第12話 ここで改めての顔合わせ

 手すりに体重を預けるよう、エントランスの二階で待っていれば、定刻通りに彼らは入り口の扉を開いてやってきた。

 まず鷺花が気にしたのは、配置である。奇しくもそれは、一番最後に入って扉を閉めた、ファゼット・エミリーと同じだ。

 大きめの扉は、閉まるのに任せず、自分の手で閉めてから四歩、視線を上へ向けるついでに左右、そして正面の三人を気にする。一番前には藤崎ふじさきデディ、その隣に畑中はたなか藍子あいこ。ちょろちょろと落ち着かないのが、椋田くらた陽菜はるなだ。

 そしてファゼットは、二階の彼女の裏から侍女がやってきても驚かない――が。

 のは、慣れていたが故に、対応もできなかった。

 知っているからだ。

 前へ、横へ、裏へ、を取るからこそ、見失うのだ。

 しかし――。

「まず確認するのは、歩幅」

 驚いて振り向いたのはデディと藍子、そして転ばされて片足で踏みつけられたファゼットは反応もできず、卒塔婆そとばにも似た赤色の剣の先端が、陽菜の喉元に突き付けられている。

 見失ってから。

 自分が床に倒されて、目の前の色を認識するまで、何をされたのかもわからず、動く顔をどうにか上へ向け、赤色の剣を視界に収めた。

 途端にぞくりと背筋に悪寒が走る――。

「遅いわよ間抜け」

 赤い剣が鱗粉のようになって消えるのと同時に、ファゼットは軽く蹴られ、両手で床を叩くよう距離を空けて立ち上がった。

「危機察知能力が劣ってるわねえ……さて、歩幅の次は配置。この二つだけで性格はだいたい読み取れる。だから次は、――体重」

 ファゼットを押し付けていた右足を軽く上げ、落とす。音は立てない。

「この三つで、おおよその実力も把握できる。ただし、それはこいつらじゃなく、真っ先に私に対してやるべきだったわね。もっとも、見てわかるような錬度じゃないけれど」

 さてと、鷺花は腰に手を当てた。

「どこまで説明を受けてる? ――藤崎」

「え、あ、――ここに来て授業を受ければ、学園の試験は免除だと」

「試用期間の通達は?」

「聞いてません」

「私のことは?」

「召喚者であり教育者であると、だけ」

「あらそう、説明不足の責任はそこのクソ侍女に取らせるとして」

「クソ……!?」

 ファゼットも陽菜も、完全に警戒しており、腰を僅かに落としている。実力を隠すだなんて真似すらしていないのは、鷺花にとっては良い評価だ。

「まったく」

 髪を背後に払う動きを陽菜は見たし、ファゼットはエレットが投げたナイフにも気付いていた。

 気付けなかったのは、髪を払う動きだけで投げ返したことであるし、エレットの顔の横を通り過ぎて壁に突き刺さる音だけを耳にした。視線を動かせなかったのは、警戒の度合いが高くなってしまったからだ。

「なあに、ここでパーティでもしたいの? 悪いけれどダンスをするには狭いわよ。まあ戦闘技術は最低限、必須技能だと思っておきなさい。これは私の持論だけれど、は避けなさい。ともかく、どの分野でも相応の知識はあるから」

「あのう……」

「なに、畑中」

「それ証明できます?」

「どうして踏まれただけで身動きを封じられたのか、剣がどういう構成なのか、読み取れてから言いなさい間抜け」

「……間抜けかあ」

「はい、じゃあほかの間抜けな質問は?」

「では、僕たちが選ばれた理由は」

「選ばれた理由の考察は?」

「それは――」

「自分で考えて一つの結論も出せないようなら、他人の出した結論を聞いて、それを鵜呑みにする間抜けと同じよ。そんな身にならないことを答えなくちゃいけない私が負う、労力への対価の用意もないわね?」

 足先の方向を僅かに変えただけで、空気が張り詰めた。陽菜はもう、左手を床についている。ファゼットの右手にはナイフもあった。

「ああ、気にしなくていいわよ。緊張感はあっても、足りないものもある。それで?」

「失礼……その、僕が落ちこぼれだから、ですか?」

「そうねえ、どうかしら。少なくとも研究室から出てこない畑中は、その研究結果だけは出しているし、藤崎だって授業は出ないけれど、試験結果はこれ以上なく良好ね。戦闘科の下から二番目は見ての通り、あんたたちが対応できないくらいには戦闘に心得があって、どこにも属さないからこそ特別科にいる椋田も、どこにでも属せるだけの技量を持ってる。でもどう? 藤崎は自分をおちこぼれだと思っている?」

「――いいえ」

「じゃあ学園の評価システムに対して思うところは?」

「もちろん、あります」

「否定的な意味合いで」

「はい」

「じゃあ自分の評価システムに利己的な自己弁護が含まれていないという証明は?」

「それは…………たぶん、できません」

「でしょうね。だったら結果は出た?」

「……ええと」

「藤崎自身が思う学園とは違う評価システムにおける結果、および成果は出た?」

「まだ、です」

「そうよね。結果が出るのは藤崎が学園を卒業してからだもの――その評価システムを、完成させるつもりならば、だけれどね」

「……」

「そして、完成させるつもりがなく、文句を言うだけ否定するだけならば、子供の我がままと同じだけれど、そうではないことはよくわかった。故に、おちこぼれだと、その評価自体がと、今のところ決められているはずだけれど、そんなことを理由に選別するかしらね?」

「選んだのは僕ではなく、あなただ」

「あんたと私で選別基準が違うと?」

「違うはずです。僕は教育者じゃない」

「なるほど? だったら、藤崎の選別基準は何になるわけ?」

「それは……」

「教育者である、そこに私は否定しないけれど、違うというのならばその差異を明確にすべきで、比較対象が必要になる。この場合、教育者ではないと認める藤崎のものと、私のもの。比較に必要なのは定義――つまり、あんたならどう選択するか、という意見ね」

「……」

「さて、考えている間にほかの質問は?」

「――お前は何者だ」

「私は鷺城鷺花よ。これ以上の説明はないんだけれど……そうねえ。異世界の話は参考になっても、そちらにいた私の話は参考にならないわね。そもそも私は異質だったし、それこそ異外イガイなんて呼ばれることもあったけれどね」

「……」

「あのう、さっきの剣を解析したいんですけど」

「自己分析がおざなりで、自分の境界すら掴んでいない間抜けが何を言ってんの?」

「この人、口が悪い!」

「間抜けを卒業してから言いなさい。ただまあ、錬度はそこそこね。椋田は?」

「……え?」

「質問」

「あーうん、あんた頭おかしい」

「それは質問じゃないわね」

 重心をずらせば、椋田が真横に飛んで距離を保とうとしたが、飛んだ先で待ち構えていた鷺花が、襟首を掴んで動きを封じた。

「……ま、いいか。とりあえず試用期間は一ヶ月、そのくらいは耐えてみなさい。夕方から親睦会を、警備隊の訓練場でやるから、準備なさい。部屋割りなんかはエレットに聞いて。細かい説明もできるわよ――私に対して、これ以上の間抜けの証明は、したくないでしょうし」

「わしを巻き込むでない!」

「はいはい」

 鷺花が二階に去り、部屋の扉が閉じる音が聞こえてからようやく、ファゼットは警戒を解いた。陽菜はもう諦めたようで、立ち上がろうともしない。

「どういうわけか、わしがやることになった。そうじゃのう、わしのことはコレニアで良い。いいように使われていることにはため息も出るが……鷺花だから仕方がない」

 ため息が一つ。

「わしの見解を言おう。まず――お主たちが選択された理由は、わからん。じゃが、上が認めたのは、鷺城鷺花がどういう人物なのか、まだ掴めていないのが理由じゃよ。いわば、あやつの試験期間というやつじゃな」

「スケープゴートか、冗談じゃねえ」

「それは上にとってじゃよ、ファゼ。鷺花の意図ではない。もっともあの女のことじゃ、そういう反応を見せるだろうことを、大前提として現状を選んだのやもしれんが……それが確かな時点で、わしらは手玉に取られるだけじゃ。まあこっちは大人の都合よのう、お主らが気にする必要はなかろう」

 いい迷惑だが、エレットとしては気にしなくてはならない。

「お主らには最低一ヶ月、ここで暮らしてもらう。その間、学園への登校義務はなくなる。鷺花が何をするか知らんが、好きにして構わない。一ヶ月後のことは、まあ、その時にまだ判断すれば良かろう。で、一ヶ月も嫌なら鷺花を殺せと、本人から言われておる。あっちは殺さんらしいが、痛みは伴うとは言っていたのう……わしはお勧めせんよ」

「あのう、コレニアさんが食事とか作ってくれるんですかあ?」

「いや、わしはなにもせん。食事も掃除も自分たちでやれと鷺花は言っておった。もちろん、食材や物品の購入に関しては、わしが一律で管理することになるじゃろうがな。まあ最初は戸惑うこともあろうが、しばらくすれば慣れるじゃろ。共同生活とは、そういうものだ。お主らの部屋はこちらじゃ」

 正面の玄関口から左右の階段下に伸びる通路、その左側へとエレットは案内する。

「一度決めたら、しばらく変えるつもりはないが、どこにする?」

「私ここ……」

 一番近く、右の扉に椋田くらた陽菜はるなは手を当てた。

「あたしは隣で」

「……僕は逆側の入り口近くにします」

 畑中はたなか藍子あいこの判断がどうなのかは知らないが、デディとしては外での作業が多くなるから、という理由である。工作を屋内でやれるほど、防音設備は整っていないからだ。

「ファゼはどうする?」

「左側、一番奥」

「じゃろうな。部屋には最低限の設備しかない。お主らが自由に使える金は月に五万エルじゃ。経費で落とせそうなものはわしに回すが良い。判断がつかぬなら相談しろ。では以上じゃ、好きにせい」

 まずは部屋の確認かと、三者が入ったあと、がりがりと頭を搔いたファゼット・エミリーが視線を左右と、正面へ向ける。通路の先は行き止まりで、窓が一つある。左側の部屋は外に面しているので、中に窓もあるだろうけれど。

「お袋」

「鷺花にはすぐ見抜かれたから、気にする必要はないぞ。あれはどうかしておる」

 二人に血縁関係はない。だが組織の中で育ってファゼットにとって、その代表であるエレットは母親だ。そして彼女にとっても、息子の一人である。

「言いたくはないが、わしでも殺せん」

「……聞きたくなかった」

「お主も少しは学生を楽しめ。ただし、仕事で鷺花に手を出すな。――厳命じゃ」

「わかったよ……お袋もまあ、侍女の仕事がんばってくれ。相変わらず服が似合ってる」

「うむ」

 奥の部屋に入れば、ベッドとテーブルが用意されてある。ほかには何もない、ただの宿舎にも見えるが、そもそも贅沢な暮らしを好まない――慣れない――ファゼットにとっては、寝所が確保されているだけで充分だ。

 窓を開いて風を入れ、逃走経路と相手の侵入を想定しながら、すぐに廊下へ出た。行き止まりにある窓は小さく、十二個がそれぞれ小さく開くタイプなので、出入りは難しい。そちらも換気のため、少し開けておいた。いわば動作確認のようなものだ。

 玄関広間に戻って、歩く。おおよそ横が二十歩の距離、天井にあるシャンデリアは三ヵ所、天井と鎖で繋がれていた。それらを確認してから、一階の反対側へ。両方とも扉が開いているのはエレットの配慮だろう。外側に位置する部屋は厨房になっており、逆側は浴場だ。トイレは共同ではなく部屋に備え付けなので、まあ贅沢な暮らしになるのか。

 二階へは行かず、厨房の裏口から外へ。こちらは食材の運搬などを考慮して、屋敷の裏手にある道から近い。そこからぐるりと迂回するよう表へ出れば、やや広い庭がある。しかし、まだ手入れされていないらしく、芝の長さはばらばらだ。植林をしていないのは、前の持ち主の性格か。

 二階にある窓の高さをほぼ無意識に確認しつつ、ファゼットは右手だけをズボンのポケットに突っ込んだ。制服はないので、スラックスに白色のシャツ、赤のチェックが入ったネクタイ。侍女たちに育てられた影響があり、こういう正装に近い服装が日常になっている。

 髪は耳が隠れる程度で、男としては短いとは言えないものの、やや細身の顔についている瞳は鋭い。誰かを睨んでいるわけではないが、たまに勘違いされる程度には凶眼だ。

 この時点で正直に言えば、鷺城鷺花は、わからない。

 人に癖があるように、状況に応じての選択がランダムになることは、まずない。経験に基づいたり、可能性を見たりと、ともかく自己判断であるのならば、答えを出すのは自己であり、それが一人である以上は、一定の傾向が見てとれる。

 この敷地内に張られている結界も、そうだ。

 足を踏み入れてすぐに、ファゼットは一度足を止めた。警報の術式が展開されていたのに気付いたからだ。

 いわゆる侵入者警報であり、罠ではない。ともすれば呼び鈴に近いなと思って足元へと視線を落とした直後、ファゼットは既に術式の中にいることに気付いた。

 警報ではなく、侵入者察知の術式があり、ファゼットは己の失態に気付いた。警報の術式に目を奪われたわけではないのに、二重の意味合いでの結界を展開しているという発想がそもそもない。だが順序としては正しいのだろう――察知し、警報が鳴る。いや同じにしてもいいはずなのだが、一体どういうわけか。

 察知の術式が敷いてある時点で、ファゼットの存在を捉えたはず。なのに、改めて目の前に警報が鳴る結界を存在させる理由は? 第三者にそれを教えるため?

 いや順序は逆だろうと、この時点で思った。

 本来ならばまず警報を鳴らして警戒を促し、そこから更に踏み込んできた者を選別して対応する。ああそうか、結界ではなくトラップの発想がこちらになるのかと思って。

 振り向いて確信を得た。

 逆手順。

 いや――文字通り、ここは結界だ。

 何故ならば退路側に攻撃術式が存在していたからだ。

 もちろん、今はないし、あったとしてもファゼットには気付けない。だが、あんな封じ込め方をされたのは初めてで、故に、忸怩を噛みしめながらファゼットは警報の術式へと足を進めるしかなかったのだが。

 こんな思考を持つ人物は初めてだ。そして、術式の分析すらもファゼットの手に余る――と。

「……?」

 どん、とぶつかるような音と共に、正面扉を開いて陽菜が姿を見せた。左右に作ったおさげを揺らしながら、ふらふらと歩いたかと思えば、芝にぺたんと腰を下ろした。小柄であり、フリルのついた長いスカートなんぞを見れば、こいつ人形かとファゼットは思ってしまうのだが。

「……? エミリー?」

「なんだ」

 以前、学園ではなく外で知り合った間柄だ。認めてはいないが、魔術師としてはそこそこの腕前であることは知っている。陽菜がどう思っているかは知らないが。

「んー」

 ぺたぺたと地面のあちこちを触れる。

 実のところファゼットは陽菜が非常に苦手だ。簡単に躰へ触れてくるし、ぼうっとしていて放っておけない。これを計算でやっているなら放置なのだが、そうでもないのが頭痛の種だ。

「……いる?」

「いる。どうかしたか」

「目をやられたー」

「は?」

「鷺城を視てたら、やられた」

対抗術式カウンターを喰らったのか」

「対応されたわけじゃない。――常時展開している防御術式の中にそこも含まれてただけ。自動反応だった。こっちの予防策まで突破するのに二秒かかんない」

「身代わり噛ませてんのか、お前」

「とうぜん」

「あっそう……じゃ、俺は戻るから」

「なんだとー、見捨てるのかひとでなしー」

 知ったことかと、無視して屋敷に戻った。どうせ夕方からは面倒事だ。

 取り残された陽菜は、吐息を落とす。ぺたんと庭に座ったまま、空を見上げて暖かさを感じた。

「殺せないかあ……」

 物騒な言葉にも聞こえるが、そのままの意味合いではない。鷺花が言っていたのと同じで、やるかどうかではなく、できるかできないかの話だ。

 錬度どころか、何がどうなのかも計測不能な相手でもある――が。

 少なくともこの現実に。

 悔しさがあった。

 殺せない相手はいても、わからない相手はほとんどいないのに、その両方が揃っている人物がここにいる現実を、悔しく思う。

 だからまあ。

「……目ぇ見えない」

 視力の回復を待とう。待てば回復するのが優しさだとは思わないけれど。



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