第16話 一ヶ月の成果と、これから

 今日でちょうど区切りになる一ヶ月。一歩も成長していない忸怩を噛みしめながらも、時間だけは過ぎるもので、藤崎デディは警備隊の訓練場に来ている現実に、ため息の一つも落としたくなった。

「……あ? なんだ藤崎、お前、畑中はたなかみたいな顔してるぜ」

「それはつまり、見るに堪えない不細工顔ってことかな」

「ちょっ、なにあたしディスってんの!? おい聞いてんのかそこのクソ野郎ども! 聞こえてんぞこら!」

「ああ、ちょっと見ても大丈夫な顔に戻ったみたいだね」

「こんにゃろう……」

「一体、この一ヶ月でどのくらい成長したんだろうってね」

「ああ……二日に一度の夕食が地獄みたいなクソ不味い飯だったのが、いつ終わるんだと賭けをお袋としてたのが無効になったこととかな……」

「ああうん、ああ、……うん」

「だから聞こえてるっての!」

「というか藤崎、なんか口悪くなってるだろ。自覚してんのかお前」

「誰の影響かわかる?」

 そんな疑問を口にすれば、顔を見合わせて全員が苦笑する。

 言うまでもない、鷺城鷺花の教育だ。

「あーもうなんなのー。警備隊が揃ってんのに、何も始まらないし。怖いわー、あたし怖いわー六人しかいないけど」

「だったらそういうツラしたら?」

「さっきからしてんじゃん。藤崎って節穴?」

「畑中さんほどじゃないけどね。ほら、椋田くらたさんは平気そうだ」

「うん。今朝の占いで言ってた。警備隊は受難の日、私たちに吹っ飛ばされて痛い目に遭うでしょうって」

「そりゃまたピンポイントな……まあ、何をやるかの予想はついてるけど」

「あ、鷺城きた」

 警備隊の詰所方面から、実に面倒そうな顔をした鷺花が戻ってきた。それだけで、この場から逃げ出したいほど、嫌な予感がしたのはデディだけではあるまい。

「あー……話つけてきた。もう面倒だから、あいつら殺していいから」

「いやそれ駄目でしょ!」

「じゃあ畑中がやりなさいよ」

「なんでそうなる!?」

「文句を言うから。あークソッタレ、わかったわよ半殺しで」

「生きてれば大丈夫!」

「駄目だろう……鷺城さん、もうちょっとサービスを良くしましょうよ」

「……全治三か月?」

「あーうん、僕もうそれでいい気がしてきた」

「はいはい」

 ぱんと、鷺花が両手を叩いた瞬間、飛ぶようにして距離を取り、重心を落とす。ほぼ反射動作だ。鷺花の合図であり、手配であり、準備であり、実行でもあるこの手を叩く行動は、反応しないと後が怖い。

「今から警備隊を名乗るゴミ虫どもと格闘訓練を行う! あんたたちクソどもは、まず対一であのゴミ虫どもを半殺しにしろ! いいか殺すな、半殺しだ!」

「マァム、半殺しをしたことがありません」

「藤崎あんたが一番槍だ!」

「また余計なこと言ったのか僕は……!」

「優しい私はアドバイスをあげましょう。いい? ――相手を、私だと思って対応なさい」

「はい。やれるだけやってみます」

 どのみち、やらないという選択肢はない。相手側から一人きたので、デディは真っ先に一礼して、腹から声を出す。

「よろしくお願いします!」

 いつものことだ。

 いつもの挨拶である。

 そして、いつも思うのは、この挨拶の前にはたぶん、と前置するはずだ。最近どうも、お陰で顔の形が少し変わってきたように思えるし。

「では、はじめ!」

 相手の隊長が声を上げてから、自然体のまま深呼吸を一つ。距離はまだ四メートル。

 デディは、まだ未熟であることを自覚している。だから下手な小細工をせずに、ただ、決めたことを素直にやろう――そう思って。

 相手の前に出した右足が、砂利を噛んで音を立てた瞬間、踏み込んだ。

 ――何故、なんて疑問は瞬間的に振り払う。戦闘中に疑問を抱けば、その瞬間に負けることは確定する。少なくとも相手が鷺花ならば当然だ。

 だから、相手がなんの対応もせず、デディの一撃を喰らったことにさえ、意識を割かない。

 左足は大地を掴んだまま、右の腕を折るようにして肘の一撃を相手の胸上に当てる。だが、右足が宙に浮いたまま曲げられ、右の手がその膝に添えられている。相手に体重を軽く乗せることでバランスが維持されているが、しかし、肘の一撃で相手は後ろに倒れ――ようとして。

 浮いていた右足が強く、大地に叩きつけられ、曲げられていた右腕が拳となって、まっすぐ、相手へと放たれた。


 ――フレッシュ


 その一撃で相手は六メートルほど吹っ飛び、バウンドを三度して十メートル、そこで停止して、上半身を起こそうと両腕に力を込めた瞬間。


「当てるな!」


 膝で片腕を封じ、かぶさるようにして追撃を加えたデディの右の拳が、鷺花の声と共に――相手の顔の横へと、叩きつけられる。

 彼にとっても、周囲の者にとっても、それなりに大きな音だったろう。何しろ大地がへこむくらいには、威力があったのだから。

「そこまでにしておきなさい」

「――」

 その時のデディは、どんな顔をしていたのだろうか。

 睨むような? それとも、面倒そうな? あるいは機械のような?

 少なくとも。

 ――相手の男は、顔を引きつらせていた。

「失礼」

 吐息を落としながら立ち上がり、やはり一礼してから、短い髪の中に手を入れて頭を搔きながら、デディは戻った。

「あー……」

「不満?」

「ええまあ。加減されて勝たされた気分です」

「――馬鹿言え」

「いやだってエミリー、直線だしやりようはあったはずだ。点での攻撃は成功率も低い。進行方向を曲げてやれば隙だらけだ」

「牽制のつもりだったってか?」

「そうじゃないけど」

「お前の踏み込み速度を、相手が追えてねえんだよ。だが安心しろ、前座としちゃ上出来だ。次から難易度が上がる。最近、鼻が低くなったんじゃねえかと心配な畑中に、それは現実だと鏡を突き付けてやれるぜ」

「うっさいばーか! ばーか! ジャージ着ろばーか!」

「うるさい」

「みぎゃっ、ちょっ、鷺城先生! あたしの身長が縮んだらどうしてくれんの!」

「毎日身長を伸ばそうとしているエレットに秘訣を聞きなさい」

「……目頭が熱い」

「気が合うね椋田くらたさん、僕もだ」

「あれ? 話が反れてないこれ」

「いいから行け馬鹿」

「あんたが言うな! ――ちっ、避けやがって!」

 蹴りを繰り出し、不機嫌そうに歩いて行く畑中を見送った。

「なんなんだあいつは……あの日か?」

「それは知らないよ。でも――なんだろうな、これ」

「半歩、踏み込みができてなかったろ藤崎」

「できなかったんだよ。実際、半歩どころか踏み込みが完成したことはない。鷺城さんを相手には、肘を当てるまでで、だいたい駄目。今日初めてだったから、次からはちゃんと打ち抜けるよ」

「……使う相手には気を払え」

「ん?」

「あいつの肋骨、二本イってるからな? しばらく右腕も使えない。追撃で膝入れただろ」

「え? ――は?」

「この試験が終わればわかるから、まあ、気にするだけしとけ」

「……よくわからないけど、たぶんその結果、僕はなんだか落ち込みそうな気がする」

「教育の成果だぜ、それも。――なんだ、畑中も随分と素直に攻めるんだな。投げ技主体に浸透系の当身だ」

「あれは見たことある。っていうか、鷺城さんにやられた。受け身を覚える訓練とか言ってたけど、覚えたのそれだけじゃないし。浸透系って外見が変わらないからって、すげー使われた。お前の職業はヤクザかよって思ったよ」

「失礼ね、私の方が上手くやるわよ」

「……、……何がどう失礼なのか深い考察をしそうになったけどこれ、止めた方がいいかなエミリー」

「そうだな、どうせ最後には殴られる」

「自分から頭を差し出せば、殴るのをやめると思ってた頃が懐かしいよ。出したら出したで、余計に強く殴るだけだ」

「避けた時が一番強いだろうけどな」

「まあね――あ、二枚抜きした。ああやって、勝手に被害を広げるのは畑中さんらしいというか……」

遠当とおあてもやるのか」

「空気を媒介にする体術だね。基本のボウ、障害物を無視して遠くへ当てるトオシ、畑中さんが今やった手前と奥の両方に衝撃を与えるヌキ、それから衝撃を一点に加えるツツミ

「どこまでだ?」

「一通りは喰らってるし、錬度が低いから使えるとは言えないけど、まあ、そこそこ」

「なるほどな。言っておくが俺は使えない」

「――へえ?」

「真似は、できる。邪道なやり方での模倣だ、これはもう使えるとは言えない。基本的には対策ができりゃそれで充分ってところか」

「そういう教育を?」

「性格だ。俺は魔物の子だからな」

「ああうん、驚いた方がいいところかなこれは――っと、なんで殴るんだ?」

「いや反応が気に入らなかったから。避けるなよ」

「エミリーが相手だからね。まあ、本音を言うなら薄薄うすうす気付いてたって感じかな。畑中さんもそう。あとは話の流れから、たぶん椋田さんも魔物の子なんだろうなって」

 魔物の子。

 それは通称であって、実際に魔物との間にできた子ではない。

 帰還術式の完成もあり、今ではそれなりに冒険者が外へ出ている。あくまでも帰還可能な範囲内。進展がないことをかんがみれば、世界にとってはちっぽけな範囲でしかないのかもしれない。

 ただ、たまに、外で子供を拾うことがある。

 彼らは子供を連れてくる。

 ――魔物たちの世界で、生き残り続けた、子供を。

「コレニアさんの教育がどういうものかは、あまり知らないけど、時折見える生への執着と、死ぬことへの終わる感覚? そういうのが独特なんだよ」

「よく見てやがる……」

「一ヶ月も共同生活をしてれば、それくらいはね。鷺城さんが訓練を二つにわけてるのも、基礎的な部分の違いだろうって」

「まあ、そうだろうな――っと、おい鷺城、三人目が潰れるぞ」

「ん? ……ああそう、そうね、うん。追加を寄越すほど気の利いた相手じゃないか」

 四人を潰し終え、五人目――つまり、最後の一人である警備隊の隊長に踏み込みを見せた藍子は、一連の動作をぴたりとそこで停止させ、こちらを振り向いた。

「せんせー! このクソ間抜けもやっちゃうのー?」

「駄目よ畑中、ほかの間抜けの片づけをする間抜けがいなくなるから」

「はーい」

 こっちにやってくる藍子を見た鷺花は、腰に手を当てて吐息を一つ。

「さて、躰も暖まっただろうし、一ヶ月の締めくくりね。じゃあエミリー、相手をしなさい」

「……藤崎、逃走経路はあるか?」

「無駄なことは美徳だけど、わかっている結果を改めて現実にしたいなら、逃げてみたら?」

「……」

「ただいまー。あれどうしたのエミリー」

「今からエミリーをやっていいわよ」

「マジで!? テンション上がる!」

「エミリー、殺さないように」

「顔の形は?」

「ある程度なら」

「よし畑中、許可も出たしお前は遠慮なく殴る」

「大丈夫! こっちには味方がいるし!」

 デディは右を見た。陽菜は左を見た。鷺花は背後を見た。ファゼットも後ろを見た。


「「「「どこ?」」」」


 怒った藍子が飛びかかってきた、それが合図。

 さあ、戦闘ケンカの始まりだ。


 祝勝会というわけでもないだろうに、帰宅したらエントランスに食事の用意がされていた。それを横目に、汚れを落としに向かうのだが、夕方近くまで戦っていたというのに、シャワーを浴びればすっきりするのだから、不思議なものだ。

 とりあえず、そろそろエミリーと呼ぶな、なんて言われたのをきっかけに、それぞれ名前で呼ぶことにはなったが、ともかく疲れた。腹も減っているので、着替えも適当にして、女性陣も肩にタオルをひっかけている状態であった。

「あー美味しい。ファゼットの味に似てるわー」

「ああうん、藍子さんもそう思うのか。うんそうだね」

「え、なんでそんな言い方?」

「生焼け、半煮え、炒めモドキ、どれもこれも大雑把な男の料理ばかりなのに、未だにまともな料理一つも出てこないんだから、味がわかるなんてその成長に、落涙らくるいも禁じ得ないよ」

「火の通っていないじゃがいもー何故か焦げているやさいー」

「抑揚つけて歌わなくてもいいでしょ!? ちょっとはるちゃん!」

「女子力がなかったー今もないままー鼻のてっぺんもさがったーマイナスばかりー」

「てめっ、ちょっ、待てこんにゃろ!」

 訓練でもないのに殴り合いの喧嘩が始まった。あとでナイフを差し入れておこうと、デディは料理に手を伸ばした。

「食ってるか、デディ」

「ああファゼット、問題なく。そっちはコレニアさんの手伝い終わったの?」

「まあな。本来ならこういう会食なら、皿に取って運ぶんだが、そこまではいらんらしい。資産家のパーティに忍び込むために教わった技術も、いらんと言われるとそれはそれで、妙に落ち着かねえよ」

「教わったんだ」

「半分は躾だ。俺もだいぶ尖ってたからな」

「うむ、わしが直直じきじきに躾けたぞ」

「おやコレニアさん、いつの間に? 小さくて――失礼、なんでもありませんマァム」

「いや、実際に小さくてよく視界から消えるんだよ、お袋は」

「ファゼット! 事実だけれど、努力している人にその言い方はどうかと思うよ。もっとこう、オブラートに包んでね?」

「なにやら、わしのプライベイトが漏れているようじゃな……?」


「鷺城だ」

「鷺城さんです」


 二人で即答したら、どういうわけかため息と共に、ぱくりと肉の欠片を口の中に放り込み、咀嚼そしゃく

「……鷺花なら仕方ないのう」

 気持ちはわかったので、黙っておいた。

「デディ」

「うん? 差し入れのナイフはもう必要かな」

「それは適当でいい。鷺城が大剣を影に収納しただろ、あれについての見解を聞かせろ」

「一応、僕も考察はしていたけどね。藍子さんが言うには、本体と影っていう分離しないものを利用しつつ、三次元式で追随型の格納庫だろうって。僕のイメージとしてはリュックの内部を多重構造化したものかな。まだ維持や展開に関しては踏み込んでいないよ」

「なるほどな。だいたい俺と同じだが、一つ。リュックの中に抜き身のナイフを入れるやつを、世間じゃ間抜けって言うんだよ」

「――条件付けだね」

「刃物だけ入れるなら、鞘をたくさん作っておけばいい」

「逆に言えば、その箱の中には刃物しか入らない――か。なるほどね、その方が簡単だ」

「どうだ?」

「飛躍を三回くらいしたら、条件は〝物品〟でもいいのかなって」

「汎用性がありそうだ」

「まあね」

 鞘ごと腰からナイフを抜いて放り投げれば、視線を向けることなくキャッチした二人の喧嘩がエスカレートを始めた。

「元気がいいわねえ。エミリーの追い込みが足りないんじゃない?」

「ああ鷺城さん、板はなんとか壊せました」

「あらそう。報告は藤崎が一番最後ね」

「そうでしたか。じゃあ一番早かったのは、椋田くらたさんですね」

「俺じゃねえのか」

「一番槍は嫌うだろう?」

「本当に良く見てやがる……」

「まあなんとかなって良かったよ」

「まだヒヨコだけれどね」

「ああうん、調子には乗ってません。僕は相変わらずのクソです」

「よろしい」

「ところで、お主らどうするんじゃ? 一応、これが一つの区切りじゃろ?」

「ああ、僕は続けます。一度は学園に顔を出そうと思っていますが」

「その時は声をかけなさい。あなたたちの所属を明確にする書類を渡すから」

「所属ですか?」

「そう、鷺城教室。文句が出るようなら、学生の半分くらいを半殺しにすれば、怖がって文句もなくなるでしょうし、そのくらいの実力はもうあるから」

「はあ、さようですか。学園で身動きがしやすくなるのは、ありがたいですが」

「では鷺城、わしはここまでで構わんな?」

「ん? よくわからないけれど、どうぞ?」

「お主は……まあいい。わしは辞めて、本職に戻る」

「次は誰だ?」

「うむ。おお、藤崎は知らんやもしれんが、わしの家族には侍女もそれなりにおってのう。次に来るのはフェリットじゃ、引継ぎはきちんとしたとも」

「フェリ姉か、そりゃ安心だ」

「ファゼット、ちなみにその人はエレットさんより可愛いかな?」

「返答の難しいことを言うな。俺はお袋の前じゃお袋だと言うし、フェリ姉の前ではフェリ姉と言う」

「それでいいんだ、勉強になったよ」

「藍子には通じないぜ?」

「……、そこはそれ、僕の器量の問題かな」

「否定しねえのかよ」

「まあね」

 そこでようやく、肩で荒い呼吸をしながら陽菜が戻ってきた。シャワー後だというのに、また汗をタオルで拭いながら、無言でナイフを突きつけたので、デディがそれを受け取った。

「満足したかよ、クソ女」

「はあ……はあ……なんで、……はあ、やってた、のか、わす……れた……」

「馬鹿だ、ははは、馬鹿がいる。ファゼット、こいつ馬鹿だよほら」

「今更確認しなくてもわかるだろ」

「いやいや、僕はあっちの間抜けを確認してくるよ。あはは、間抜けだ。食事中に倒れてる」

「ふうむ、仲間意識もできたようじゃのう」

「いいことね」

「で、これからはどうなる」

「ん? 課題がないとやる気も出ない?」

「スケジュールの話だ」

「どうだかね。まあ、戦闘訓練は継続、課題は個別。そろそろ得物を持たせてあげるわ」

「得物、ね」

「私が知る限りの武術、その怖さも教えてあげるわ。とりあえずは最低限、けれど最終的には――わかってるわね?」

「ああ、今はまだ追われる側だけどな……」

 いずれ追いつかれる、そんなことは自明の理だ。最終的な完成はともかく、成長なんて呼ばれるものは、どれだけの時間を基礎に費やしたか、そこが全てだ。経験の差なんて、あとからでも埋められる。

「けれどまあ、ほどほどで大丈夫でしょう」

「――、か?」

「まあね。その錬度によるけど、一年後くらいには外に行きたいわねえ」

「諒解だ」

「やあコレニアさん、なにか喉に詰まる飲み物ってなかったかな?」

「なんじゃ藤崎、自然に殺したいなら毒が良いぞ。どれ、わしが知っている面白い代物があってだな」

「あたしを殺そうとする算段をあたしの前で立てるな!」

 叫び、けれどすぐに頭を押さえながら、ふらふらと近寄ってきた藍子は、とりあえずグラスの水を飲み干して、吐息を一つ。

「あー疲れた。マジでなんなのこいつ、攻め方がすげー面倒だったんだけど」

「加減してくれたんだから感謝しとけよ」

「そう? まあ、だろうとは思ったけど、はるちゃんとは前から知り合いだったんでしょ? そういう感じあったし」

「まあな。俺の初仕事が終わった時に、ちょっとツラ合わせたんだよ。それ以降、たまに学園でツラを見かけてた。話はほとんどしなかったが」

「うん。このはくじょうものー」

「お前が原因でもあるだろ、引きこもり」

「うるせーばかー」

「いて。……何故、お前は、ことあるごとに俺を蹴る……? 女の扱いは丁寧にと言われている俺にも、対応手段はあるってことを教えてやらなきゃ駄目か?」

「え? 丁寧? あたしは?」


「「「え?」」」


「ちくしょうハモリやがった!!」

 本当に仲が良くなったものだと、エレットはしみじみと頷いた。

「なんだよもー、あたしだって泣くんだぞー」

「その時はデディを生贄にするから安心しろ」

「僕なのか……まあ、新しい侍女さんに向かうことはないだろうけど」

「なんじゃ、藤崎は侍女服属性なしか」

「それとこれとは別ですよ! 侍女服は良いものです!」

「うむ、そうじゃろうとも。ところで畑中、まったく関係のない話じゃが、お主、侍女服いるか? 手配してやっても良いぞ」

「なななな、なんであたし!?」

「いやお主、中身はともかく外見ぐらいは好みのものにせんと、もっと扱いが酷くなるぞ」

「ぬああああ!! 侍女服着た時の反応を見たらあたし本気で泣くかもしんないけど!?」

「はい集合――」

 藍子を置いて、鷺花以外の全員が一つのテーブルに集まった。

「あ、お前はちょっと待ってろ」

「え?」

「……まず五百からな」

「あー僕が面倒を見るはめになる、に八百」

「うっとうしくなって放置に九百」

「便所に引きこもって出てこなくなるに千二百じゃ」

「侍女服が無駄になる、に千五百」

「あ、僕コール」

「思いのほか似合うに、千六百」

「ふぉるど」

「俺も降り」

「僕も」

「それが一体どんなゲームなのかわからんけど、あたしが馬鹿にされてることだけはわかった! お前らは敵だ!」

「ったく仕方ねえよな。ほれ千六百」

「あ、僕は部屋にあるから、後で払うよ」

「私も」

「あ、どうも――え? これ受け取ったらまずいんじゃないあたし。えー……?」

 いじられ役が定着してきた藍子である。まあ七割がた本気で言われているようではあるが。

 ――ともかく。

 まだしばらく、彼らの生活はこのまま続くことになった。



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