第14話 懐かしみの許可と昔の思い出

 その日、エレット・コレニアが二階の書庫へ向かったのは、特に何がというわけではなく、掃除をするべきか否か、その度合いの確認だけであって、言うなれば暇な時間の見回りに限りなく近かったのだが。

 換気のために開放された両扉から中に入った正面、小型の会議室をイメージするようなテーブルと椅子、その周囲に棚が並んでいるのだが、通り抜ける風の中に一人。

 鷺城鷺花がいた。

「――なに、掃除?」

「いや、そうではないが」

 そうではないが、しかし。

 椅子に座って、仰向けになるよう天井を見上げた鷺花は、両手の甲で目元を隠していた。

「どうかしたのか?」

「あーちょっと、いろいろ。感情の揺り戻しと、現状の確認。ともかく涙が止まらなくて」

 ちらりとこちらを見る目から、確かに涙が落ちてはいるが――声が震えてもいないし、鼻も詰まっていない。

「座ったら? もうだいぶ落ち着いたから、話もできるわよ」

「……うむ、ではそうしよう」

 対面に腰を下ろせば、目を伏せた鷺花が吐息を落とす。それが妙に熱っぽくて驚いた。

「なによ」

「お主も人間じゃなあ……」

「当たり前のことを言わないで。久しぶりに昔を思い出したら、と――そんな現実に動揺して、ついでにそのまま感情を取り戻してたら、これがもう揺れ幅が凄くて。こういう時は一度、全部出して吹っ切れた方が良いのよ」

「昔を、懐かしめる……とは、どういうことじゃ」

「そうねえ……じゃあ、あと千年生きられるとしましょう。エレットならどうする?」

「わしなら、今の生活を続ける。千年もあれば、孫の孫の孫の孫も見ることができよう。それは楽しみじゃ」

「そういう選択をした間抜けは、私の傍にはいなかったわね」

「……そんなに悪い選択か?」

「孫ならいい、可愛げもある。次の子も悪くない、どう育つか楽しみだ。けれどそれが三度目になった時、選択を改めて突きつけられる。傍に寄りそうのか、それとも距離を取るのか――何故って、その頃には子供だと思ってた人たちが死ぬから。目の前からいなくなるから」

「それは……そうじゃの、そういう頃合いじゃ」

「じゃあ次の子は? ああ、この子は、そうやって比較を始めたら最後だ、もう戻れない。そして、更に次の子くらいで何も感じなくなる。感じてはいけないという強迫観念から、その場を離れようとする――だったら、最初から傍にいない方がマシでしょう?」

「……それが、千年を生きる、ということか」

「そのくらいの想像ができないと、心が折れる。折れたらあとは自殺志願者になるしかない――まあ、私だってそれに限りなく近かったけど」

「お主は、確か数千年と言っておったな?」

「三千か、四千か、この二つに大差がないと思えるくらいには」

 千年の長さを伝えておいて、しかし、二つに大差がないと言う。

 否定や肯定よりも、そう言えてしまう事実が、エレットには少し怖かった。

「私の過去で、やっぱり一番覚えているのは、二十歳くらいまでかしら。十八くらいの頃に世界崩壊をどうにかして、そこからは――ぽつぽつと、覚えてるくらい」

「待て。……世界崩壊じゃと?」

「そうよ? この世界だって、少なくとも四千年くらい前には発生しているはずだけどね」

「何故そう言い切れる?」

「そのくらいの周期で世界が不安定になるのが証明されてるから。ただ、世界の意志プログラムコードってのは単純にできてて、世界を安定させようとすると、一度壊して再建しなさいと、そういう感じなのね」

「そういう感じ……?」

「そう。ただね、乱暴なのよ。だからこっちで制御してやる必要があったというか、その余地があった。だからこっちの数人で、指向性ベクトルを持たせてやったの。あっちの場合は、大陸を七つに分断した」

「お互いに干渉できぬようにか?」

「そう――結果的には、ここと同じよね? 地形移動によって、人の行き来が封じられてるんだから。ただ、こっちには私のような観測者はいないし、それほど気にしなくても良さそうだけれど。わかりやすく言うとね? 歴史と呼ばれるものが一度、そこで消えるのよ」

「消えて、新しく始まる?」

「その通り。原因は、世界が不安定になるから。不安定にしたのは人間でもあるけれどね。詳しく説明すると長くなるけれど――それは、止めておきましょう。ただ言っておくと、私の基本はその頃までにできてたわね。あとは効率化しただけ」

「そこじゃ。二十歳までに一体、お主は何をした?」

「んー、魔術的な知識や術式構成そのものは、子供の頃に詰め込んでたわね。ほら、その頃って興味があると没頭するでしょ? 恵まれてたのは、それだけの教材が揃ってたことね。それで九歳の時に、友人と一緒にお互いに殺し合いをして、実際に術式を使って試した」

「おい、殺し合いじゃろ?」

「そうよ? ただまあ、お互いに生き残ってたから、真似事と言ってもいいわね。もう一人、同い年の医者がいなかったら間違いなく、お互いに死んでたけど」

「おい……?」

「あくまでも訓練よ。条件次第だし……まあ、あいつとは付き合った時間そのものは少ないけど、友人と胸を張って言える相手ではあった。正直に言えば、関係は複雑ね。友人だったからこそ、わかることもあった。けれど、わかるからこそ言えないこともあった」

「その人物を、お主は看取ったんだな?」

「そうね。死を望んでいたから、私が殺してやろうと思ってた。逆にあいつは、私が死ねないことわかっていたから、あわよくば殺してやろうと思ってた――けれど、その戦闘の最後の最後で、あいつは死を回避した。生きることを選択した。良いことだったけれど、ね」

「お互いに、そうやって殺してやろうと考えること自体、わしにはわからん」

「それでいいのよ。……ああ、腹が立ってきた、あのクソ女。口は悪いし妙に思考が被るから、同族嫌悪もあったし……同じ教育者に師事したのが、良い例よね。ただしやり方は違うけど」

「それも聞いておこう。あやつらをどうするつもりじゃ?」

藤崎ふじさき畑中はたなかは、基礎から叩きこむ。一ヶ月でどの程度かはわからないけど、得物は持たせない。まずは体幹、重心、躰の動かし方――まあ一ヶ月あるなら、技まで多少はいけるかもしれないわね。藤崎は打撃、畑中は浸透系。いずれは全部」

「そこから得物か。であるのならば、ファゼと椋田はどうする?」

「椋田は簡単な体術と、投げ物。特に投擲に必要な技術は徹底させる。これはあの子の魔術特性センスと相性が良い。エミリーに関しては、土台は誰かさんが適当に作ったから、こっちで付け足しながら伸ばす感じになる。はっきり言って一番面倒だから、わかってるわよねクソ侍女」

「わしのせいか?」

「いいえ? けれど一ヶ月は強制労働に文句を言う立場はないわよね?」

 小さく笑った鷺花には、もう泣きあとも見えなかった。

「まあ良い。それよりも、お主はそれからどうした?」

「ん? ――ああ、まあ、友人を看取ってからは、惰性ね。月に一度くらいは子供たちと遊びの戦闘訓練みたいなことをしてたけど、それ以外は寝てた。あまり干渉し過ぎると、私自身が異物を自覚し過ぎるから避けてたのね」

「自覚は、していたんだろう?」

「自己防衛本能に従っていたのよ。思い出すことを封じたのも、そのあたりね。厳密には、曖昧にしたんだけどね」

「ふむ」

「それやめて」

「ん?」

「その頷き方。殴りたくなるから」

「お、おう? よくわからんが殴られるのは嫌じゃな。ともかく、思い出しても構わないが、あえて思い出そうとしない――そういうことか?」

「そう。何故かはわかる?」

「……懐かしむことが邪魔になるからか?」

「馬鹿ね。懐かしめば過去が身近になってしまうし、浸れば戻ってこれなくなる。現実を見たって、そこに過去との比較が混ざれば、生きるのが難しくなるのよ」

 それが惰性であっても。

「生きるなら、現実とそこから先を見なければ」

「――そうか。自殺はしない、殺せる者もいない。ならば、常に明日はある」

「そういうこと。だから感情もできるだけ殺した――表現自体を忘れなかったけれど、演じることに限りなく近くなったわねえ」

「長く生きたいとは思ったが、さすがにそれは遠慮願いたいな……」

「それが当たり前の発想よ」

「死にたいと――いや、いい」

 思ったかどうかではない。

 鷺城鷺花は、

「我慢していから、揺り戻しの幅も大きい。逆に言えば、今まで成長が遅かったぶんは――たぶん、急速にやってくるでしょうね。まだ兆候は掴んでいないし、あの子たちを育てる以上は、ある程度の対処をしなくてはならないわね。正直、ただ死ねるという現実が、これほど安堵するものだとは、思ってなかったわ。ようやく人並みかしら」

「昔話ができるようになったことが、か?」

「まあね」


「ほう! 鷺城鷺花が昔話とは老け込んだものだな。どれご老人、貴様の皺を指折り数えてやるから見せてみろ。そう嫌がるな、どうせ毎日のよう鏡の前で見るはめになる。ははは! これからは鷺城老化とでも名乗るんだな!」


 などという友人の幻聴が聞こえ、思わず拳をテーブルに叩きつけた。

「なんじゃ!?」

「ああなんでもない……」

 本当に口の悪い女だったのだ。

「弟子がいた時期もあったのよ? 短かったし、体術しか教えなかったけど」

「なんだ、そうなのか?」

「師匠との約束でね、私は同じ魔術特性センスの子しか弟子にしないと決めてたの。けれどその子は、攻撃術式が使えないっていう代償を背負ってたから、じゃあ体術で攻撃すればいいでしょって」

「そもそも、お主の魔術特性はなんだ?」

魔術ルール

「……は?」

「水の特性は、四大属性の特性に含まれ、四大属性は七則ななそく――地水火風天冥雷に含まれる。特性とはそういうものでしょう? だったら、あらゆる魔術の上位に位置するのは、魔術と呼ばれる特性になる」

「理屈としては、確かにそうじゃが……」

「それに特性なんて、得意不得意でしょ。それは、とは違う。誰だって同じ道に至れるわよ? ただ、私は特性というアドバンテージを持ってただけ。二十年で至れるわ」

「危険な思想じゃな。当たり前に聞こえるが――学園では教えられん」

「教員じゃ無理よ。そもそも教えるべき子が多いもの。相手に合わせる必要もある」

「教育とは、そこじゃろ」

 何よりも相手に合わせることが、重要だ。それはたくさんの子供を持つエレットは、経験として理解していた。

「だが――いや、教育ができることは、今更疑問には思わん」

「なんで四人をって? 私にとってやり残したことでもあったのよ。元より制限つきで、教えることは限られて、けれど私は誰にも教え切ってない。それができるとは断言しないけれど、やりたいとは思う。ついでにそれを仕事にできれば、生活に困らない」

「なるほどのう……」

「教えて欲しい?」

「態度に出ておったか?」

「いいえ、ただ一般的な発想だもの。この程度の話術は初歩だし、誘導としても簡単な部類でしょうが」

「お主そんなこともできるのか……」

「なんだってやるわよ? 必要なら、いくらでも。お勧めはしないわ」

「じゃろうな……」

「死角を作る方法と、死角を移動する方法を学んでいるでしょう?」

「うむ。わしらが扱う暗殺術の基本は、殺せる位置にまで接敵する技術じゃ。視界にあえて入れるための一撃を目元へ放って、二撃目を追撃とする方法などがそうじゃな」

「意識の死角は?」

「見えていない、ではないのか?」

「自室で探し物をしたことは? その時、あるはずのものがなくて、仕方ないから買ったら、当たり前のところに置いてあった――そういう経験」

「子供の頃はあったのう」

「それが意識の死角よ。見えていても見えない。ともすれば、聞こえているのに聞こえない。そういう認識を作り出すから、気付かない。私がベースにしてるのは、そこらね。あとは単純な速度の問題。空気をかき分けるんじゃなく、隙間を通る」

「空気さえ捉えろと!?」

「少なくとも私は捉えてるわよ」

「そちらの世界でも、お主は特殊じゃろ……?」

「何を総数とするかね。ざっと十人くらいは、訓練であっても戦闘をしたくない相手がいたけれど」

「どういう理由でだ?」

「面倒だから」

「なんじゃそれは。どういう基準じゃ」

「そうねえ……だいたい、有効打である一撃を相手に与えるために、二百手以上を費やすか、五つ以上の術式突破を前提にすると、面倒になるわね」

「な……なんの冗談じゃ」

「椋田の得意な術式は空間転移ステップね」

「それは知っておる」

「投擲と相性が良いと言ったことに関しては?」

「……? 距離の問題ではないのか?」

「馬鹿ね。空間転移の術式は、何よりも暗殺向きなのを、ちゃんと子供たちに教えておきなさい。椋田が気付いていないのは、まだ学生ってことで許されるけれどね。そもそも、空間転移とは三次元の座標指定を行うの。縦と横、そしてもう一本の線を加えた一点を狙う」

「移動じゃろ? 出現地点の予測はできるが、対応は難しいとファゼが言っておった」

「……ちょっと怖がらせておいた方がいいわね」

「充分にお主は怖いがな?」

「そう?」

 テーブルに置いた右手が、とんとんと表面を叩けば、意識がそちらに向く。

「動かない方がいいわよ」

 直後、手首から先が消えた。

「今、右手を転移させ続けてる。何故かと言えば、手首が繋がってるからね。続けないと戻るか、あるいは右手の先が切れる――聞いてる?」

 聞いているというより、ただそれは、聞こえていた。

 わかるのだ。

 気持ち悪さもあるが、それ以上の恐怖と共に、どっと全身から汗が噴き出した。ともかく寒い、寒すぎる――命を握られている現実に、凍え死にそうだ。

 内臓を直接、触れられている。力が入っていないから、圧迫感がほとんどなく、胃や腸をまさぐられたような吐き気はない。ないが。

 呼吸をしていいのかどうかも、わからない。動かない方が良いというより、動けない。

 だって。

 今、まさに心臓を掴まれているからだ。

「……ま、これくらいにしておきましょう」

 手首から先が戻って、止まっていた呼吸を強引に戻したエレットの目の前で、ハンカチを取り出して手を拭くのが、妙にリアルだ。

「対策をしておきなさいよ? 初手で、椋田が針を心臓に転移させた時、対応できないと死ぬわよ」

「……、……お主は、どう対応しておる?」

「どう? 正確には、どこで対応するかよ? 体内に転移させないようにするのが一般的ね。私の場合はそもそも、私の周囲には座標を固定できない」

 額を手で拭えば、べったりと張り付いた前髪が気持ち悪い。これでは表に出れないので、シャワーを浴びなければいけないが、まだ早い。まだ冷や汗が引かないからだ。

「ちなみに常時展開リアルタイムセルよ。気付かれないよう隠してはいるけど、二桁は展開してるから」

「ちと良いか?」

「どうぞ」

 吐息を落とし、改めて分析術式で探りの手を伸ばしてくる。

「……、怖さで意識が散ってるわねえ。ああそうか、他人の展開式を見抜けないタイプの分析系ね。術式の構成には個人差が出るけれど、その結果は同じ現象だってことを捉えないと駄目よ。あの子たちも、そろそろ気付くでしょうね」

「ぬ……何もないぞ?」

「それは錬度不足。私は今のを逆分析して、改めてそっちの錬度を確認したところ。握手しただけでも、相手に気付かれず内部探査を行うのも癖になってるから、私の場合は状況に応じて止めることも考えるんだけれど、最低限のたしなみよね」

「お主はおかしいじゃろ!?」

「はいはい――っと、来客ね。私が出るから、すっきりしてきなさい」

「うむ……いや、良い。わしも行こう」

「あらそう」

 言って、少し待ってから鷺花は席を立った。

「うん?」

「あっちとのタイミング合わせよ。大きいものを運んでるでしょうから」

 なんのことかはわからないが、鷺花が言うのだから間違いはないだろうとついて行けば、階段に足をかけて一階へ降りようとした頃に、ちょうど玄関が開いた。

「――やあ、鷺城さん。失礼します」

「どうぞ」

 後ろから、妙に大きな棺のようなものが運び込まれる。相変わらずスーツ姿の加納一馬かずまは、薄い笑いを張り付けた表情で、小脇に書類を持っていた。

「鷺城さんがおっしゃられていた通り、およそ三百年前の記録にありました」

「そう」

「……どういうことじゃ」

「やあコレニアさん、どうも。鷺城さんがこちらへ来るためには、何かしらの目印が必要だとのことで、過去の記録を総ざらいしていたんですよ。その記録に鷺城さんの名前がありまして、倉庫の奥に眠っていたのが、これです」

「なるほどのう」

 騒がしさに気付いたのか、部屋から子供たちも出てきた。ファゼットだけは、外から玄関を通って入ってくる。

「あ、こちらに受け取りのサインを」

「いつから配送業者に転職したの?」

 書類をざっと見て、斜め読みして、飛ばし読みをして、改めて読んでから、サインをした。

「――はい、確認しました。昨日から解析を進めていましたが、そもそも蓋は開けても、中身に触れることができません。歴史的な価値はなく、鷺城鷺花に譲渡すべし、という文言も確認されておりますので、どうぞ」

「はいはい、どうもね」

「なんだ、見ていかんのか?」

「ええ。――関わりたくないので」

 それが一馬の判断である。踏み込める境界線がわからないなら、極力離れておくべきだ。

 運んできた男性四名にも軽く挨拶をして見送り、鷺花はその巨大なケースの前で吐息を落とした。

 ガラスケースの表面を軽く指先で叩けば、上に開いてからスライドして止まった。

「うわあ……すげー、なにこれ」

「採寸の手間だけは省いてあげましょう。全長1800ミリ、刀身の幅が300ミリ、総重量は約80キログラム。見ての通りの大剣よ、触ってもいいわ」

「へー」

 触れた瞬間に、迂闊な藍子あいこが壁まで吹き飛んだ。

「いったい! 痛い! 手が痺れてる! ちょっと鷺城先生!?」

「間抜けが一人いると楽でいいわねえ」

「まったくです。好奇心で触るところでした……この刻印は?」

「ん……」

 そうねと、小さく言って鷺花は刀身の刻印を軽く撫でる。

 ExeEmillion No.Endeとあり、それは。

「製作者と、最後の一振りの刻みよ。――アンブレラ、アテンション」

 鷺花の言葉を合図にして、柄の根元に埋め込まれていた大きめの宝石が光り、表面に文字を表示させた。

「おはよう、アンブレラ。ちょっと複数人が触るから我慢なさい。――はい、いいわよ」

「なんです? ……思考を?」

「まだ気にしない方がいいわ。持ってみなさい」

「はい」

 のぞき込むようにしている陽菜はるなが少し邪魔だったが、深呼吸を一つして柄を両手で持つ――が。

「……、これ、観賞用じゃないですよね、鷺城さん」

「もちろん実戦用よ」

「とても扱える代物じゃないし、僕には作れない――何をしてるんだ、椋田さんは」

「頭の調子がちょっとでも良くなるよう、ケースに頭突きをしてるだけよ」

「いやそんな、よくあることみたいに言われても困ります」

「あー痛かったー……あ、二秒に一回のリズムだね、はるちゃん。せんせー、これの分析ができるようになる?」

「どこまで?」

「壊せるまで」

「一生を費やしても無理ね。そもそも耐用年数を度外視した作品だし、内部に含まれた術式がそれを否定する。解除だけを前提にして時間を費やして、三百年で半分くらいかしら。この大剣はね、元より所有者を決めてるの。だから、ほかの人が触れない」

「――こいつは、じゃあ、鷺城の世界の代物か?」

「ええ、私がこの場所へたどり着いたのは、これがあったからね」

「なら」

 吐息が一つ、ファゼットは煙草を取り出そうとして、止めて。

「……所持者もこっちにいるはずだろう?」

「いずれ探しに行くでしょうね」

 そう言って、おもむろに柄を右手で握ると、鷺花はひょいとそれを持ち上げた。

「うえ!?」

「所有者じゃなくても、やり方を知っていれば扱うことはできる。まあ、アンブレラとの信頼関係もあるけれどね」

 肘で持ち上げ、手首で落とす。

「鷺城さん、バターナイフじゃないんだから……」

「実戦用と言ったでしょう? 工匠を謳うなら、これくらい作ってみなさい、藤崎」

「ですね」

「ん。じゃあアンブレラ、寝てなさい」

 宝石の表面を撫でてから、ぱっと手を離せば、大剣はそのまま鷺花の影の中に沈んだ。

「――」

「あ、はるちゃんがまた飛びついた」

 床に手を当てて、鷺花の影をぺちぺちと叩きながら、分析系術式を展開しているが、錬度そのものはエレットよりも低い。

「……、シャワーを浴びたらどうなんだ?」

「ファゼ、それは今夜、わしのベッドに来るということか?」

「冷や汗を、更に冷ますと夜中に飛び起きる」

「まあ良い。鷺花、このケースの片づけは後にするぞ」

「いいわよ、畑中が壊して藤崎がリサイクルするから」

「ほう?」

「なんか急に課題がきたけどこれ、強化ガラスだから壊れるんかな……?」

「とりあえず表に出してからだね。エミリーさん、手を貸してくれる?」

「おう」

「あんたも行くの」

「んぎゃっ」

 邪魔だったので陽菜を蹴り飛ばして、ガラスにかけられた術式を、軽くノックするようにして解除しておいた。

「新しいものに飛びつくのは良いけれど、足場を確認するのが先ね。明日からは戦闘訓練も始めるから、覚悟しておくように」

 そういえば。

 こういう、ちゃんとした子供たちを育てるのも、初めてだ。

 早めに殴って躾けておこう、そう考えた鷺花は、かつての友人と同じような思考だなと思って、実に嫌そうな顔をした。



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