ある召喚された魔術師のできごと

第11話 その魔術師の名は

 ――鷺城さぎしろ鷺花さぎか

 彼女の存在を説明するのには、一言で済む。


 魔術師。


 鷺花は幼少期からそのような教育を受けていたし、望んで魔術師であろうとしてきた。知識を蓄えて研究を重ね、十代の前半ではそれを実践することで経験に変え、己の身に着ける。おおよそ、鷺花が魔術師としてのは、十八の頃になるのだろうか。

 魔術知識、魔術行使、魔術理論――そのいずれにおいても、鷺花はほぼ頂点に立った。当然だ、彼女は魔術師なのである。そして、世にいる魔術師が己をそうであると認めるのならば、そこに至るために一歩を踏み出し続けるべきだと、そう考える。

 だとして。

 鷺城鷺花から魔術を奪ったら、何が残る?

 体術全般、あるいは武術といった方面において、鷺花は八割がた習得している。どうして十割ではないのかと問われれば、鷺花は魔術師だからと答えるだろう。仮に十割を習得してしまえば、それは武術家になってしまうと。

 徹底した自己管理。

 何よりも領分を弁えた選択。

 ――逆に、そうでなくては、ならなかった。

 鷺城鷺花は、死ななかったからだ。

 死ねない――も、間違いではない。けれど、不死ではなく、殺されなかった結果として、生き続けた。

 たとえば、同じ年齢でも見た目に若さが残る人、残らない人など、差がみられることがある。その究極とでも呼べばいいのだろうか。

 鷺城鷺花は、肉体の老化速度が極端に遅かった。

 肉体時間の停滞オーディナリィループ、あるいは因果追放者プリズナー

 そのは生まれた頃からあり、施術されたわけでもなければ、獲得したものでもない。ごくごく自然に、何億分の一の確率で鷺花がそうであったと、ただそれだけの結果だ。

 たとえるのならば――人間にとって抗えない時間経過に対し、ともに歩むはずのその時間が、肉体にとってはコンマ以下の秒数でしかない状況である。本来ならば十秒を老いる時間に対し、一秒しか老いない――そんなもの。

 そして、魔術師とうたう鷺城鷺花をは、今までいなかった。


 ――苦肉の策が、現状だ。


 たぶん、その一瞬は鷺花にとっての隙だった。おおよそ四千か、五千年以上、顔を合わせる機会はそうなかったにせよ、一緒に生きてきた友人が二人、亡くなったという契機。常時展開している防御系の術式など、鷺花が意識する時がないほど馴染んでおり、それが警笛を鳴らす暇がないほどの、一瞬。

 つまり、かなり高位の術者が行った一手。鷺花を壊すのでもなく、崩すのでもなく、転送する手を選択したのは、まさに妙手だ。攻撃系だったのならば、わけもなく対応できたのに、転送――否、召喚術式に手だったから、隙を抜かれた。

 見事な手だ。偶然の采配を加味した上で、そう評価する。

 気を抜いた隙、同タイミングで異世界で召喚の術式を使っていること。更に言えば、鷺花を呼べるだけの技量か、あるいは通路が確保できること――限りなく低い可能性だ。それを引き寄せたのだから、それすらも含めて見事と言うほかない。

 かくして、異世界に鷺花は召喚された。

 元より存在自体は掴んでいたが、鷺花は足を踏み込むことを拒絶していた。そもそも、世界が異なるならば、生活様式ではなく、世界の創りそのものが異なっているからだ。

 いつだったろうか、こんなたとえを出したことがある。

 見た目も何もかわらない、人間が生活していて、生活そのものにも大差がない。けれどそこは、重力が六分の一しかない異世界だったとする。そこへ行ったのならば、軽く飛び跳ねたくらいで、鷺花は地上に二度と戻れない。逆に言えば、その世界の法則ルールとして、彼らの体重は見た目が変わらずとも六倍はある計算になる。

 それが、世界ごとの、ルールの違いだ。

 であるのならば、召喚されたこの世界は、かつていた世界とは、もちろん違っている。

 ――確実に言えることは。

 呪いとも呼べる、鷺花の肉体時間の齟齬が、ないのだ。

 この世界に、そんなルールは、ないのだと、そう証明している。

 だから、この世界に、召喚させたのだろう。鷺城鷺花を殺すために。

 誰にも訪れる寿命という、まっとうな死を与えるために。


 ――かくして。


 召喚された鷺花は、己の中の変化をつかみ取り、一息。

「ベルゼのじじいね……」

 徹底して傍観を選ぶベルゼブブの名を持つ異形の存在を思い出して、ある種の餞別かと受け取る。視線を足元に落とせば、命が散った後の痕跡があった。

 今しがた、長長ながながと説明したように、鷺城鷺花という存在は重い。体重の話ではなく、存在自体が、おそらく本人はあまり使いたがらないだろうけれど、わかりやすくいえば特殊であり、特別だ。魔術師として生きながらも武術を扱え、それでいて数千年も長く生きてきた特異性――異世界から召喚するだけでも術式の難易度は高いのに、その上、鷺花の存在ごと引っ張れば、術者が無事であるはずがない。

 だから、言い方は悪いけれど、これこそが餞別なのだ。

 召喚主がいなくなってしまったのならば、鷺花は、送還されることがないのだから。

 屍体を一瞥しただけで意識を周囲へと向け、召喚術式をどのように行ったのかを確認した鷺花は、二十畳以上はある部屋の隅にあった本棚に近づき、一冊を引き抜いてページをめくる。

 言語体系はほとんど変わらない。おそらく世界そのものが変わっていても、基本となる部分、つまり生活環境が大きく変化していない世界だ。

 だとして?

 ならば、さほど変わらないのならば、老いる速度が同等になる結果だけだと?

 それもまた、否だろう。何故ならば、ここに鷺城鷺花を知る人物がいないのだから。

「んー……」

 だとしても条件が揃い過ぎている。

 世に偶然はなく、仕組みを解明すればそれは必然であると考えるのが魔術師だ。仮にその仕組みが自分の手に余るものであって、証明が困難であっても、偶然はない。

 近くにあった窓を開くと、もう一人の自分を術式で作り上げ、外へ出した。同一存在を二つではなく、二つで同じ存在であると定義することが、法則の裏を掻く手法であるが、それはさておき、情報収集は早い方が良いとの判断だ。

 ――そもそも。

 異世界の存在を定義することはおろか、鷺花には異世界への移動方法まで確立はしていた。いたが、生存という意味合いではほぼ不可能であると思っていたし、やろうと思ったこともない。

 ただし、この世界においては、限りなく不可能に近いだろう。

 何故なら、時間移動の定義が変わってしまっている。それは鷺花の躰が時間と共に老化するようになったことが、一つの原因でもあるのだが――。

 あちらの世界では、未来に飛ぶことが可能だった。

 発端は花火大会の爆発事故の現場にて、最低でも三十三名の行方不明者が発生したことにあるのだが、その際に転送の痕跡を発見した。のちに、ある研究施設が秘密裏に転送装置を完成させるのだが、それはさておき。

 過去には、戻れなかった。それは自明の理だ、魔術師ならば疑問にも思わないし、すらすらと否定を口にできる。しかし、未来に飛ぶことは、不可能ではない。

 何故か。

 それは未来が不確定だからだ。

 未来は現実を通過するまで決定しない。その曖昧さを利用して、時間と距離を誤魔化せば良い――のだが、移動に必要な出口と入り口を決定しなくてはならず、それが問題だ。

 決定だ。

 不確定であればこその未来であり、曖昧さを利用しながらも、出口はきちんと決めなくてはならない。駅から電車に乗ったら、駅で降りるように――である。

 しかし、決めることは可能だった。

 何しろ、鷺城鷺花がいる。

 三千年以上を生きていた鷺花が、入り口も出口も

 観測者が変われば、同一の対象であっても、変化が生じる。しかし、変化が生じた世界であっても、観測者が同一ならば、変化そのものすら捉えることが可能だ。つまり出口も入り口も、鷺花という存在があってこそ、決まることができた。

 ともかくその応用で、異世界への移動も術式構成したが――この世界では、それがない。鷺花は長くても五十年後に死ぬだろうから。

「ああ……」

 もう一人が、それを見つけた。

 ――理解する。

「なるほど、ね」

 どうして、召喚が成功したのか。

 血肉が散らばったこの存在の技量は当然ある。しかしそれ以上の必然が、ここにはあった。

 この世界は、同じだ。

 同じ言語、同じ環境――ただ違うのは、肉体の遅延がない。

 だから、その通りだ。

 肉体の遅延が存在しない世界において、鷺花がいた世界と同じような歴史を歩んだ、その結果が、ここである。

 観測者の存在が消えた、世界だ。

 鷺花が経験して、創り上げた時代崩壊の先にあるのが、これだろう。

 ――簡単に言えば。

 この世界には、鷺城鷺花がいたはずで、既に寿命か何かで死んでおり、改めて呼ばれたと、そういうことだ。

 長く生きたとしても百年。

 本来世界とは、そういうふうにできている。

「ううん……」

 それにしたって召喚式には疑問がある。術式の構成ではなく、それを実際に行った理由の方にだ。

 人は簡単に増えることはない。存在律レゾンと呼ばれるもので、その魂魄を含めた在りようは世界に管理されている。だから同じ人は二人に増えないし、一人であることを規定されている。

 つまり、召喚には犠牲がつきものだ。

 大前提として、人を増やすのが召喚ならば、減らした人の代わりとしなくてはならない。少なくともこの召喚をした魔術師は、それを知らなかったようだ。

 吐息を一つ、本を閉じた。

 どうやらこの魔術師は、管理下に置かれているわけでもなさそうで、すぐに誰かがやってくる様子はない。

 これからのことを考えよう。

 難しいことを考えているようで、鷺花にとっては平常運転であり、気持ち的には嬉しさを感じている。隙を作った切欠でもある、長く一緒に生き続けてきた友人の二人が亡くなったことを、半ば祝うような気持ちでいて、それを引きずっているのかもしれないが――この世界では。

 ただ、生きていれば、死ねるのだ。

 それほど嬉しいことはない。

「……育てるかあ」

 今までは、育成にすら制限があった。育成から継承を除く必要があったからだが、それもこの世界ならば必要ないだろう。学園の存在は確認しているし、仕事として引き受けるよう状況を誘導したいものだ。

 どうであれ、変わらないこともある。

 それは、鷺城鷺花が、鷺城鷺花であるということ――それはすぐに、証明されることだろう。


 鷺花は一度、拘束された。

 その時の配置を思い出せば、外に二名、内部に三名、いずれも剣で武装しており、記章のようなものを胸元につけていたので、軍か警備隊などの証明であろう。もちろん抵抗は一切せず、そのまま連行された先は八畳一間であり、そこで丸一日を過ごすことになった。

 扱いとしては、平凡だ。得体の知れない相手と考えれば、生ぬるいとさえ思う。多少の会話はしたが、特に演じることもなければ、多くを語ることもせず、質問に反応する程度のもので済ました。

 この一日という時間が、とても貴重であり、鷺花にとってはもう一人の自分に調査をさせる時間となる――が。

 留置所と思わしきこの場所にも、簡単な術式封じなどがかけられており、警報も術式で作ってあるため、機械技術よりも術式よりなのが見て取れる。もちろん、この場所だけの可能性もあるが、その錬度を考えれば、まあ、一般レベルなのかなと、鷺花は思う。思うだけだ、評価ではない。

 翌日の昼頃、二人のスーツ男がやってきた。体格が良く、柔軟性よりも強度を目的としたような鍛え方をした男は、義務ですので、と丁寧な言葉遣いで鷺花の両手に錠をかける。思わず、へえ、と呟いたら振り向かれたが、続く言葉はない。

 拘束されたまま案内されたのは、取調室のような場所だ。ほぼ無意識に監視術式を感知して、誤魔化しを入れようとする作業を意識して気付いて止めておく。パイプ椅子に座って待てば、男二人は背後に直立しており、視界には入らない――そして、扉からやってきたのは、やや小柄ではあるものの、身なりの良い男性だ。

 何度スーツを新調しているのだろうか、そんな皮肉の一つも口にしたくなる。

「お待たせしました」

 対面に腰を下ろす動作で、錬度はわかる。ほぼ一般人だ。おそらく――と、続けようとした推測を面倒になってやめる。どうせすぐわかることだ。

「すみません、召喚術式の確認に手間取りました。あなたが召喚対象であったことは証明され、殺害行為そのものはなく、あくまでも結果として死者が出たと、そのような結論になっています」

 やや遅れるよう、小柄な侍女服の女性がやってきて、扉をしめた。彼女は視界の中で、立ち止まる――いや、出口を塞いだのか。

物物ものものしくなって申し訳ない。異世界からの召喚は前例もありますが、以前のものもやや異質でしたので、最低限の警備をさせていただいております。つまり」

 小さく、苦笑のように彼は笑う。

「これからについて、お互いの意見のすり合わせに苦労すると、そういうことですねえ」

「あらそう」

 吐息を一つ。

「では、選択を提示しましょう」

「――はい?」

「私の人物証明みたいなものよ。今ここでやるか、それとも後にするか」

「それが選択? 今ここで、できるものなのですか?」

「それを決めるのは私ではないの。選択をする前に、私から言えることがあるとすれば、私は何にも属さないし、一つのものに肩入れは極力しない。そして、世界の均衡を崩さない」

「世界の? ……どういうことです?」

「今ここでするのね」

 両手をテーブルに置くと、手錠はすぐに外れた。

「は――」

「術式封じをかけているようだけれど、外世界干渉系の術式に限定して、魔術構成に対して魔力を与えない構造になっているのは評価するけれど、それは、それ以外の方法ならば何であれ術式の行使は可能である、という証明に過ぎない。いい? よく聞きなさい、そしてこれは脅しではないわよ? 私は、誰の拘束も受けない。いいわね?」

 脅しではない。何故って、その言葉にはそれほどの力がないからだ。当たり前のことを、その通りだと言っただけ。

 彼は。

「――君、この拘束用魔術品を解析に回してください。工房長には、装着者が外したという事実を伝えて、改良を依頼するように。書類はあとで私が回します」

「は」

「へえ?」

「現実を、現実だと認識しただけですよ。失礼、お名前を窺っても?」

「鷺城鷺花よ」

「私はこの都市の運営に携わっております、加納かのう一馬かずまと申します。改めて状況を説明しますと、召喚した術者は四十六歳の女性、親類はなし。都市属魔術師――ええと」

「都市運営に関わることができる魔術師ね」

「厳密には、運営に関わることはできませんが、直通で依頼を出せる相手でもありました。残念ではありますが」

「やるよう誘導しておいて、この結果を望んでいたのに?」

「――」

「結構広い屋敷だったわね。使い手がいないなら、私が住むわよ? 所在ははっきりしておいた方が良いでしょう」

「……、お一人で、ですか?」

「そうね、まだ学生の四人と一緒に、かしら」

「は?」

工匠こうしょう科、藤崎ふじさきデディ。研究科、畑中はたなか藍子あいこ。冒険科、ファゼット・エミリー。特別科、椋田陽菜。この四名を私が育ててもいい。必要なら教員三名くらいの試験を今すぐ受けてもいいし――そういう目的を与えておいた方が、そっちは安心できるでしょう?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「それほど不明瞭で無茶な要求ではないと思うけれど?」

「そうではなく、どうしてそこまでの詳細を……」

「ああ、資料に目を落とさなくても、間違いなく先日に召喚された事実は変わらないし、それは私も認めている。けれど、術式封じのかかった個室が無意味なのは、今ここで証明したはずだし、丸一日も時間を貰っておいて、この程度の調査ができていないなら、そんな間抜けは新天地で生活なんてできないわよ。そちらにとって脅威であるように、私にとってはそっちが脅威なのは当然でしょう?」

 かつていた世界では、鷺城鷺花だからだ、と言われるだろうけれど。

「仕事として成り立つでしょうし、生活の補助はして欲しいけれど――ああ、育成の成果そのものは、あなたが望むものとは限らないけれどね」

「それは、あなたが私たちの認識とは違う魔術師であるように?」

「そうね、あるいは」

「わかりました。コレニアさん、学園の訓練室へご案内をお願いします。私は手続きを。鷺城さん、質問などありましたら、道中彼女へ。いくつか書類を揃えましたら、また」

「そう。お役所仕事は大変ね? ――よほどのことをしないかぎり、敵に回らないから安心なさい。私を敵に回すのなら、別だけれどね」

「そうしていただけると助かります」

 では失礼と、きちんと一礼して部屋を出て行くのを見送り、しばらく無言だったが――ふむと、鷺花は席を立った。

「行きましょうか」

「はい、ではこちらへ。私はエレット・コレニアと申します」

 特に返事もせず、建物を出るまではお互いに無言。外に出たところで解放感があるわけでもなし、横に並ぶよう歩く。背丈がだいぶ――とは言わないが、違う。鷺花は平均より少し高いし、彼女は平均よりだいぶ低い。

「前例は多いの?」

「――いいえ」

 最初の一言を想像でもしていたのだろうか、返答は少し間があった。

「でしょうね。態度も言葉も崩していいわよ暗殺者キルスペシャリスト。そもそも、召喚式の条件が面倒だものね」

「――」

「召喚に必要な条件はね、どうやって対象を特定するか、そこに尽きる。最初は最大限の条件――つまり、何でも召喚できる式。そこから何を、どうやって、どんな場所からと設定を加えていく。だから好奇心旺盛な動物ならともかく、人型は難しい。運も絡むから――と、なあに、つまらない話だった?」

「あ、いえ――」

「だから、適当にしてもいいって言ってるでしょう。で? あんたも間抜けな顔して、どうしてわかったのかって? 仕込んだ暗器、重心が足の親指、躰の絞り方、視線の向く先と捉え方――動きで全て、あんたが証明しているのに、どうしてもこうしてもないでしょ」

「……相当におかしいじゃろ」

「そのクソつまらない反応が、実力不足の言い訳?」

「ふぬっ……!」

暗部あんぶの仕事を請け負ってるなら、甘えたことは言わないようになさい。ただでさえ、下に子供たちがいるんだから」

「おぬし、本当にこちらに召喚されたばかりか……?」

「違うっていう証明を出してから言ってちょうだい――と、はあい、昨日はありがとね」

「お、なんだ鷺城さんじゃねえか!」

 店舗の窓から顔を出した男は、新聞を畳んで笑った。

「はははっ、ようやく放免かい? 一日中、詰め所で拘束じゃあ疲れただろ、パン持ってけ。さっき焼き上がったのがあるんだよ」

「あらそ、じゃあ貰うわ。――ほらコレニア、お金」

「う、うむ、それは構わんが……おい店主、おい」

「んー? なんだ、ちっちゃい侍女さんじゃねえか、目に入ってなかったから驚いたぞ。お前さんあれだ、食べないからちっちゃいんだ。ほれ、おまけしてやっから」

「うるさい余計なお世話じゃ。それより店主、こやつと逢ったのか?」

「おう、昨日ちょいとなあ。侍女さんがどう思ってるか知らないが、面白い人だぜ。術式で実態を二分割可能なくらいに腕も立つ。まあ俺はそんな魔術師がいるとは思わなかったが、とりあえず飯だろ、飯。人間なら腹が減る――ほいお待ち。金? いらねえよちっちゃい侍女さん、だからもっと食えよ。鷺城さんはまた来てくれ、いろいろ勉強になったから」

「違いは常識なんだけれどね、ありがとう」

 紙袋に入ったパンを受け取り、店主と別れると、すぐに鷺城はパンを口に持っていき、仲の一つを侍女に渡す。

「はい」

「うむ……いや、そうではなく」

「情報の重要性について、いちいちあんたに説明する必要がある?」

「エレットで構わん」

「通称はエレね? そこまで親しくはないけれど、名前で呼ぶくらいには付き合いがこれからあると?」

「通称は母じゃ」

「母親、ねえ。どこにでもある仕組みだけれど、孤児を拾って育てるってのは、まあ……あんたが母親ならば、そう悪いこともないんでしょうね」

「う、うぬう……」

「仕組みなんてものは、人が生活している以上、ある程度はものだから、経験則ね。あまり気にしない方がいいわ」

「お主の人生が気になって仕方ないぞ……」

「エレットの老人言葉が作られた人生もそれなりに気になるわよ?」

「仕方がなかろう! わしの周囲にはジジババしかおらんかったのじゃ!」

「その意志を継いで責任者? たかだか二十代のクソ小娘が?」

「ふ、ぬ、――お主だとてそう変わらんじゃろうが!」

「その素直なのが演技ならば評価してもいいけれど、反応をそこまで表に出しても若さを証明するだけよ。けれどそうね、私の外見年齢だと三十くらい? ここのところ意識したこともなかったけれど、数千年も生きたと証明するのはもう、難しいわね」

「……はあ?」

「四千年以上、ただ生き続けなくてはならない人間に必要なものは、諦めよ。与太話でいいのよ、それで構わない。今の私はせいぜい長くて五十年くらいで死ぬから」

 ――であればこそ。

 五十年後には老衰が待っているのがわかった今の鷺花は、諦めという隙が消えたのだが。

「ようわからん話じゃのう。お主のいた世界では、当たり前のことか?」

「――まさか。私みたいなのは、私くらいしかいないわよ。それに不死じゃない。私を殺せる存在モノがいなかっただけ。なんなら試してみる?」

「その自信はどこから出ておる……?」

「馬鹿なことを聞かないで。裏付けされた技術も、経験も、私の人生の全てよ。数千年の間、殺されなかった自負くらいはあるけれど。幸運なのは、私が自殺志願者じゃなかったことね――世界ごと崩壊させるほど、マイナス思考じゃなかったもの」

「冗談じゃろ」

「それより、そろそろ状況の説明責任を果たしたらどう?」

「冗談じゃよな!?」

「私は嘘を言わないし、冗談ならそう言うわ。いいから説明なさい」

「う、うぬ……」

 さっきから唸ってばかりな気がする。相性が悪いのか、それとも鷺花がそうなのか――正解は後者だが、エレットにはわからない。

「この街にいる者の多くは、四つに分類される。これは学園の教育体制そのものでもあるが、まずは工匠、これは魔術品の作成に携わる者じゃ」

「研究は、主に魔術の思考や構成などの研究。冒険が工匠室と研究室の成果を使って外に出る者。そして、いずれにも属さないが魔術師として育成される特別室ね」

「知っておるじゃないか……」

「確認は必要よ? 説明を求めたのは私だから気にしないの。だいたい、学生四名を挙げた時点で把握していた当然でしょ。ただ――街の外に関しての情報は少ない。どうなっているの?」

「うむ、魔物の群生地じゃの。この街はそれなりに広く、生活も落ち着いていて争いも少ないが、外の調査はやはり必要じゃよ。もっとも、未だに他の街を発見したことはない」

「何が外への発展を阻んでいるの?」

「……のう鷺花、お主は既に、魔物以外の何かしらが阻害していると、そんな確信を抱いておるのじゃな?」

「そんな当たり前の思考をいちいち訊ねる必要ある?」

「それが当たり前じゃないからまどっておるのじゃ。わしがお主と同じ状況ならもう涙目じゃよ……」

「……」

「な、なんじゃわしを見て!」

「泣かしたら可愛いのかしらと思うくらいには、私にも人間らしい感情がちゃんと残っているんだなあと」

「よし説明を続けよう」

「そうね、泣かすのはいつでもできるもの。遅くても早くても変わりはない」

「嫌なことを言うでない! ――ともかくじゃな、外はがあるのじゃよ」

「具体的に」

「場所の移動、と言えば近しいかもしれん。前例を上げれば、森を抜けて川を見つけた冒険者数名が、顔を洗って休憩した後、ふいに後ろを確認したら、森がなく山の上であった――というのは、そう珍しくもない話じゃよ。もっとも、魔術品のお陰で帰還率はそう低くはない。工房が開発した転移ステップを組み込んだ魔術品じゃがのう」

「……そう」

「お主の見解を聞いても良いか?」

「スライドパズル」

「……うむ? あれじゃろ、細かく刻まれたピースを動かして、一つの文字を完成させる、あのパズルじゃな?」

「そうね」

 歩きながら、二つ目のパンに手を伸ばす。

「……む、続きはなしか」

「私は正解を口にしたつもりだけれど、理解力が低いわねえ。世界規模での俯瞰をした場合、小さな区画を作って、それを上下左右に移動させているのよ。もちろん、その区画自体の規模が均一であるとは限らないけれど、ピースの数だけ可能性はあるから、そこに法則性を見出すのは――ま、かなり時間がかかるでしょうね」

「いやしかし、地形が移動した際の振動などは感知されておらんぞ?」

「直接目にしていないから、ここからは推測になるけれど、構わないわね?」

「これまでは全部確証があってのことだと知れて、わしは嬉しいぞ……」

 落ち込みたくなるくらいには、だけれども。

「おそらく土地そのものの移動は二元的な部分に干渉している。本来、平面での移動に際して上の立体も影響を受けるんだけれど、そこに四次元方向への操作を加えることで、対象――この場合は人間だけが除外されるのよ。実際には起きている振動があっても、知覚できない。そうね、簡単に言えば足元が動く際に飛び上がっていて影響を受けない――かしら」

「む……その論で行けば、この街自体も動いておると?」

「あるいはね。しかも不定期――人が多い場所を避けている可能性もある。いない方が楽でしょ。は、人との接触を避けている節があるのは確かね。まあ、私もかつては同調したけれど、二千年ぐらいが限度だったわね。方法は違ったけれど」

 かつては、大陸を七つの属性ごとに分割して、海と呼ばれる不可侵を創り上げたのが、鷺花たちだ。こちらほど細かい区分けではないにせよ、思考としては繋がる部分があるのかもしれない。

「……ん? どうしたの?」

「お主、さらっと、同調とか何とか言ったじゃろ……?」

「苦肉の策よ。世界のやり方に干渉するには、いくつか条件もあるけれど、あれほど大規模なことは二度としないだろうし――私一人でやったわけじゃないもの。けれど、抗える証明ならばしてきたわ」

「もうあれじゃなー、わしの最近のトレンドは〝鷺花じゃから仕方ない〟が良さそうじゃのう」

「思考放棄しなければね」

 はっきり言って、トレンドなんかどうでも良かった。鷺花にとっても、と思えるような学び舎の姿が、見えてきたからだ。


 腕を組んで待っていれば、ばらばらと三名の教員が顔を見せた。スタイルそのものに統一性はなかったが、鷺花は一瞥しただけで軽く目を伏せる。技量そのもの、魔術師としての実力よりも、教員には必要なものがある――が、まあいいか。

「へえ、この人を試験しろってか……」

「ジグ、言葉」

「おっと失敬」

 両手を叩く音が一つ、もちろん鷺花が行ったものだ。注目を集める一手、布石を放つ一手、どちらでも使えるただの合図。

 ――少しだけ、昔を思い出した。

「あー……芽衣めいの馬鹿か」

 一部、酷似する状況がある。選択した四名の育成もそうだが、あの女と一緒にされるのも嫌だなとは思うけれど、それを知る人もここにはいない。

「さてと、では選択肢を与えましょう」

「……あ?」

「封殺か、課題か、それとも合わせるか――選びなさい」

「なにを」

「あー俺、封殺で。面倒だからいろいろと」

 無精ひげを隠そうともしない細身の男は、真っ先に手を上げてそれを選択した。隣のスーツ姿の女性は不満顔で睨みつけると、手にしていた資料を胸元に寄せて、吐息。

「では、私は課題を」

「となると、儂が必然的に合わせる――となるか」

 やや老いた男が最後に、そう答えた。まあ順当ねと思いながら、鷺花は。

「そうねえ。これから五分ほどで面白いことが一つわかるけれど、それを見てからがいい? それとも、今すぐに証明して欲しい?」

「お、なんだそれ面白そうだ。封殺される前に見せてくれよ」

「なら少し時間を潰しましょう。まずは――そうね、知っているだろうけれど、私は鷺城鷺花よ。詳細は届いているわね?」

「――聞いています。先日召喚されてこちらに来たと。その上で、あの魔術封具を解除したとか。事実ですか?」

「事実よ。あの程度のものを実用しているのなら、別の手段を使うべきね」

「たとえば」

「なあに? それは、私の術式封じを体験してみたいって催促かしら?」

「……いえ、今は遠慮します。失礼、私は研究科所属教員のリンです」

「俺は特別科のジグルーシな。で、このクソ爺が冒険科の――なんだっけ名前」

「ほう、小僧は懲りてねえな。ちょっとやるか? ん?」

「年寄りはこれだから……」

「儂はさだめだ。お前さん、かなりだろう」

「合わせてあげるから安心なさい。老人には優しく――……まあ、しようと思うくらいは、うん、たぶん」

「どれ、儂なら構わんだろう。ちょいと遊ぼうぜ」

「どう遊んで欲しい?」

 鷺花の態度は、変わらない。

「武術全般と言って伝わるかどうか知らないけれど、得物は一通り扱えるわよ。だったら無手でと思うけれど、お勧めはしない。無手なら何でもできるからね」

「なんでも?」

「証明して欲しい? この部屋の破損代金を支払う準備ができているなら、いつでもやっていいけれど?」

「おう、いいぜ儂が――」

 出そう、というよりも早く、その場で軽く鷺花は回転した。

 ふわりと、左回り。

「……っと」

 着地、数秒の間を置いて――激しい音色に驚いたよう振り向けば、巨大な亀裂が壁に走っていた。

「避けなさいよ、間抜け。余計な気を遣ったじゃない。まったく――あ、来たわ」

 そうして、遅く。

 ようやく。

「――は?」

 首だけで振り向けば、そこに、間抜けな顔をした侍女服の女と。

 鷺城鷺花がいた。

 後から来た方が歩み寄って、ぽんと軽く背中を叩けば、表面をコーティングしていた偽装がぱらぱらと剥がれ落ち、そこにいたのは黒色の甲冑を身に着けた存在モノである。それもまた、さらさらと砂のよう消え去った。

「……まあ鷺花だから仕方ないのう」

「さっそく使ってるようで何よりよ。問題点としては、まず第一に魂魄こんぱくの複写、次に思考の分割、あとは同時処理。ああ、同軸存在における重複ちょうふくを回避する手段はこの場合は必要ないわね。ただ仮に〝残影シェイド〟の術式を使用した場合は時間制限を超越すると、重複存在になって消える可能性が――なあに、聞いてる? それとも内容に追いついてない? じゃあいいか」

 二度ほど、手を叩いた。

「始めるわよー。油断、慢心、隙、――どれもない? まあ、あってもなくても同じだけれど」

 髪をかき上げる動作で、一秒以内に八十六枚の術陣が展開。きっかり数値が一秒を示せば、ジグルーシの姿はなく、そこに掌に収まるサイズのキューブが一つ。

「えーっと、リンだっけ?」

「え、あ、――はい」

「四時間後には自動的に開放されるよう設定を入れておいたから、それまでに解析してジグルーシを表に出せば課題は終了よ。ああ、中は快適だから安心なさい。食べ物も用意しておいたし……ま、表に出てきたら話を聞いてみなさいな。わかった?」

「ええ、わかった」

「まあ無理だけれどね」

「――はい?」

「すぐ気づくだろうけど、一応言っておくわよ。開封はまず不可能だから、分析を主体に行いなさい。四時間後に自動開放されたら、分析記録を報告書として上げること」

「はい、わかりました」

「よろしい」

「どっちが教員かわからんのう……」

 鷺花の姿が消え、死角を縫ってエレットの背後へ。その首に片手を当てれば、びくりと躰を震わせて硬直する。

「私が教えているに決まっているでしょう? あんたみたいなクソ間抜けの相手をしている私に対して、感謝の一つくらいないわけ?」

「ひいい……お、おい爺! こいつ怖いぞ! どうにかしておくれ!」

「ん? おー、儂には無理。すげえ亀裂だこれ、いくらになるんだ修繕費。無手でここまでやんのは儂じゃ不可能だ。しかも小娘、お前だって死角縫われてんじゃねえか。ま、儂にも見えなんだが」

「こ、こら手を離さんか鷺花!」

「うるさい」

「――しかし、お前さんに教育ができるのか?」

「あんたがその傷跡を見て、得るものがないのなら、私が下手を打った証明にはなるわね?」

「……なるほどな。さて、受付に言って修理を頼まなくてはなあ。あーいくらだ、マジで、儂の薄給で足りるか?」

「ちょ、おいクソ爺! わしを助けんか! あ、こら!」

 解析をすぐに始めた女に、侍女が一人。

 さてどうしたものか。

「おい鷺花、首から手を離さんか!」

「……そうねえ。あんた、私の住む屋敷にきなさい。仕事あげるから」

「なんと!? いや待て、まだ屋敷は決まっておらんし、わし、これでも――……ほかに仕事があってな?」

「決まるわよ、すぐにでもね。そこは心配しなくてもいいわ」

「わしの心配をしろ」

「いやそっちの心配がいらないってことよ。それとも、料理の腕まで証明して欲しいって催促かしら?」

「ふぬっ……!」

「上手くやりなさい」

「決定事項か……! どうしろと!」

「あんたの面倒も見てやるって言ってんのよ。気配を隠すんじゃなく、死角を縫うには、全体が把握している状況を見抜く必要がある。どうせなら私の不意を衝くくらいのことはなさい。まあ無理だけど」

「無理か」

「常時展開している術式を消さないとね。ところでエレット」

「なんぞ」

「魔術の基本はどうなってる? 文字式、展開式、混合式、連立式、複合式、重複式、術陣に式陣、魔術品と魔術武装――ここらの単語は?」

「う、うむ、重複というのがよくわからんが、研究室ではよく使われている単語ではある。儂も一通りは自分で研究しているからな」

「そう。重複式に関してはまあ、……無理でしょうねえ、今の程度だと。だいたい、個で完結すべき研究を他人任せにしている点が問題よね。で? ファゼット・エミリーはあんたの教え子?」

「何故じゃ?」

「最初の反応をまず隠しなさいよ、馬鹿。今更そうやって隠してどうすんの。まあ聞き出すつもりもないけれどね。――どうでもいいわ」

「どうでもってことはないじゃろ、おい」

「私を殺せる存在があるかもと、ちょっとは期待してたんだけれどね」

「死にたいのか?」

「いいえ、私の中にもまだ成長があると確認したかったのよ。今の私の知識でも、それ以上のことはないわ」

 だが、今のところそれもない。

「まさか、お主と同じようにしようと、そう考えているのではなかろうな?」

「私みたいなのはできないわよ。真に迫ることはできるけれど――それには適性が絡む。ただ、戦場の中であっさりくたばるような間抜けに育てるつもりはないわ」

「戦場?」

「ま、対人以外でも同じね。教員が教え子に望むことが一つあったとしたら、何だと思う?」

「わしならば簡単じゃよ。――、その一言に尽きる」

「その通り。けれど、それを口にするのは簡単で、死地において生き残ることは困難よ。けれど、生き残らなくては次がない。そのために、教えることは全て教えておく。それがたとえ、徹底して追い詰める結果になってもね」

「ふむ……」

「ほら、勉強になるでしょう? だからうちに住みなさいと言ったのよ」

「ぬっ……断れん流れを作られた気がするのじゃが」

「その通りよ」

「そこで肯定するのか!?」

「右も左もわからないから、何かと手配するのに知ってる人を通した方が良いでしょう? 都市運営との繋がりもあるみたいだし」

「いいように使いたいだけではないか……!」

「わかってるなら良いじゃない」

「良くないわ!」

「嫌で嫌で仕方ないなら、私を殺しなさい。不問にするから」

 どうにもならない現実を前に、エレット・コレニアは頭を抱えてうずくまった。

 これが現実である。



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