第8話 夢から現実へ戻り、日常を退屈と感じる暇もない

 ノザメエリアに戻ってきて、まず実感したのは空気の軽さだ。魔力の濃さの話をしていたが、こうしてみれば、なるほどと思う。躰が軽くなったような錯覚すらあった。

 さすがに翌日は一日中、寮の自室で寝ていた。学食もあるので光風みつかぜとしては非常に楽である。実家が近くにあるのだが、まだほかのエリアの住人も少ないため、寮に空きがあったから、こちらで過ごしている。

 さてと、朝になって授業に出ようと思った光風だが、少し遅くなった朝食を終えて校舎へ足を向けた――が。

 吐息が一つ、頭を掻く。

 身が入らない。常識が覆るとディカが言っていた意味を、ようやく知ることができた。

 魔物と呼ばれる対象には、戦闘か逃走か、その二つが前提となっている。それは当然のことだと今でも思うし、魔物が人とは違うのだという認識も、なくなってはいない。

 だが。

 人がそうであるように、魔物だって違いがあるのだと、そういう認識があって――。

 いや、正直に言おう。

 魔物と過ごしているディカが羨ましかった。

 それは勘違いかもしれないが、確かに意思の疎通がそこにはあった。

 コクロウのクロは、ミルルクも含めて群れでの動きを教えてくれた。こちらが失敗しても、もう一度やれ、みたいに短く吠えることはあっても、嫌そうな顔一つせず、狼としての動きを教えてくれた。最終的にはクロの子供たちに追いかけまわされて、舐められまくって、最終的に川へ入ったが。

 よく遊んでくれたのはトラコだ。ほとんどでかい猫と同じで、ごろんと顎を上へ向けて頭を地面につけるよう寝転がったので、顎から喉にかけてを軽く撫でたら、ゴロゴロと要求音を立てたので、よじ登るようにして喉の付近を撫でていたら、いつの間にか片手で地面に叩きつけられ、身動きが取れないどころか、爪が微妙に鋭利で怖かった。

 そっと手を離されても、動いては駄目だ。動けばまた手で押さえられる。しかし、動じずにそのままいれば、手で転がしてこっちの様子見をするのだが、その隙に立って逃げたら、構えを取って尻を振りながら狙いを定められ、決死のチェイスが開始。トラコは楽しそうだったが、こっちは死にそうになった。

 最低限の防御術式をディカに使ってもらっていなければ、殺されていただろう。

 冷静に考えれば、ディカという中心があってこそ、相手にしてもらえていたのであって、単独で行けば生き残れなかっただろう。けれど、楽しかったのも事実で。

 魔物という存在については、考えざるをえなかった。

 犬や猫という動物とは、明らかに違うように思う。むしろ彼らよりは、魔物の方が人に近いような気もする。

 安全性という意味合いでは、極端に、魔物の方が脅威でもある。何しろ、遊びの一撃が人にとっては致命傷だ。

 それに――。

 同じ遊ぶでも、ディカはほとんど無傷で通した。身体能力が違い過ぎる。

「あんま、考え込むと悪い方に転ぶんだよなあ……」

 深く入り過ぎて、それに囚われた経験もある。ほどほどが良いと思っているのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 躰を動かそうと訓練場に顔を見せても、壁に背を預けて腕を組んだまま、吐息を一つ。

 壁に当たったのか、それとも迷いが生まれたのか。

 あるいは一時的なものなのか。

「おい」

 飛来物を左手で受け止めれば、木剣ぼっけんであった。相手を見れば、冒険科の戦闘教員である。ぱっと見て細い印象を受けるこの男は、新入生に舐められることが多く、挑んではぼこぼこに負けている姿は、新学期によく見かける光景だ。

「ん?」

「ぼけっとしてないで、一手付き合え」

「おう」

 軽く、意識を切り替えるようにして壁から離れて、歩いている間に周囲を見れば、自主練をしている学生が数人いる程度であった。つまりこの教員は、監視員みたいなものか。

「悪いな」

「ふん」

 こっちが悩んでいる様子を感じての誘いに、とりあえず感謝を。大きく吐息を落とし、木剣の切っ先を地面に向けたまま、自然体で。

「いいぜ、どこからでも」

 相手は片手直剣、切っ先をこちらに向ける。

 ――ディカは、多くを教えない。

 説明はするが、それだけだ。習熟に対しては、あまり深く突っ込まないタイプであり、それはおそらく、ディカ自身がまだ成長途中であるが故に、教える立場にないとでも思っているのだろう。

 ただ、一つだけ教えてもらったことがある。

 踏み込みだ。

 足の小指から親指に向けて力を入れる、踏み込みの初動。これによって少なくとも、一気に力を出すことができた。

 そして残りは全部、いや、ほとんど、クロに教わった。

 獲物を狩る時、身構えたことを相手に悟られてはならない。相手の動きに注視しつつ、全域の状況把握を大前提とする。相手が隠れようとする場所、こちらが隠れながら近づく場所、そうしたものは適時、意識しなくてはならない。

 そして。

「――」

 攻撃の起点を見抜き、終点が見えたのなら、踏み込める。

 殺意はいらない。

 何故なら、殺意そのものは、一撃を決めてからとどめを刺す場合にものだから。

「――っと、悪い」

 教員がやったのは、踏み込みからの最短最速の突き。それがこちらに届く寸前に、斜めに踏み込みを行い、右側に避けて剣を持ち上げ、喉を斬る動きの最中に木剣から手を離した。

 教員からは、ぬるりと滑るよう懐に入られたかと思えば、喉に衝撃を受けたように感じただろう。それほど、タイミングが良かった。

「速いな……」

「おい、おい教員、学生相手に初撃が最速の突きってのは、一体どうなんだ?」

「ああ? 避けただろうがお前、クソッタレ」

「教員の立場を忘れんなよ……」

「直接の学生じゃないからいいだろ」

「黙ってろって催促か? まあいいけど……ほれ、返す。やっぱ身が入ってねえや」

「酒でも飲んで気分転換しとけ」

「それ、あんたがいつもやってることか? 学生に勧めるなよ」

「よくわからんが、何か言ったか俺は」

「へいへい……ありがとな」

 それもアリかと、光風は外に出て、その足で酒場へ向かった。

 よく食事に行く場所であるし、酒を飲む気分ではなかったが、馴染みの店ということで中に入り、炭酸飲料を頼むと、空いている時間だったので、テーブル席に座った。

 気軽に相談できる問題でもない。

 魔物との在り方を考えるなんて、冒険者に対して気楽には言えないだろう。何しろ、魔物を狩るのが仕事であり――そして、魔物を狩るからこそ、このエリアは安全を保てている側面もある。

 魔物の生態と、人間の棲家。

 一体その二つの混ざりあう場所は、どこにあるのだろうか。

「考えすぎ」

「んー」

「思うがまま、意思を見せれば、応じてくれる」

「そりゃ――っ!」

 確かに、ぼうっとしていたのは確かだ。しかし、それにしたって同じ席に女性が座ったのならば、間違いなく気付く。視界には入っていたはずなのに、あまりにも自然に彼女はいた。

「ん?」

「いや……いつのまに」

「さっき」

「はあ、なるほど」

 端的に言われると、返事に困る。見た限りではだいぶ年上のようだが、落ち着きと落ち着きのなさが同居しているような、矛盾した雰囲気を合致させているような感じだった。

「ええと」

「頼みがある。サギシカ商店は知ってる?」

「あ、ああ、はい、それなりに」

「じゃ、コレを店主に渡しておいて」

「いきなりだな……」

 テーブルに置かれたのは、青色の宝石がついた装飾品であった。

「大きいな、ペンダント?」

「ブローチ」

「悪い、あんま詳しくなくて。触っても?」

「どうぞ」

 本当に端的に話すんだなと思って手に乗せれば、掌サイズであることが確認できるし、重量もある――が。

「ん? なんかピリッとした」

「そう?」

「気のせいならいいんだけどな、今はもうないし」

「うん。じゃあお願い」

「え? おい」

「渡せばわかる。考えるより動け」

 おいと、もう一度呼ぶが、すぐに店を出て行った。随分と身軽な足取りであったし、自分勝手な猫のような姿は――ああ。

「ちょっとリコさんに似てるな……」

 何を考えてるのかよくわからないくせに、本心や本質を衝いてくるあたりとか。しかし、どうして自分で渡そうとしないのかは疑問だが、考えるより動けと言われたので、昼の忙しくなる時間より早く、店を出た。

 いつの間にか天気が変わっており、小雨が降っていたのが、どこか心地よいのならば、少し躰が熱を持っていたのかもしれない。ただ店舗に邪魔をするので、あまり濡れてもいけないなと、最短距離を選んで移動したら、開店を示す看板が外に出ていた。

 木の板をAの字に組み合わせたものは見慣れているが、そういえばとよく見れば、この、竜の顎に似た模様は何だろうか。屋号はサギシカなので、何か合致しているとは思えないが。

「おーう、邪魔するぜー」

 来客があるといけないので、念のため一言かけたが、客はいなかった――が。

「あ?」

 空気が張り詰めたような静寂があったのだが、しかし。

「何だ今の、慌てて片づけたっつーか、出入りを一瞬でやったみたいな騒がしさ、なかったか?」

「やあ、光風みつかぜ……」

 額に手を当てたディカは、作業机に座ったまま苦笑していた。

「なんだ? ……? 今日は妙に商品が少ないな。売れ行きがいいのか?」

「光風、その原因は君だ。何を持ってる?」

「――なんでわかる?」

「いいから」

「ああ……さっき、酒場で逢った人に、お前に渡してくれって」

 ポケットから取り出した大きめのブローチを渡そうとするが、手を出されなかったため、テーブルに置く。

「なんなんだ?」

「うちにある商品のほとんどは、意思がある。このブローチに怖がって、一瞬で逃げたんだよ。で、うちの倉庫で眠ってた無精者が、いくつか顔を見せたんだよ」

「は? 商品だろ?」

「うん、物品にだって意識はあるからね。うちに並んでるのは、誰かの手に渡りたい誰かだよ。――しかし、まあ、また厄介なものを持ち込んでくれるなあ」

「おう……頑なに、お前が一度も触ろうとしないのを見て、マジで厄介なんだろうなと思えてきた」

「んー、光風はほとんど魔術が扱えないだろう?」

「……まあな」

「その理由を、だいたい察してはいたけれど今、まさに証明されたよ。これは古代文明の遺産アーティファクトだ。発掘物とも呼ばれるけどね。さすがにこれは、俺の手に余る」

「そう言われてもな……」

 光風も、渡すよう頼まれたに過ぎない――と思っていたら、二階から長毛種の猫が降りてきた。

「うお……でけえ、格好良い……」

「グラ? ああ丁度良い、呼びに行こうかどうか迷っていたんだ」

 太ってはいないが、大きい躰のこげ茶の猫は、カウンターに飛び上がって近づき、差し出したディカの額に自分の頭をこすりつけるような挨拶。羨ましい。

「うん、悪いけれど頼むよ」

 猫の前足がブローチの中心に乗せられると、目算で二十枚以上の術陣が展開した。更に数を増やそうとする術陣はしかし、途中から一枚、一枚とランダムに壊れてしまう。

「グラは――まあ、うちの親というか、センセイの猫になるのかな。魔術師としては俺以上で、どちらかと言えば俺たちの保護者みたいな猫だ」

「保護者かよ……」

「まあね。いつもは部屋に閉じこもって、リコげぼくを使って生活してるよ」

「え? リコさん世話すんの?」

「リコは正直だからね、、ちゃんとやるよ」

「ああ、そういう……」

 カウンターを迂回して、ディカが出てきた。

「ちょっと離れよう、グラの邪魔になりそうだ」

「おう」

「オリナを降ろした人形があったろう? あれのもっと高度な代物だよ、これはね。言うなれば自動人形オートマタコアなんだろうけど、魂の残滓が感じられた」

「確か……屋敷の管理とか、料理とか、そういう補助をさせるのが自動人形だったよな」

「そうだよ。限りなく人間に近しいものも、まあ、作れなくはないね。オリナの場合と違うのは、魂がそもそもあるのか、それとも作るのか、だね」

「魂なんか作れねえだろ……」

「可能だよ? 俺はやろうと思わないし、今はまだ、できないけどね。これは召喚の術式に関連して言ったと思うけど、自動人形も制限をつけた方が良い」

「あー……なんでもできる、は難しいから、客の対応、料理、掃除みたいに、単一の仕事だけをやらせる人形を作るってことか」

「まあね。セリザワエリアだと、そういう魔術系の研究も進んでいるよ。ただ、そこらにいる侍女と比べれば、まあ、見た目も行動も残念だけど」

「期待しないでおく。それより……グラさんも術陣を使うんだな」

「ああうん」

 そもそも、魔術における術陣とは、ほとんど具現する意味合いはない。元は術式の改良などの研究において、可視化することの優位性を保つため、展開式と呼ばれる独自の構成展開を行うのだが、その発展形である。

 逆に言えば術陣とは、こういう術式を使いますよと、示している。一般的な魔術においては、具現したものは全てが現象に直結するため、予備動作を感じるのは難しいのだが。

「術陣を使うメリットより、デメリットのが大きいって話は、学園でも聞くぜ?」

「はは、まあね。でもセンセイが術陣を使っててさ、俺はそれを真似していて、グラはセンセイの弟子というか、まあ、そういう立ち位置だったから、自然とね――ん? どうかした?」

「ああいや」

 腕を組んでいた光風は、首を傾げて。

「デメリットって、行動が一つ増えるってのと、相手に読み取られるってのが大きいだろうけど、少なくともお前の術式を見た限りだと、どっちもデメリットになってねえなと、改めてな」

「そう?」

「一つ増えてるように見えて、魔術構成なんてのは、術式に必須だろ? それは見えないだけで、準備してるわけだ。それが見えるようになったからって、見せる行動が増えたと考えても、それほどの労力じゃねえだろ。加えて、お前の速度だと読み取る前に終わってる」

「熟練者相手だと、そうでもないんだけどね……」

「おう、それな? 最近は嫌味に聞こえなくなったから」

「たぶんそう聞こえるだろうなあ、と思いながら言ってたよ――ん? あ、グラ、封印じゃなく抑制収納の方へ転換した方が良いって、うるさいのが言ってる」

「誰だそれ」

「あー……ま、そのうちわかるさ。うちの店は、それなりに厄介な代物がやってくる――と、これは穂波ほなみについ先日、教えたばかりでね」

「本当に少なくなっちまってるなあ……がらがらって感じ」

「さすがにあのブローチは危なすぎる。普通の魔術が扱える人間なら、手にすることはできないよ」

「あー、俺は触った瞬間、ピリッとしたくらいだけど」

「だから、魔術が使えないってことを証明したわけだ」

「なるほどな。――あ、何も聞かれなかったけど、なんかリコさんに似てる雰囲気の人から預かったんだけどな?」

「ああうん、予想はしてたけどそれ、うちの母さん」

「……あ?」

「だから母親。椋田くらた陽菜はるな。こういうのを出土品と呼ぶこともあるんだけどね、開拓のついでに見つけて来ることがあるんだ。父さんがこっちにまだいるのは知ってるから、隠れてこっそり来てたのかなあ」

「不思議な人だったな。いつの間にかいて、勝手に置いてすぐ消えた感じ」

「リコはだいぶ影響を受けてるからねえ――つまりグラ、文句は母さんに言っておいてくれ。俺に言われても困る」

 作業を終えた猫は、ため息を落とすような一息があって。

「――この程度、自分でやれ、未熟者」

 女性の声でそう言うと、カウンターから降りて二階へ向かった。

「叱られたなあ……」

「おい、おいディカ、俺は言葉を話した猫に対してか、椋田さんに対してか、どっちを先に反応すべきか迷って、あれだ、なんだ、もう、――驚かなくなったら負けか?」

「勝ちか負けかはともかく、馴染んできたみたいだね」

「良いのか悪いのかもわかんねえ……!」

 たまにミルルクが頭を抱えている気持ちが、よくわかった。

「で、もういいのか?」

「うん、俺でも触れるようにはなったみたいだ。これも倉庫だな、とりあえずは」

「解析はしねえのか?」

「厳密には、できない、だね。さて――じゃあ、運搬の対価を渡そうか」

「は? いや、いらねえよ」

「そういうわけにはいかないよ。こう考えて欲しい、俺が手で触れることもできなかった代物を、ここへ運んだんだ。報酬を支払って当然だろう?」

「あー……」

「ということでね、そこにある一冊の本をどうか持って行ってくれ。うるさくて邪魔なんだ」

「おい? どう聞いても、報酬を支払うっつーか、面倒だからとっとと在庫処分したいって聞こえるんだが?」

「気のせいさ。ここに出てるのは、少なくとも光風に興味がある連中だからね」

「これか?」

「そう、それ」

 厚い本であった。表紙も固そうであるし、十センチほどの厚さであるから、片手で読むのは難しい。どちらかといえば、膝の上に置いて読むタイプだろう。自分には似合わないだろと手にしたら。

『――よう、光風ちゃん。未熟者とは言ったけど、グラだってまだまだ、甘いねえ』

「うおっ!」

 思わず手から離れた本が、角をテーブルに当て、音を立ててから元の位置へ。

『おっと、いくら俺が本だからって、痛みはなくても。物は大事にって教えて貰ったことがないなら、ここでちゃんと教えた方がいいのかい?』

「……おい、なあおいディカ?」

「うん? いやあ、所持者がきちんと決まると、そのうっとうしい嫌味も聞こえなくなるかと思えば、同一空間だとその限りじゃないって事実に、頭が痛くなりそうだ。ちょっと待ってて、倉庫に置いてくるよ」

「おう……」

 いや待て、置いていくな一人にするなと思ったが、さすがに子供っぽい台詞になりそうだったので、ため息を一つ落としてから、改めて本を手に取った。

「で、お前なんだよ」

『なにって、もしかして今までの人生で本を見たことがないとか、そういう特殊な生活を常としていて、世間ズレしているタイプかい? やれやれ、これはまたエスパーとはいえ、教育が必要だなあ。俺にとっても初めてだけどまあ、どうとでもなるだろうぜ』

「うるせえよ。あとなんだエスパーって」

『超能力者って呼ばれ、行使した力をESPイーエスピーと総称する存在だねえ。本来はサイキックとか、いろいろ区分はあるらしいけど、面倒だから総称にしてしまってる。魔術と違ってそういう分類に、意味を見出さないからね。可能なら同じことだ。あくまでも、エスパーに関してはね』

「……お前さあ、最初と最後だけでいいんじゃね?」

『それは君が中間を理解できないっていう証明をしたいのか?』

「こいつ……」

『ま、これからよろしく。ああ俺はケイジでいいよ、そう呼ばれてた。元はディカちゃんがセンセイと呼んで尊敬してたあの女の、所持物でね』

「――? ってことは、お前も異世界に?」

『そうなるね。おっと、一応言っておくけれど、俺の言葉が聞けるのは限定的だから、第三者が見てたら君は独り言を放ってる、どうかしてる人にしか見えないから、鏡の用意をしておいて笑わないとな』

「お前性格悪いだろ」

『誰と比べて?』

 そういう返答が一番だと、小脇に抱えて額に手を当てた。

「……超能力ってのは、実用的なのか?」

『使い方次第、なんて誤魔化しをするまでもなく、実用的だ。けれど君の疑問はおかしいぜ? 人間の躰って実用的なのか、なんて猫族が言うのとそっくりだ』

「猫族とか、また新しい名称が出てきやがる……なんだそれ、モフれるのか?」

『グラがそうだぜ。彼女は人型にもなれる。まあ、猫の亜種くらいに捉えておいて問題はないさ』

「へえ……とりあえず、はっきりさせておくことが一つある」

『なんだい? 所持者は君になったから、俺をどっかに放置しておいても、ちゃんと戻れるようにはなったし、焚書ふんしょしたくても、俺には通用しないけれど、一応その一つとやらを聞いておこうか』

「在庫処分したくなるディカの気持ちが少しわかってきた」

『少し? おいおい、俺はディカちゃんに対して、こんなに言葉を重ねたのは、もう随分と昔だぜ?』

「あー、ああ言えばこう言うって典型だろ、これ。だから、いいか?」

『本題を待つための軽快なトークじゃないか』

『俺は本だぜ、見たことないのかい? よっぽど教養って言葉が遠いらしい――待てよ、さては光風ちゃん、教養って言葉を挨拶か何かと勘違いしてるんじゃ……?』

「この野郎……!」

「――魔術書だよ、ソレはね。物品に意思が宿った典型だ」

「ディカ、助けてくれ!」

「それは俺に言われてもなあ……」

「だいたい、魔術書ってあれだろ? 前提としては、魔術の教材。本質は魔術師が適当に描いたメモだって聞いたぜ?」

「思いのほか、正しい知識で驚いたよ。まさにその通り、魔導書のように危険性はないよ。そいつは口うるさいけど」

「こんなにはっきり話すもんか?」

「そこはもう、センセイの所持品だったから――と、納得して欲しいね」

「本当に、どういう人なんだよ……?」

『語れば語るほど、信憑性は薄くなる女さ。俺はアレ以上の魔術師を知らない』

「そして、話せば話すほどに、魔術師という単語に収束する人だよ」

「……わかんねえなあ。いや、まあ、いずれか。とにかくこいつは預かれってことだな?」

「そうなるね」

「諒解だ。……まだ夢から抜け出せねえくらい、落ち着いてないけどな」

「抜け出せてないのは、ミルルクだろうけどね」

「あ?」

「いやべつに。午後からデディおじさんに呼ばれてるんだ、学園へ行くけど、一緒にどう?」

「ん、ああ、邪魔じゃなければ」

「なんか訓練場に新しいシステムを導入したから、テスターをやれって話でね。気分転換にもなるだろうしね」

「おう、なら付き合うか」

「軽い昼食を作ってくるから、休んでていいよ。今日はもう店じまいだ」

「頼んだ」

 いつものソファに腰かけ、吐息を一つ。

『疲れてるねえ』

「誰のせいだと思ってんだ……?」

 よくわからないことだらけで、勝手に周囲が変化しているような気がする。取り残されたような気分がないのは、良いことかもしれないが。

「……、……おい」

『うん? 俺か?』

「お前、開かねえぞ?」

『そりゃそうだ。ディカちゃんだって開いたことはないんだぜ』

「本は読むもんじゃねえのかよ!?」

『そういう固定観念を崩すところから、成長ってのは始めるものさ』

 こいつさては、都合の良いことを言ってるだけだな……?



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