第15話 発足、被害者の会。または意見交換会
鷺城鷺花は、多くを語らないし、多くの指示を出さない。
覚えろとも言わないし、やれとも言わないが、やらなければ殴られるし、覚えてなければ蹴られる。もちろんそれ以外もあるが、だいたいはそういう感じだ。
たとえば。
親睦会の翌日、藤崎デディは早朝から走り込みを始めた。理由は体力不足を実感したからだが、ジャージ姿で外に出れば、既にファゼット・エミリーがいた。聞けば、彼は日課にしているらしい。
準備運動を軽くした後、顔を見せた鷺花から、ゆっくり過ぎるペースで、限界だと思ってから二周走れと言われたり、それからはずっと走り込みはしていた。
しかし、授業に限っては、二日か三日おきに鷺花の戦闘訓練があるだけで、ほかの時間はほぼフリーだ。課題として渡されている板の解析に当ててはいるが、何気に当番制の昼食と夕食の用意が大変である。
一日おきに男女で変わり、今のところ藤崎が夕食、料理経験のあるファゼットが夕食となっている。女性側は昼食が
現状。
ファゼットの料理は、美味い。
デディの料理は、レシピに忠実。
陽菜の料理は、食べられる。
藍子の料理は、食べるしかない。
つまり二日に一度は大変なことになる――のだが、ともあれ。
親睦会から十日目。朝食後の戦闘訓練を終えたデディは、ファゼットの部屋を訪れていた。
「あーごめんエミリー、すげー疲れた」
「あ? なんだ、料理の相談かと思ってたが違うのか」
「容赦ないよ、鷺城さんの戦闘訓練は……」
「今更だろ」
床に座り、テーブルに突っ伏すデディには明らかな疲労が見える。汗は流してきたようだが、細身のファゼットと違って、デディはそれなりに肉付きが良いので、やや図体が大きく見えた。いや大きいのだが。
「今なにやってんだ」
「なんだろうね。無手の格闘なんだけど、とにかく覚えろってことで、攻撃を喰らってるよ。何度も繰り返して、なんとか覚えてきたら、今度はその技を返される」
「技なんてのは、返しも合わせて一つだ。相手が同じことをしてきたらと、そういう思考が大前提だな。それを忘れると痛い目に遭う」
「今遭ってる……」
「覚えりゃいいだろ、覚えりゃ」
「そうは言うけどさ。っていうかこれ、明らかに対人戦闘訓練だよね? 学園でも似たようなことはやったけど、ここまでじゃなかった」
「だろうな。――何故だ?」
「わかりやすい対人戦闘もろくにできないクソ間抜けが、情報のない魔物の相手なんてできるわけもない」
「その通り。……それ、鷺城が言ってたのか?」
「いや、僕がそう思った」
なるほど、そう思えるくらいには教育ができているわけだと、納得が一つ。しかしすぐに、納得するとこじゃねえだろと、内心でツッコミを入れておいた。
「役に立つかどうかはともかく、上達してるかどうかが疑問だよ」
「いくら上達しても鷺城には敵わねえよ」
「まだ十日くらいだっけ? 先は長いと思ってはいるけどさ――あ、これ言われたんだけど、身内で戦闘はするなって。エミリーは言われた?」
「俺には言うまでもないことだろ」
「あーそれもそうか」
「……なんでそこで納得してんだよ」
「え? 鷺城さんが、魔術なしの戦闘で一番上手く殺せるのはエミリーで、魔術ありの戦闘でもエミリーだって言ってたから」
「あのクソ女……まあ事実だけどな、そいつは。――だとして?」
「あーうん、いくつか考察したけれど、僕の中の結論としては経験だよ、やっぱりそこだ。ただ気になるのは、戦闘で一番上手く――これは良い。けれど、続くのは強いでも勝つでもなく、殺すって言葉だ。考えたくもなるさ」
「そんなところか。ほかのやつの訓練は見てねえのか?」
「たまに見かけるけど、見学というほどしっかりは見ないよ。……あれ、僕、エミリーの訓練見たことないや。鷺城さんとやってるの?」
「――やっている」
今はもう、術式ありで本格的な戦闘訓練だ。それでも軽く受け流されているけれど。
ファゼットは既に、技がどうのと教わるようなことがない。基礎ができていて、方向性もほとんど定まっているため、あとは、教わるのではなく閃きから手探りで己のものにする作業になる。
だから、そのための戦闘を行うわけだ。
「ただお前らより頻度は低いし、隠れてやってるからな。鷺城としては、まだ見せる段階にないってこと――ん?」
「どうかした?」
「気付けよ、扉の外。廊下に二人……こっち来たな」
「え? 耳? 術式? 気配察知?」
「基本は耳、あと気配」
「本当に参るよ……」
すぐにノックがあり、扉が開かれる。
「ちょっとエミリー……あ、デディもいるじゃん。ちょうどいいや」
「なんだ? エロ本を探しに来たなら、藤崎の部屋にしとけ。ここにゃねえよ」
「ないのか、エミリー。確かに僕の部屋はあるけど、本当の性癖と誤魔化し用のやつがあるから、探さないでくれ」
「本に頼るくらいなら女を相手にやれってのが、お袋の教育方針なんだよ」
「それはそれでいいなあ」
「よくねえよ。言った張本人にまず喰われて、たくさんいる姉につまみ食いされる俺の気にもなってみろ。クソ面倒だ――いてっ、おい、蹴るな椋田、いてえっての。なんだ顔赤いぞ風邪か? だから蹴るな」
キャスターつきの椅子に座ったまま、面倒だったので襟首を掴んでベッドへ放り投げる。陽菜からの追撃はそれでなくなった。
「思春期のはるちゃんは放っておいて」
「同い年だけどね、みんな」
「細かいことはいいの! で――コレに関しての話をしたくて」
課題である板をテーブルに置き、藍子は床に腰を下ろした。
「ああ、そうだ、僕もその話をしに来たんだった……」
「じゃあちょうどいいね。んと――」
「藤崎、まずお前だ」
「わかった」
「いいけど。……いいんだけど、なんでエミリーがそれ言うの? 仕切るのなんで?」
「俺の部屋だからってことにしとけ。それとも進行を椋田に任せてみるか?」
「あーはるちゃんね、端的にずばっと言うから理解が大変なので、最後の方に回して欲しいっていうあたしの主張、通る?」
「つまり僕が最初ってことか。いいけれど――そっち、二人の板が同一のものであることは確認した?」
「したよ、同じだった」
「だろうとは思ったけど、一応ね。僕はエミリーに確認してないから」
「なんでしなかったの?」
「所持品の定義に関わる可能性を考慮したから」
「わざわざ頼まなくても、こっそり分析してやりゃ同一物品かどうかくらいわかる」
いやそれはどうなんだと思ったが、藍子はツッコミをどうにかやめて、デディに先を促した。ついでとばかりに、肩に引っ掛けた白衣の胸元からメモ帳とペンを取り出しておく。
「まず、僕が確認したのは、この金属が魔術素材を使っているか否か。ここの分析に時間をかけたけれど、ええと、結果から言って、現存する魔術素材であることがわかった」
「素材の詳細は?」
「リーリット鉱石。知っているとは思うけど、高度と純度が高い金属で、魔術素材としては――こう言っては何だけど、ありふれている。価格自体は高いけれど、まあ、手に入れられないほどじゃないし、店頭に並ぶことも多い。掌サイズだと五万エルくらいが相場かな」
「うん、そこまでは同一見解。だから加えられた術式の分析をしたんだけどね、あたし」
「ちょうど、親指程度のサイズだったけど、リーリット鉱石の在庫があったから、まず僕はこの板を模倣してやろうと、作ってみた」
「含まれる術式は度外視?」
「そうだよ。――それ以前の問題が発生したからね」
作業着の胸ポケットから、薄く小さな板を取り出す。鷺花に渡されたものと比較すれば四分の一くらいのサイズでしかない。
「お互い、知っているとは思うけど、改めて最初から説明するよ。魔術品の作成、その基本は、対象となる物品の〝
「うん。実際、リーリット鉱石は武装――刃物なんかの金属として、よく使われるから、優秀な方だよね。宝石埋め込んだりもするけどさ」
「けれど――まあ、ここが悩ましいところで、どうしたもんかと思っているんだけど、これを一つの物質であると定義した場合、この金属はリーリット鉱石だけれど、リーリット鉱石を使ってはいないことが結論として出た」
「……はい?」
「僕には、壊すことと作ることが同じだという前提がある。だから、作れたのならば壊せるだろうと、そういう発想から着手したんだ。けれど、であればこそ、製造段階でそこに気付いた。リーリット鉱石をどう細工したところで、僕の発想、知識、技術、その全てを駆使してもおそらく、この金属の作成は不可能だ」
「藤崎」
そこで、ぼんやりと外を眺めていたファゼットが口を挟む。
「――今のところはと付け加えろ。技術屋が可能性をゼロにすんな」
「ごめん、そうだね。今のところは不可能だ」
「え? でも、おかしいでしょ? これでも、間違いなくリーリット鉱石だよね?」
「うん、そこに間違いはない。ただ、製造方法がたぶん違う」
「えっと……うん? どゆこと? ちょっと混乱してきたんだけど」
「ここからは僕の想像も含まれるから、そのつもりで聞いて欲しい。魔術品の作成において、物品と術式の同調性、融合性って部分はそれなりに重視される」
「あ、知ってる。それって確か、突き詰めれば効率の話よね? いわゆる空白に対する親和性っていうか、小さな容量であっても適合すれば大きな術式を含めることができるっていうやつ」
「そうだよ。つまり、物品の〝空白〟ばかりの問題じゃないってこと。そこで、僕たちは物品の構成そのものに着眼して、術式を対応させるんだ。発揮する効果以外の術式を使って、まあ、効率良く内部に設定することで、魔術品っていうものができあがる。そこを研究している工匠もいるけど――そこで、ふと、こんなことを思った」
こつこつと、デディは自分が作った板を叩く。
「魔術構成があるように、物品にも構成がある。如何に術式を効率良く内部に入れ、効果を発揮させるか――そこから更に、俯瞰した視点を持てみる。仮にだ、物体そのものに構成があったとして――存在するカタチを構成として捉えた場合、それを術式で構成可能ならば、果たして、それは術式か? それとも、物品か?」
「――」
ちょっと待ってと、掌を突き出した藍子は、額に手を当ててから、前髪を撫でるような動作をすると、天井を仰ぐようにして編み込んだ自分の髪に手を当てた。
「つまり、物質を魔術構成で再現する?」
「捉え方としては、たぶん、そうだと思う。結果だけに着目するなら、ソレは物質ではなく、いわゆる魔術として具現したものだ。けれど構成が同一なら、ソレは物質になる」
「創造系の術式からも飛躍してんだけど」
「どう違うんだ?」
「創造系列の術式っていうのは、自分の術式で物質を作るんだけど、この場合は
「なるほどなあ。……いや、まあともかくだ、僕としてはそのくらいの発想をした段階だよ。それで煮詰まって、エミリーに話でもと思ったわけ」
「ふうん。こっちの分析は、付加されてる術式に関してかなあ。物理結界、術式結界が三枚展開されてて、間に挟み込むように吸収、拡散の意図が含まれてる。強い衝撃を与えないと物理結界が壊れないのに、衝撃を拡散する機能があって、術式結界で止められる。逆に術式で壊そうとすれば、物理結界を素通りできないし、魔力そのものを吸収されるって感じ」
「明らかに、リーリット鉱石の容量を越えてる術式としか思えないんだけど……」
「だよねえ」
後ろに倒れようとした藍子は、ベッドの端に頭が当たって止まった。
「ん? ちょっと、またはるちゃんぼーっとして……聞いてた?」
「聞いてた」
「ああ、そうだエミリー……って、外でなにか?」
「今日は良い天気だけどな」
「あ、そう。そうじゃなくて、こう、意見を聞きたいんだけど?」
そうだなと、小さく呟いたファゼットは。
「約三億弱――」
言って、一瞥を陽菜へ。それを受けた陽菜が言葉を繋ぐ。
「二億八千、三百、七十万回くらい」
「……え? なにその数日。なんかわかりあってるし。なんなの?」
「壊すだけなら簡単だって話。条件はそれなりにあるが、約三億回の攻撃を与えればこの板は壊れる」
「簡単じゃないよそれは……三億って、ちょっと難しいだろう」
「じゃあ藤崎に質問だ。この板の構造を把握して作成する難易度と、どっちが簡単だ?」
「う……それを言われると、確かに」
「えー? でもこんだけ防御系の術式入ってるのに?」
「衝撃の飽和があるから」
「空白容量に限界があるのと同様に、あるいは使用制限があるのと同じく――衝撃に対する耐久度にも限界はあるんだよ。ただし、その限界に至るまでの条件が面倒なだけでな。思いついても実際にやる間抜けは、そうそういねえ」
「いないんじゃん!」
「あと物体の構成式に対して、術式を混ぜてある」
「――は? 椋田さん、混ぜるって?」
「うん。リーリットの型だけ残してるけど」
「……考えがそもそも逆だったのか。リーリット鉱石の構成を模倣して、術式で作ってあった。いやでも、逆手順なら……うーん」
「っていうか、素知らぬ顔して、そこまで分析してたの? え、なに、あたしらの会話とかもうとっくに?」
「そこまでじゃねえよ。ただまあ、
「んがー! もうヤだ!」
デディもまた、机に伏せるようにして態度を崩す。こちらも少し落ち込んでいるようだ。
――と、ここでノックの音。応じるのはファゼットだ。
「パーティ中だ、後にしてくれ!」
「はいはい」
知ったことかと、扉を開いて鷺花が顔を見せれば、驚いたデディと藍子が姿勢を正す。
「……ん? エミリー、鷺城さんにも気付いたのか?」
「この屋敷の中で、俺が気付かない来客なら、この女くらいなもんだろ。いちいち驚かねえよ」
「なあに、反省会? それとも意見交換?」
「どっちも。それよか鷺城先生、どしたんです? あたし訓練入ってたっけ?」
「じゃあ午後から畑中は訓練ね」
「余計なこと言った――!」
「畑中さんざまーみろ。それで、どうかしましたか、鷺城さん」
「ああそう、おもちゃ作ったからあげるわ。藤崎はイヤリング」
「あ、どうも。僕はあんまり装飾品はつけないんですが」
「耳につけとくなら、邪魔にならないでしょ。畑中には腕輪で、椋田は髪飾り。エミリーはネクタイ留め」
それぞれに手渡して、鷺花は腰に手を当てる。
「常に装着しておきなさい。そうできるような代物にしといたんだから」
「――のわっ!」
「はい、どうせ迂闊な畑中がやると思ったから説明を後回しにしたんだけれどね?」
「だろうな」
「うん」
「これは僕も予想できた」
「ちょっ、いや事実だけど! だけど! なにこれ!?」
横幅が五十センチほどある、大きめの枠が一つ、藍子の前に出現していた。
「言うまでもないけれど魔術品ね。――ああ、安心なさいエミリー、追跡機能はついてないから。必要ないもの」
「ふん」
この場合、そんな機能をつけなくても追跡くらいは簡単にできると、そういう意味である。鷺城鷺花だから仕方がないが、半分は嫌味だろう。
「いわゆる通信機よ。起動は簡単だし、設定も細かくできる。手で触れて操作だから、あんたたちは若いんだし、触ってればすぐ理解できるわよ。動作確認くらいはしておきなさい。それと、あえて壊さないように。壊れないようにはしてあるけれどね。要望があるなら適時言うこと――」
ようやく、そこでテーブルに視線を落として。
「なあに、これ藤崎が作ったの?」
「はい、そうです。アプローチの方向として間違いだったでしょうか」
「人の選択に間違いはないわ。ただ結果として、成功か失敗があるだけ。無駄とも思える工程を嫌というほど踏んでいれば、やがて無駄以外しか選択できなくなる。――ま、人の一生っていう時間制限つきだけれど」
「はあ、そうですか」
「というか、まだ構造式を扱えないわけ? 展開式の応用でしょうに」
言って、鷺花がテーブルにあるデディが作った板に指先を置き、ひょいと引っ張るようにすれば、八枚の術陣が展開する。
――展開して、板が消えた。
「……は?」
「え? なにこれちょっと待って」
「魔術武装を作る時の初歩よ、こんなの。鋼は炉で溶かして叩くもんでしょうが。あんたは溶かさず叩く馬鹿ってわけ。おわかり?」
再び指先がテーブルに置かれれば、術陣が消えて板が残った。
「通信機はエレットにも渡しておいたから、確認しときなさいよー」
そうして、鷺花が部屋を出て行く。残ったのは頭を抱えた二人――理由はそれぞれ違うが――と、ベッドの上で寛ぐ女に、陽光から逃げるよう椅子の位置を変える男。
「ぬあー、訓練だー……」
「くそう、展開式の応用ってなんだよ……」
ふんと、鼻で一つ笑ったファゼットは、手にしたネクタイ留めに魔力を流し、枠を表示させる。右隅にあるボタンらしきものをいくつか押して、登録されたリストを表示。その中の一つに触れてから、実行に触れれば、すぐに。
『――なんじゃ、試験運用か?』
「お茶を四人分用意しておいてくれ」
『仕方ないのう、そちらに運ぶから待っておれ』
「諒解」
エレットの映像は通話が終わった時点で消える。あちらとしては、魔力の流れを切ったのだろうが、こちらでは枠が出現したままだ。リアルタイムで映しているらしく、厨房の風景が見えていたことに、仕組みの複雑さを理解した。
「うっわ、なにこいつ。もう慣れてんじゃん」
「通信機って言葉から連想されるものを、考えているかどうかの差じゃねえのか?」
「むっか……!」
設定を続けて、まずは枠の不可視化。おそらく使用者の
着信は自動設定へ。状況によっては応答したくない場合もあるので、許可設定を一枚入れることもできるけれど、これからの使用頻度によって変更しておけばいい。デザインの詳細設定では、黒色に近くしておく。不可視状態で仮に誰かに見られる際、黒だと闇に紛れるからだ。
あとは使いながらだなと思って消せば、まだほかの三者は操作をしていた。
「……、藤崎、これ借りるぞ」
「ん? ああいいよ」
デディの作った板は、いわば鉱石としての形を変えたに過ぎない。これ自体は魔術武装を作る際などに行われる作業であり、一定の型を作っておいて、物質をその形成へと流し込むようなイメージでやるものだ。魔術行使はあるものの、難易度は低い。何故ならば、形状を変えることで、鉱石から鋼へと変わるからだ。
変える、ということ。これ自体は本来、難しくはないのだ。何しろ物を落として壊れるのだとて、同じことだから。
難しいのは。
鉱石を、そのまま板に変えて、それを鉱石のまま残すことだ。
つまり最低限、デディはそこをわかっていてやっている。何故ならこの板は、形状こそ板であるけれど、リーリット鉱石そのものだから。
鷺花のようにはできないが、物質の構造そのものを展開式にすることは、ファゼットにもできる。
個人によって式のかたちは違うけれど、展開式とは魔術研究の基礎であり、術式構成を視覚化させること。これによって、構造を読み取りながらも、変更することも簡単にできる。また、次の段階として、展開式を利用してゼロに限りなく近い地点から、新しく術式を編む、なんてこともできるようになる。
板の構造を展開してみれば、周囲には大小の波紋が出現する。水の特性が強いファゼットにはお似合いだが、いずれも重なった部分が円形になっておらず、湖に浮かんだ波紋がぶつかり合って波を立てるような、そんな様子があった。
展開式には個人差がある。それは、
さておき。
物質の構造式であるため、展開式そのものに触れても改変はされない。板に細工をしようと思うのならば、展開式を変えてから、一つの術式を噛ませて発動させなくてはならず、今回はそうするつもりがないので、あくまでも分析が主体だ。
暇潰し――である。
「……へ? ちょっ、エミリーなにしてんの!?」
「うるせえ女が気付きやがった……この板の構造式だ。言っておくが、本来なら構造の展開を防ぐためのプロテクトを噛ますことだってある。それをしてないだけ、鷺城は優しいぜ。ま、こうやって読み取ったところで、難易度が高いことを実感できるだけなんだけどな。あのサディストめ」
「ほれガキども、茶を持ってきてやったぞ」
「ああ」
ありがとうと、素直に感謝して展開式を消したファゼットは立ち上がり、すぐにお盆を受け取ると、グラスの数を確認して一つ目を侍女姿のエレットへ渡す。お盆はテーブルへ、その一つを手に取って――キャスターつきの椅子を、くるりと回転させれば、そこへエレットが腰を下ろす。控えるのは隣、やや後ろだ。
「子供にはおもちゃを与えよ――か。楽しんでおるようじゃのう……む? なんぞお主ら、儂のことには構わんで遊べば良い」
「いや、なんというか手慣れているというか……コレニアさんの動きもそうですが」
「そりゃ儂が教育したからのう。どこにでも出せる立派な男――にはまだ、程遠いが」
「……」
「あのう、エミリーがすげー微妙な顔をしてるんだけど」
「ん? ああ、常にこいつは未熟者じゃからな」
「つまり、お袋がまだ手放したくないって意味だ……」
「うむ! わかるじゃろ
「むー。かわいくない。生意気だ」
「なんでお前が膨れてるんだ……?」
「しるかー」
「ははは、生意気なところが可愛いのではないか」
なんで俺の話題になっているんだと、ファゼットは紅茶を飲みながら、外へ視線を反らす。
ああ、今日は良い天気だ。
――訓練日和である。
「そういや椋田も、戦闘訓練はしてるんだろ?」
「うんやってる。ずっと投げてる」
「投げ物……? ん、ああ、お袋が展開してる防御術式を変えたのも、それか」
「お主も対策しておけよ?」
「構想はしておく。何を使ってる?」
「針」
回転して飛来したそれを、一歩前へ出てエレットを隠しながら指で摘まんで受け取り、また一歩下がる。
「一般的な針だな、これなら種類もある。フェリ
「うむ、先代から直接教わっておったのう」
「……そろそろ一度、実家に戻るか」
「へえ? エミリーでもそういう気持ちになるんだね」
「そりゃどういう嫌味だ藤崎」
「こっそり帰って様子見て、そのままこっそり帰るタイプだと思ってた」
「お主、よくファゼを見ておるのう」
「うちは男連中が少ないから、姉貴たちが本当に面倒なんだよ、クソッタレ。なんで妹連中はあんな可愛いのに、姉ってのはアレなのか、教えて欲しいくらいだ」
「なんなら僕に一人くらい紹介――あだっ! 何故殴る!?」
「しーらなーい。自分の心に問いかけでもしてみたら?」
「なんなんだ……?」
「お主らも、だいぶ馴染んでおるのう」
「ええまあ、同じ苦労を背負うと分かり合えるというか」
「同じ苦行をしてると、愚痴も同じになるっていうかね」
「あんにゃろうがなー……」
三人がぴたりと手を止めて、虚空を見つめた。
つまり、原因の大半は、鷺城鷺花なのである。
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