいかどうかは、これからぶっ飛ばされる予定の俺をちゃんと見て、それからにしとけ。墓参りの時にはあんこ餅を忘れるな」
「お前の勇姿は忘れんぞ」
「俺は良い友人を持った」
拳の上下を軽く打ち合って、アーグルはタオルと水を取りに壁際へ。
「で――メジェットさん、やるんだろ」
「うん……やる気はあったけど、光風ちゃんが乗り気になるとは思わなかった」
「そうか? 多少の配慮くらいあるんだろ?」
「この刀、ちゃんと刃を潰してあるから」
「そりゃ助かる。簡単に死ぬことはなさそうだ」
「光風、お前そういうとこ直せよ。踏み込みが深いんだ」
「キャロ、こいつは訓練だ。ぎりぎりまで踏み込んでおいた方がいいだろ?」
「……メジェットさん、殺しそうになって、ひやっとしたことあるから、気をつけてくれ……」
「はいはい。心配性ね?」
「あたしはメジェットさんばっか見るだろうからな」
「――つーか、剣を持ってねえ光風の戦闘は、初見だぜ俺」
だろうなと、訓練場の中央へ。以降に言葉はなく、すぐに戦闘訓練は始まった。
居合いへの対抗策、その基本だけは教えられている。
『先の先にせよ、後の先にせよ、居合いの基本は速度だぜ、光風ちゃん』
あの
『二つの意味合いはあるが、居合いにはこんな言葉がある。――居合いとは、鞘の中で結果を出し、鞘の中で結果が決まる。一つ目の意味合いは、速度だ。結果が見える頃には、既に納刀も追えているってこと。二つ目の意味合いは――抜く前に、もう結果が定められているってことだ。いいかい、光風ちゃん。居合いは、間違ってもさせないよう行動するな。無理なんだよ、だってもう結果は決まっているからね。何をどう足掻いても、不可能に限りなく近い』
だから。
居合いは抜かれてから、結果に対処するのが生着だ。
手元は見ない。刀も見ない――ただし、視線だけは常に意識しつつ、結果を追う。
一撃目、居合いの軌道が水平で向けられたのは光風にとっては、ありがたい話だった。ほぼ身動きしない自然体で、その結果が訪れるだろうことだけに注視していたため、身体強化もバリアも間に合う――が。
腹部。
横にぶつかった金属が、一気に五メートルを吹き飛ばす。軽いステップのように着地、追加で三歩の距離を稼げば。
メジェットが。
とても嫌そうな顔をしていた。
『居合いの有効範囲ってのは、刀を抜く場所から110度くらいなものだ。何故ならば、刀は引かなきゃ斬れない。だから』
だから、受けるならぎりぎりだ。100度で当たり、引いて斬る動きに合わせて110度、それが被害を最小限に抑える受け方。その際に、当たる方向とは逆に飛べばいいのだが、それをやっても鈍痛が走り、ずきずきと痛むくらいには威力があった。
しかも、やはりと言うべきか、速い。
同じことを何度かキャロでもやったが、あの時とは違って刀身そのものを目視できなかった。当たった、その瞬間を捉えたはずなのに、そこに刀身がないのだから、参る話だ。
更に言えば。
嫌そうな顔をしたメジェットは、こちらの動きを完全に読み切っており、確認をしたことを知っているのだから、実力の差を痛感する。
斬戟が二つ飛んできた。十字、その発生を見て次の行動に移られる前に、飛来する斬戟の方向を変えてやる。
切断。
縦に斬るなら、横から。
横に斬るなら、縦からの力には、弱い。だって斬戟なんてものは、刀から発生するのだ。その刀は、刃が片側にしかついていない――が。
「っと」
訓練場を壊しちゃまずいだろと、威力減衰のため、バリアを何枚か重ねて当てておく。何枚必要だったか、とは考えない。どうせ加減している。
入口からミルルクが顔を見せたのを認識したが、視線はメジェットへ向けたまま動かさない。というかちょっと怒ってないかこれ。
直後、メジェットの姿が消えた。
光風は動じず、重心を下げた状態で待つ。この時、自分の周囲にESPを展開して、相手を探そうとするのは、悪手だ。見えないものは、強化したって見えない。
だから、見える瞬間だけを逃さないように集中する。
全身に水をまとうようなイメージ。この状態を、戦闘時には常に心掛けるようにしている。ここ一ヶ月は、特にこの維持を重点的に行ってきた。
水ならば。
手でも、板でも、すぐ変化ができる。凍らせばバリアにもなるし、循環させれば浪費も少ない。ともかく即応できるイメージだ。
速すぎる、というのが印象だった。
見えた瞬間には抜いている。抜いているなら結果が出る、つまり肌に触れる位置に刀身がある。
先読みはできない。
一瞬の無駄もなく迎撃――は、間に合わないので回避する。
しかし。
身体強化をして、特に脳の視界処理を
ただ速いのが、こんなにも厄介だとは。
位置を変えての居合いは、しかし、僅かに切っ先がブレるよう動き、刀身を完全に目視できた。
――うっわ。
立て続けの二発目はもっと速く、しかもブレず、僅かな殺意と共に放たれ、
間違いなく今のは怒っていた。
刀を握る手、その小指と薬指だけ、ちょっとだけ後押しをするようESPで力をかけた。それで刀身がブレたのならば、居合いとはかなり精密な動作であること、速度を出すためには絶妙なバランスが必要だとわかる。
わかるが。
光風がESPを使う速度を上回ることで、それを回避した。
そのくらいはできると、証明したのだ。
だったらなんで怒るのか、そこがよくわからない。どう考えてもメジェットの方が優勢なのに。
まあいいか。
――って、今、棚上げしたでしょうが!
左回りで位置を変える光風を見れば、改めて腹が立つ。わかりやすいという自覚がないのか、考えていることがわかる。全部ではないが。
まあいいか、じゃないだろう。もっとよく考えろ馬鹿、――と、思ってしまう。この野郎はやっぱり、ぶっ飛ばすべきだ。
態度の豹変とまではいかないが、ぱちんとわざと音を立てて納刀したかと思えば、右足を前に出して左手で刀を腰に固定、上半身を捻って右肩を突き出すような姿勢で、視線はこちらを捉える。
構えだ。
顔が引きつる。怖いぞこの人。
一歩だ、それを感じた。視界から消えず、ただ、構えた姿そのままで、位置だけが変わるような一歩。
『居合いの武術家、居合い使い、その境界線があるとしたら、俺はそれだと考えるね。そもそも、移動速度よりも居合いの方が速い。だったら、姿を消す必要なんてないさ。だから――』
ああ、改めて理解する。
『芯の通った、地に足のついた武術家を相手にしたら、誰にだってわかる』
手の打ちようがない。
逃げるか、守りに徹するしか方法がない。それだって、確実性など皆無である。攻撃するよりはマシだ、そちらは確実に殺される。
距離と方向は無駄だ。こちらにとっては大回りだが、あちらはただ足の向きを変えるだけで済む。
応じるならば、覚悟を持たなくては。
『気をつけるんだね、光風ちゃん。居合いの最速地点がどこか知らないけど、俺が知ってる限りじゃ、四つの居合いが同時だ』
予感はあったし、やると思っていた。
期待か、信頼かは知らない。だが実際にやられると、反応が遅れる。
一撃、足元が弾けるような居合い。
「――っ」
バリア三枚、腕で受けた鈍痛は、最初の時よりも痛い。
同時二発。
ほぼ無意識のバリア展開だったが、その場で軽く宙返りをするよう回転するだけで済んだ。その間にも居合いは可能だろうに、追撃はなくて。
違う。
できないのだ。
無意識にESPの残滓が、メジェットの口から零れ落ちた熱い吐息を感じ取った。
――どちらだろうか。
二発を二回やることで、疑似的には四度という現実を、拒絶しているのか。それとも、負担がそれなりにあって、連続ではできないのか。
足から着地するのは、やめた。
倒れるように地面へ、両手両足で床を掴んだ瞬間、失敗を知った。
まずい。
「胸で目が見えねえ!?」
「――この!」
「やべえマジで怒らした……!」
女の人の死角なんだなあと、けれど、追撃を飛び跳ねて回避する。バリア一枚、ないし二枚で感知そのものはできる。両手のぶんも、反応は上がるが攻撃が封じられたかたちだ。
本当に、隙というものが見えないし、見つけられない。
このままでは、終わりも見つけられそうになかった。
終わりは。
尻餅をついた光風の首に、刀身が当てられた。
「あー、悪い、滑った。足に力が入らねえ」
「ん!」
納刀、そして、何故か頭に拳が落ちてきた。
「いてえ!」
「とどめ!」
襟首を掴まれて、ずるずると引きずられていけば、キャロが入れ替わるよう躰を動かし始め――そして。
「あ? なんだアーグル、変な顔して。ようミルルクさん、無様な姿を見せた……どうした、その疲れたような顔は」
「わかりませんの?」
「……久しぶりに顔を合わせたから?」
「違いますわよ」
「三十分近く、戦闘という名の痴話げんかを見せられりゃ、こうなるぜ。あー、キャロさん、相手になるよ。砂を吐きそうだ」
「ああ?」
「ミルルクちゃん、シャワールームまで案内して」
「ええ、こちらですわ」
「え、あ、おい、俺は? ねえ俺は?」
「う、る、さ、い」
「えー……?」
ずるずると引きずられる。さすがに出力を抑えて効率を目指しての戦闘だったが、まともに歩けるには、時間がかかる。
かかるが。
「情けねえなあ……」
「あら、メジェットさんの戦闘にあれだけ付き合って、まだ意識がある方がおかしいですわよ」
「呆れたように言われてもな?」
「呆れもしますわよ……あんなにムキになったメジェットさんも初めて見ましたわ――なんですの!? 蹴らないでいただけます? 痴話げんかに巻き込まれたくはありませんの」
「そんなんじゃないし!」
「まったくだ。――いてえ、今度は俺かよ」
「あんたが肯定すんな!」
理不尽だった。
「怒りっぽくね……?」
「原因は
「あー、なんかそんな感じはするんだが、それが何なのかよくわからん」
「わかってないのが原因ですわよ……」
「誰か教えてくれ」
「アーグルでもわかってましたわよ、この馬鹿」
「俺、女性相手にこんな不機嫌にさせたの、初めてなんだけど。俺どうした? こんな可愛い人を怒らせてどーすんだよ……怖いけど」
「もう、うるさい!」
「ああはいはい、ここですわー」
「立ち入り禁止にしといて!」
「え?」
中に入って、勢いよく扉を閉める。パーティションに区切られ、シャワールームは五つもあるが、着替えの場所は一つ。
しかし、そのまま奥のシャワールームへ向かい、手前の部屋に放り込まれた。
「ん!」
「へいへい……」
服を脱ぐ気力もなく、シャワーを出して肩に当たる位置に移動し、両足を投げ出したまま、目を伏せた。
居合いだ。
自然と、キャロと比較してしまうが、メジェットは凄い。
改めて思い出せば、まず音が――。
がちゃりと、音が聞こえてメジェットが入ってきた。ぺたぺたと足音もある。
音が。
「隣入るからー」
「何故だ……?」
「え? なに文句あるの?」
「あーいや、なんでも。どうせ俺はしばらく動けない」
「でしょうねえ」
「ああそういう……」
呼吸を一つ。
「――音が、ない」
「んー?」
「居合いの怖さを痛感したよ。改めて今、それを感じてる。――納刀時にしか、音がねえんだ」
自分が動いているから、戦闘中はそれほど気にならないが、逆に言えば音を立てているのは自分だ。
「対応してたじゃない、最後の方まで」
「最低限はな。打開策なんて一つもねえ、ただ受けて避ける。それだけだ」
「でも避けられた」
「ああ」
確かに、途中からはなんとなくわかった。
「メジェットさん、素直って言われたことないか?」
「む……」
「感じる前にわかったんだよ。何がって言われりゃ、たぶん総合情報だろうけど。まあ、わかった時点で行動が間に合うかどうかって、ぎりぎりだったけどな」
「私のおっぱいは堪能したかー?」
「できるわけねえだろ、何言ってんだ……。で、最速は二撃か?」
「誤魔化しなしなら、まだ二撃。そこ知ってたの?」
「優秀な知識袋があってな、嫌味と一緒にそこそこ教えて貰ったんだよ。攻めの居合い、速度を求めて先の先を求めた、確か
「ああ、それ知ってたんだ。キャロちゃんと比べては?」
「どうかな、スタイルが違うから」
両手に力を入れれば、壁を使ってなんとか立ち上がれる。疲労感、空腹感、その二つが入り混じっているようで、筋肉痛のような軋みはない。
「キャロはあれ、後の先だろ。足場を固めて、結界を作って、その中に入ってきた対象を斬る。基本はそこだ。結界に入れようとはするが、そいつは踏み込みじゃあない。ただ逆に、攻め気を誘ってくるから面倒だ。メジェットさんの場合、それも含めての居合いだろ。相当に面倒だし、きちんと構えられた時はさすがに怖くて足が震えた」
「ミルルクちゃんは、本当に怖くて動かなかったけどね」
「へえ」
シャワーの温度を少し上げる。汗はもう流れたので、躰を冷やしたくはない。
「俺にとって速度は一つの課題だな」
「どっち?」
「対応よりも、俺の速度だな」
「
「ありゃ隙が大きすぎるし、長い距離の移動が難しい。だいぶエネルギーも使うからな。ただ、女性特有のしなやかさ、あれを今から俺が手に入れる方が難しい。どうすべきかは、課題だな」
「……そういうところねえ」
「あ? なにが?」
気配に顔を上げれば、上からこちらに顔を見せるメジェットがいた。両手で登ったらしい。
「なにしてんだ……」
「自己解決できるとこ。――大人ぶっちゃって」
「……」
「なによう」
「言うと泣きそうだからやめとく」
「あとで殴る」
登って隣に顔を見せるなんて、ガキのすることだろと、言わなかったんだから殴らなくてもいいだろうに――まだ、殴り足りないらしい。
「なんで俺に対して、そんな怒ってんだ?」
「……うっさいなあ、しょうがないでしょ」
「いやまあ、嫌ってる感じはないから、俺はいいんだけど」
「ああもうっ! そういうとこ!」
「ああ?」
「知らない! 着替える!」
勢いよく扉が開閉する音があり、やっぱり怒って外へ出た。
着替えが終わるまではシャワーを浴びるとして、しかし。
「俺の着替えどうすっかな……」
意識しているわけではないのだ。
嫌っていないなら、好いているなんてことを、気付きもしない。鈍感ではないのだが、あまり裏を読まないのである。
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