第21話 親と子、実家と生家、想い出と――。
街には特有の香りがある。
何がどうとは言えないが、違うものだという意識はあって、
泣くのは駄目だ。子供だってここで暮らしていて、きっと泣いていないのだから。
しかし思い出すのが止められず一歩、昔が懐かしくて笑いながら二歩、そして三歩目には訓練の内容を思い出し顔が歪み、四歩目で殴られた回数と共に痛みすら思い出して無表情になった。あの女覚えてろ。
さて。
一人で屋敷に行くとまた泣きそうになるので、デディか娘を捕まえてから。実家もそれでいいとして、じゃあどうすべきか。
娘を捕まえるのは、後でいい。こっちが戻ったことに気付かないと、すぐ捕まえられるのでつまらない。ディカのところは、タイミングを見て顔を見せるが――とりあえず。
「ミルルクがいるとか言ってたっけ。
藍子にとっては、随分と久しぶりだ。向こうは知らないだろうけれど、二歳くらいまでは見ていた。リコが産まれた頃とほぼ同時期に誕生しているはず――はて。
一年くらい差があった気もするが、どうだろうか。
この街に来る時に、ディカと一緒に年齢詐称を突っ込んだんだろうか。よく覚えていないが、確認するようなことじゃない。
裏口は以前と変わってないのかなと、適当に街をぶらついた。冒険者の多い酒場などを避ければ、そうそう騒ぎにもならないが、見知った顔は少なかったぶん、時間を感じる。
その方が騒ぎにはならなくていいかと、それでも姿を隠しながら裏口を発見。定期的に変更はしているんだなと、下へ潜った。
地下だ。
排水管も多く設置されており、編み目の足場を音もなく歩きながら感じるのは、地下特有の涼しさだ。実際、風の動きに関してはかなり考察しており、匂いがこもらないようになっている。
すれ違った女性は二人。どちらも、すれ違ってから勢いよく振り向かれるが、軽く手を振るように挨拶だけしておいた。
そして、向かったのはエレットの居室前にある訓練場だ。
エレット・コレニアは花蘇芳の
入口の前で、数人とすれ違う。振り向いて確認するが、こっちを見返す者はいない。なんか逃げるみたいに移動していったなと、そう思ってするりと中に這入りこめば、そこに。
刀を持った女性の背中があった。
「え?」
背後への警戒はそれほど甘くはないかと、藍子は思う。こちらも意図して気配を隠してはいないが、それなりに誤魔化していたのに気付かれた。
五歩の距離、彼女は。
「――藍子ちゃん!」
こちらに気付いて、飛び込んできた。
「おおう……おっきくなったねえ、メジェット。もうあたしより背が高いんじゃない?」
「あはは、藍子ちゃんだ、あー……あれ? 太った? すげー太ったね?」
「こんにゃろう……」
久しぶりの挨拶ですぐにそれか。
抱き合って、離れて、改めて見ればジャージ姿。刀はベルトで腰につけるのではなく、左手で持っているだけだ。
「なんか逃げてったけど、どうしたの」
「うん、なんでか私が刀を持ち出すと、みんな逃げるの。なんでかしら」
「そこで倒れてる子が証明してるんじゃない?」
仰向けで倒れたミルルクは、そこで意識を取り戻し、腹部を抱えるようにして丸くなった。
「痛いですわ――!」
「叫べるなら大丈夫ねえ」
「元気そうね。そういうメジェットも、ちょっと丸くなったじゃない」
「藍子ちゃんほどじゃないよう」
「なんかねー、リコ産んでから、妙に太るというか……まあいいんだけど、そっちは昔より、なんか、緩くなったというか」
「んー、そうかな? 退屈を持て余してるって感じも、あるのかも」
「ああうん」
そうだった。
藍子たちが街を出て、久しぶりに戻った時にはもう鷺城鷺花はいなくなっていて、メジェットもまた、寂しさを感じた一人だ。
「ディカの妹が、一ヶ月後くらいに来るから、見てあげて」
「刀?」
「そう、居合い。後の先だけど」
「いいよ。いいけど……」
「うん?」
「そろそろ、私も外に出ようかなって」
「へえ?」
「あ、今すぐじゃないから大丈夫よ。でも、藍子ちゃんたちの背中を追いかける、頃合いかなって」
「否定はしないけど、一人だと無理よ?」
「うん、その問題を解決するために時間をちょうだいね」
「……メジェットさんで、まだ一人では無理って、どうなんですの?」
「あ、起きた? じゃあ続きやろうか?」
立ち上がろうとしていたミルルクは、ぴたりと動きを止めて、そのまま座り直した。
「あはは、冗談よ」
「そうしてください。ところで、そちらは?」
「畑中藍子。そっちはミルルクでしょ?」
「――開拓者の、畑中さんですの?」
「そう呼ばれることもあるね」
三歩、軽く距離を詰めてしゃがみこみ、頭を軽く叩く。
「おー、母親似になったねえ。……あれ? にしては、ちょっと、女としてもそうだけど、肉付きが悪いね」
「あの……いろいろ文句はありますけれど、とりあえず躰を触るの、やめていただけます?」
「いや、おかしいでしょ」
「何がですの!?」
「産まれた頃は、あんなに丸っこかったのに……」
「――なんで知ってますの?」
「え? 知らない? 時間差はあったけど、リコもあんたの実家で産まれたのよ?」
「はい!?」
「まだ開かれてなかったから、冒険者がほかの街に顔を見せるって、相当な危険があったし、かといってノザメエリアには戻らないと決めてたから、かくまってもらったのね。聞いてない?」
「初耳ですわ……」
「うん、まあ、どっちでもいいけど、剛糸かあ」
「ええ、母親に教わりましたわ」
「――ん? なんで?」
「なんでって……」
「剛糸の扱いはコーリーの技よ?」
「――」
ミルルクが頭を抱えて動かなくなった。
「引退してるんでしょ」
「今は牧場の経営だし、教わったあたりがちょっと、極秘というか」
「んう……私にはちょっとわかんないねえ。それより藍子ちゃん、それだけ?」
「うんそう。メジェットとミルルクの顔を見に来ただけ。エレットさんはいないでしょ? っていうかあのちっこいの、相変わらずちっこいだろうし、ミルルクよりも触り心地が悪いちっこさだから、いつも視界に入らないし」
「おっぱいの死角に入りやすいよねえ」
「わかるわかる」
「わ……わかりませんわ……!」
たぶん一生わからないだろうけれど、黙っておくのが大人である。
「で、メジェットはなんか困ってることある?」
「うーん」
「スルーされた方が辛いですわー」
「ファゼ兄とデディさんと、入れ替わりで結構来てるね?」
「あーうん、はるちゃんも来てるはずだけど。ファゼットの娘がそろそろこっち来るから、そしたらまた出るけどね」
「屋敷?」
「リコが掃除してるはずだから。デディの仕事が一段落したら、またふらっといなくなるよ」
「それはいつものこと」
むすっとして、どうせ言っても無駄だ、みたいな雰囲気だったので、藍子は頭を撫でておいた。わかっているが、わかりたくないような気持ちなのだろう。
「あの」
「なあにミルルク」
「一つ聞きたいのですけれど、冒険者の育成に騎士制度は、どの程度の影響がありますの?」
「――ああ」
ほぼ、一呼吸。
納得の反応で、視線が向けられれば理解があるとわかり、背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。
わかるのかどうか、それを試すための意図もあったけれど、あっさりそんな反応があって。
「難しいと思うけどね」
藍子は平然と話を合わせてくる。
「ただ実力の底上げにはなる。難しいのは、やっぱり対人と対魔物は違うものだし、どこに脅威があるのかも、問題になる。攻め込まれることが前提ならいいけど、冒険者として外に出るのに、さあ戦闘するぞって馬鹿は、戻ってこない。わかる?」
「――ええ、わかりますわ」
「メリットもあるよ。ノザメだけじゃなく、レイン、ネズ、セリザワの全域で施行すれば、人の交流が多く発生するから、金も動く。状況的にノザメかレインエリアじゃないと、施設が作れないけどね。でも深く入り込み過ぎると、騎士制度の中に集中しちゃって、むしろ冒険する人が減る可能性もあるから、冒険者の育成って観点だと、どうだろ」
「なあに藍子ちゃん、その騎士制度って」
「いろいろ条件はあるけど、一対一で何でもありの戦闘して、勝ったらランクが一つ上がるの。殺しをさせない制度が複雑だけどね。私が知ってるのだと、最低が10等で、1等、その上がF級、そこからA級、S級かな。10等は犯罪者というか、故意に死人を出した場合に与えられる等級で、9等から始める。今のメジェットだと、1等かなあ」
「へええ、腕試しにはいいねえ」
「人間に対処できないと、魔物への対処もできないのではありませんの?」
「何故だと思う?」
「それは――」
「はいメジェット」
「ううん、人間には関節っていう弱点が常にあるからねえ」
それはメリットでもある。可動域の幅が広がり、であればこそ人間は多くの行動を可能にするが、必ず動きの基点になるのが関節だ。
そして関節とは、――脆いのである。
「私らも、国政に関わりたくなかったからA級でやめたけど、そこそこ面白くはあったよ、うん。だから、制度を作ることは否定しない。ただ前提ね?」
「冒険者の育成、と考えれば、問題が出ますわね」
「商業として、エリア間交流としては、充分だと思うよ。今でもこっちの学園に来てる、ミルルクみたいなのが多いだろうし」
「なるほど、そういうアプローチも面白いですわね」
「でもなんで?」
「――、……感傷ですわ」
「ああそう。亡国なんてのは、あそこだけじゃないけどね」
「やはり、たくさんありますの?」
「そりゃあるよ?」
「評議会の一新がなければ、ノザメエリアも危うかったものねえ……」
「あーうん、うん、まあそうね。結果論だけど。そう結果論……」
当時を思い出せば、人を殺した感覚と胃がひっくり返ってどうしようもなかったことしか覚えてないが、まあ、そういうものだろう。自分が殺される感覚よりも気持ち悪くなったのも、そういうものだ。
「ミルルク、そろそろ立てる?」
「ええ」
「じゃあ壁際。六十秒の鬼ごっこね? 私が逃げの方がいいね」
「ぬ……あ、いや、それで、それで」
逃げと追いの場合、間違いなく逃げの方だ面倒だ。背中を向けるにせよ、相手の動きを読んで逃げなくてはならないが、人は正面を向いたまま背後へ動くことを苦手とする。追いは、常に正面を捉えれば良い――それだけで、済む。
「医者はいないけど、居合い含めでいいよ」
「ぬう……!」
条件が軽くなればなるほど、メジェットは渋面になる。開いているかどうかわからない、細い目でも、嫌そうなのがよくわかる。
それは、そうだ。
条件の軽さが、そのまま実力差なのだから。
ミルルクが壁際に移動したのを見たメジェットが、刀の鍔を押し上げたのが合図となり、鬼ごっこは開始した。
「うーわー……ですわー」
銀光が走り、二人の姿は目で追えない。そもそも藍子は残像すら目で捉えられないし、たまに移動方向を変えるための挙動を見せるメジェットが、ちらりと映るくらいなもので、何をしているのかさえ不明だ。
そもそも。
高速移動ならば床を蹴る力も強いはずなのに、足音もないし、踏み込みの音もない。風の動きすら壁際では感じないのだから、死角へ潜り込むことの意味を深く考えたくもなった。
見えないのだ。
それなら、真正面から攻撃されても、わからない。
四十秒が過ぎた時、入り口の扉がスライドして。
「こんー」
リコが顔を見せた。
姿を捉える。
リコの真正面に飛び込んだ藍子が、本人を軽く抱きしめるようにしながら、くるりと回って背後へ移動し、そのまま背中を押し出す。
「リコ盾!」
「ぬおっ!」
一歩、迷うように足が出る。だが、左手が腰の裏に回って小太刀を引き抜くのに迷いはなく、放たれた水平の銀光、居合いに対して上半身を倒すよう次の足を出して、逆手で握ったまま、刃ではなく峰の側で真上へ跳ね上げ、居合いの軌道を頭上へと反らし、そこに。
背後から、今度はきっちり藍子が抱きしめた。左手が頭上へあがっているので、きっちりホールドされる。
「つーかまーえた」
「かーちゃん、危ないでしょ!」
「んふふふ。あーメジェット、終わり、終わり。あー」
頭を撫で、顎を肩に乗せ、左手で小太刀を奪った藍子が、リコの腰に納刀。そのまま座ったかと思えば、膝の上に乗せるようにしてホールドは離さない。
「ぬ、ぐ……ミルルク、助けれー」
「いえ無理ですわ」
「でもどうしたのリコ。あとで探して捕まえようとは思ってたけど」
「うん。ディカがね? 逃げるからいけないんだ。すぐ顔を見せて挨拶すればいいのにって言ってたから」
「――リコ、それ、たぶん内心でこう付け加えてますわよ? 結果は同じだけれど、と」
「なんと!?」
「ミルルクはディカのこともよくわかってるね」
「付き合いがありますもの。誰に似たのか、性格が悪いですわよね?」
「間違いなく
それはなんとなく理解できる。
「かーちゃん、しばらくこっち?」
「うん、デディの用事が終わるまでこっち。一ヶ月くらいは猶予があるかな。こっちは変わらず?」
「私は変わらず」
「ええ、相変わらず面倒ばかりかけてますわ」
「ミルルク!」
「事実ですわよ?」
「そうだけど! とーちゃんと違ってかーちゃんは説教ないけど面倒なの! おじさんみたいな要求もないけど!」
「良いことでは?」
「それを理由にほかの要求するから」
「訂正しますわ。性格が悪いのは共通ですのね」
あはは、とメジェットが笑った。
「藍子ちゃんはかわんないなあ」
「え? かーちゃんでも太ったよ、だいぶ」
「なにリコ、私はやせてた方が良いの?」
「ど」
言おうとして、やめた。どっちでもいいとか言うと、間違いなく面倒になる。
「どうやって痩せるの」
よし、なんとかなった。
「一年くらいですぐ痩せるよ? 最近はディカの妹の件があったから、こっちの滞在が長くなってるもの。運動量――というか、単純に戦闘数の問題か」
藍子の場合、痩せるというか、やつれる。悪く言えば燃費が悪いのだろうけれど。
「私ほどじゃないけど、デディだって太ったでしょ、あれ」
「あーそういえば、そうかも」
「……親子ですわねえ」
「うん、結構似てる」
「なんだとう!? ――あだっ」
「喜ぶところだよリコ」
「殴らなくてもいいじゃん……」
「よし、じゃあディカんとこ行こうか」
「えー私もー?」
「リコも。邪魔したね、メジェット」
「ああうん、いいよ大丈夫。さあ休ませてあげたからミルルク、続きをやるけど、ちゃんと避けなさいね?」
「それができないから腹を抱えてうずくまってましたのよ!?」
「はーいがんばろうねえ」
小さく笑って拘束を離し、軽く背中を叩くようにして部屋を後にすると、そのまま外へ。
「おかえり、かーちゃん」
「うん、ただいま」
大きく伸びを一つ、そのまま骨董品店へ足を向けた。
「――あ、そういやリコ、屋敷じゃなくて私の実家、どうなってる?」
「たまに顔見せるよ? 穏やかだし、昼寝とか」
「あー、じゃあ変わりないか」
ちなみにディカの実家は、加工屋だ。今は外弟子のデイゼーがメインでやっていて、業績はそう悪くない。ディカが好き勝手言っていたのも、そういう繋がりがあるからだ。
「かーちゃん、顔を見せた方がいいよ? よく聞くから」
「そう? じゃあ夕食をたかりに行こう。珍しい食材もあるし」
リコはあまり顔に出さないけれど、はっきり言って、母親に関しては、嬉しい。父親には甘えられるが、母親は妙に安心感がある。しかし、だったらどうして逃げるのかと言えば、自由時間がごりごり削られるからだ。
バランスが難しいなあと思う。しかし、藍子に言わせれば、まだまだ見ていないと危なっかしい娘なのである。
「あ。今はグラビもこっちだっけ」
「うんそう。私が世話してる」
中に入れば、内装が変わっているなと思う。特に談話スペースの設置に変化を見たが、店主はいらっしゃいの挨拶もなく、カウンターで作業の手を止めて顔を上げ、眼鏡をしたまま。
「やあ、おばさん。ちょっとした質問なんだけど」
ふらりとリコは談話スペースのソファへ移動して倒れ込み、それを横目で見ながらも藍子はディカの傍へ。
「なあに?」
「ここ最近、目撃情報が相次いでいる母さんに関して、どうやれば捕まえられるのか、現実的な方法を知っていたら教えて欲しい」
「はるちゃん? 最近は自由行動だから放置してたけど、はるちゃんを捕まえたいならまず、ファゼットを捕まえてから、交渉して頼むのが一番現実的ね」
「知ってる方法をどうもありがとう。おばさんの脂肪が落ちて元通りの体型になる頃には、きっとおばさんも発見するだろうけど、その時には俺のところに顔を見せるくらいしろと、ちゃんと言っておいてくれ」
「ディカ、だんだん物言いがファゼットに似てきたよ?」
「父さんと違って客商売だ、相手は選んでいるよ。心配してくれてありがとう」
「まったくこの子は……」
カウンターに背を預けるようにして、中を覗きこめば、帳簿をつけていた。
「早くない?」
「あれ聞いてない? 嵐が来るから、今日は昼までで閉店だよ」
「あー、そっちは鈍感になってる。街っていう安心感かな」
視界の中、真正面の扉が開いて顔を見せた女性が、そのままふらふらと応接用のソファまで移動して、リコの対面に腰を下ろしたかと思えば、そのまま横になったのが見えた。ディカもリコも気付いていなかったので、藍子も知らないことにする。
「大きいの?」
「予報だと、そこそこだね。秋になるとよく来るから、対策は万全だろうし、大工屋なんかは、ちょっとくらい壊れろって願ってるはずさ」
「じゃあ、早めに実家に顔を見せて、対策を一通り確認しておかないと」
「実家? おばさんの?」
「そう」
「散歩ついでに、二日に一度は俺のところへ来るよ。表の掃除をしているタイミングでね。まだ元気そうだけど、顔を見せるのは賛成だ。文句を言われるだけ、愛情があると思っておくといい」
「嫌そうな顔をされたら?」
「それはどのくらい? 父さんたちが今でも、藍子おばさんの料理を食べる時に見せるような?」
「美味しいでしょ!?」
「うん、俺はそう思っているし、間違いないよ。けれどまあ、煮るは沸騰、焼くは焦がす、茹でるは固形物を崩すと、そんな料理をかつてしていたんなら、印象深いんだろうなと思ってね」
寝転んでいる女に文句を言いたくなったが、我慢した。
「嫌がれば反応を引き出せると思っているんだ、対応してあげるべきだね。それとも、長い間留守にしてたことに、罪悪感でも?」
「罪悪感はないけど、あんたたちにはもうちょい顔を見せたいなとは思ってる」
「だったら、ばあさんたちも同じことを思ってるはずだね?」
「もー……まあいいや。リコ? 実家行くけど、どうする?」
「んー、今日はこっち泊まる」
「なんで?」
「かーちゃんも、とーちゃんと一緒がいいでしょ?」
「旅の最中はずっとだから、べつに今はいいんだけど」
「リコ」
ぱたんと、帳簿を閉じて視線を向けるディカは、死角にもなっていないのに、気付かない。リコなんて真正面にいるのに、その姿を捉えてないのだ。
視界に入っているはずなのに、見えていない。
そういう現象を引き起こされている。
「はっきり言ってやったら? 悲しくなって、めそめそ泣きだすと慰めるのも面倒になって、抱きしめられれば身動きもできずに安眠もできないってね」
「――ファゼットめ」
「さすが、付き合いが長いだけあって、どこから情報漏れしたのか、すぐ気付くね」
「むー」
「はいはい、でも今日はちゃんと屋敷に戻ること。こっちは、はるちゃんが使うから」
「え?」
「――っ」
まず、飛び跳ねるよう立ち上がったのがディカであり、その反応から予測したリコがようやく、対面のソファに気付いて飛び起きた。
「……、うるさい」
「母さん? いつの間に?」
「んー」
「またそれだ。藍子おばさんは気付いてた?」
「そりゃ、私たちが来てすぐ、正面から入ってきたんだし、気付くでしょ」
気付かなかった二人がいるのだが。
「わかった。とりあえず母さんは引き取るよ……」
「ディカって、嫌そうな顔しないね」
「リコ、そういう顔をするから絡まれるんだ。聞いてるかどうかわからないけど、半分は説教するからね」
「あはは、言われてるよはるちゃん」
「んーいいよー」
「いいんだ」
「うん、お風呂入れてくれるし」
「グラビほど手間じゃないからね……」
「んふふふ」
「なにおばさん、変な顔で笑って」
「変な、は余計。じゃなくて、うちの子たちは本当、いい子たちだなって」
半ば放置しているような状況なのに、帰ってこれば迎えてくれる。そのことに藍子は疑いを持たないし、逆に言えば帰れる場所があると、そうわかるから簡単には死ねないのだけれど――しかし。
ディカは、小さく肩を竦めた。
「わかってないね」
「うん」
言葉を引き継ぐよう、リコが言う。
「親に恵まれてるのは、こっちだから」
「まったくだ」
本心である。
簡単には追いつけず、抜くこともできない親たちが傍にいたからこそ、今こうして自分たちは生活していられるのだ。
受け継いでいるものは、確かにある。あるが――。
「でも文句もある」
「その通り、だから説教の時間はある」
「あー楽しみー」
「はるちゃん、さてはそろそろ寝るね……?」
とりあえず、実家に一度帰ろうと、藍子は一歩を踏み出した。
藍子にだって親はいる。たまには感謝をきちんと伝えよう、そう思いながら。
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