第5話 はじめての外の世界、仕組みとちょっとした過去
この世界はパズルだ。
街から街への道など、そもそも作れなかったし、ほかの街の存在すら、定かではなかった。
「スライドパズルだって、学園じゃ習うけど、そう言えば実際にどうなってんのか、本質的な部分に関しては、まだ曖昧なままだよな」
「そうですわね。どうすればほかの街に行けるのか、そういう方法や安全の確保、冒険科でも戦闘と同時に、戻る方法などを教えられますけれど、それは仕組みの使い方ですわよね」
「じゃあ、たまには説明を聞こうか」
「ランダムで地形変動が行われる――ってことだろ? 仮にここが四角形の地形だと仮定すると、上下左右にそれぞれ一つの地形がくっついてて、それが不定期に入れ替わるような感覚って教わったな」
「そうですわね。今まで、ほかの街が見つけられなかったのも、その変動のせいですわよね。規則性がなく、パズルのようスライドするのがわかっても、いつそれが来るのか、隣の地形が何なのか、それがまったくわかりませんもの。こうして歩いていても、それを実感するばかりですわ」
なるほどねと、ディカは頷く。街道のようなものはないが、ほとんど魔物がいない。
「地形に関しては?」
「四つだ。魔物がほとんどいない、
「確か、常夜の嵐は、支配の領域にいるような魔物――支配者が、たくさんいると聞いた覚えがありますわ」
「ここは凪ぎの宿――だよな?」
「うん、そうだね」
「俺が知ってんのは、だいたいこんくらいか。現場見てどうだって言われても、さっきの今じゃ、なんともな。注意事項とかあるなら聞くぜ?」
「それは後にしよう。まず、もう少し強く認識してもらおうか。さっきの説明だと、四角形の地形だったね」
「まあ、実際には違うだろうけどな」
「それだ。地形が変化するのを、スライドと呼んでいるけれど、平面だけじゃないんだよ。厳密には、現実としての上下が存在する。なにしろ、――世界は立体的だからね」
「……は? 上から下というと、たとえば、落ちたり上がったりですの?」
「そういうイメージで間違いないよ。どうであれ、スライドを感知することができない人間にとっては、同じことかもしれないけど、前提は正しくってね。基本的に、地形のスライドが行われた場合、別の地形に移っても、スタートラインに移動する。指定ポイントになっていると言えば、わかりやすいかな」
「冒険者から話を聞くと、いつスライドするかはわからんって言ってたが、不思議と、戦闘中なんかはあんまりスライドしねえとか?」
「あるいは、瀕死で追い詰められた状況では、何故かスライドしたりね。そういう状況やタイミングに関しては、今の俺も断言はできない。ただまあ、聞いた話では、地形の数はおおよそ65536個あって、入れ替わりのパターンが1024。これらを一つの盤面として、その盤面が世界に512個存在しているそうだよ」
「計算が追い付きませんわー」
「計算より、つーか、そんなことわかるのかよ!? おかしいだろ!」
「そうだね、俺もさすがにそこまでは、わからない。けれどね、その人は詰まらなそうな顔で、こう言ったよ。倉庫に木箱が並べられている。どうやって数える?」
「どうって……そりゃ」
「縦の数と、横の数と、奥行きの数を乗算しますけれど……これ、俯瞰できていてこそ、ですわよ?」
「だよね。もちろん俺も疑問を呈したわけだ。するとあの人はこう続ける。――で? それが事実だとして、何か影響があるのか?」
「性格悪いな、おい」
「本人は否定していたけれど、うん、間違いなく性格は悪かった。今はもういないけれどね。いずれにせよ、魔術的な知識なくして、世界の仕組みを解明することはできない。何故なら、世界の仕組みの解明こそ、魔術師の役目だからだ。では発端をどこにおく?」
「発端ならば、疑問ですわね」
何故と、そこに疑問を置いて、物事への興味を示す。
「そういえば、スライドに関しての疑問はあるぜ」
「それは?」
「あれ、なんで人間だけなんだ? 魔物はいちいち、移動してねえだろ」
「違う、っていう認識があるからだよ。凪ぎの宿においても、それは例外じゃない。魔物がいなくたって、休める場所ではあるけれど、いつスライドが訪れるかわからないし、どこへ向かうかもわからない」
「……、なら、地形そのものに、魔物の存在が固定されているのではありませんの?」
「固定か。そういえば、魔物の移動に関しては、まだ情報がなかったな。そこまで調査が及んでねえってことか?」
「そうだね。似たような地形であっても、それが同じとは限らないし、そもそもスライドのパターンに関して、解析が住んでいるわけじゃない。たとえば、帰還術式なんかもそうだ」
「あら、そうですの?」
「
「あー、それどっかで聞いたぜ。いわゆる、アンカーに紐を通して、引っ張って移動するようなのが、帰還術式だっけ?」
「うんそうなる。空を飛ぶような感じじゃ、勢いが足りなくて、通過できないわけだ――おっと、スライドするよ」
ディカが宣言して五秒後に、三人は白色の世界にいた。
「防寒具を」
「おう」
「――本当に、いきなりですのね」
一面の銀世界どころか、横殴りに打ち付ける雪は冷気と共に打撃とすら感じられて、吐く息が白ければ、一気に躰の感覚が狂ってしまう。慌てて防寒着を身に着けた頃には、躰が震えるほどだった。
「ちょっと吹雪が強すぎるね、雪洞を掘ろう。斜面がいいんだけど、このエリアでの斜面は駄目だ。右手に木が見えるだろう? あっちにしよう」
「諒解だ。けど、斜面は駄目なのか? 雪洞は斜面に掘れって教わったし、平地じゃかまくらになるだろ」
「少し深めに掘って、屋根を作るタイプでも、木があれば多少は風を防いでくれるからね。スノーラビがたぶんいるから、斜面は駄目だよ」
「あら、ソードラビの亜種ですの?」
「スノーラビの方が可愛いけど、認識は合ってる。普段は雪の中に潜って生活しててね、人間が穴を掘ったりすると、その振動に気付いて起きるんだよ。平地はほとんど可能性はないけど、斜面とかに巣を作ってて、縄張りに入ると、これがまた怒るんだ」
「ソードラビ、可愛いかあれ……?」
外見はほとんどうさぎと変わらないが、ソードラビは耳が剣のように鋭くなっているから、その名で呼ばれるようになった。色は茶、黒、白黒、まだらと、いくつもの種類があり、中級冒険者にとっては、美味い食料みたいなものだ。
ちなみに、厳密に登録名としては、カザキリラビットとなっている。ただ、それは座学で図鑑を開いて学ぶ人にとっての名であり、冒険者なんてのはソードラビで済ます。
「スノーラビは食料になんねえのか?」
「いや、なるよ。何が可愛いって、縄張りを荒らすと雪の中からぴょんぴょん跳ねて、顔を見せるんだよね。――最低でも百匹」
「怒るってレベルじゃねえだろ!?」
「群れで生きる生体ってのは、本当に厄介だよ? サルモドキなんかもそうだけどね」
とりあえず、無言で躰を震わせるミルルクがいたので、早足に移動してすぐ穴を掘り、雪玉を丸めて天井を作った。
それなりの広さを確保しないと、躰が休まらない。けれど、広くしてしまうと体温を奪われやすいので、バランスが必要だ。
これが一人なら、氷の棺でも作って休むのだが。
「さ、寒いですわー……」
「……」
「光風が、もうちょっと肉つけろと言ってるよ」
「言ってねえよ睨むなよミルルクさん」
「じゃあ俺が言う?」
「うっさいですわー」
「ちなみに、雪の地形ならどこにでもスノーラビはいるから、注意してね。まあ三百くらいなら対応できるけど、冒険の鉄則は魔物と戦闘をしないことだ」
「――え? そうなのか?」
「厳密には、目的以外の戦闘を避ける、だ。いちいち戦っていたら疲れるだけだし、魔物だってべつに好戦的ってわけじゃない――ああ、好戦的なヤツもいるけれど。仮にスノーラビが相手だったとしても、見つからないに越したことはないわけだ」
「あー……なるほどな。けど、目的やいざって時のために、訓練をするのか」
「……それ、経験談ですの?」
「そうだよ。俺はまだ、こっちで暮らしてた時間の方が長いくらいだからね。いやともかく、意地悪く次のスライドで蒸し暑いジャングルに移動すると面倒だから、今日の目標ね。父さんたちと過ごしてた場所があるんだ、そこへ向かう」
「たどり着けますの?」
「ああうん、今すぐにでも。これは帰還術式と同じ」
「……え? じゃあなんで寒さに耐えてますの!?」
「本気で寒がりかよ、ミルルクさんは。そりゃ外の状況に慣れるためだろ」
「今回は軽い体験だから、危険な状況は避けるけどね。ただ、しばらく外には行きたくないと、間違いなくそう思うだろう。楽しみだね?」
「お前なあ……」
「いやまあ、天候は変わっても、太陽の位置は変わらないねって話をさ?」
「今考えましたわね?」
もちろん、今考えた。
「けれど、慣れるのは確かに必要ですわね。最悪のことも考えないといけませんわ」
「ああうん、そうだけど、現実として俺とはぐれたら、二人は帰還術式を迷わず使うこと。今から俺が行く先は、そもそも帰還術式の範囲外だからどうしようもないけど、まあ、どれだけがんばっても生き残れないからねえ……。どっちかって言えば、俺からはぐれないようにする方を中心に? というか、それしか選択肢がないような?」
「かなり奥地じゃねえか……」
「そもそも、帰還術式が使えない範囲へは、基本的に冒険はしないんですわよね?」
「そうだよ――開拓者、以外はね」
「あ……」
「……そうやって考えると、改めて、相当だろ、それ。ともすりゃ、死にたがりと紙一重じゃねえか。帰り道がねえって、怖いだろ」
「んー、どうだろう。俺もそこらへんは麻痺してるから、そもそも、数年後に帰ろうって思った時に、帰れればいいじゃないか、くらいにしか思ってないけど。まあ、だからって、帰れないっていうのは気に入らないから、可能にはしたよ」
「ちょっと安心したけど、お前、可能にしたとかどうなのそれ」
「五年以上かけてるからね。それだけ、俺にとって外のパズルってのは、面白いものだった。まあ……いや」
ゆっくり立ち上がれば、既にそこに雪はなく。
風通しの良い、高い山のような場所にいた。
滞在時間でさえ、均一ではない。だからスライドは厄介なのだ。
「面白いものだと、教えてくれた人がいたんだよ」
吐息を落とし、二人の背中を軽く押すようにして一歩、それでスライドが発生する。
いや。
それは、ディカが作ったスライドだ。
「ここだよ」
二人は一テンポ遅れてスライドに気付き、慌てたように周囲を見渡す。周囲は平地であり、平原とは呼べないのは木に囲まれているからだ。どちらかといえば、森の中にぽっかりと空いたスペースがあると表現した方が良い。遠くには山も見える。
「あら、キャンプの痕跡がありますわね」
「本当はここに小屋があってさ、俺とリコ……というか、父さんたち四人が過ごしてたんだよ。まだ、父さんたちが学生っていう年齢の頃からね」
さてと、ディカは軽く手を打ち合わせた。
「黒くすすのついた石の周辺で火を熾して、今日はここで休もう。まずは、帰還術式の確認でもしようか。見ればわかるけど、使えないから」
「……あら、本当ですわ。動いてませんわね」
ミルルクが持っているのは、一般的な宝石系。宝石というよりも鉱石に近い。壊れやすい反面、値段が安いものだ。光風は板状のものである。自分の
ちなみに、パーティを組む場合、全員が所持することを大前提としているが、一つあれば三人までの転移ならば可能だ。
「はい、もういいよ。使うと俺に向かうよう設定しといたから、はぐれた時には使うように。ただし使い切りだから、かけ直しが必要にもなる。じゃあ――」
「ちょ、ちょっとディカ、よろしいですの?」
「なに?」
「帰還術式は相当に高度で、安全性を高めるためにも、そう簡単に術式そのものへの干渉ができないように――なってますわよね?」
「うん、なってるよ」
「お前わかって言ってるだろ……?」
「相手の言葉の次を読むのは、対人関係を築く上で必要なスキルだよ。ミルルクの質問に答えるなら、帰還術式の作成に、俺も参加してるから」
「――は? 参加ですの? 各エリアの技術者が集まったと聞いてますわよ?」
「いや、それは汎用性を求めるための研究であって、量産可能にするための方法を考えてただけ。もっと本質の部分ね。いわゆる
「お前まだその頃、ガキだろ」
「だからこそ、熱中するものさ。とりあえず、燃やせるものを集めよう。この場所はスライドしないから安心していい。俺は食べ物、そっちは二人で火を熾す。いいね?」
「……おう」
「野営の準備ですわね。寝床など、軽く作ります?」
「必要ならそうしてくれて構わないよ。一日やそこらしか滞在しないけど、あるとないじゃ疲労度の回復量が違うからね。じゃ、一旦解散で」
「じゃあ光風、とりあえず一緒に行動しますわ」
「あいよ」
ディカにとっては久しぶりだが、周囲の様子から両親たちが来ているのはわかるし、木陰に作った屋根の下には、肉が干してある。それなりのサイズなので食べても良いだろうが、今すぐではまだ火の準備もできてないだろう。
足を伸ばせば川があるので、魚を探しても良いのだが、そこまで長く滞在するわけでもない。今回は遠慮なく、この肉を貰おうと思う。
「三人じゃ少し大きいかな?」
光風が食べるからいいかと、軽く目を閉じれば、森の空気を感じる。ディカにとってそれは穏やかな空気であり、安全そのものを感じるくらいだ。
ここは。
魔物の少ない凪ぎの宿ではなく、魔物の棲家。この近辺にはあまり近づこうとしないが、ちょっと外に出れば森にも山にも魔物が生息しているし、様子見に魔物が顔を見せることもある。
ただこの場所は、あの人を見送った場所だ。気持ちが落ち着けば、否応なく思い出してしまう。
真っ赤に燃え上がった小屋の印象は、別れそのものだった。今でも大きな火、たとえば火事などを見ると、中に入って助けようとするのは当然だが、死別のイメージが強く浮かぶ。
トラウマには、なっていないのだが。
「……確かに、一人でいる場所じゃないね、ここは」
リコが一緒に来たがった理由も、わからなくもないなと肉を手に取り、元の場所に戻れば、既に火を熾す準備がだいぶできていた。
サバイバルにおいて火を熾す場合、
簡単に、燃えやすいものから燃やしていくだけのことだ。
薪になるものは、基本的には枯れ木である。つまり、生えている木を切断したところで、それは
手にした肉を、影から取り出した袋の上に置いておく。
しばらく待っていると、大きめの丸太を二人で引きずるようにして戻ってきた。
「おーう」
「手伝おうか?」
「んや、――おりゃ!」
「ちょっ、こら!」
勢いよく走るようにして光風が運ぼうとしたのに対し、ミルルクの反応が遅れるものの、ほぼ一人で十五メートルは移動して、どさりと地面に置いた。
「ふう」
「それが俺らの椅子かな?」
「ちげーよ! 今晩なら、こいつを切れば持つだろ」
「じゃ、火を熾すよ。それともやってみる?」
「あ、私やりますわ。何故かサバイバル講習では、誰ともパーティを組めず、一人でやることになったので、面倒だからサボろうと決意して、さも全部やりましたと、そんな態度で済ましてましたもの」
「なんだミルルク、ハブられてんのか?」
「いえ、学生会長だからか、妙にお高く見られてますの」
「違うよ。俺が教えてる中等部の子たちに言わせると、加減を知らない乱暴者だから怖いって話だ」
「もっとひでえ!」
「え、え、私そんな乱暴してませんわよ? むしろ、中等部の子たちは、妙に私につっかかって来ますのあれ、どうにかなりません?」
「ああうん、自分の実力に疑問や自信を感じたら、とりあえずミルルクに挑戦してみろって、俺から教えておいたから」
「原因はディカじゃありませんの!?」
「なんでミルルクさんなんだよ」
「ああそれね」
火を熾すのを目で追いながら、干し肉を焼いて調味料はどうしようかと考えつつ。
「リコは駄目だ、加減を知らないし、一緒に遊びだすと変な癖がつく。光風だと、対一を前提としているし、四人に囲まれて連携されると、それなりに本気になる必要がある。そこでミルルクだ。暇そうだし」
「学生会長の仕事もありますのよ?」
「けど、あの子たちとやるのは、良い気分転換だろう? まあ、だいたい一ヶ月に一度くらい、ほんの一時間だけ見てやってるだけで、俺としては育ててるなんて口が裂けても言わないけど、先生、先生と言われれば、面倒を見たくもなるさ」
「俺はちょっと見かけたくらいなんだが、あれどうしてお前が面倒見てんだよ」
「学園との繋がりを作る一環だよ。以前にリコとの演武で呼ばれたり、ちょいちょいあのクソ教員からは面倒を投げられるから、嫌味をよく言ってたんだけど、それを嫌がったクソ教員は、外部講師として、簡単な繋がりを持っておけば、次があった際の手続きが簡単になると言い出して、報酬を用意したわけだ。まあ俺も、気分転換のつもりでやってるよ――あ、一度立って」
「立つって?」
「起立!」
鋭く言えば、二人が自然と直立したので、術式を展開して土を利用した椅子を作った。といっても、高さを変えた四角形の腰かけだが。
「はい、もういいよ。背もたれが必要なら、自分でやって」
「いや、そんな術式は知らねえよ……」
「なんでこんなに、術式に明るいんですの? 呼吸のように使いますわよね」
「なんでって……俺は魔術師だから。以前に言わなかったっけ? 体術よりも、俺は魔術の方が詳しいよ。戦闘もそっちよりだ。――ここには」
率先して椅子に座ったディカは、串と一緒にナイフを取り出し、干し肉を刻んでいく。
「俺とリコ、それぞれの両親のほかに、一人の魔術師がいた。それなりに知っている人もいるんだけどね……まあ、父さんが二人を連れてけって言ったのも、そういうことだろうから、少し話しておこうか。俺の過去だけど、聞く?」
「聞きますわ」
「普通じゃねえとは思ってたから、興味はある。それに、開拓者の話とも関わるんだろ?」
「あ、そうですわね」
「……あ、って何だよ、ミルルクさん」
「単純にディカ――や、リコに興味がありますのよ?」
「リコさんを付け加えなくてもいいだろ」
「うるさいですわねー……」
「水も気にせず飲んでいいよ、それほど遠くない場所に川があるから」
「おう」
「それで、どういう話ですの?」
「うん。まだ俺たちが生まれる前の話なんだけどね、異世界から召喚されたのが、あの人――
「おいおい、んなこと……できるのか?」
「まあね。俺も異世界の認識を作るのに、だいぶ苦労したけど、存在の確定まではできたよ。ただ、センセイの場合は――タイミングが合ったとしか、言いようがない。ほぼ偶発的らしいよ。こっちで召喚しようとした人間は、対価として命を奪われたし、センセイも対策はしてたけど、隙を衝かれたと言っていたね」
「どういう世界でしたの?」
「仕組みはともかく、内容はほとんどこっちと変わらない、なんてことを言って笑ってたよ。で、センセイは昔から教育者だったらしくて、こっちで食うために仕事をする際に選んだのが、開拓者と呼ばれている四人なんだ。まだ学生だった頃、センセイに拾われて――いわゆる修行を始めた。一年か二年くらい、ノザメエリアでやって、基礎ができたくらいで外に出た。基礎って言っても……たぶん、今の俺と同じくらいだったろうけど」
「……それが基礎ですの?」
「らしいよ。俺はそうでもなかったけど、父さんたちは顔の形が変わるくらいには殴られて、それに慣れてたから」
「相当ですわね……」
「センセイはその頃からずっと、魔術師だった」
「なあ、それ。ディカも言うけど、どういう意味だ?」
「ん? どうって?」
「だってお前、体術だって相当やるだろ。比率の問題なのか? それとも、
「ああうん、そうだね。俺やリコは武術と呼ばれる体系の基礎を学んで、発展させてる。ミルルクの糸も武術の領分になるね」
「ええ、それは知ってますわ。そして、剣だって武術でしょう?」
「うん、それも間違いじゃない。けれど、人間なんてのは、一つのものしか極められないんだ。魔術的な思考になるんだけど、わかりやすく言うよ。魔術が十、武術が三、こうなったら極論だけど、魔術師になる。逆なら、武術家だね」
「おう」
「当然ですわね」
「じゃあ、魔術が十だった魔術師が、武術を突き詰めて、武術を十一にしたら、どうなる?」
「そりゃ武術家だろ」
「――あ」
「うん、そういうことだ」
「ああ?」
「つまりね、
「武術家になることもできるが、ならない……ってことかよ、それは」
「凄い人だろう?」
「雲の上の存在だろ、それ」
「俺がそう言うと、笑いながら、ここにいるじゃない、なんて言われたけどね。ただ、父さんたちも武術では、本当に転がされてたから、冗談みたいな人だったよ。化け物だと思ったこともある」
「そんな方に、師事していたんですのねー」
「師事というか、教わってた。教え方に文句はあるんだけど……なんだろうなあ。これが教育者かと、今なら思えるよ」
「……ん? ってことは、お前やリコさんって、ここで産まれたのか?」
「ああ、いや、さすがに街で産んだよ。落ち着いてからはすぐこっち来たらしいけど――あ、これはリコの話ね。俺は拾われてるから」
「え? なんですのそれ」
「なにって――あ、そうか。いや、昔から外のフィールドで拾った子を、魔物の子って呼んでるんだよ。最近じゃほとんどいないけど、うちの父さんも、母さんもそうだけど、何故か親もなく、外で生き残ってる子供がいるんだ。俺は運よく、二人に拾われたわけさ」
「……経緯自体は想像するしかないが、外で生き残るって、かなり低確率だろ」
「そうでもないけど――いや、実際にはそうなのかな。外に子供がいることが珍しいのか、それとも生き残るのが珍しいのか、ちょっと判断がつかないね。最低限の読み書きとか、基礎的な戦闘方法とか、そういうのは拾われた時に持ってたから、リコと差ができるって感じはなかったよ。ただ、魔術なんてものは知らなかったからさ、新鮮だった。面白いと思ってしまえば、もう手遅れだ」
「はあ、なるほど、よくわかりませんわ」
「そんなもんさ」
「つーことは、現状の冒険システムって、お前も手掛けてんの?」
「ああうん」
まあねと、軽く火が通った串から二人に渡しつつ、新しい串に肉をつけて、火に当てる。ふいに、気配に気付いて振り返れば、濃い緑の蛇がゆっくり近づいて来ており、顔を持ち上げるようにして、こちらを覗きこんでいた。
「うおっ、でけえ……!」
「そう? 胴体は十センチくらいの、一般的なアオジズリだよ。致死性はないけど、毒持ちの魔物だね」
肉の小さなブロックを、ひょいと投げれば、アオジズリはこちらを改めて確認してから、肉を口の中に入れて進行方向を変え、森へ向かった。
「昔いたジズリの子供かなあ……」
「へえ――魔物でも、こういう対応でいいんだなあ」
「てっきり、人を襲うばかりかと思ってましたわ」
「気を悪くさせなければ、こんなもんさ。ええと、ああ、冒険システムだっけ。帰還術式を中心とした、街との交流や、安全性の向上なんかは、理論を含めて、多少は手掛けてるよ。とはいえ、構築したのはセンセイが亡くなってからだけどね」
「そうなのか?」
「こう言うと嫌味や皮肉に聞こえるかもしれないけど、――この程度なら、それほど手がかからないからね。センセイがいる間はずっと、父さんたちも勉強が主体だったから。それは今でもそうだけど、教われる間は、教わっておこうってさ」
「本当に嫌味に聞こえますわねえ……」
「いやあ、これが本当に簡単なことでさ、認識の転換というか。たった一つだけ、ただそれだけを可能にするだけで、冒険というか、スライドに対し、優位性を得ることが可能なんだけど、さて、何だろうね?」
「んー……一応聞いておくけど、それはお前も可能なんだよな?」
「まあね」
「次のスライドがわかる、というのは?」
「それは副次的だし、俺はスライドが来るのがわかっても、次の地形が何であるかまでは把握できないよ。できたとしても、限定的だ。たとえば、次は今ここにいる地形だと、まあわかる。ここに住んで長いからね」
「ううん……優位性ですわね? つまり、それを得ておけば、冒険が楽になりますのね?」
「格段に。それがなかったら、帰還用ポイントの設置はできなかっただろうね」
「つーことは、盤面の状況を俯瞰できる何かってことか?」
「調査そのものが有利になるのですわね?」
「――はは、難しく考えすぎだよ」
「いやけど、その頃って帰還術式もなかったんだろ? たとえば、この場所をポイントにして行って戻ってを繰り返せば、周辺のパターンもある程度、読めるかもしれねえけど」
「それだよ光風、合ってる。正解」
「あ?」
「うん? それは今も行われている、当たり前のことですわよ?」
「そうだね。ただ、それをもっと小さな区切りで見るわけだ。つまりね、単純なことで――スライドが発生した際に、一つ前の地形に戻ることができる。これが可能なら?」
「うっわ……マジか」
「確かに、一つのポイントを中心にして、どのような地形が存在するのか、確認することができますわ。可能にする技術はともかく、可能になったのならば、簡単なことですわねえ」
「うん。そうやって調査をして、一定範囲に訪れる凪ぎの宿に、帰還用ポイントを設置していく。
「それ、疑問があって答えを得てないのですけれど」
「なに?」
「そもそも、スライドそれ自体は、地形の変化、盤面の交換など、いろいろ言われますけれど、違う地形との距離は、実測できますの?」
「もちろんだ。地形というのは、急に出現するわけじゃない。イメージとしてはこうだ――真上から、違う地形が落ちてくる。すると、今の地形は下へ落ちる。ただし、人間だけは移動しない。すると?」
「地形そのものが変わったように感じる、か」
「実際に、急に出現する地形もあるだろうけど、全部じゃないってのが俺の見解かな」
「聞けば、なるほどと納得できますわね。けれど、だとしたらこの地形はどうですの? 移動してませんの?」
「いや、動いてるよ? ほかの地形がぶつかっても、人間ごと移動するから、スライドが発生してないように感じるだけ。ちなみにこの術式に関してはセンセイのものだから、まだ解析中だよ。たぶん、母さんあたりは、もう実用段階だろうけど、あの人はそういうの、聞かれるまで答えないし、答えてもぽんぽん使おうとしないからなあ……」
理由は、めんどいから。それ以上の返答はない。
「だからまあ、安心していいよ。ここは魔物の棲家だけど、俺が対処できない魔物はいないから」
「そうなのか?」
「うん、そこらは父さんの教育のお陰」
「あー、エミリーさん。どういう訓練したんだ?」
「雪山に行って、スノーラビを見せてやろうって言って、父さんが走り回ると、ぴょんぴょん顔を出して、柄にもなく心を震わせていたんだけど、はたと我に返ると、スノーラビが三百くらい、俺の方を見てるホラーになってて、何故か父さんがいないっていう訓練?」
「珍しく目が据わってますわね!」
「足場のない戦闘は、あれが初めてだったなあ……」
「遠い目になるなよ。足場がないって?」
「雪の中は、スノーラビの巣だ。どこに足を置いても、あいつらは振動でこっちを感知する。仕方ないから、覚えたての術式で足場を作って、なんとか応戦してたんだけど、四十分後にやってきた父さんはこうだ。――お前、最初から足場作って逃げろよ、と」
「あー……」
「うん、まあ、うん、コメントに困りますわね」
「ともかく、一時間以上は移動してきたし、のんびり休もうってことだよ。出るのは明日になってからだ」
「つっても、まだ陽が沈むには早いだろ? 俺はそこらへんに布引いて寝転がるし、ミルルクさんは?」
「三脚を二つ作って、ハンモックにしますわー」
「まだ時間もあるし、緊張もあってか眠れねえし」
「うーん、じゃあ、投げ物の練習でもしてみる?」
「なんだそりゃ」
「ナイフ投げとか、石投げとか、まあ今回は俺の針をあげるけど、そういう投擲の総称だね。よっと」
二度ほどディカが手を叩くと、十五メートルほど先に四十センチ四方の板が、思い出したよう地中から起き上がって出現した。
「なんですのこれ」
「なにって、投擲用の的だね」
「そうじゃねえだろ」
「いやね? まだ小屋があった頃、俺とリコのために作った標的なんだけど、邪魔だったらしくてさ。もう収納しろってことで、センセイが勝手にこの仕組みを作っちゃったら、今度は起動できなくなって。どうにかこうにか術式の解析して起動用の術式を構築して、今みたいに使えるようにしたんだ。センセイは一言、――なにあれ。邪魔ね、って。敗因は、元に戻すのに時間をかけ過ぎたことかなあ……」
ポケットに手を入れ、影から取り出すのを誤魔化しつつ、二十本の束を二つにわけて、それぞれに渡した。
「いわゆる五寸釘のサイズだ。十本ずつね」
「あら、以前に見たのより太いですわね」
「俺は初見だ。俺の前じゃ使ってねえだろ」
「意図してたわけじゃないよ。そもそも、俺が戦闘をすることがないからね」
「……どうやって投げるんだ?」
「針の場合の投擲方法は二種類。一つは針を横回転させて投げる。なんだろう、ドリルみたいなイメージになるかな。威力こそ低いけど、これは発見が難しい」
「視界の中で、点になるからですわね?」
「そう。切っ先しか見えないからね、もっと細い針でやるとかなり捉えにくくて、狙う場所さえ間違えなければ、身動きを一手で封じることもできる。ともかく、もう一つは、縦に回転させて投げる――こっちの練習を先にすべきだね。それこそ、ボールを投げるみたいに投擲するんだ」
「その回転だと、線で見えますわよね?」
「正面からだとそうだね。ただ、ナイフ投げもそうなんだけど、実はこれが基本なんだ」
「え、そうなのか? 俺、ナイフ投げのイメージ、切っ先がまっすぐ飛ぶんだけど」
「あれね、ダーツ投げと同じで距離が短い場合じゃないと刺さらないよ。威力も弱いし」
「そう……なのか」
「どのくらいの威力が出ますの?」
「ううん」
どうだろうと、同じサイズの針を装備から引き抜いたディカは、軽く手元で投げてみて。
「対人でやったことはないんだけどね。基本は、本当にボールを投げるのと同じなんだ。肩を支点に、肘と手首でスナップを効かせて、指先から離す。やるよ?」
「おう」
「見てますわ」
「うん」
座ったまま、標的を見るのでもなく、右側に向けてひょいと針を投げれば、高速回転した針は横から見ると円形にも見えて――高い音と共に、三センチはある標的の板を貫通して、そのまま奥にあった木に刺さった。
「……? あれ?」
そこでようやく、ディカは顔を向けて、二十メートルは先にある木に刺さった針を見てから首を傾げる。
「おかしいな、針が半分見えてる。加減したかな……?」
「おい、おい、おいおいおい……!」
慌てたように光風が木の傍まで走っていき、しばらくして戻ってきた。
「マジか!?」
「このくらいはね」
「え、ちょ、俺やってみていいか?」
「どうぞ、暇潰しだからね。ミルルクは?」
「少し、糸の感覚と共有を先にやってみますわ」
「それも正解だ。まずは、同じ感覚で投げてみて、当たる距離を探すのが最初だよ」
どうやら、だいぶリラックスはできているようだ。
本番は明日――それを、ディカは心配している。
きっと、常識が本当に覆るから。
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