第9話 夢の残滓と、現実のこれから
冷たさと硬さを目覚めに感じたのならば、ぼんやりとしていた意識が急速浮上し、状況への疑念のために思考が回転する。躰を起こそうとして、床についた手のひらからは、熱を感じないほどの冷たさに、ぞくりと背筋に悪寒が走れば、足元で金属音。
灰色の床が見えれば、次は足枷と鎖――そして、ここが牢の中だとわかれば、疑問が一つになった。
「何故……ここに?」
来るのは二度目だが、隣に知った顔はない。ただ記憶を遡れば、ノザメエリアに戻ってきた夕方、学食でほっとする味の食事を終えてベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまったように思う。シャワーはたぶん浴びたはずだが、はて。
大きく、吐息を一つ。
「イウェリア王国ですわねー……」
それ以外だったらたぶん泣く、と思っていたら、足音。やってきたのは、前髪を眉のあたりで直線に切り揃え、目を伏せた侍女であった。
「いらっしゃいませ、ミルルク様」
「ええと」
「失礼、イウェリア王国、王女付きの侍女長をやっております。鍵をどうぞ」
「ありがとうございます」
受け取った鍵で足枷を外せば、牢の外で待っていた侍女長の促しと共に、知った通路を歩く。
「まだお若いですわよね?」
「ありがとうございます。責任者ではありますが、躾係はほかにおりますので」
「その、質問ばかりですけれど、どうして私が一人でここへ?」
「私にはわかりかねますが――おそらく、残念があったのでは」
「残念?」
「何か、思い残したことや、やり残したこと。そうした因子が、繋がりを持たせた可能性はあります。かつて、デュケイル様もそうでした」
「……確かに、それはありましたわ」
「興味を持っていただいたことには感謝しますが、私どもは死者です。あまり引きずられるのは好ましくありません」
「ええ、気をつけますわ」
「しかし――今回に限っては、お嬢様の落ち度。その点は申し訳ありません」
「はい?」
「詳しくは本人からお聞きになって下さい」
案内されたのは、以前と同じ玉座の間だったが。
「来たか」
「ええ」
玉座ではなく、その手前に横になった銀色の狼に躰を埋めるようにして、オリナは座っていた。
「すまんのう」
「あの、どういうことですの?」
「お主がここへ来る理由を持っていただろう?」
「ええ、少なからずそれはありましたわ」
「そして以前、
「またいずれ、逢う約束ですのね?」
「うむ。だがな、本来はディカの台詞だ。しかし今回は妾が言った。この差がわかるか?」
「交わす相手は同じですわよね……主導権の違いですの?」
「わかりにくかったか。いやなに、いつだとて答えるのは生者であり、それに応えるのは死者の特権でもある。つまり、またいずれと呼んでしまった妾の落ち度だ」
「なんとなく、言いたいことはわかりますわ」
そこにいるのかと、問うても死者の答えはない。だが、ここにいるよと応えるのが死者だ。同じに聞こえるかもしれないが、主体が違っている。
以前のよう円形テーブルと椅子が設置され、飲み物を運んでくれるのは、先ほどの侍女長であった。背も高く、スタイルが良いので羨ましくもある。
「さて、それで何に興味を持った? いかんぞ、死者との交流は」
「このイウェリア王国に関して」
「ほう? だが亡国じゃ」
「そうであっても、ですわ。そもそも、この王国はどれほどの歴史がありますの?」
「妾が六代目だから、おおよそ五百年だろう。それほど変化のない国じゃ」
「それでも五百年は続いていたんですわね。内部での混乱はありませんでしたの?」
「いや、それはない。内乱よりも魔物への対処が優先されておったからのう」
「脅威があればこそ、ですわね。では、こちらを重点的に聞きたいのですけれど、戦力の確保はどうしていましたの? たとえば……ええと、軍事教練だったかしら。そういうものを?」
「――いや、厳密には軍ではない。存在自体は知っておるし、そういう教材もあるにはあったが、選択はしておらん。うちには騎士制度を作った。まあ、これは通称だが」
「騎士という名の軍ではありませんの?」
「いや、あくまでも制度だ。個人に階級を与え、闘技場での戦闘のみ許す。最低を10等として、1等から先はF級、からA、そしてSまで」
「顔ぶれはほぼ変わりませんわよね? 手の内を隠す必要もありそうですけれど」
「ははは、デュケイルも昔に同じことを言っておったが、さて、今はどうだろうな。その時は笑って済ましたが――まあ良かろう。手の内がどうのと言っている内は、せいぜいが9等で足踏みじゃ」
「――何故ですの?」
「全部出し切らねば成長はない」
そう言われれば。
「なるほど、確かにそうですわね」
「こやつは素直よのう……」
「実際にはどれくらいの人数がいましたの? まさか、強制ではありませんわよね?」
「学生のほぼ全員は戦闘を必修しておったからのう。卒業レベルでおおよそ8等――まあ、今のミルルクとそう変わらん程度だ」
「比較になりませんわ。私自身の実力などわかりませんもの」
紅茶を一口、ミルルクは視線を下げたまま、しばし黙考する。
「……よく、わかりませんわ」
「ほう?」
「何をどうしたら、システムとして成り立ちますの?」
「人を集めようと、そういう意識はあまり持つべきではない。トップを決めれば、憧れを持つ。ただし、おおよそ五百年の中でS級は一人だ。A級は八人」
「レギュレーションはどうなってましたの。戦闘回数など、いろいろ条件があったはずですけれど。勝負は水物とも呼びますわよね?」
「そのあたりはいささか、複雑じゃのう。1等以下、F級以上では、違うレギュレーションを作った。1等以下の場合、同等での戦闘三勝、ないし上等への戦闘一勝で上がるのだが、三敗で下がることになっておる」
「では、三勝二敗で勝ち上がった場合、リセットですの?」
「うむ、その通りだ。しかしF級以上は、上級相手に三勝とし、降級はなし」
「なし……つまり、自分からの引退宣言ですわよね」
「身の程を弁えた連中じゃ、そうトラブルもない。しかし例外もある」
「一度でも例外を許せば、恒例になりますわよ?」
「はは、その通り。だがな、今まで一度もたどり着けなかったS級への挑戦権、それが難しくてなあ。当時のA級を六人抜きさせ、文句が出なくなってからS級認定をした」
「ああ、なるほど、いない場所を決めるのは、そうなりますわね……。想像しかできませんけれど、同じほどのレベルを相手に、六人抜きとは相当ですわ。もはや、飛び抜けていたと称しても構わないかと」
「クックック……おい、おいミココ、褒められておるぞ?」
「――え?」
「お嬢様もこちらに座ったらいかがですか」
「ではそうしよう」
「ええ、私がそちらに座ります」
「…………」
文句がありそうな目つきで侍女長を見たオリナだが、最終的には何も言わず、ミルルクと同じテーブルについた。言葉通り、侍女長が降りながいた場所に腰を下ろすと、何故か狼の耳がぺたんと閉じられ、僅かに身を固くしたように見えた。
「昔、ギンはミココに叱られたことが二度ほどあってのう……」
「ああ、そういう……」
「ま、我が国のS級はあやつじゃ。デュケイルに基礎を教えたのもミココだ」
「あら、そうでしたのね。けれど――失礼ながら、滅亡の当時は、どうでしたの?」
「それは、ミココでも敵わなかったのかと、そういうことか? どうなんじゃ?」
「――以前も」
足を投げ出していたオリナと違って、侍女長はきちんと両足を揃えた正座をしており、長いスカートを広げてはいるが、表情は相変わらず目を伏せたままで。
「同じことを申し上げました。私一人が生き残っても、国は存続いたしません」
「と、こういう返答だ。わかりやすいかどうかは、ふむ、まあさておき、ファゼット・エミリーには負けておったなあ。そのままベッドに直行しておったが」
「敗者の特権です」
「……特権ですの? というか、妻子持ちですわよね、エミリーさん」
「私は自分より弱い男に抱かれる趣味はありません」
「あの男はそもそも、結婚しておらん。デュケイルがいるから、名義上、親になっておるだけだ。浮気にはならんじゃろ」
そんなものだろうか。
たとえばディカがそうだったらと、ふと考えて――付き合ってもいないが、べつにいいかな、とか思えたので、まあ良いんだろう。
「しかし、戦闘はどのようにしてましたの?」
「闘技場全域にある術式を展開しておってのう。たとえば、腕を斬ったとしよう。この場合、現実の腕は斬れず、剣は降り抜かれ、痛みだけは存在する」
「怪我はしないけれど、痛みがある以上は無視もできない。それでも死ぬことはありませんのね……」
「うむ。それほど難しい術式ではないのだが、まあ、安全装置だ」
「対人戦闘を中心としているのに、魔物への対処になりますの?」
「ククク……おいミココ、言ってやれ」
「現実として、人間に対処できなければ、魔物への対処もできません」
「なるほど」
そういうものかと思えたのならば、それは。
「明らかに私の経験不足ですわね」
「それに気付けるならば良いことだ。――さて、お主は一人で長居をするといささか、こちらに引きずられやすい。
「ええ、今度はきちんと準備をしますわ。だから、こう言いますわよ?」
立ち上がり、ミルルクは笑みを浮かべて言う。
「――またいずれ」
「仕方のないやつだ」
そう笑いながらの返答を聞いて、ミルルクは現実で目を覚ました。
ぼんやりとしたまま、記憶の繋がりを感じつつもベッドから躰を起こせば、すぐ額に手を当てる。
なんたることか。
下着はかろうじてつけているが、ほぼ全裸の状態で、洗濯機も回しておらず、衣類が散らかっており、ぽちゃぽちゃと水の落ちる音を辿れば、風呂場のシャワーがきちんと閉じられておらず、水滴を落としていた。
疲れていたからといって、これはない。なしだ。いかん。朝食の前に最低限は片付けなければ。
「あーこれが現実ですわー」
抱きかかえていた枕を戻し、蹴り落していた掛布団をまず直す。そこからが片付けだ。
片付けもさるとこながら、そのまま部屋を出るわけにもいかない。女はそれなりに準備が必要だ。化粧こそしないが、であればこそ、身だしなみは整えなくては。
なんだかんだで、部屋を出る頃にはとっくに授業が始まっている時間で、それどころか昼食間近だったのは目をそらして、ともかく朝食だと言い聞かせながら食べて、学園へ。
その、途中のことである。
「ん? おう」
「あら、ファゼットさん?」
あまり見かけない服装の人だと思っていたら、ディカの父親であった。
「重役出勤か?」
「ええ、昨日は疲れてよく寝ていましたもの」
「そりゃいい。来いよ、ちょっと面白いものがある」
「わかりましたわ」
「訓練場な」
「……、ファゼットさんは騎士制度、ご存知ですわよね?」
「ん? ――ああ、イウェリアの方か。同じ名前で、現行の制度もあるぜ?」
「え……現行ですの!?」
「おう。そもそもイウェリアが真似たはずだから、オリジナルの方だな。といっても、大差はねえよ。俺らはA級でやめたし、今のディカじゃF級にはなれんだろうなあ……」
今のディカでそれならば、なるほど、確かに自分ならば8等がせいぜいだろう。
わかっている。
ここ、ノザメエリアにも、ネズ、セリザワ、レインエリアのいずれであっても、そんな制度はないことなど、そもそも常識だ。けれど、それ以上は深く追求できないのも、理解していた。
理解していたというよりも――たぶん、今のミルルクでは、理解できない。
「ま、騎士制度は本来、育成システムが肝なんだがな」
「それは聞いてませんけれど……」
「戦うだけじゃ成長が止まりやすいからな。学園で最低限教えると言っても、そんなもんは尻を拭くには紙を使いましょうってクソみてえな常識でしかない。確か三つ以上離れた相手に、弟子入りみたいなことができる。ただし、弟子は一名限定で、当人同士の戦闘は不可……だったような気がするな」
「このエリアでも、実現は可能かしら」
「不可能じゃねえが、お前が二十年で成長してからだな」
「……私も参加したいのですけれど」
「だったらクソ教員にでも頼んでみろ。いずれにせよ、現役の冒険者の手を借りることにもなる」
「学園では育成できないから、ですわね?」
「そういうことだ」
言いながら、訓練室に入る。一番奥の屋内訓練室であり、広さは闘技場と同じだが――と、中にはディカと
「やあ」
やや太り気味とも思えるが、躰の大きい眼鏡をかけた男性が、軽く手を上げた。
「おう、どうだ?」
「取付の不具合はなさそうだ。そっちが、ミルルクかな? やあ、リコの父親のデディだ。よろしく」
「初めまして」
軽い握手を一つ。背丈もある。
「これは今――あら、学園長」
「む……ミルルクも来たのか?」
「ええ」
「課外授業の報告書は出しておけよ」
「書けることはほとんどありませんけれどね」
「やれやれ」
小さく、
「まったくタイミングの悪いクソ教員だな? もしかしてそういう訓練が行われてるんなら教えてくれ、会話を円滑に進めるための反面教師として教えたくなる。それとも嫌味のように課題の催促をするのが仕事か? 相変わらずクソだなあんたは」
「今更だろうが、何言ってんだデディ。このクソ教員の尻がでかくなったのは、旦那に叩かれてるならともかくも、椅子に座って光らせた結果だぜ? クソが過ぎるだろ、書類にサインをするしか能がねえ。名前もとっくに忘れちまった」
「こんなのに育てられる子たちは、それはもう優秀なんだろうよ」
「反面教師でか?」
「尻がでかくなって男を捕まえられるって寸法だ」
「言えてる」
「うーわー……」
と、そんな台詞しか口から出なかった。
「気にするなミルルク、――もう慣れた」
「いえ、これは慣れたらまずいのでは?」
「……もう慣れた」
やっぱり駄目なやつだ。
改めて状況を見れば、光風を中心としてディカがフォローするよう、魔物との戦闘を行っていた。
「どうなってますの? これ、スノーラビですわよね?」
「まあね。簡単に言えば映像だ。やってみればいい、そろそろ光風が限界だからね」
ちょいちょいとディカが手招きをしたので、吐息を一つ落としてから、入れ替わるようにしてミルルクが入り、躰を動かし始めた。
「あー……しんどいぜ。あっさり剣が折れたかと思えば、折れてからが本番とか、なんなんだよ」
「死ぬことはないから安心だね?」
「藤崎さんたちの基準が高ぇんだよ……」
「それは地違うな、光風。高いのではなく、――おかしいのだ」
「おっと、おかしいとはひどい言い草だね。クソ教員らしく、わからないものはわからないと、はっきり言えばいいのに、曖昧な言葉で誤魔化して、さも真理のように言うわけだ。子供の方が誤魔化しを見抜くなんて真理も、一緒に気付くべきだ」
「あー、仲良いなあ」
「うらやましいのか」
「ああエミリーさん、まったく羨ましくねえから、俺に押し付けないでくれ。けど、どうなってんだ? 痛みはあるし、剣は折れるんだから強度はある〝映像〟なのに、傷だけは負わないって」
「そういう仕組みだ、と今は覚えておいた方が良いだろうね。もちろん、詳しく説明もできるけど、きっとわからないさ。ただまあ、問題もある――ディカ、ちょっと」
声をかければ、左右に視線を飛ばしながら、ディカが軽いステップを一度してからミルルクに背を向け、こちらに来た。
「なに、おじさん――っと、父さんもいたのか。あっちの隅なら換気してるから、煙草も吸えるよ」
「おう、じゃあ吸ってくる」
「面倒だからいつも通り聞くけど、どうだ?」
「あはは、久しぶりだな、そういう、うちの曖昧な問いかけ。とりあえずの第一感としては、再現度がちょっと低いね」
「どっちの?」
「行動」
「ああうん、そこは情景具現までしてないから仕方ない」
「へえ? システムとしては?」
「可能だけど――体感温度まで変更できないから、差異がストレスにはなりうるね。あとは電気代がかかる」
「それはクソ教員がどうにかするんじゃ?」
「ディカは学生じゃないだろう?」
「リコがいるから――あれ? そういえばリコは?」
「ああ、まだ実家で掃除してる」
あれからもう一週間は経過しているはずなのに、まだやっているのか。
「逃げるのを捕まえると、別のタスクが増えるからね。お陰でこっちの面倒がなくなって助かるよ。学習能力あるのかな、あれは」
「面倒はやってあげるよって、親孝行だと思えばいいんだよ。うちにいるグラが、そろそろ下僕がいないって文句を言いだす頃合いだ」
「そっちのフォローは任せるよ。まあ付け加えるのなら、難易度設定もできるからね」
「ああ、そういう差異か」
「リコだって、たまには化粧の一つをやってみようって思うんだよ?」
「いつもと違う自分を、それで演出できるんなら安いものさ」
「高級の化粧品でも?」
「一度使えば、値段よりも自分の問題だって気付くよ」
「それにしたって、合うか合わないかって問題もある」
「うーん、一括設定だから、個体差は難しいな。不可能じゃないけど」
そんな会話を聞いて、改めて。
「なんつー会話してんだ……あっち行ったかと思えば戻ってくるし」
「ああうん、悪い癖だよね。何かにたとえることが多いから、本当に困る」
「そう? こっちとしては、それほど話を反らしてる感じもないんだけど、僕たちは付き合いも長いから、そういう部分が気付きにくいかもしれないね」
「よくわかんねえけど、再現度に関連して、個体差とか、そういう?」
「うん、そうだよ」
「俺にゃそこまでわかんねえよ。それに、映像だろうが魔物と正面から対峙すると、かなり怖いな……クロさんの指導がどんだけ優しかったか、よくわかる」
「あー、クロはそういうとこあるから。子供の面倒を見る時と同じで、好きにやらせといて誘導する感じ」
「学生で、まともに対峙できるだけ、そこそこの錬度だとは思うから、落ち込む必要はないと思うけどね」
「なんの慰めにもなっちゃいねえよ」
「そう? そりゃごめんよう」
「さすがにミルルクは対多数戦闘は得意そうだね」
「魔物なんてのは、殺すだけなら簡単だ。魔物が人を殺すのと同様にね。じゃあ光風、休憩はそろそろ終わりだ」
「うげ、もうかよ……」
「ほら、この剣を使うといい」
軽く手を上下に振っただけで、デディの手には剣がある。
「お……ちょっと軽いなこれ」
「おういミルルク、ちょっと」
声をかければ、距離をまず取ってから糸を回収して。
「はい、なんですの?」
「そろそろ躰が温まっただろうから、光風と共闘だ」
「わかりましたわー」
壁際に配置されたモジュールのパネルと、ぱたぱたと操作したのならば、出現していたスノーラビが消え、小岩が転がった平原がまず具現した。
「あら、こんなこともできますの?」
「学園のシステムを二割ほど貰うことになるけどね。おいクソ教員、もう現役じゃないんだから気をつけろよ。――さあて、おいファゼット、今回は君からだ」
「十五分で
「そんなに持ちはしないさ」
一度戻ったミルルクは、水を飲んで。
「相手を変えますのね?」
「大型を一匹だ」
ノイズが走るように生成されたそれは、訓練室の半分弱ほどの大きさだが、見覚えがあった。
「チライロウの子供だよ」
黒色というよりお、幼さを象徴しているのか、まだ緑色を強く残している。ただし背中から尾にかけての毛色が鮮やかだ。美しいとすら思えるそれは、しかし。
「――――!」
両手、両足を踏みしめるようにして躰を支えると、トカゲのような上半身を起こして、室内を震わせる咆哮を放った。
初めてだ。
「おいデディ、こいつは賭けにならねえ。びびっちまって一歩目も出ずにお終いだ、この間抜けども」
「ガキには荷が重たかったかな」
「――ンのやろ」
挑発かどうかは関係なしに、そこまで言われれば腹も据わる。
そこで、身震いするよう躰を震わせたチライロウの周囲に紫電が走り、一歩目で止まった。
「あら、じゃあお先に」
「うるせえ!」
すんなりとミルルクが前へ進んだのを見て、光風もまた足を踏み入れた。
良いことだ。
「おじさん、この装置、どういう言い訳にしてる?」
「ノザメで開発したものをセリザワに持ち込んで、それを持って帰ってきた」
「なるほどね」
どう考えても、セリザワでは開発できないシステムだ。仮に発想があったとしても、おそらく技術の飛躍が三度は必要になる。発掘品だとは思わないが――たぶん、限りなくそれに近いか、亡国の遺品か何かだろう。この技術を有しているエリアがどこかにある可能性もあるが、バランスが取れているとは考えにくい。
魔物を殺せばいい。
それは、とても安易で、危険な発想だ。何故ならば世界とは、バランスを保つものだから。
人が住めないのならば、相応の理由がある。逆に、魔物が棲めないのだって同じことだ。明確な区分を作らずとも、すみ分けが必要になって――魔物を全滅させれば人類の勝ちには、ならないのが現実である。
「ま、オーソドックスな戦い方だな。おいクソ教員、教えてんのか?」
「まさか。ミルルクは主席で学生会長もしているし、光風は課外授業の方が多い」
ミルルクが糸を周囲に展開して、避雷針の役割を持たせつつ、光風が動きを読みながら攻撃を行っている。
基本ではあるが、粗雑だ。よく見れば、背中で発生する雷があまり周囲へ拡散していないこともわかるはずだ。攻撃ではなく防御行為なのである。
「……よう、ディカ」
「なに父さん」
ファゼットは後ろ頭を掻いた。
「一ヶ月だ、お前の妹を連れてくる」
「――、……」
吐息を一つ、視線を一度デディに向けるが笑っていて。
「先に顔を合わせるのは光風?」
「おう、一ヶ月連れてく。今からでも基礎を教えるのは遅くねえ」
「……俺としては、やっぱり良いとも悪いとも言えないね。まだ魔物への態度だって決めかねてる。帰ってきたばかりだ」
「なおさら、そっちの方が特殊だってことを、教えなきゃならねえだろ」
「それを父さんがやるって点に関して不安はあるけれどね」
選ぶのは、ディカではない。
「ミルルクにはしばらく現実を教えろ」
「俺が? それは何の冗談かな?」
「お袋がいるだろ」
「ばあさんは何故か、俺に対しては面倒な態度だからなあ……」
「お前、あれだけ甘やかされといて、それか?」
「ええ? 甘やかされた覚えはないけど?」
「ははは、エレットさんは身内に厳しいくせにね」
「まったくだ」
「おじさんは?」
「ああ、僕はまだこいつの調整をね。ついでに使い方を教えないといけないから」
「諒解」
吐息を落とし、ディカは大きめの針を懐から取り出した。
緊張感を持ちながらも、戦闘をしている二人は、なかなかに騒がしい。それも当然で。
「いってえ! 雷いてえ! 指先がなくなってんじゃね!?」
「避ければ良いんですわ! ――ぐえっ」
「尻尾喰らってんじゃねえよ!」
などなど、楽しそうである。
いや決して本人たちはそう思っていないだろうが、少なくともディカは、こんな様子を見て、楽しそうだと思えるくらいには、この二人に育てられているわけだ。
そもそも、共闘は難しい。どれくらいかと言えば、鼻歌交じりに勝手に踊っている相手と、すっと入って一緒に踊れるくらいの難易度である。
「このままじゃ疲れるだけだ。おいデディ」
「データ取ったからもういいよ」
「だとさ」
「はいはい……」
帯電しているので、針を投げる場合、素材によっては影響を受けるので、まずはそれを除外するための術式を付与。あとは投げるだけだ。
左を前へ、つま先は投擲する方向への踏み込み、基本的にはボールを投げるのと同じだが、フォーム自体はやや縦を意識しての投擲になる。
距離に応じた力に加えて、回転数を調整し、あとは踏み込みの力がそのまま総合した威力になり――指先から放たれたそれは、縦の回転で飛んだ。
回転数はやや抑え、飛来速度を高める。一度、床に投影された映像の地面付近まで小さく落ちてから、浮き上がって狙い通りの位置に針は吸い込まれた。
前脚の付け根、内側。
四本足の動物の多くは、そこに心臓が存在する。
断末魔もなかった。ノイズが走るよう映像が乱れ、キューブ状になって散らばるようにして消える演出が入り、状況は終了した。
無言で振り向いた光風が、しかし、吐息を落とすよう頭を掻くと、床に落ちていた針を拾って戻ってくる。
「やあ、ミルルクもお疲れ」
「ちょっと怖かったですわー……」
水を渡して、光風から針を受け取った。
「一撃かよ」
「殺すだけなら心臓か首だよ」
「あーしんど」
光風も水を手にして、床に座り込んだ。
「おおいディカ、調整入れるから」
「ああうん、諒解。複数の種類混ぜるんだろう?」
「まあね」
ディカが腰裏にあった小太刀を鞘ごと抜いて、左手に持つ。複数の魔物が発生して対応を始め、ミルルクは動きを視線で追いながら、肩から力を抜いた。
「圧倒的な実力不足ですわね」
「まあなあ……」
「さて、俺はそろそろ戻って娘の面倒を引き継ぐんだが、――光風」
「おう、なんだ?」
「一ヶ月だ、来るか」
「――行く」
「それでいい。黙っておけよクソ教員」
「だからこうして黙っている……だが、必ず生きて戻れ」
「わかってるさ、学園長」
「……、……あ? そういやお前、学園長だっけ? 悪いな、忘れてたよクソ教員。よっぽど鏡の前で格闘してるだろうなそりゃ……」
「それは同情だファゼット」
「だからそう言ってる。それとミルルク」
「あ、私ですの?」
「お前は
「あー……ちょっと不安もありますけれど、構いませんわ」
「ん。――隠れてないで顔を見せろリリ、それとも俺に捕まえてほしいか?」
声をかけた途端、ヤだ、と叫び声があって、天井付近から顔を見せた女性が、下まで落ちてきた。
「はい!」
「これな」
「あー、リリットさん。
「まあね。ディカに頼まれて、監視と保護。騙されやすいというか、まあいいかって思うタイプだから、しょうがないのよ」
「聞いてたなリリ」
「うん兄ちゃん、私は賛成だけどいいの? 母さんは?」
「――どうとでもなる」
「相変わらず怖いなあ……」
「たかが一ヶ月だ、急成長は期待するな。顔の形が変わることもねえだろ……」
「ん? なんだそれ、どういう意味だ?」
「言葉通りだ。俺らなんかは殴られ過ぎて、鏡で顔を見るたびに傷が増えてたもんだ。じゃあリリ、連れてけ」
「あいよー」
「ああどうも――って、背負うんじゃなく担がれるんですの!? ちょっ、あれ!?」
「ちっこいし薄いし男相手の技術はちょっとねえ……」
「余計なお世話ですわよ!?」
「じゃあ兄ちゃん、また」
「おう」
ひょいひょいと軽い足取りで歩き去る二人――いや、一人と背負われた一人か。
「……間近で見るとすげえな。重心が一度も崩れてなかっただろ」
「あの程度で何を言ってんだ。まあいい、昨日の今日だから明日の昼までは休んでろ。着替えはいらねえし、装備もいらん。――いや、作業用のナイフだけ持って来い。剣は必要ねえ」
「わかった。つーか……剣買う金も、まだねえよ」
「そうかい。学園側はいいとして、お前は実家にまた顔を出して挨拶しとけ。必要なら俺の名前を出してもいいぜ」
「出さずに上手くやってみるさ。ま、じゃあ、よろしくな、エミリーさん」
「ファゼットでいい」
「あいよ」
だが確かに、昨日の今日だ。シャワーを浴びて休んでおこう。
それに。
開拓者と呼ばれた彼らのことを、もっと知りたかった。良い機会だ。
「お前は顔の形が少しくらい変わってもいいか?」
「嫌だけどな!?」
感覚というか、スケールというか、基準が違うのはどうにかして欲しいとは思った。
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