第6話 フィールド名、常夜の嵐

 どんな時に、疲労は積み重なるだろうか。

 先の見通しが見えず、一体いつになったら終わるのか、わからない場合。

 失敗ばかりが積み重ねられ、行動を改めることばかりが続いたり。

 やっと見つけた正解が、次の失敗の積み重ねに派生したり――まあ、つまり、スライドした地形に行ったかと思えば、これは違うと元に戻り、また改めてスライドしてと、そうやって行動を繰り返していれば、同行しているだけでも疲れてしまう。

 なんか景色が変わるたびに反応すると酔いそうだなと思った光風みつかぜは、完全にディカ任せにしてしまい、手元の針をもてあそんだ。

 まだ七本ほど持っているが、昨日はろくに当てることができなかった。あえてディカは何も言わなかったし、ミルルクも似たようなものだったが――。

「力加減だなあ……」

「うん?」

 スライドの待ち時間、ため息と共に言葉を口にしたのならば、ディカが振り返る。

「ああ、針?」

「おう」

 親指で弾いた針は回転し、手のひらに落ちる。釘のようではあるが、両端が尖っているタイプのもので、形状そのものも種類はあるそうだが、一般的な部類らしい。

「昨日はとりあえず実践ってことで、あれこれ投げてたけど、これ難しいなあ」

「そうですわね。一定距離なら当てることもできましたけれど、実用を考えると頭が痛くなりますわ」

「ああうん、慣れもあるから」

「そもそも投げるって行為自体が、こんなに難しいとは思わなかった。普段から俺が、どんだけ適当に力の制御をやってるのかがよくわかる」

 難しいのだ。

「思い切り力をかけると、そもそも飛ばないんだよな」

 針の先端を持つようにして、ボールを投げるよう思い切り力を入れると、針はほとんど前方へと飛ばず、その場の空中で勢いよく回転するだけとなる。

「つまり、この回転の力を落として、前へ飛ぶ力に変えてやるわけだろ? 両端が尖ってんだから、簡単に刺さると思いきや、そうでもねえんだよなあ……」

「あー……」

「なんだよミルルクさん」

「いえ、威力を考えるからそうなるんですわね」

「……そうなのか?」

「もちろん、それも必要ですけれど、距離と回転数ですわ」

「ああ?」

「対象との距離、自分の腕の長さ、それから投擲における力での回転数。物理というか、数学というか」

「感覚じゃ掴めねえのか?」

「あなた、一歩ずつ進むって言葉、理解してますの?」

「とりあえずやれってのが、流儀なんだけどなあ。まだいろいろ考え中」

「でも、光風の戦闘方法だと、針なんて扱えないだろう?」

「そうかもしれねえけど、相手が扱う場合はその限りじゃねえっつーか、知っとかないと致命傷だろ。冒険者たちが、俺を見てにやにやしてるわけだ……」

「彼らはあまり口出ししないからね。特に、現場に出ないうちは、できるだけやれ、やるだけやって失敗しろ、それが成長だ――ってね」

「ちなみにディカ、このサイズの針は?」

「練習用としては最初に扱うものだし、攻撃力だけを主眼にしたのなら、二番目に威力が出るよ。太ければ太いほど、重量があるからね。行くよ」

 また地形が変わる。

「うん、ここだ。次は……っと」

「おいおい、なんだこりゃ。地形全域が傾斜になってんじゃねえか。高ぇなー」

「狼系の魔物が縄張りにしてるから、気をつけてね。傾斜に背中を向けると、飛びかかられて後ろ首を噛まれるよ。また少し留まるから」

「おう、任せてある」

「……ま、針はね、こう言いたくはないけど対人用だ。外で使うのは、テントを立てる時くらいなもんさ」

「対人か……?」

「もっと言えば、――暗殺だ。牽制とか、そういう用途にはならない。本気のリコが対一戦闘で使う場合であっても、針一本で致命傷を狙うからね。針は音もないし、距離も作れる。つまり、投げてからでも充分に隠れられるし、逃げられるってわけ」

「それ、対暗殺用に可能性を考慮して、対策しておけってことですのね……?」

「半目になってるミルルクは可愛いなあ」

「お前そういうこと、よく言えるな」

「え? 可愛いだろう?」

「スノーラビとどっちが可愛いか教えてくれ」

「あー…………うん、もっと細い針だと、こういうのもあってね」

「この男は……!」

「冗談だよミルルク」

「どこまでが冗談ですの?」

「さてね。ただまあ、俺の美的感覚というか、そもそも人と触れ合う機会ってのが昔から少なかったから、付き合い方がよくわからないってのも、嘘じゃあない」

「それはどうかしら。上手くやってますわよね? 客商売ですもの」

「ちょっとズレてんなあと、思うことはあるな。主に、隠してることを聞くとそう感じる」

「ううん、そんなものかな」

「つーか、そろそろ疑問が二つ。いいか?」

「なに? あ、スライドするよ」

 地形が変わり、ああここじゃないと、また戻る。

「まず一つ、昨日からちょっと心配になってんだけど、俺ら帰れるのか?」

「もちろん。帰りの方が早いよ」

「早いんですの?」

「イメージとしては、太いゴムを引っ張ってる感じかな。今は握ったまま力を入れてるけど、踏ん張る足を外せば、ゴムは一気に戻るだろう? そういう感じで帰れるよ」

「なら、今までずっと引っ張ってましたのね」

「――距離と、数だな?」

「飛躍したね光風、それが基本だよ」

「何が飛躍しましたの?」

「いやミルルクさん、一本の紐だけじゃ安全性が低いだろ。複数本用意するとして、開拓って作業はその紐を増やすのが仕事だ。アンカーを打った位置から、命綱みてえに、何本も抱えながら歩いて、状況を知る。そして、その紐が切れるなら、地形のスライドによって、アンカーの位置が紐の長さを越えた時だ」

「ああ、なるほど、そういうことですのね。けれど……相当な情報量ですわよ?」

「だから、一日やそこらで終わる作業じゃないってことだよ」

「任せてあるし、それを聞いて安心はした。でだ、もう一つ。――どこへ向かってる? 今まで黙ってたのはサプライズだろうが、そろそろ聞かせろよ」

「ああうん、俺の故郷だよ。物心ついた時からいて、父さんたちに拾われるまで過ごしてたところ。実は、年に一度くらいは帰ってるんだ」

「ああ、帰郷ですのね」

「里帰りかー。ミルルクさんもやってるのか?」

「もちろんですわ。今回は予定外でしたけれど、何故か帰ると肉祭りですのよ? どうしても太らせたいらしいんですの」

「そりゃ仕方ねえだろ」

「あぁ?」

「睨むなよ……で、ディカ。どういう場所なんだ?」

「それはついてのお楽しみ」

 さぞ楽しいんだろうなと、その時の光風は思っていた。ミルルクはしかし、視線を左下に落とすよう、湧き上がる不安に対する解釈を考えていて。

 おおよそ、三十分後。


 ――彼らは、そこに、到着した。


 分厚い雲が空を覆い、うす暗いその地形は、見通しが効くのにも関わらず、どこか、でこぼことした状況を見ることができる。

 だが。

 何がどうと、一気に噴出した疑問を口にする前に。

「おや? なんか騒がしいね」

 不定期に揺れる地面からの振動を感じたディカは、迷わず二人の肩に触れてから、空間転移ステップの術式で一気に上空まで移動すると、空気の足場を作って停止。

「う、お――!」

 魔物同士の争いがあった。

 白の獣、黒の獣、そして雷を躰にまとった――。

「あれがチライロウか!?」

「一匹は倒れてますわよ!」

 縄張り争いとは違うなと、ディカは一歩を前に出た。

「――クロ!」

 空気を震わせるような声量で放たれたそれに、応じるよう黒の獣がこちら、上空に向けて狼の咆哮を上げた。

 ただそれだけでいい。

 充分に、それがディカの帰還を全域に教えてくれている――ならば。

 あとは。

「ちょっと待ってて」

「おい!?」

 飛び降りるよう勢いをつけて、白と黒の間にいるチライロウへ向かって落下し、爬虫類を巨大化したような顔に向けて、手のひらを当てた。

 上から見ればわかる。

 チライロウの瞳よりも、ディカは小さかった。

「――こら!」

 それなのに、ディカの一撃でチライロウを中心にして地割れが発生し、顔の半分が地面に埋まるほどの威力が、そこに作られた。

「よそから来たなら、ルールを守る。場を荒らすな!」

 低く、唸るような声と共に、背中の毛が触れ合うようにして電撃を――。

「うー、じゃない! 文句を言うな!」

 ディカは。

 一度地面に降りると、思い切りチライロウの胴体を蹴り上げ――もう一度、腹部を蹴って仰向けになるよう、地面に叩きつけた。

「まったく、起きたら説教をしなきゃ――ぬお!」

 慌ててディカが飛び上がり、空間転移で元の場所に戻ってきた。

「……危ないなあ」

 ちょうど、倒れたチライロウを、巨大な足が踏みつけていた。視線を辿れば、雲の下にどうにか腰が見えるだろう、という感じの両足が、何か踏んだなあ、まずいのかなあ、ごめんよう、みたいな腰の動きで少し慌てて、おそるおそる足を動かし――次の一歩、大きく二歩、そして、山のてっぺんにゆっくりと腰を下ろした。

「俺が帰ったから、挨拶のつもりだったのかなあ。チライロウはあれ、駄目だね、食料だ。さあ、下に行くよ?」

「ちょっ、ちょっと待ってくださる!?」

「え、なにが?」

「なにがじゃねえよ!? 何だよここ! 下魔物だらけで、しかも、でけぇよ! あんな魔物知らねえよ! 怖ぇよ馬鹿!」

「大丈夫、得物を抜かなければ敵対はしないよ――たぶん」

「たぶん!? お前今、たぶんって言っただろ! 言ったよな! な!?」

「うん、うん、俺が期待した通りの慌てっぷりで、これ以上なく満足だよ」

 改めて二人を抱えて、地面に転移して、大きく吐息。

「――やあみんな、ただいま。この二人は俺の友人だ、よろしく」

「お、オウ……?」

「よろしくって、ちょっと、なんなんですのー……?」

 言葉が出てこない。

 何より、傍にきた白の獣がディカの躰より大きな片手を差し出し――たかと思えば、そのまま引っかけるように抱えて引き寄せ、尖った自分の鼻で押さえつけながら、懐に持ち込んでいて、反応もできない。

 相手は魔物だ、死んでもおかしくない動きなのに、キューキューと鳴きながら嬉しそうにディカを可愛がる白の獣は、いやこれ白の狐だ、尻尾が九本あるぞと気付いたけれど、殺意とは違う威圧感が強すぎて、本当にどうしたものか。

「あははは、マシロ、ちょっと、あははは、呼吸できなくなるから、ほどほどにね?」

「えー……?」

 でかい。

 とにかく、大きな魔物ばかりで、とても怖い。

「うおっ!」

 いつの間にか背後にいた黒の獣は、間違いなく狼で、狐ほどの大きさはないにせよ、鼻を突きつけられた光風は、そのまま尻餅をついた。黒色の体毛が綺麗で、青色の瞳がこちらを射抜けば、身が竦む。

 何度か、匂いを嗅がれた。

「やあ、クロ。さっきはありがとう。――はいはい、ちょっと待っててねマシロ。大丈夫、しばらくいるから。でだクロ、俺たちはこれからキャンプの準備だ。光風はまだまだ経験不足だから、狩りの仕方を教えてやってくれ」

「おい!? ――うおっ! 怖ぇ! 服を噛んで持ち上げられてるよな俺!?」

「光風! 全身全霊で、まずは見て覚えるんだ! 言葉は通じなくても、意思は必ず通じる! 全力で教えを請うんだよ!」

「マジかよ!? ぬあっ、お――たっけて……!」

 そのまま狼が走り出せば、すぐ、光風の声は聞こえなくなった。

「もうなんなんですのー……?」

「ああうん、チライロウはたぶん、ほかの地形からスライドして来たんだろうけど、ちょっと疑念が浮かぶところではあるね」

「そんなこと聞いてませんわよ!?」

「はいはい、もうちょい落ち着こうね。マシロ、ミルルクをお願いね。俺はチライロウを解体して、餌にするから。欲しい子たちがいるなら、呼んでおいて。はいミルルクはこっち。ここに座って、前足の付け根くらいに背を預けて――こんな感じで、リラックス」

「リラックスできませんわよ……」

 口笛でも吹きそうな足取りで、先ほど踏みつぶされたチライロウのところへ向かえば、小さな――といってもディカよりは大きいが――狼や、蛇、それから猫のような魔物たちが、ぞろぞろとついて行く。解体作業が始まれば、落ち着いて彼らは待ち、生肉が放り投げられれば、それを口にした。

 大きく、深呼吸を一つしたら、白色の狐がミルルクの傍の腕に、自分の顎を乗せるよう、僅かに丸くなる。猫が腕を枕にして寝る時の姿勢に似ていた。

「ええと、マシロさん?」

 言葉が通じないのは、わかる。さきほど光風に言っていたよう、感じるしかないのだ。

 けれど、その瞳を見ていると。

「――そうですわね。ディカは、こちらでも上手くやってますわ。ともすれば私が困るくらいには」

 言えば、言葉は理解しているのか、僅かに目が細められる。怖さはなく、嬉しいのだと断言はできないが、通じているという確信はあった。

 だから、ミルルクは視線を一度落としてから。

「少し、触ってもよろしくて?」

 問う。

 返答はなく、動きもなかったので、それを肯定だと受け取って、恐る恐る、背中に当たっている腕の付け根付近の腹部を、軽く触った。

 どう表現すべきだろう。

 矛盾するかもしれないが、とても柔らかい針のような毛並みだ。

「綺麗ですわね――」

 無垢むくと、そんな言葉が思い浮かぶような白色。嫌そうな顔もされなかったので、何度も、ゆっくりと表面を撫でる。簡単に抜けるような毛ではないようだが、艶がとても美しい。

 人にはない、美しさだ。

 しばらく撫でていたら落ち着いてきたので、一度マシロを見てから、周囲に視線を向ける。

「凄い場所ですわね。常識が何なのか、考えたくもなりますわ。マシロさんはずっと、ディカと一緒に?」

 問えば、肯定のような、否定のような、鼻がすぴすぴと上下に小さく動く。

「――ふふ」

 笑う。

 相手が〝魔物〟であることを忘れて、笑ってしまう。

「可愛い動きですわー」

 ぱっと見れば犬のような顔で、動きも犬に似ているかと思いきや、どちらかと言えば猫のようで。

 サイズ感の違いによる脅威はあれど、警戒するだけ無駄だと、ミルルクはただ、寄りそうことを選択した。そして、その雰囲気をマシロがすぐに察して、鼻の横をミルルクに近づけて、軽く触れた。

「あら、挨拶ですの? ありがとう、マシロさん」

 まるで、その態度が正解だと言われたようで、ミルルクはそのまま身を任せた。

 それにしたって。

 ここは、どういう場所なのだろうか。

 先ほど、山のてっぺんに腰を下ろした魔物を見れば、どういうわけか、腰から上がない。てっきり雲で隠れているだけかと思いきや、腰から下しか存在していない。いや待てと、腰を下ろしてる山みたいなのあれ、なんか動いてるけどドラゴンの一種だ。飛ぶタイプではないが、尻尾もあるし、顔はたぶんどっかにある。というか、重量を支えてるのかあのドラゴンすごい。

 ディカは二匹目の解体を始めており、食事にありついた猫が、こちらにやってくる。虎か? とも思ったが、やっぱり猫で、どちらかと言えば鼻が潰れていて、長毛種であり、なんかブサイクなのだが格好良い――。

「あら……」

 よくわからないなと思うし、サイズ感が狂っている。

 尻尾は胴体と同じくらいの長さなので、そもそも、なんてものはどこを計測するのかよくわかっていないし、だいたい猫は躰が柔らかいから、両手の脇に手を入れて持ち上げると、何故か伸びる。なので、胴体のみの目測なら、おおよそ六メートルほどだろう。

 大きい――と感じるはずなのに、背もたれにしている狐の尻尾、一つぶんよりも小さいのだから、さて、どうしたものか。しかも何故か近くにきて欠伸をすると、ごろんと横になって毛づくろいを始め、猫の右手がミルルクの脇をつつくような配置。何故というか、大きい魔物というより、ただの猫だと考えれば、納得できる行動だ。

 虎柄に似た毛色なので勘違いもしそうだが、やっぱり猫なのである。

 ――それはそれとして。

 身動きしていいのかどうかが、よくわからない。マシロは寝ているようだし、猫は毛づくろい中。白蛇が前を横切る前、顔をこちらに向けるがこれ、一口でぺろりのサイズだ怖いなにこれ、あ、どうもと軽く頭だけ下げて挨拶としておく。

 同じ魔物が群れになっていない。

 少なくとも、見える範囲では、そうだ。このサイズが群れになっていたらたぶん泣くが。

「よーし、終わり!」

 声を上げたディカの方を見れば、二匹目の解体を終えており、よくわからないが首の長い大きな鳥が、残った皮を口で咥えて飛び去っていた。両手には生肉がブロックで二つあり、そのお陰でディカの姿が見えない。

「よっと」

 ひょいと投げれば、二十メートルほど離れたこちらに落ちる。更にブロックは三つ追加され、ナイフをしまったディカがこちらへ来た。

「やあ、お待たせ。解体してみてわかったけど、チライロウは狼っていうより、むしろトカゲに近いね。一番美味しいのはたぶん、尻尾の付け根付近か、背中だよあれ――なんだ、トラコもいたの。ああもう寝る? うん、寝てていいけど、ここらで火を熾すから気をつけてね」

 その言葉に対する返答は、尻尾の先端を軽く動かし、ぱたんと地面を叩く動きだけだ。完全に猫である。

「この子、うちに欲しいですわ……」

「悪食だから、一食につき牛一頭くらい必要だよ。さてミルルク、肉の処理を頼むよ。干し肉も作るから」

「ええ」

 少し周囲を気にして立ち上がり、肉に近づくミルルクを見て、諦めか慣れかはともかく、落ち着いた様子を確認して、ディカは背後の森を振り返った。

「モリゾー、枯れ木が欲しいからちょっと移動してー」

 言えば、巨大な森がごそごそと地表を這うよう、横に移動した。

「……森ですわよね?」

「うん、森の形をした魔物だね。地面の上に薄いシートを敷いて、その上に木が生えてるイメージ? そういう感じのやつ」

「なんでもありですわー……」

「あー、だいぶ落ちてるね」

 何かの術式なのだろう。広範囲、一気に表面を撫でるようにして枯れ木を集め、脇に積んでいく。ミルルクは肉の処理、ディカはモリゾーに一言放ってから、木の表面を削って木くずを作り、そこに火打ち石フリントで火花を散らして火を作った。

 ちょっと水を汲んでくる、とその場をディカが離れ、戻ってきて、陽光がないからわかりにくいが、とっくに昼過ぎの時間になってしまった頃、黒色の狼が光風みつかぜを咥えて戻ってきた。

「あ、おかえり」

 きちんと地面まで口を持っていって、離す。座った狼は尻尾を左右に揺らしていた。

「ありがとうクロ。食事は? まだあっち、肉を残してあるけど、子供たちのぶんも持っていく? ――ああうん、構わないよ。今日はここにいるから」

 わふ、と低い音色で小さく吠えた狼は背中を向け、肉を持って走り出す。よろよろと起き上がった光風は、置いていった自分の荷物からタオルを取り出して顔を拭いて、座り込んだ。

「……あー」

「お疲れですわね? だいぶ汚れてますわよ?」

「そりゃそうだろ。いやもうちょい説明くれよディカ、マジで何なんだよ……?」

「勉強になったろう?」

「最初はな? 何故か俺が獲物判定で集団攻撃されて、マジで逃げようと思ったら、逃げ場を作らされて誘導されてる事実に気付いて、こいつらすげーって感じてな? どういうわけか途中から、子供の狼――いやあれ、俺よりでけえんだけど、妙に懐かれて遊ばれてな?」

「あー、子供は元気だからね。それは魔物でも一緒。ただ加減はしてただろう?」

「ひっかいたり噛まれたりがなかったけどな!? 三十分以上、逃げたり応戦したり走りっぱなしで、すげー尻尾揺らしてんだよあいつら! 楽しそうで何よりだよちくしょう! 今まで学んできたもんが何一つとして通用しねえ……!」

「ああうん」

「なんなんだよここは……! 妙にでこぼこした丘だと思ってたらあれ、でけぇカエルの上じゃねえか! 土をかぶってるタイプの! 目玉の傍に行ったら睨まれて逃げたっての!」

「ここは常夜とこよあらしだよ?」

「わかってんだよそんなことは! お前もわかって言ってんだろーが! ――はあ、はあ、はあ」

「うん、落ち着いたようで何より」

 火の横に岩を二つ置き、その間に網を通す。肉も焼けるし、食べられる葉や果実なども焼ける。ここまでのスライドで、それなりに集めていたのだ。

 肉を焼いて食べていれば、どこかぼうっとした光風が。

「やべえ、この猫でけえ。うちで飼いたい……」

「ミルルクも同じことを言ってたけど、爪とぎで森が一つ駄目になるよ」

 半分は現実逃避であった。

「とりあえず、ここもスライドは大丈夫なのか?」

「ああうん、常夜の嵐はほかの場所も知ってるけど、スライドは

「――しない?」

「そう、しない」

「ではここへ至ろうと思ったら、別の手段が必要ですわね?」

「そうなるね。故に、最奥部と呼ばれることもある。前人未踏――何故なら」

「踏み入ることに手段が必要で、帰るのにも必要だから、だな」

「うん。ちなみに、ここは俺の故郷だけど、俺が許されている一番の奥地であることも確かだ。これ以上は許されてなくてね」

「――これ、以上ですの?」

「ああうん、父さんたちはここから先によく行くよ。一応聞いてるけど、まあ、言わない方が良いだろうね。ただ、考察としてはこうだ。ノザメエリアから一本の道を想定して、奥地に到着したのなら、奥地から先に行けば、何かしらのエリアにたどり着くんじゃないのか?」

「なるほど……そういう可能性もありますわね」

「ほかの常夜の嵐も、こういう感じなのか?」

「あーいや、どうだろう。こんなに落ち着いた場所は、他にもあるのかなあ。俺がまだ物心ついた頃は、かなり彼らも争ってたからね。縄張り争いというか、生態がかち合うというか、気に入らないなら勝負だって、噛みついたり術式使ったり、魔物同士でね。けど俺が泣きながら、仲良くしろって言うもんだから、だんだん落ち着いていって、今はマシロとクロが顔役って感じかな。ちなみにマシロはキュウビ、クロはコクロウって分類にはなってる」

「猫は?」

「トラコ? ……よくわからないけどたぶん、化け猫じゃないのかなこれ」

「あー、悪い。個体種名がついてるとも限らないもんな。トラコさんはきっと良い猫だ、うん」

「けれど」

 言って、周囲を見渡したミルルクは、改めて肉に手を伸ばして。

「火を怖がらないんですわね」

「踏んで消せるくらいのサイズだから」

「……そういえば、そうですわね」

「ともかく、争いはほとんどないよ。大規模なものだと、俺が父さんたちに拾われた頃だし、あの時だって死者は出なかったからね」

「おい……マジか?」

「うん、父さんと母さんの二人で」

「二人でこいつら相手にして、誰一人として死者なし!?」

「これ以上は殺すってラインを、父さんたちは越えなかったから。さすがだよ」

「改めて聞くと凄すぎですわね……」

「開拓者の経歴を聞いたこともあるけど、五割増しだな現実は」

「あの人たちのやってることは、話半分でいいよ。ちゃんと聞いてたら頭が痛くなる。始まりと結果だけ知ってれば充分だ」

「充分か……?」

「あの時だって、マシロがごろごろ転がってたし、一キロくらい吹っ飛ばされたクロが戻ってくるのに時間かかったり、天候が雷固定であちこち落雷と帯電が凄くて、マシロの火を吐くから大規模火災でモリゾーが湖に飛び込んだり……」

「悪い、充分だ。それは充分に厄災だ」

「楽しかったけどね」

「うお、山かと思ってたらドラゴンだろ、あれ、腰下ろして――腰から下しかねえよ!」

「あの年寄りは二年くらい寝てるね。もう山だよ、山。あと腰から上は現在、捜索中だ。どこで何してるのかは知らないけど、動けるから食べてはいるんだろうって。昔、彼に登ろうとしたら途中で落ちて、マシロに着地を拾われなかったら俺、死んでたなあ」

「どんどん新しいエピソードが出てきますわね……」

「いや、勘違いしないで欲しいんだけど、父さんたちの方が酷いからね? だいたい、父さんや母さんがここに顔を出すと、八割がた逃げるから。隅の方ですし詰め状態になってんの」

「残り二割は、マシロさんとかの大物か?」

「マシロは誰よりも早く感知して逃げる」

「マシロさん!?」

「残るのはせいぜい、クロかなあ。尻尾振りながら出迎えって感じで。残りは寝てるか、よくわかってないか、どちらか」

「お前すげーな」

「妙に落ち着いているとは昔から思っていましたけれど、まあ、これでしたら仕方ないですわよねえ」

「あれ? 褒められているのかなこれは?」

 返答はなかった。なので、ディカは一息を入れてから。

「ここにいる子たちはね、そもそも、外に出られないんだ。魔物だからではなく、力が強すぎてね」

「大きさそのものが力の強さ、ないし魔力量に直結するとは聞いていますけれど」

「実際にそうだよ。そうだし、たとえば支配の領域には、支配者と呼ばれる大きな魔物がいるわけだけど、クロやトラコにさえ、何一つとして勝てないだろうね。チライロウはもう、半分以上がだから、そこそこはできるんだけど」

「――バランスだな?」

「まあね。世界の仕組みそのものに、影響を与える可能性がある」

「逆に言うと、押し込めている現状が、今の仕組みですのね」

「だから、ここでのことは基本的に、口外厳禁だよ。あーいや、口止めはしないけどね。どうせ誰も信じないだろうし」

「積極的に話すようなことじゃねえってことか」

「そういうことだ。さて、食事を終えたら片づけをして、ちょっと寝よう。マシロー、あとで尻尾借りるよー」

「尻尾ってなんだよ」

「え? ああうん、凶暴だよ。おそらく対人間にとってお、これ以上なく驚異的なのが、マシロの尻尾だ」

「心地よいんですのね?」

「俺は五分も耐えられたことがない」

 良いのか、悪いのか。

 楽しみなのか、怖いのか。

 まあよくわからないが、それが安全かどうかは、きちんと確認したいところであった。



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