第4話 父親の来訪と遠足気分の外出
やや長い話ではあったものの、質問を交えながら一時間と少し、まだ陽が落ちるような時間ではないにせよ、あっという間であった。
「なるほどなあ。俺は酒場行って、いろいろ教わって、ディカの噂とか聞いてこっち来たら、いつの間にかって感じだったなあ」
「さっきと似たような反応しますわねえ」
「いやだってそうなるだろ。いつも呑気に店舗のカウンターに座ってるディカだって、そういう騒動に巻き込まれるんだなって」
「主にリコですわー」
「……呼んだ?」
二階から降りてきたリコは、作務衣をだらしなく着ている姿だった。
「リコ、きちんと着替えなさい」
「着替えた。寝巻と違う。ふわ……んぐ」
違うらしい。だがきちんと着替えろと、そう思う。目のやりどころに――。
「そういえば、
「気にするしないの前に、色っぽいとか可愛いとか以前に、どう考えてもリコさん怖いだろマジで。あまり目を合わさないようにしてる……」
「あら、苦手意識? ――あっ、こら、私の膝を枕にしない!」
「んー……」
「こういう行動が読めないっつーか、自然体なところが苦手なんだよ」
「あー、光風はすぐ振り回されるタイプですわねー」
「そうかもな」
さてと、一度立ち上がって、湯呑を片付けようかと思えば、
「ただいまー、渡してきましたよ、ディカさん」
「ご苦労様。美味しかっただろう?」
「うん、美味しかった。甘いもの。お腹につきそうで、楽しかったけど、なんかあの雰囲気、逃げられないよ何でか。なにあれ、下手したら夕食までご馳走になる流れなんだけど」
「ご老人はいつだって、若い連中に甘くなるものだよ」
「次からは先に言って。私も覚悟を決めるから」
「はいはい」
「それと、なんか大通り、街の出入り口のあたりが騒がしかったわ」
「へえ? 何かあったんなら、ちょっと見に――」
行こうかと、湯呑を洗い終えた光風が剣を手にしようとしたのだが。
目の前の通りに。
地響きに似た音と共に、何か巨大なものが置かれた。
「――は?」
店舗のガラス越しで見ると、黒色しかよくわからない。まだ夕方だ、つまり、陽光は出ているはずで――。
「ああ……」
小さく、ディカが諦めたような吐息と共に立ち上がり、リコが飛び跳ねるよう起き上がり、姿勢を低くした。
「リコそれ、逃げる姿勢ですわね……?」
腰が引けている、とも言うが、ともかく。
店舗の扉を開いて、目つきが悪い男が中に入ってきた。ラフな服装であり、肉付きも良く、しかしぱっと見て細く感じるのは、背丈があるからか。おそらく三十代くらいの風貌であり――。
「よう」
「おじさん!」
「父さん」
二人の言葉に、ミルルクと光風が、ぎょっとした顔をした。
「ん、生きてるな」
「おじさん、かーちゃんと、とーちゃんは……?」
「あ? なんで逃げようとしてんだリコ、――逃げ切れるわけねえだろ。デディは、セリザワエリアから仕入れた面白いモンを手にして、学園だ。
「ふいー、助かったー」
「お前それ、藍子の前で言うなよ?」
「好きなんだけど、鬱陶しいんだよね、かーちゃん」
「まあいい。そっち友達か? とにかく土産だディカ」
「土産だ、じゃないだろう。ああまったく……」
面白半分で持ってくるからいけないと、外へ出れば、巨大な尻尾が鎮座していた。
「うっわ、でけえ! こりゃ騒がしくもなるだろ!」
「なんですのこれ」
「チライロウの尻尾だよ。触るなら気をつけて、表面にある体毛の黒色と緑色を重ね合わせると、電撃が通るから。本体がないから、それほど強くはないけどね」
「なんだその、チライロウって。魔物だろ? 俺、そんなの聞いたことねえけど?」
「漢字にすると、地雷狼。犬が暑い時に、地面を少し掘って腹を乗せるだろう? ああいう感じで、下半分を地面に埋めて寝てるから、そう呼ばれてるんだ。見ての通り、体毛で雷を発生させることができる。このサイズだと、まあ、中型から大型にようやく足を踏み入れたってレベルかな」
「マジかよ……おい、穂波さんなんか、呆然として口開いてるぞ」
「間抜けな顔で何よりだ。それで父さん?」
「だから土産。まだ新鮮だから美味いぞ? ――たぶんな。俺は食ったことねえ」
「ああもう……」
携帯端末を取り出して、連絡を一つ入れた。
『――おう? なんだディカ坊! こっちは仕事してんだよ!』
「デイゼー、加工屋デイゼー! 今すぐ俺の店舗に来て、目の前に鎮座してるチライロウの尻尾を解体して持っていけ!」
『ああ!? お前今なんて言った!?』
「チライロウの尻尾だ!」
『ばっかてめえ仕事とか関係ねえよ! すぐ行くからほかの馬鹿に触らせるんじゃねえぞ! ああ!?』
「いいから来い!」
騒がしい場所で仕事をしている相手は、これだから困る。
「金銭交渉はするんだろうね?」
「俺が? なんでまた、んな面倒なことを。金になるなら、お袋に渡せ」
「ばあさんに? それこそもったいないね」
「ふん。――ああ、そうか、挨拶がまだだったな。ディカの父親、ファゼット・エミリーだ。友達なら、まあ、よろしくしてやってくれ」
「――エミリー!? 嘘だろ!?」
「開拓者と呼ばれた初期の四人ですの!?」
「なんだ言ってねえのか」
「俺の見方を変えられると困るからね」
「今は?」
「納得するだろうさ」
へえと、横目で驚いている二人、呆然とした一人、何故か落ち着かないリコをそれぞれ見てから、ファゼットは煙草に火を点けた。
開拓者と呼ばれるのは現状、四人しか存在していない。
ディカの両親である、ファゼット・エミリーと
彼らによって、パズルのように動く世界の中、一定の経路を作ることができて、ほかの街と交流ができたし――何より、ほかに街などないと、どこもそう思っていたのに、新しく発見できたことこそ、最大の成果であったろう。
けれど、ディカとリコは、知っている。
いや、ノザメエリアにいる人ならば、まだ覚えている者も、少なからずいるはずだ。この四人が、今はもういない、ある人物の育て子だということに。
「ま、学園でも教えているし、知らない人はいないんだろうけど、現実の方がよっぽど怖いと知っている人は、少ないか」
「そうか?」
「俺も含めての話だよ?」
「はは、言ってろ。んで、
「まだ残ってるよ。潰したら、現状で花蘇芳が担ってる部分の代行をしなくちゃいけないし、俺は面倒でやりたくない。まだ敵対もしてないよ」
「あ、そう」
「おいディカ、物騒な話を平然とするんじゃねえよ……! 俺ちょっとパニック入ってるからな!?」
「光風、自覚があるようで何よりだ」
「――光風?
「え、あ、ああ、そうだ。大爺さんはもう亡くなったけど」
「あの妖怪、くたばったのか。……その様子じゃ、大往生だろ。良かった」
「お、おう、ありがとう……?」
「そっちは墓守の孫だろ? 妙な魔剣を持っているが――そっちのは?」
「ミルルクですわ、初めまして」
「なんだ、レインエリアにある、リットエット牧場の娘じゃねえか」
「あら、ご存知ですの?」
「おいディカ、お前そういうとこ、俺に似ただろ」
「うん、間違いなくそうだろうね」
「……? なにがですの?」
「うちにある乳製品と肉類の九割が、リットエット牧場の商品だってことを、今までミルルクには一言も告げなかったこととか?」
「んなっ、なっ、――なんでですの!?」
「驚くかなと思って。あと、気付かないものだなあって」
「エミリーさん! こいつ性格悪いですわよ!?」
「ああ? 俺の方が悪いぞ」
「自慢にもなりませんわー……」
「対応できないのを自慢されても、こっちもどう対応すりゃいいのか、わかんねえな」
ミルルクが頭を抱えてうずくまった。どうしようもなくなったらしい。
ファゼっとが二本目の煙草に火を点ける頃、通りの向こうから三名の職人が、それぞれ大きな工具を手にしてやってきた。
加工屋だ。
主に、魔物の素材を商品にする工房を持つ職人である。
「おうディカ! なんだファゼがいるじゃねえかよ!」
「相変わらずでけぇ声だな、お前は」
「こいつがチライロウか! ほとんど噂しか聞いちゃいなかったが、マジで存在してやがったか! おう、尻尾だけとはいえ毛には気をつけろ!」
「デイゼー、肉はうちで食べるからよろしく」
「肉以外はどうすんだディカ」
「父さんのお土産だから、うちの店舗にちょっと飾るものがあれば、ほかはいいよ」
「お前ェ……」
何故か睨まれた。
「そういうのが一番困るってんだよばぁーか! 金勘定しろや古物商!」
「あー面倒なんだよな、この加工屋の文句。俺だって正規の仕入れなら金勘定するさ」
「あぁ!?」
「じゃあもう加工したらうちに卸してくれ、手間賃込みで支払うから。父さんもそれでいいよね?」
「土産だと言っただろ、こいつはもう俺のものじゃない」
「俺も受け取った覚えはないんだけど、本当、このデイゼーっておっさんは、うるさいからいけない」
「おい、おい……俺がおかしいのか? なあ? おい頭抱えてんじゃねえよ嬢ちゃん、答えてくれ」
「もうわかりませんわー……」
「くっそ、ああそこ! だから黒と緑を混ぜ合わせるなって言っただろうが!」
本格的に解体作業が始まり、吐息を一つ。
「これじゃ営業できないな。父さん、しばらくこっちいるの?」
「ん、ああ……ところでディカ」
「嫌な予感しかしない前振りをどうも。なに?」
「妹を拾った」
「――は?」
「お前より三つ下くらいの妹。今、
「…………」
「おー、できた妹がいいなー、私が何もしなくても、全部やってくれる妹がいいなー」
「それは俺がもうやってるんだけどね……?」
「反対か?」
「いや、反対はしない。事情はあとで聞かせてもらうけど、懸念はある」
「言ってみろ」
「俺はきっと妹に弱い」
物凄く真顔だった。
「……なにを断言してますの?」
「ミルルク、妹だ。つまり俺は兄だ。これはちょっと、…………大変だよ? 甘やかすよ? 絶対するよ?」
「あー、ちょっとわかりますわー」
見れば、
「なあ、ちょっといいか?」
「なんだ?」
「この、チライロウ? どこにいるんだ?」
「奥地にいる。まあ、発見して戻ってきたヤツの方が珍しいだろうな。今は特に、安全マージンを多くとってる。それが悪いことじゃねえが、踏み込みが甘くなる」
「――父さん、それは俺も聞きたいんだけど」
「おう、マシロがな?」
「父さん、いいか父さん、まさか、マシロに迷惑をかけたんじゃないだろうね!?」
「馬鹿、逆だ。マシロが迷惑してたから、尻尾切って追い払ったんだろうが」
「……本当だろうね?」
「さあ?」
視線を外してしばらく考えたディカは、大きく、吐息を落とした。
「父さん、どれくらいこっちにいるんだ?」
「デディの作業もあるから、最低でも一週間はいるが、ンなことを気にするな」
「ありがとう。じゃあ、しばらく店を開けるから、俺が戻るまでこっちにいてくれ」
「おう」
「ん? ディカでかけんの? 久しぶりに? 私もー!」
「――ところで父さん」
「なんだ」
「中学卒業に際して、単位も成績も足りないどっかの女が、演武をすることで許可を貰ったみたいなんだけど、どういうわけか俺が外部講師として呼ばれて演武の相手をしてねえ」
「――へえ?」
「ぬおっ、ちょっ、早い! おじさん早い! 襟首掴むな脱げる!」
「丁度良いだろ、脱げれば視線も集まるぜ」
「そしてどういうわけか、最近の動向を見る限り、あまり反省もしてなくて、相変わらずの学園生活をしているみたいでね」
「ディカこんにゃろ!」
「どう考えても、リコが一緒だと面倒だから」
「よし、こいつは俺とデディがちゃんと預かってやる。どうせ実家を使わず、こっち来てんだろ? まずは掃除からだ」
「ひいい……!」
「けど、行くならそこにいる小僧と娘を連れてけよ、ディカ」
「……」
「え、俺?」
「私ですの? なんですの?」
「まだ外に出たことねえだろ? 興味があるなら、ディカについてけ。それなりに楽しめるぜ。ああ、そっちの墓守の孫はどうする?」
「え? なに、外? いや私はいい、そういう段階じゃない。学園に慣れないと」
「ああ、まだ浅いのか……ふうん、なるほどね。とりあえず今日の寝床、リコに掃除させてくる。夕食までには戻るから、パーティの準備はしとけよディカ」
「焼肉パーティか、諒解だよ」
おうと、二本目の煙草を消し、リコをずるずると引きずって行ったので、とりあえず店舗の中へ戻れば、光風とミルルクがついて来た。
「やあ、すまないね、うるさくして」
「そいつはいいんだが――外に、行くんだって?」
「まあね、ちょっと用事ができた。いろいろと……ああ、先にやっとかないと」
携帯端末を取り出し、直通連絡を一つ。
「あーばあさん」
『ばあさん言うな。なんじゃ、さては儂が暇だと思っておるな?』
「二時間後には、俺の店舗前の路上で焼肉パーティだから、行政への手続きよろしく」
『儂を便利なヤツだと思っとるじゃろ!? もっと早く言わんか!』
「あと、父さんが帰ってる。じゃあよろしくー」
『ファゼが!? ちょっ、おいディカ!』
切った。
「ああもう、ばあさんはうるさいな。黙ってやることやればいいのに」
「あら、その後なら文句を聞きますの? というか、身内には厳しいですわね……」
「話半分でね。まったく……父さんが帰ると、いつもこれだ。実はちょくちょく、顔を見てはいたんだけど、正式な帰還は数年ぶりでね。とはいえ、それはうちの事情だ。父さんはああ言ったけれど――」
やや疲れたよう、椅子に腰を下ろしたディカは、適当に残っている湯呑を手に取り、中を飲み干した。実はミルルクのもので、彼女はそれに気付いたが、黙っておく。口に出すと変な感じになりそうだったから。
「来る気があるなら、案内するよ。まあ、俺の用事が優先だけど」
「案内するって……お前、あれな、気軽過ぎないかそれ」
「いや危険はあるから、もちろん、その気があるなら今夜にでも、親に了承を貰っておくんだよ? ミルルクの場合は、レインエリアまで一度行くから。墓守にも一度逢いたいからね」
「それはありがたいですけれど」
「思っているよりも、安全度は高いよ。ただ俺の指示には、ある程度従ってもらうけど。目的は――うん、まだ、言えない」
「邪魔にはならねえのか?」
「んー……邪魔にはならないけど、正直に言えば、勧めるべきかどうか、俺は迷う。ただ、父さんは二人の背中を押したわけだ。しかも俺に連れて行けと、そういう誘導も入れた。ならきっと――そうだなあ」
二人が座るのを待って、天井を見上げたディカは、しばらく考えて。
「いろいろ、わかるだろうとは、思う」
「たとえば、何がですの?」
「俺やリコのこと。外のこと。あるいは、父さんたちがやったこと――かな。けど、それが良いのかなあ。いろいろとひっくり返りそうなんだけど」
「――楽しそうだ。はは、いいなそれ。後悔なんてしなきゃわかんねえし、とりあえず親父んとこ戻って話してくる」
「焼肉パーティには間に合うようにね」
「おう」
「行くなら明日の昼頃に、レインエリアかなあ。あんまり時間置くと、リコが逃げ出す可能性もあるし……」
「大変ですわねえ」
「ミルルクはどうする?」
「そうですわね……んー、ある種の課外授業としてなら、良いかしら」
「ああ、学園への言い訳?」
「光風のぶんも一緒に、ですわ。一応、帰れない可能性があるのなら、そのくらいはしておきませんと」
「うん、そうだね。100パーセントはないよ」
「では、手配しておきますわ。私もパーティには間に合うよう戻ります」
「クソ教員が文句を言うようなら、父さんか、学園にいるだろうデディおじさんを頼るといい。簡単に頷くから」
「困ったらそうしますわー」
ミルルクが出て行ってからようやく、盛大に吐息を落としたディカは髪の中に手を入れてがりがりと頭を掻くと、閉店準備を始めた。
ともかく。
なんであれ、作業をしていないと落ち着きそうになかったのである。
ちなみに焼肉パーティには、冒険者や近所の人たちがやってきて、なんとか大きい尻尾を全部食べることができた。ちょっと歯ごたえがある部位が多かったが、味は悪くなかった。
翌日である。
それぞれ身動きしやすい服装に加えて、手荷物は少な目だ。
「基本的には、現地調達が鉄則だからね。水のボトルを二つ、携帯食料を少し。あとは火打ち石と、防寒具。採集用のカゴなんかは、小さいものがあれば良い。あとは得物と帰還術式さえあれば、なんとかなるよ」
というのが、先日にディカが言っていたことで、そのように光風とミルルクは準備をしてきた。
「ま、そんなに緊張しなくてもいいよ。とりあえずレインエリアまで行こうか」
「あー……緊張してるように見えるか?」
「見えるね」
「期待半分なんだけどなあ……」
「私はちょっと、親と逢うのがどうも、気が重いですわー」
「そっか、ミルルクさんはまずそこからか」
昼前の時間、ノザメエリアの大通りの先にある出入口で、光風は大きく深呼吸をした。
「よし」
「ええ」
「行くよ」
一歩。
意図せず踏み出しは同時。奇しくも二人は、自分の足元を見て、その一歩目を確認していて――そして。
踏み出しを終え、二歩目、顔を上げれば。
「はい、じゃあまずミルルクの実家に行こうか」
「――はあああああ!?」
「ちょっ、えっ、なんですのこれ!?」
既にそこは、レインエリアだった。
賑やかな雰囲気のノザメエリアと違って、牧歌的というか、建物の数が少なく、妙に広く感じる。人口そのものもノザメの半分ほどであり、敷地面積は五割増し、というデータも出ている。
「おいディカ! なんだっ、このっ、――俺の緊張を返せ!」
「レインエリアを出る時は、また緊張するからいいだろうさ。ほら行くよ」
「ええもう、なんなんですの本当に……ディカ、仕組みはどうなってますの? ノザメからここまで、早くても二日ですわよね? 転移術式を利用して、安全地帯への移動をしながら、次の地形の変化を待たないと……」
「本来はね。けれど、魔術的に安全地帯に作られた帰還、転移用の目印を捕まえられれば、一気にここまで繋ぐことができる。条件次第だけどね、時間帯も悪くなかったし。ええと……どっちだっけ?」
「ああもうっ、こちらですわ!」
「……聞いてはいたが、なんつーか、静かなとこだな」
「田舎と言っても構いませんわよ?」
「いやなんか落ち着く」
「光風はそんなに心が汚れてたっけ?」
「心を乱したのはお前だろうが!」
「酷い言い草だなあ……」
帰還術式の目印は出入り口に置かれているため、その周辺は石畳になっているが、宿などを通り過ぎればすぐ、足元が踏み固められた土になる。
「うわ、いいなこれ。緑が多いってこういうことか。ノザメにも公園はあるけど、いや、違うな。すげーいいところだ」
「
「まったくだ」
ミルルクの先導で歩いて行けば、牧柵が見えてくる。かなりの広さを取っているようで、中には豚が泥をかぶっていた。
「おー、豚だ。豚がいる」
「ここがリットエット牧場だ。レインエリア最大の牧場だよ。牛と豚ならかなりいる。加工も手掛けているよ」
「ああ、市場で聞いたことあるわ。なに、ミルルクさんって、そうだったのか」
「自慢の実家ですわ。進路は違いましたけれど――お父ちゃん!」
麦わら帽子にタオルを引っかけた、作業着スタイルの男性を発見して、ミルルクは大きく手を振って声を上げた。
「ん? ――おお! ミルルク! どうした結婚の報告か!?」
「違いますわよ! なんでそうなりますの!?」
「なんだ違うのか、残念だ……じゃ、そっちは友達か」
「どーも、
「やあ、コーリー、久しぶりだけど覚えているかな。以前は確か、エミリーと一緒だったはずだけれど、まあ昔の話だ」
「ははは、忘れちゃいねえよ。ディカだろう? でかくなりやがって、あの頃はあんまりしゃべらなかったのに、今はもう慣れたか」
「まあね。ここ数年、ミルルクとはそれなりに付き合いもある」
「おう、なあディカ、うちの牛乳飲んで、うちの肉食って、なんでミルルクはこんなちっこくなってんだ?」
「ちょっとお父ちゃん!?」
「いやお前、そりゃ心配になるだろう親として。おっぱいも小さいし。なあ光風」
「俺に振るな、返答に困る」
「ああ? 困るこたねえだろ」
「コーリーの奥さんみたいに、まるまると大きくなるのも良いけれど、ミルルクはこのままでも充分に可愛らしいよ」
「そうか? ちっこいだろこれじゃ」
「お父ちゃんの趣味はどうでもいいですわよ! そんなだから私がノザメに行ったの、もう忘れてますの!?」
「俺の娘はよくわからんことを言うなあ……」
「まったくだね」
「お、おう? 俺も頷いておいた方がいいのか?」
「もういいですわ! お父ちゃん、ちょっと外に出てきますけれど、よろしいですわね?」
「外? おう、行けいけ。そうやって経験しなきゃな。生きることだけは忘れんなよ?」
「ええ」
「おう、じゃあ仕事に戻る。たまにはまた帰ってこいよミルルク、何でもいいから」
「ええ、もちろん」
「よし。じゃあなディカ、光風。悪いが、まだ仕事がある」
「お、おう」
「次は結婚の報告になれば最高だけど、その時のコーリーはきっと、反対するんだろうね?」
「ははは、違いねえや」
なんというか。
「あっさりだったな……?」
「ああいう親ですわー」
「うちは結構、細かいことを聞かれたんだけどなあ」
「というか、ディカは顔見知りでしたのね?」
「まあね。ミルルクとリコが親しくなってから気付いたんだ、最初からじゃないよ。じゃあついでに、穂波の祖父のところへ行こうか。墓地だけどね」
あっさり終わった割には、ミルルクはこう、心労のようなものが溜まった気がするが、まだゲージは一杯ではない。大丈夫だ。
レインエリアの隅にある墓地へ近づけば、次第に人の声などが遠くなり、静けさを感じるようになる。内部に入れば、ずらりと並べられた墓石が否応なく現実を突きつけるし――それに。
「ちなみに、ここにある墓地もノザメと同じで、中身がないものも、多くあるよ。冒険した先で命を落とすと、骨ですら発見は難しいからね。運が良ければ、証明タグが残ってるけど」
それは、二人も所持している。ノザメエリアに住んでいる証明であり、金属のタグが二つ。仮に冒険先で命を落としても、タグだけは、残る可能性もあると、そんなおまじないみたいなものだ。
ディカは墓地の隅を通り、奥へ。けれど――。
「その先には何もありませんわよ?」
「いや、ちゃんとあるよ。おいで」
その先を抜ければ。
見えていなかった小さな家と、木製のテーブルに椅子、そこに座った禿頭の老人が視界に飛び込んでくる。
「やあ、墓守」
「ひっひっひ、お主か、小僧」
細められた目は、それ以上開くこともなく、濁った白色が僅かに見えるものの、ただそれだけで、視力がほとんどないのだとわかる。
「挨拶にきたよ」
「穂波か」
「まあね」
「そっちの男は知らんが、もう一人はコーリーの娘じゃな」
「え、ええ」
「目隠しの結界か……? まったく違和がなかった」
「光風、墓場全域にもう術式は布陣してあったよ。その上で更に、この目隠しだ」
「マジかよ。まったく感じなかった、すげえなご老体」
「ひっひ、儂にとっては呼吸のようなものじゃ」
「この老人は、かつてここに一人の少女が眠っていて、その封印の術式をずっと解析してきた一族の、最後の一人だ。起こすことはできなかったけれど、魔術師としては相当なものだよ」
「相当? 嫌味じゃな、小僧」
「俺にだって自負はあるさ」
「おい……待ってくれ、ご老体。それは、あれか? ディカを認めてるってことか?」
「もちろんじゃよ。形態こそ違えど、魔術師としては、儂と比較されたくはないのう」
「――ずっと、ここにいらっしゃいましたの?」
「そうとも。ここは儂の城のようなものじゃ。二百年からは数えておらんがのう」
「二百!?」
「魔術にはね、そういう系統のものもある。限度はあるけれど、寿命を延ばすわけだ。ただし、この墓守は代償を支払っている――城とは言ったけれど、この人は、この場所から動けない。移動という対価を支払って、それを封じて、寿命を選んだ」
老人からの否定はなく、ごく当たり前のように交わされるその会話に、二人は口を出せなくなった。
あまりにも、常識が違う。とてもじゃないが、学園で得られる知識を越えたところで、それが当然という認識で会話をされれば、疑問だけが重なるだけで、理解が追い付かない。
「ん、ここで時間を使いたいわけじゃない。あの人と同様に、本題から入るべきだったかもしれないね」
「――あの女は」
「亡くなったよ。それが彼女の望みだった」
「そうか……」
「あなたが生きている内に、俺がその一部に至るよ。さて」
「魔剣の話じゃろう」
「知っているのなら、話してもらいたいものだ。俺にとっては、避けきれない問題でもあるからね」
「気になるか」
「なるね」
「では、儂はこう答えよう。確か――クラタ、と言ったか」
「俺の母が持ってきたと?」
「その頃にはまだ、子はおらんかと思ったが」
「なるほど、つまり俺は母さんを拷問して吐かせればいいのか……」
「それは好きにして構わんが、穂波への影響は良いのか?」
「それは俺の範疇か?」
「すまんのう」
「やれやれ……じゃあ、剣の名を」
「カク。文字にすると
「では以上だ。また来るよ、墓守。次はあなたが守っているものを、壊しに」
「まだ長く生きねばならんのう、ひっひっひ……」
そうして、すぐにディカが背を向けたので、二人は一礼だけしてすぐその背中を追った。
墓場を出て、光風が口を開く。
「魔剣って、そんなまずいものなのか?」
「使い方次第だ。まあ穂波の場合は、今度確認しておくけど、今のところは大丈夫。そもそも、光風やミルルクは、きちんと知識として教わってないはずだけどね、魔剣と呼ばれるものは、魔術武装とは違う」
「違いますの?」
「違うよ。そして、
「それも違うのかよ」
「簡単に言えば、魔剣は文字通り、魔物の剣だよ。魔物が変形したわけじゃなく、魔物を封じたわけでもなくて、いや封じたに限りなく近いんだけど、あー説明はやや複雑になって面倒だから、封印でいいか」
「そういうとこありますわよね」
「あー、ちょっと複雑な部分を、導入くらい、どうだ?」
「光風、そういうとこあるよね」
「理屈に弱いのは自覚してんだよ! お前ら仲良しか!?」
「そうですわね!」
「ああうん、うん。いやつまり、定義の問題でね? 力を奪うことを封印と呼ぶけれど、どこまで奪えば良いのかという話にもなるし、厳密に魔剣の創造理念を解き明かすと、その大半が存在そのものを奪った結果である、となるわけで、そうなると形状変化ではなく存在転化が現象としては正しく、つまり、それを封印とは呼べなくなる。じゃあ、何をどうすれば奪える――あ、これくらいにしとく?」
「お、おう、すまん、なんかすまん」
「いえ、私にも少し難解ですわ。詳しいですのね?」
「まあ、俺の目的の一つでもあるから。魔剣を作ることじゃなく、存在転化そのものの結果が、だけどね。ここらの定義が難しい上に、じゃあそもそも、魔剣だとしたら元の素材が何だったかって話にもなるし、これがまたねえ」
「すげーな、おい。つーか……古物商になったのも、そこらか?」
「ああうん、基本的にはそうだよ。それ以外の理由もあるけど」
「今度、じっくり教えていただけます?」
「もちろん構わないよ」
じゃあと、改めて。
「――行こうか、外へ。といっても、明日には到着の予定だけどね」
「おう」
「ええ、楽しむつもりでいますわ」
今度こそ、三人はレインエリアから外へ出る。
そこから先は、二人にとっては未知であり、ディカにとっては。
これは。
ディカにとっての、帰郷でもあった。
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