第10話 これから一ヶ月のスケジュール

 どういうわけか、担がれたままだというのに、通りを歩いていても、それほど注目はされなかった。

「そりゃまあ、気を遣ってるから」

 という返答がリリットからあったが、何がどうなのかよくわからないまま、連れられてきたのは地下である。

 そもそも、レインエリアに地下施設は――

 下水配管やごみ処理などの設備があるだけ、というのが通説であり、配管工が整備のために入っているのにも、どういう場所なのか想像するしかない――のだが、しかし。

 いざ入ってみれば、鉄鋼で作られたスペースは広く、高さも三メートルはあり、幅も広く、床はコンクリートが多いものの、排水も考えられており、とても静かであった。

「あの、いつまで私はこの姿勢で……?」

「え? 楽でしょ?」

「……」

 そういう問題なのだろうか。

 案内された部屋は訓練場ほどではないにせよ、土間どまになっていて、外周には御座が広げられており、まるである種の土俵を作ってあるような印象であった。

「――あだっ」

「おー、メジェ」

「あら? おかえりなさい、リリねえ。どうしたの? ついに仕事がなくなって食べ物に困った? それとも暴れすぎて問題が起きたから、母さんから説教?」

「メジェ? なんで私が戻るとそういう心配を真っ先にするの?」

「じゃあフェリ姉を呼ぶ?」

「本題だけど!」

 よくわからんが、たぶんリリットの方が負けていると思う。

「こいつ、一ヶ月くらい住み込みで鍛えておいて。母さんの知り合いだし、本人はたぶんやる気だし、ファゼ兄ちゃんとディカから押し付けられたから」

「ああ、断れないパターンねえ」

「うんそういうこと! じゃあよろしく!」

「あ、ちょっとリリ姉――ああもう、相変わらず逃げ足だけは素早くて」

 まったくと、彼女は頬に手を当ててため息を一つ。

「ええと」

「失礼しました。ミルルクですわ」

「はい、私はメジェット。気楽にしてていいのよ。とりあえず……戦闘訓練をすれば良いのかしら」

「ええ、そのつもりですけれど、その、花蘇芳はなすおうの一員にはならないと思いますわ。というかそもそも、どういう組織なのかもよくわかってませんもの」

「んー、そうねえ、どのくらい知ってるの? 母さんとは知り合いなのよね?」

「コレニアさんとは、何度か食事を。数年前、ディカ絡みでオークションの件に、私が関わっていたものだから」

「ああ、なんか聞いたことがあるような……ごめんねえ、私はあまり外に出ないから。仕事は訓練教官というか、技術継承というか、ううん、同じことかしら。でもファゼにいやデディちゃんが関わってるなら、問題ないでしょう」

「お願いします」

「うん、でもその前に――そうねえ、花蘇芳の仕事に関しては?」

「裏方であること。あとは暗殺などを請け負っていた、などは聞いてますわ」

「そうねえ、元締めって感じだものね、母さんは」

 改めて見れば、メジェットはそれほど背丈はないが、ミルルクよりは高く、あとは躰がちょっと丸い。いや躰というよりも、顔が丸いものだから、あと胸も丸いので、全体的に丸く見える。ジャージ姿ではあるが、話し方もあって、どこかおっとりしているように感じられた。

 ――あくまでも。

 感じるだけだ。

 人は見た目でわからないことをミルルクは知っているし、相手は花蘇芳なのである。油断はまずい。

「でもだいたい元締めと同じかしら。暗殺の仕事はだいぶ減ってるけど」

 減ってても、あるにはあるらしい。

「姉妹……では、ありませんわよね?」

「あーそれねえ、ディカちゃんは話してないわよねえ。私を含めてうちの人たちは、みんな母さんの子供なの。どんな理由であれ、親がいない子たちばっかだから」

「ああ、それで……血よりも固い結束とは、そういうことなのですわね」

「うん、それでね? 私のお仕事は技術を教えることなの。基礎体力とかそういうのとは別でね?」

「はい」

「一撃で相手を殺そうと思ったら、いろいろ方法があるよね?」

 たとえばと、そう言った直後、姿が消えた。

 糸を出して警戒しようとする一秒の間に、手が首に触れて、動きを止める。

「はい、こういう感じね? 人の視界に入る、出る、この二つを上手く利用すると、こういう動きになるのね? 消えたと思うと視線が左右に動くから、正面は死角になって、最短距離がいけるの」

「……前を見た時には背後へ?」

「うん、そういう感じ。もっと方法はいろいろあるけれど、わかりやすいよねえ。じゃあ次は、二回で相手を殺そうと思ったらどうかな?」

「どう……」

 ゆっくり正面に回って、改めて顔を合わせるが――。

「理屈だけなら」

「はい、どうぞ」

「一撃を陽動として、二撃目を当てる。そういうことですわよね」

「そうね」

 うんと、頷いた直後、ミルルクの視界は銀色で一杯になった。何がどうと考える間もなく、躰を反らすようにして距離を取ろうと。

「はい」

 その背中を支えるよう手を置かれ、正面から首の付近に――ちょっと冷たいと思える、手が触れた。

「こうやるのね。人間って、目の前に大きいものがあると避けたがるから。こういうね、技術を教えてるの。ほかにも男の視線を集める技術――……ごめん無理!」

「即断ですわね!?」

「薄い躰でちっこくでも、いける人はいけるけど、磨く色気がない……?」

「酷すぎますわ!」

 泣きそうであった。

「いいんじゃない? ディカちゃんそういうの気にしないし。だから落とせないんだけど」

「うぐ……」

「じゃあ、今日から住み込みね? とりあえず、この二つを覚えようか」

「あ、はい、よろしくお願いしますわ」

「うん――あ、フェリ姉」

 やってきたのは、完全に侍女服を着た女性であった。

「ああ、いましたかミルルク、話は聞いています」

「どうもですわ」

「メジェ、ちゃんと面倒を見るように。逃げ出したリリはどこへ?」

「フェリねえ、答え言ってる。リリ姉は逃げたからね?」

「まったく……」

「ところでフェリ姉、ストレスは溜まってる?」

「ええ、それなりに」

「じゃあミルルクを二撃以内で殺し続ける仕事あるけどやる?」

「やりましょう」

「はい!? え、教えてくださるんじゃないんですの!?」

「うん教えるよ? まずは殺されない方法を覚えてからだけどねえ」

「ひい……!」

「では、努力して回避なさい」

 背中を向けて出口に向かおうとしたら、足をけられて転ばされて訓練スタート。

 まだ、ミルルクは知らない。これが初日の気軽なレクリエーションであることを。


 さてと意気込んだものの、ファゼットと共に外へ歩き出しても、すぐに景色が変わることもなければ、術式を使う様子もなく、ノザメエリアが小さくなって消えるのを何度か振り返って確認しつつ、それからも一時間以上、平原をただ歩いた。

「でだ」

 ほぼ世間話をしていたのだが、ふいに気付いたよう、そう前置して。

「――今、何回スライドした?」

「は?」

 問われた光風みつかぜは、一度振り返って。

「いや……スライドはしてねえだろ。景色もほとんど変わってねえし」

「じゃ、そういうことにしとくか。現実はそうだとして――だったら仮に、スライドしていたとしたら?」

「したらって……」

「魔術的思考の初歩だ、よく考えろ。スライドしている前提だ」

「あー、よくわからんけど、順序立てるぜ?」

「それでいい」

「地形そのものにほとんど変化がないから、気付けなかった。つまり今の俺は、スライドが発生しても、光景に変化がねえと気付けねえってことだよな」

「だとして?」

「んー……前からちょっと思ってたんだけどこれ、俯瞰の視点を持たないとわからねえよな? 家の中でどれだけ動いてても、家の外観はわからないのと同じで」

「無理なものは無理だ。俯瞰の視点なんざ、この場合は難しい。じゃあ、何がわかれば良いんだ?」

「移動を感じられればいいんじゃねえのか?」

 何故ならば、そもそもスライドとは、移動だからだ。

「今、歩いているだろ」

「そりゃな」

「わかってるじゃねえか」

「……え? なにが?」

「だから、お前は今、歩いて移動してる。足で一歩ずつ踏みしめて、移動ってやつを感じてる」

「いや、それは違うだろ?」

「違うなら走ってみるか?」

「仕組みが違う」

「時間と距離が絡んでるなら、そいつは移動だ。仕組みが違うなら、走るのも歩くのも違うんだが、その違いとはつまり、時間と距離だ」

「……違ってるのは俺か?」

「間違ってはいねえよ、その通りだ。スライドとは移動だし、移動を感じるとはスライドを感じるのと同じで、移動とは歩くのと同じで時間と距離が関わってくる――ならば」

 小さく、笑って。

――と、前提を起こすのが魔術的思考の初歩だ。発想を得るとでも言えばわかりやすいか」

「同じか……?」

「お前は魔術を扱うことは、ほとんどできねえだろうが、考えることまで放棄するな。で、厳密にそれは同じじゃない。それを

「……ディカなんかは」

「当然、そのくらいの思考は平然とする。魔術ってのは、扱うだけじゃねえんだよ」

「だからか? だから魔術ってのは、世界を知ることだ――ってことなのか?」

「そういうことだ」

 現実に起こりうる現象と、想像を重ね合わせ、それを同じにするための思考を行う。それは現実の探求であり――世界の仕組みを知ることに繋がる。

「ま、とりあえず知っておきゃいい。俺がこれから教えるのは、単純な体術であり、基礎だ。……そういや、ミルルクなら、あそこにある木に糸を巻き付けて、加速の助けにするかもな」

「それも移動ってわけか」

「おう――ん? おい、あそこなんかあるな? 上の方」

「んー……? なんか丸っこいのがついてるな。ヤドリギか?」

「お前、木登りはできるんだろ、ちょっと見て来いよ」

「へーい」

 六メートルくらいある木が並んでいて、そのうちの一本を選び、足場を確認しながら登る。異常がありそうな木の隣である。

 下の方は枝が少なくて、足場がない。張り付くようにしてどうにか登るが、手が枝に届けばそこからは楽だ。下を見ればそれなりに高い。

 確かに、妙だ。ヤドリギにしては木の中頃に作ってある。陽光が届くのかどうかと疑問に思い、距離が一メートルを切って、わかった。

 ヤドリギではない。

 もふもふしている。

 睨むような視線がこっちに向けば、尖った口も見える。

 ――モズと呼ばれる魔物の巣だ。

「……」

 視線が合って三秒、背中を向けることなく飛び降りた光風は、直前で木を蹴るようにして落下の方向と速度を変えて、ごろごろと転がってから走り出した。背後、巨大な質量が飛び降りるのがわかる。

「うおっ!?」

 モズとは、エリアによくいるスズメを大きく丸くしたような鳥の魔物だ。普段は空に飛んでいて、餌と間違えて人は狙われると聞いているが、巣の傍に行ったのならば攻撃されても文句は言えない。

 しかも、飛ばずに地面を歩きながら突くので、もうこれは歩幅で負けてるだろうと思うが、全力疾走しかなかった。

「うおっ、ちょっ、まっ、――ごめんって! ええ!? おいファゼットさんどこ行くんだよ!?」

「あー……」

 通り過ぎるのを横目で見て、ひょいひょいと木を登って巣を見れば、小さいモズが二匹いた。子育て中の母モズだ、それは怒る。

「よっと……あ、いかん」

 指を口にくわえ、高い笛のような音色をファゼットが作れば、怒って追いかけていたモズがこちらを振り向いた。何度か短く、音程を変えて吹けば、思い出したようばさばさと飛んで、モズは巣に戻る。

 歩いて近づけば、光風は座り込んで荒い呼吸を繰り返していた。

「お前体力ねえな……?」

「いや、あの、これは駄目だろ……!」

「俺が示唆した時点で気付けよ」

「わかんねえよ……?」

「そうじゃねえよ、スライドしたかどうかって時点でだ」

「そこから!?」

「凪ぎの宿から、支配の領域に変わってたんだよ。ここらは比較的安全だが、モズの領域だ。危険性がわかって良かったな?」

「くそう……!」

「おら行くぞ」

 ぐいっ、と腕を引っ張られたかと思えば、足元の草がなくなっており、土の地面に手をついていた。

「――あ?」

 顔を上げれば、その場所を知っていた。

「ここ、ディカの……」

「中継しただろ。あの時は俺らが外してたが、娘もいるし、基本的にはここをベースにしてる。小屋は――作らないと決めてるが。ま、ここで過ごしてもらう」

「わかった」

「火を絶やすな」

 おうと、以前に使った場所と同じところにある火を見て、薪を一つ中に入れた。既にだいぶ用意されている。

「ここって、ディカが言うセンセイって人と一緒にいた場所なんだろ?」

「ああ、鷺城な。実際には、俺らと鷺城が使ってたベースだ。娘を拾ってからは、丁度良い距離だから使ってる。今はリコの母親の畑中はたなかが――ああ」

 おうと、森からやってきた女性にファゼットが声をかける。やや丸みを帯びた女性ではあったが――。

「あれ? どしたのファゼット、それ、またどっかで拾ってきたの?」

「デディがどっかで病気を拾って来たなら、その時に言え」

「いやデディそういうのないし。あー、畑中はたなか藍子あいこね」

光風みつかぜだ」

「ん? あー、さだめさんとこの子かな?」

「それファゼットさんにも言われたな……当たってるけど。あと、畑中さんは顔のかたちがリコさんに似てる」

「そりゃ娘だし」

「がっかりだろ?」

「どう返答すりゃいいんだよ! 性格は似てなさそうだから良いけど、俺、リコさん苦手なんだよ怖いから……」

 それよりも。

「そっちが娘さん?」

「おう」

 立ち上がってみれば、頭一つよりも背丈の小さい少女が、睨むようにしてこちらを見ている。左手に持っているのは、曲線を描く――刀だ。

「誰これ」

「ディカの友人」

「光風だ」

「ん、キャロ。こいつ弱くね?」

「うんそうね、だから殺さないように」

「……気をつける」

 驚きの返答だった。

 殺さないように。気をつける。え? 気をつけないと殺すのか?

「あと一ヶ月な。そしたらノザメエリアに連れてってやる」

「……、嫌だ逃げたい」

「人見知りはだいぶ良くなっただろうが。おい畑中」

「二週間くらい街で連れまわしたけど、駄目この子」

「駄目なのはお前だろ。無能の証明は多すぎて今更どうしようもねえよクソッタレ」

「あーはいはい。あたしは戻るけど、実家は?」

「リコに掃除させといた」

「なに、あの子またディカに頼り切りなの? まあいいや逢ってくる。一ヶ月くらい」

「禿げさせるなよ」

「あたしそんなに構わないし」

 よく言うぜと、ファゼットは煙草に火を点けた。

「じゃ、いい子にしてるんだよキャロ」

「おばさんの腹の肉と同じくらいには」

「この子かわいくないー」

「いやお前が太ったんだろうが」

「動きはそんな変わってないっしょ? おけおけ、運動量は減らしてないから――たぶん」

「運動量が同じで食べる量が増えれば、間違いなく太るよな……?」

「そこ! 現実を言わない!」

「へーい」

 顔が引きつりそうなので、無理に笑うのはやめておいた。

 佇まいに隙がなさすぎる、それが光風にもわかった。さすがに怖い。

「……ふう」

 さすがに辛いなと、深呼吸をしたらもう、藍子はそこにいなかった。

「うわ、早いなおい」

「お前、何か持ってるだろ。なんだ?」

「ん? 何って、ナイフか?」

「そうじゃない――なんだそれ。おい父さん」

「魔術書だ。鷺城が持ってたヤツで、ディカに預けてあったんだが、相性が良かったんだろ」

「へえ……」

「その、鷺城さんって人とは長かったんだろ?」

「長いかはともかく、ディカやリコだって知ってるからなあ。……長い話になる」

「一ヶ月あるんだ、聞きたいね」

「キャロは?」

「兄さんも知ってるなら聞く……」

「お前あんまディカに過度な期待を抱くなよ? あれ駄目だろどう考えても。なあ?」

「どう考えても駄目なのはディカの妹に対する過度な期待だろ」

「上手いこと言った代わりに、今日の飯は用意してやる」

「そりゃどうも」

 紫煙を、上に向かって吐き出した。

鷺城さぎしろ鷺花さぎか、か。畑中や陽菜はるながいると、思い出してめそめそ泣きだすから、丁度良いか。ただ――話半分にしとけよ?」

 口の端を上げるよう、ファゼットは笑った。

「それを十倍にしたところで、鷺城の怖さが伝わるとは思えねえよ」

 それはちょっとした昔話。けれど言葉通り、長い話にもなる。

 今では開拓者と呼ばれている彼らが、まだ、ディカや光風の年齢とそう変わらない頃の話だからだ。

 時間を遡ろう。

 まだ、ほかのエリアが発見されていなかった頃まで――鷺城鷺花がこちらの世界へ召喚された時から、話は始まる。



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