第22話 涙の理由、理由の原因、歳の差7

 一ヶ月――というよりも、ディカと外に出てからを数えれば、おおよそ二ヶ月弱は外に出ていたのだが、久しぶりに戻ってみれば、光風みつかぜは何も変わっていないことに安堵した。

 変わらないものがある、なんて思えば実家に顔を見せたくなって、どうかしたかなんて言われたが、そこはそれ。随分と久しぶりに、母親の料理にありがとうと感謝を伝えたくらいには、本気でありがたいと思ったのだが、やはり変な顔をされた。

 入れ替わるようにして、畑中はたなか藍子あいこ藤崎ふじさきデディ、それからどういうわけか、椋田くらた陽菜はるなもノザメエリアを出ていき、少しだけ影響を貰って、また日常へと戻ろうとする。

 だからだ。

 戻ろうとする際に、まるで取り残されたような感じがあって、空を見上げたくなる。

 どうしようか。

 日常との境界線で立ち止まって、悩みに直面して、それでも何かをやるしかないと、足を前へと踏み出しながら、首を傾げる。なるようにしかならない、そう思う気持ちもあるにはあるが――まあ。

 難しいよなと、苦笑したい気分だった。いくら考えたって、正解なんてものはどこにも落ちていない。

 とりあえず、誰もいなくなったから、ファゼットたちが過ごしていた屋敷を見ておこうかと、足を向ける。実際には見たこともあるが、その時はただの珍しい空き家という印象でしかなかった。

 今頃は、キャロもディカと顔合わせをしている頃だろう――と。

 屋敷が見えてきた頃、光風は一度足を止めた。

 通路の右手に、屋敷がある。しかし、ここからでは入り口の門柱と、屋敷の屋根が僅かに見えるかどうか――その状況を少しだけ考えて、通路の左側で屋敷の方向に目をやる女性の方へ近づく。

 やや短いのではと思えるタイトスカートには、小さく切れ込みが入っており、色は黒。同色のソックスが膝の上まで引き上げられている。少し肌寒く感じる朝もある秋の時期、吊りバンドの先を辿れば、長袖のシャツ。こちらは赤色の薄いチェックが入っている。

 丸い、という印象があった。だが一歩を向けた瞬間から、ぞくぞくと背筋が震える。二歩目で背筋が凍る感覚もあったが、敵意自体はないので、傍まで近づいて。

「――」

 何を言うべきか迷ってから、一度、深呼吸するような時間を置いて。

「邪魔するぜ」

 そう言っても反応はなく。

「メジェットさんか?」

「……うん?」

 ゆっくり、こちらを見た。気付いていただろうに、首を傾げる仕草に苦笑する。

「ファゼットさんから、昔話を少し聞いた。ここ一ヶ月、ちょっと遊ばれてたんでね」

「へえー」

光風みつかぜだ」

 言うと、返答もなく視線を再び屋敷へ向けられたので、光風もそちらを見る。

「聞き流してくれ、独り言だ」

 まず、そう言った。

 気持ちがわかる、だなんてことは、言いたくなかったからだ。

「うちの大爺さんは、まだ帰還術式がない頃に外に出て、四十年くらい過ごして戻ってきたんだよ。まあ、知ってるかもしれねえけど。外で何をしてたのか、俺にはまるで話さなかった。今にして思えば、間違いなく魔物との共生ってやつを、どこかでやってたはずなのにな。だから俺はいつか、それを知りたいと思ってたし――それを誇れる自分でいたいと、ガキながら昔はそう思ってた」

 そう、

 今はどうだろうか、それはよくわからない。

「亡くなってからは、ちょっと意地もあった。ちゃんとした俺を見せてやるんだって、随分と長く墓参りにも行けなくて、――情けねえと、なんだその意地って、顔見せてやらなきゃ」

 そう思って。

「一人で墓所に向かった時、大爺さんの墓石が見えるか見えないかの位置で、俺は動けなくなってさ。その日は、何もせず帰ったよ。何度か試したけど、しばらくは動けなかった」

「――動けたの?」

 ようやくまともな反応があって、小さく苦笑して頭を掻いた。

「去年くらいには、もう墓参りができた。今でも暇がありゃ顔を見せる。俺はただ、と認めるのに時間を取られた」

「じゃあ、克服したのね」

「――どうだろうな。俺はまだ怖いし、墓参りをしたって言葉もねえ。けど」

 屋敷から、隣にいる女性に目を向けて、場違いなこと言ってるんじゃないかと不安になりながらも。

「怖さってのは、感情じゃない。喜怒哀楽、その理由になるものだ。だったら――動けないのは、その恐怖のサイズが度合いそのもので、俺はそれを飲み込んだんじゃなく、認めた上で

「判断したものは?」

「比較だな。俺の理由と、墓参りの理由、その二つを比べてみて、怖さよりも顔を見せよう、そう判断したから足を進めた。だから克服はしてないな」

「……そう」

「じゃあ、恐怖のサイズは一体何が? 感情の由来が恐怖なら、恐怖そのものには原因がある。その原因が、大きさだ。俺の場合は、大爺さんへの憧れと、自分が望んだもの。それは、――想いだよな。たぶん、それは」

「過去」

 今度は明確な返答があって、こちらへの視線も感じた。

「過去の、想い出」

「そうだな」

「だったら、――どうする? どうなる?」

「俺もそれほど詳しいわけじゃないけど、実体験で言うなら……」

 どうだろう。

 怖さはあって、足を止めた理由もわかって、原因も知って。

 だが、ああ、――そうだ。

「無理だ」

 考えれば考えるほど、そういう結論に至る。

「そうだろ。だって、何をどうやったって、想い出になった過去には、戻れねえ。それがどれほど眩しくて、嬉しくても、現在いまからは届かない――だから」

 顔を向ければ、視線が合った。

 少し目が細く丸い顔立ちに、言おうかどうか迷って息を飲み、けれど。

「だから、戻れないから、

「――」

「想い出が眩しいほど、飲み込めない。嬉しいほど、諦められない。だがそれでもと思うほどに――辛さが増す」

「それでも……」

「そうだ。それでも、過去には――」

 いきなりだった。

 背丈の差はそうないだろうけれど、光風からは少しだけ視線が下だなと思っていた矢先、こちらを見たままメジェットは、いきなり大粒の涙を目に浮かべると、両手で顔を覆った。

「――」

「え、あ、ちょっ、ちょい待ってくれ」

「ひいいい……」

 かなり焦った。

 というか焦りは継続中である。鳴き声を噛み殺してはいるが、これはまずい。周囲を見るが誰もいなかったので助かったけれど、その危険も継続中なれば、とりあえずどうにかしなければ。

 どうにか? いや、どうしろと?

 そもそも、女性を泣かした経験なんてないし、何が引き金になったのかも定かではないが、間違いなく泣かしたのは自分だ。もう本当にどうしようと思って、とりあえず移動だと、瞬間的に周辺地図を思い浮かべて。

「あーごめん、こっちな? ほら、その、ディカの店が近いから、な?」

「うん……うん……」

 左手を軽く引っ張れば、右手で涙を拭う。けれど、次から次へと姿を見せる滴は途切れず、そのまま引っ張るようにして移動した。さすがに大通りを渡るので、何人かにこちらを見られたが、それは仕方ないと諦める。

 さすがにまだ、自分以外の人物と一緒に瞬間移動テレポートできるほど、ESPに慣れてはいない。

 ディカの店は開いていた。本当に助かると思って中に入れば、店主の姿はなく。

「いらっしゃ――あれ、光風さん」

「おう穂波ほなみさん、店番か? 悪いちょっと場所借りるぞ。ディカは?」

「キャロちゃんに部屋の案内」

「そうか」

 とにかく待合室のソファに座らせて、手を離す。

「ちょっと待ってろ、お茶でも淹れるから」

「うん……うん、ごめん、ありがと……」

 さて、お茶なんか淹れたことないんだが、どうすりゃいいんだと、いろいろ思い出しながら格闘しつつ、味見なんかして何度か淹れなおして、これなら大丈夫とお茶のカップを差し出せば、まだ泣いている。

 泣かしたことに対して、謝るのは、違うだろう。結果として泣いたのだから、原因は光風にあるが、謝って終わる問題でもないし、謝罪ではメジェットも納得しない。

 泣くというのは、感情の理由だ。

 恐怖と同じで、感情と繋がるものだけれど、感情そのものではない。

 悲しいから、泣く。嬉しいから、泣く。

 この場合は前者だろうけれど、その感情が光風へ向いていない。彼女は自分の中で、その感情に涙をしたのだ。そのきっかけ、あるいは原因が光風にある。

 だから、泣き止むのは待つけれど、放置をしたり、他人任せにはできない。しかし本当にどうしたものか、わからなかった。

「……ごめん」

 先ほどよりも、少しはっきりした声で、彼女は言う。まだ目元を押さえるようにして、けれど右手でお茶を取って。

「いきなり泣いて、ごめんね。止められなくて」

「いや、いいよ。どう対処すりゃいいのか、俺はこういう経験もないから戸惑ってはいるけどな。それに、感情が動いたってのは、悪いことじゃないだろ」

「……うん」

 少なくとも、じっと耐えるよう、独りで屋敷を眺めているよりは、マシだろうと、光風は伝えたかったのだが、どうだろうか。

 直接言うと、厳しい言葉になりそうで回避したのだが。

 ――そうして考えれば、改めて、きちんと女性と付き合ったことのない、経験不足を痛感する。

 しかも。

 こんな可愛い人が相手じゃなと、自分の気持ちも認めておく。

「……どこまで聞いてるの?」

「あの人が召喚されてから、メジェットさんが遊びに来てて、評議会が潰れた頃くらいまでの、だいたい半年くらい。鍛錬の合間に、ちょっとな。はっきり言って、話の半分も俺には実感がなかったし――その十倍くらいの怖さはあった。ファゼットさんたちを見て、なるほどなと思うくらいには」

「うん」

「ええと、改めて聞くけど、メジェットさんだよな?」

「そう」

「だと思って声をかけたんだけど……あ、ディカ」

「ん――やあ、光風」

 二階から降りてきたディカは、ラフな私服だけれど、軽く手を上げる姿に立ち上がれば、顔が歪む。

「おい」

「どうした?」

「マジかお前。

 差が見えた。

 自然体でいるだけで、とてもじゃないが並ぶことができない現実が、ここにある。

「俺はいつも、だよ。男前になったね、光風」

「なんだそりゃ」

「女性を泣かしたんだ、そういう言い方にもなるさ」

「あー、それに関しては否定しない」

「へえ、しないんだ。何をしたか知らないけど、俺を巻き込まないで欲しいね。泣かして喜ぶような真似は感心しないよ?」

「意図して泣かしてどうする。こんな可愛い人を何度も泣かせたらクソ野郎だぜ」

「ならいいさ。ゆっくりしていくと良い」

「ありがとな」

 ふうと、吐息を落として改めて座れば、細い目を更に細くして、こちらを見ていた。

「な、なんだ?」

「泣かした相手を可愛いとか」

「あ? ……俺、口に出してたか?」

「この野郎……」

「あれ? なんで俺が睨まれてんだ? よくわかんねえけど、まあ、落ち着いてくれ」

「ん……」

「光風、ちょっとこっちに」

「おう」

 一度立ち上がって行けば、水場から持ってきたタオルを渡される。お湯で濡らしてあるため、温かい。さすがに理由はわかったが――。

「メジェさんは、俺に見られるのを嫌がると思ってね。あれでも一応、年上だってことを最後の防衛ラインに設定しているらしくて、俺も多少の気遣いをしなきゃなと、年下として思うわけだよ」

「なるほどなあ」

「――ちょっと、そこは納得するとこじゃないからね?」

「そう? じゃあ聞き流しておくか。はいこれ、タオル」

「ん。次からはもう少し、こっそりやって」

「え? だってメジェットさんなら気付くだろ、こんなの――あだっ、なんで穂波さんが殴るんだ?」

「馬鹿……」

 呆れた顔をされた。

「あのね光風さん」

「なんだよ」

「気付くかどうかじゃないんです。隠そうとするかどうかが問題で、こっそりやれば知らない振りもできるんだから」

「あーすまん、よくわかってないが次からはそうする」

「この男は……」

 何故そんなに言われるのかよくわからなかったが、そういうものかと飲み込んで、改めて腰を下ろした。

「居合い、見せて貰おうと思ってたけど、また後日にしておく。花蘇芳はなすおうに関しても、俺はほとんど知らないからな。ミルルクさんが邪魔をしてたみたいだけど」

「……うん、そうね」

 目元にタオルを置いたメジェットは、背もたれの上に頭を乗せるよう天井を見上げた。

「ほかの話にして」

「無茶を言いやがる……たとえば?」

「ほかの女が出ない話で」

「なんだそれ。俺に何を期待してるんだか……また泣きそうな話題は避けろってことだろうし、どうすりゃいいんだ」

「また泣くぞー?」

「勘弁してくれ。そもそも俺に話術の――」

 そこで。

 ずしんと、振動が一つあった。

 立ち上がった光風は入り口を見るが、以前のよう誰かがチライロウの尻尾を置くような真似はしていない。というか、していたら困る。更に、騒がしい気配が発生して波打つよう伝播するのを感じれば。

「――悪い、行ってくる」

「気をつけてね、光風。無茶しないように」

「おう」

 言って外に出れば、どういうわけか隣にメジェットがいた。

「え?」

「行くよ」

「お、おう」

 向かう先は同じだが、一歩目の初速からして差があった。置いて行かれるのを二歩目にして気付いた光風は、ESPを使って身体強化を軽くしながら、速度を上げる。

 一瞥を投げられれば、本気で加速しているわけじゃないんだなと、そんな理解もあった。

 本当の緊急事態ならば屋根の上を利用するが、というか、光風もそんな行動ができるようにはなったのだが、大通りに出れば逃げてくる人とは逆方向への移動となる。ぶつからないよう配慮しながらも、それほど難しくなく、エリアの出入り口にまでたどり着いた。

 地震のような音が、二度ほどあって、幾人かの冒険者が対峙する魔物が、街からおおよそ七十メートルの距離。

 一歩、外へ踏み出す。外というよりも、ノザメエリアの範囲内だが――そこに魔物がいるのならば、撃退を前提としなくてはならない。

 やることはシンプルに、けれど思考は深く。

 今は手元になく、ファゼットに預けてあるが、あの魔術書ケイジがここ一ヶ月、戦闘に関しては、耳元でさんざん嫌味と共に教えてくれた。

『戦闘ってのは、判断の連続だ。しかもそいつは、自分の行動速度と連動して、早くなる。まずは』

 まずは、全体視。

『細かく見る必要はないぜ、把握もいらない。両手に収まらないぶんまで抱え込もうとする必要はないから、ぼんやりと。その際に、敵と味方を判別する。まだ距離があるなら、味方の動きだ。邪魔をしない、させない――』

 そして、させる暇を与えない。

『脅威目標の確認、同時に対策の考察、および動きの確定。この三つが何よりも重要で、これらは流動するものだと把握すべきだ。川を流れてるゴミと同じさ、どう動くか予測しながらも、たまには障害物に当たって形をかえる』

 赤色の魔物、大きさはチライロウほどではないが、人よりもだいぶ大きい。頭のサイズが自分と同じくらいか。

『珍しくもないだろ? 自分より大きい魔物なんて、大半がそうだ。驚く理由を教えてくれよ』

 幻聴がうるせえなと思いながら、後方支援の冒険者たちの横を通り抜ければ、魔物の正体を断言できる。

「シャッカリザードかよ、火山帯の魔物じゃねえか」

 いわゆる中型と呼ばれる魔物であり、決して領域を支配できるような存在ではない。魔物の棲家では大物だが、支配の領域の場合はそこらをうろつくオブジェみたいなものだ。

 そのくらい、地形の内容には差がある。

 上級の冒険者は、大きな魔物が支配する領域であっても、無事に帰還するものだ。

 盾持ちが注意を引き、ほかが攻撃を行って下がる――それを繰り返すのが、パーティの戦闘の基本だ。その呼吸、タイミングを見計らうため、移動速度に調整を入れる。

 ごつごつとした赤色の岩を背中に乗せたシャッカリザードは、トカゲのよう両手両足を使って地面を這うようにして移動しながら、溶岩などを食べて栄養とし、炎のブレスをたまに吐き出す。

 脅威なのは鱗に覆われた表皮もそうだが、やはりブレスだ。しかし、この場所では食事となる溶岩もないので、二度ほどブレスを吐き出させれば次はない――だろうが。

 なんでこんなところに。

『こんな魔物が? そんなものは倒してから考えるんだね。どうせ、そんな余裕もないんだろう?』

 うるせえ野郎だ。

「――得物、ないんだろ?」

「ないことを言い訳にしたことないよう」

「さっきまで泣いてたとは思えな……」

 睨まれた。怖かったので目を反らして、踏み込む。攻撃役が引き、盾役が前へ出るタイミングとほぼ同時、迂回するよう真正面から――つまり、盾役の視界に入るように。

 ESPは、イメージが重要だ。

『いろいろあるんだよ、いろいろね。たとえば水や糸、あるいは手や弾丸。そういうイメージを持つことで、見えない力そのものを形にはめる。イメージそのものにも個性があってね、無理な印象を使おうとすると、ESPが発動しなかったりするわけだ。光風ちゃんの場合は――〝クウ〟だね』

 それは。

『空想なんて言葉があるように、そもそも実体がないもののイメージだ。だからこそ今まで、光風ちゃんは自分が持つESPに気付かなかった。だって、それは水でも糸でも、何だってできるけど、なにもできないのと同じだ。いいかい、イメージを固定すれば容易いが、お勧めはしない。何でもできるなら、何か一つじゃなく、やっぱり、何でも使うべきなんだよ』

 そのぶん、イメージの固定は難しいが、まずは。

 大きな鉄球、重量物を上から叩き落とすイメージをして、ESPを固定。エネルギーそのものをシャッカリザードの頭上へ、拳を振り下ろすことで現実とイメージを合致、そのままぶつけた。

「――硬いな」

 ぶつけた瞬間、重量が四散した。特に頭部の岩は赤色に光っており硬度が高く、平たい顎が接地していることもあって、衝撃が分散しやすくなっている。

 着地。

 正面を捉えるトカゲと違って、ぎょろりと動くシャッカリザードの目は、かなりの広範囲を把握できて、間違いなく敵として光風を視認。ぎゅっと躰が凝縮した動きに、迷わず視線を左へと向ければ、尻尾の先がうねっている。

 振り回し――いや、尻尾ごと回転すると思った直後、その硬直を狙ったのか、メジェットが踏み込んできた。

 右足を一歩、次に左の肩を前脚の付け根付近に押し込み、左足で思い切り踏み込む動作をする直前で、ESPで円形のバリアを張るよう、メジェットの躰を包み込み、技の補助。余計なお世話かもしれないが、軽い配慮だと思えば。

 メジェットの短い呼吸と共に、シャッカリザードの躰が浮いた。

 吹き飛ぶ。

 だが、飛ばすだけではだめだ。距離が開くだけで、またやり直し――だから今度は、ESPで大きめの手を二つ作り、浮いた下に滑り込むようにして持ち上げ、叩きつける。

 ――と。

 叩きつければ良かったのだが、メジェットの攻撃が強すぎて光風の制御を離れ、仰向けにするまでは良かったが、そのまま地面に背中のごつごつした岩の突起をこするよう、シャッカリザードは六メートルほど移動した。

 四つ足の動物なら、心臓はだいたい腹だ。上腕の傍、そこに向けて一撃。

 一撃ならば。

 拳のイメージでいい――。

 振りかぶった拳にESPの力が乗る。そのまま振り下ろしの最中、だが、脇の下から腕の付近に、隣から手が差し出された。

 それでも拳はぶつかる、ESPだけがシャッカリザードの体内へ這入りこむのを手ごたえとして感じながらも、隣にいたメジェットの行為へ理解が及ぶ。

 仰向けになったシャッカリザードが、大きく跳ねるのを感じながら、勢いよく後方へ飛び、光風は口を開いた。

「とどめを!」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった冒険者は、しかし、すぐに移動を開始。それに逆行するよう紛れながら、二人はそのまま街まで戻ると、すぐに移動して裏路地へ隠れた。

 目立ちたかったわけではない。むしろ、状況がそうさせてしまっただけ。

 通りをいくつか変えて、現場から離れたのを確認した光風は片手を上げて立ち止まると、背中をどこかの家の塀に押し付けて、膝に両手を当てた。

「悪い、はあ……さすがに、しんどいな、おい」

 精神力、体力、ESPのエネルギーそのものは人が活動するために必要なものであって、魔術における魔力とは違う。厳密には、魔力だとて必要だが、そういうものではない。

 500メートルを走れる体力を、全部使って50メートルを走るようなものだ。そういう操作をして、力を出しているに過ぎない。

「最後、助かったよ、メジェットさん」

「そっちも、私の打撃にフォローしてたでしょう? お互い様ね」

「そう言ってもらえりゃ、肩の力も抜ける。……まだ、加減に関しては課題だ。ESPを使い過ぎた」

 特に最後は、威力を調整してくれていなければ、おそらくシャッカリザードの腹部が吹き飛んでいただろう。そうなってしまえば、過剰殺害だ、否応なく目立つ。

「つーか目立ったよな……クソ面倒だ」

「大丈夫、うちの母さんが現場にいたから、頼んでおいた」

「エレットさんが? あー、そこらへんも駄目だな、ちゃんと気付かないと。けどまあ助かる、今度は精神的にお返しするからと伝えておいてくれ」

 大きく深呼吸をすれば、呼吸は落ち着いたが、汗が酷い。

「緊張でもしてた?」

「シャッカリザードは知ってたし、速攻で終わらせるんじゃなけりゃ、もっと上手くやる。魔物としては初めてだが、まあトカゲ関連はそれなりに縁が合ってな。んなことより、メジェットさんの気配に慣れてねえ」

「……うん?」

「端的に言えば怖い。どう表現すりゃいいのか迷うが、緊張感とか殺意とか、威圧感とか、そういうのじゃねえよ。たぶん、ファゼットさんは、あえて見せなかったんだろうな。事前情報もあるが――」

 なんだろう、本当に言葉にするのが難しい気配で、少なくとも光風はその感覚に冷や汗を感じるほどだったが。

 今は多少慣れても、感じているのならば、意識はしているわけだ。

「刀を、持っているように見える」

 無手であっても。

「そう感じるのは、キャロが刀を持ってたのを見てたから、かもな」

「斬られそうって?」

「いや、敵意はないから、そうじゃないけど、手を差し込まれた時には、かなりぞっとした。気配を知ってるのに、気付かなかったから。怖いくらい独特なのに――おい!? なんか泣きそうな顔だろそれ!?」

「怖いとか言わないでよう、これでも女なんだけど……」

「ごめんマジで泣かないでくれ、すげー困る」

「泣かしてんのはそっち!」

「だからごめんって」

 でも本音なんだけどなと、深呼吸をもう一度してから自然体に戻った。

「で、ええと……どうするんだ? 俺、学園戻ってシャワー浴びて、そっから飯だけど」

「どこでご飯?」

「学食」

 即答したら、頭を軽く叩かれた。

「何故……?」

「もういい! 帰る!」

「お、おう? いろいろと、ありがとうなメジェットさん」

「ん」

 なんだろう。

 年上の女性ってのは、なんかいろいろ、難しいものかなと、光風は頭を掻く。まあいい、そんなことよりも腹が減ったと、足を学園に向ければ。

 その背中を、肩越しに振り返ったメジェットが見ていることにも気付かない。

 ただ。

 鈍感だとか、若いとか、そういう理由よりも――意識しないよう生きてきたんだろうと、メジェットはそう思う。

 だからといって、許すのは別だと、けれど小さく笑って、歩き出した。少しだけ気が楽になって、とりあえずディカのところに戻ろうと、その足取りは軽かった。



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