第3話 成績免除の卒業演武にて

 少し長い話にはなったが、一時間もかかるような話ではなく、それなりに割愛して話せば、なるほどなあ、なんて対面の椅子に座った光風みつかぜが頷いた。

 いつもの帰り道、学園終わりの時間帯でサギシカ商店の隅のテーブルに、今はミルルクと、隣に穂波ほなみがいて。

「とんでもない話ね」

「私もそう感じましたわー……」

「――口は挟まなかったけど」

 ディカがカウンターで、細かい作業用の眼鏡を外しながら、苦笑する。

「俺も若かったんだよ。今ならもっと上手くやるさ」

「どうかしら。でも実際、それで学生を相手への商売は一切なくなったのだから、大したものですわよ」

「ちなみにミルルクさん、その当時の女性ってやつは?」

「ああ、今は真面目に、きちんと学業に勤しんでいますわよ? 顔を合わせても、会話ができるくらいには」

「へえ……?」

「思ったのですけれどディカ、あの時は乱暴な物言いでしたけれど、こういう可能性も考えていましたのよね? 特に私が性格的にそう動くんじゃないか――って」

 ディカは返答せず、眼鏡を戻して作業を続けた。好きに判断しろ、という態度だ。

「私は知らなかったけど、その花蘇芳はなすおうは有名なの? 光風さんは知ってた?」

「それが俺も、ほとんど知らなかった。最近はちょいちょい、冒険者の知り合いから教えてもらってたけどな。馬鹿をしない限り、関わりはないとは言われてる」

「ふうん? じゃあそんなに私も気にしないでいいのかな」

「あなたはまず学園に慣れなさいな」

「それもそうね。せっかくディカさんが手配してくれたし」

「あ? なんだそうなのか?」

「うん。実家に一度戻ったら、書類が用意されてて。ディカさんが連絡をしてたみたい」

「そういうとこ、すげーよな。なんでもできるイメージ」

「それはイメージだけにしておいてくれよ光風。さて、穂波。少し頼まれてくれるか?」

「はい。なに?」

「大通りを歩いて、噴水にたどり着いたら、左に曲がった先の区画にある、クマシロさんって家に、この修理した時計を届けてくれるかな。お代は貰ってるから」

「わかった」

 ちなみに、ここから一時間と少し、穂波は戻ってこれなかった。ディカは知っていたが、クマシロのご夫妻は若い子を見ると、やたらと甘いものを食べさせたがるご老人で、それ自体は嬉しいのだが、引き際がわからなくなるのだ。

「初めて聞いたけど、やっぱミルルクさんは付き合いが長いんだな」

「良いか悪いかは聞かないでいただける?」

「え? 良いだろ?」

「それをあなたに決められたくないんですわ」

「……え? けど良いだろ?」

「うるさいですわ!」

「あー……ちなみにディカは?」

「うん? ミルルクはもうちょっと太った方が可愛らしいと思うけれど、それを口にすると怒られそうだから、言わないようにはして来たけど、昔話をされたから言おうと決意するくらいには、良いと思うね」

「……」

「おーい、おいディカ、ミルルクさんが不機嫌になると怖いから、やめろ」

「ああそう? そうかもね」

「気のねえ返事だぜ……」

「まったくもう。そういう光風は、――うん? 演武の時だったかしら」

「そう、それ。あの頃は交流あったんだろ? 一体ありゃ、どういう流れだったんだ?」

「そうねえ――」

 そうして、また、時間が遡る。

 それは一年と少し前のことだ。当時はまだ、ミルルクが一人で、週に二度ほど顔を見せて、学園の終わりにお茶を飲みながら、半分は学園へ来ないリコへの説教だったのだが――その日は、リコが誘ったのだ。

 どういうことだと裏を疑う程度には、やや呑気とも思えるリコに対して不信感を持てる付き合いがあったのだが、理由はすぐわかった。

「ディカー」

「お邪魔しますわ」

「おかえり、二人とも」

 もうすぐ規定年齢に達して、商人のライセンスを取得できるため、もう内装はほぼ完璧に整えられている店舗の中に入れば、リコが。

「ディカ、演武付き合って」

「うん、いつものように唐突な物言いで、俺としては少し考える時間が欲しいんだけれど、きっとリコのことだからそれはもう確定事項で、俺の拒否権があるかどうか考えていないんだろうね?」

「うん」

「――ミルルク、ちょっと本格的にリコへ説教しようと思うんだけど、どういう手法がいいかな?」

「無駄ですわー。言いますけれど」

「わかった。リコの親に連絡を入れておこう」

「なんで!? 嫌だ! やめて!」

「嫌ならとっとと説明をするんだね」

「うんあのね? クソ教員がね? サボり過ぎで単位足りないから、中等部卒業したいなら演武しろって。受けたんだけどね? 相手がいなくて」

「それで俺?」

「うん」

「俺たち、私闘禁止だろう?」

「私闘じゃない。演武だから」

「その言い訳が父さんたちに通じると思っているんだ?」

「……駄目かなあ。でもやんないと高等部いけないし」

「あら、一応、進学する気はありますのね」

「うん」

 ちなみに、学年としてはミルルクが一つ上で、年齢はそう大差ない。

「ディカでなくてはいけない理由はなんですの?」

「ほかのだと相手にならない」

「あー……そうですのね?」

「俺に言われてもなあ。けど実際、訓練のつもりでやったとしても、何をしてるのかわからないと思うよ」

「だいじょぶ、高性能カメラで、後からスロー再生すればわかるから」

「一応、主席として私、立会人を任されているのですけれどね」

「ほら! ほーら! ミルルクに良いとこ見せるチャンス!」

「……、リコ」

「な、なに?」

「クソ教員に顔を見せるよう言っておいてくれ。話はそれからだ」

「はーい。じゃあ行ってくる!」

 まったくと、出て行くリコを見送って、吐息を一つ。

「……あ、そうだミルルク、そっちのスペースでお茶なんかは淹れられるようにしといたから、自由に使って構わないよ」

「あらそうなの?」

 入口から見て左手、階段の横にある奥まったスペースに行けば、小さな台所のようなものが作ってあった。水洗いもできるし、お茶の用意もある。

「来客用ですの?」

「っていう言い訳で、経費計上したけど、基本的にはミルルクとリコ用だね」

「ありがとう。じゃあ二つでいいですわね?」

「お願い」

 手早くお茶を淹れて戻れば、談話スペースの椅子に座ったディカが腕を組み、珍しく天井に視線を向けていた。

「どうかしましたの?」

「ああうん、いろいろ面倒なことを考えてる」

「どうぞ」

「うん」

「……そもそも、ディカは乗り気ですの?」

「どうだろう。まず、大前提として、俺はそもそも関係がない」

「そうですの?」

「受けるとか断るとか、そういうのじゃなく、単純に状況の話だよ? 演武をすることになったのはどうであれリコだし、兄妹であったも外部の俺に頼るのは、たぶんクソ教員の思惑もあるんだろうけれど、リコの考えだ。俺はそれに巻き込まれたような形に見えるけど、誰の都合かと考えれば」

「あー、確かに、ちょっと一方的なリコの都合ですわね」

「学園というのは、閉鎖的なんだけれど、ミルルクは知ってる?」

「厳密にはわかりませんわ。ただ、感じることはありますわよ」

「開放的なのが良いわけでもないんだけど、そこのバランスが難しいと――いや、そこらはあとにして」

「よくいろいろと知ってますわねえ」

「知ってるというか、考えてるだけ。リコがアレだから」

「ああ……うん……そうですわねー……」

「学生を育てる場所でもあるけど、学生を守る場所でもある。簡単に言えば、部外者がおいそれと、簡単に足を踏み入れちゃいけない場所なんだよ。逆に言うと、内部トラブルを外に漏らさないっていう、閉鎖的な部分が問題なわけ」

「今回も、そういう問題がありますのね?」

「ミルルク、ルールの中において、一番問題なのは、なにか知ってる?」

「問題ですの? んー……違反は、問題ですけれど、処罰がありますものね」

「まあね。状況によって変わるけど、一番と、そう決めるのなら――俺は、こう答える。、ってね」

「何故ですの?」

「一度でも例外を許した時点で、それはもう、例外ではなく恒例になるから」

「あー」

 そう言われれば、わかる。いわゆる暗黙の諒解などが、その類のものだ。

「つまり、契約と同じで、面倒な手順が必要ってこと。俺はどうあっても部外者だ――ん、でもそういえば、観客としては外部も呼ぶんだっけ?」

「ええ、そう聞いてますわ」

「舞台上に立つのとは、また別だろうけど、面倒な観客もいそうだなあ……」

「面倒?」

「観客がいるってことは、事前に告知があるはずで、俺とリコって組み合わせがあると、問題というか話題になると思うんだよねえ……」

「あー、その、花蘇芳はなすおうとかですの?」

「それもあるけど、もしかしてばあさん?」

「ええ。以前の件もあって、たまに逢って食事をしますわ。気楽なお店ですけれど、コレニアさんは親しみやすいですわ」

「カタギに手を出すような人じゃないけど、困ったら言ってくれ。ばあさんくらいなら、封じ込めもできる」

「その時はすぐ相談しますけれど、コレニアさんも似たようなことを言ってましたわよ」

「似たような?」

「嫌ならまずディカに言えと」

「あれで孫に甘いなら良いんだけどね? 自分が祖母だってことを、未だに認めないんじゃどうかと思う。まあ、まだうちの親父とそう変わらない年齢なんだけど」

「私生活には踏み込みませんわ」

「そう。ちなみに、ミルルクとしては今回の演武、どう?」

「個人的には、見てみたい気がしますわ。ミルルクは小太刀こだち、ディカは針ですのよね?」

「――うん?」

 あれと、首を傾げられた。

「なんですの?」

「いや、聞いてない? 俺の得物は小太刀で、リコは小太刀二刀だよ? 針はメインじゃない」

「――そうですの!?」

「うんそう。ああそうか、リコはともかく、俺はそもそも戦闘を見せないし、鍛錬も見せてないから、知らなくて当然か」

「いえ、リコも真面目にやってませんわ……」

 だろうなと、思う。

「だったら尚更、見たいですわね」

「……期待には沿えないと思うなあ」

「考えますのねえ」

「いや、この際だからはっきり言っておくけど、俺は戦闘訓練でリコに勝ったことないから」

「――え? そうですの? 以前、糸の遊びなんかで、軽く転がしていたでしょう?」

「俺は器用な方でね。幅広く、上手くできる。主体としているのは術式だけど、それは言い訳か。しかも親父の戦闘方法を軸としているから、相手の観察から入るわけだ」

「……? 悪いことではないのでしょう?」

「読みの精度は鍛えられたよ。そこらは、演武を見ればわかるけど――リコが、演武ということを忘れなければ、俺が圧倒しているように見えるかもしれない。けれどねミルルク、戦闘というのは、。そして人は、その一撃で死ぬんだよ」

「読めていても?」

「そうだ。わかっていても、当たってしまうのが、一撃だ。隙間を縫うとも言うけれど、実際にそれを体験すると、そういう表現すら生易しいと感じるよ。そして、リコはそういう感覚が抜群に上手い」

「……抜群に」

「五十の魔物を相手でも、リコの方がよっぽど早いよ。簡単に言うなら、俺は考えるけど、リコは考えずに正解を選ぶ感じかな。だから――まあ、本当はやりたくない。お互いに手の内はだいぶわかってるけど、リコにとってはそれ、あんまり関係ないから」

「……」

「ん? ああ、大丈夫。仮にリコが演武であることを忘れたとしても、止める手はあるから。見世物だってことを、よくよく理解させておくし」

「ちょっと心配になってきましたわ……」

「俺はいつもそうだよ?」

「大変ですわねえ」

「まあそれでも、付き合ってやるかと思うくらいには、俺も甘いから」

「あー」

 それも、なんとなくわかる。リコは何であれ、放っておけないというか。

「でも、冒険者からは一目置かれてますわよね?」

「あれは昔、何人か拾った――いや、助けたことがあるから。まだ帰還術式の範囲が狭い頃で、たまたま発見して帰り道を示したというか。ここらは、俺やリコが、ノザメエリアに来る前の話かな」

「……――え?」

「ま、いろいろあるってことさ」

 さてと、ディカは入り口に視線を投げた。そろそろ六十間近のスーツ姿の女性が、リコを伴ってやってきたからだ。いや、逆か。リコが伴ってきたのか。

「邪魔をする――む、ミルルク? ここに出入りしているのか?」

「開口一番に学生の心配とは教員らしいけれど――」

 ディカが立ち上がる。

「――俺の店舗への感想もなしとは、相変わらずのクソ教員だな? ついに優先順位を忘れたのか、それともわからなくなったのか。どっちにしても、頭よりも尻の方が先に光りだしたのなら、立ち上がるのも億劫おっくうになって、何でも机の上で片付けたがるようになる。どうした、挨拶はまだか?」

「……、久しぶりだな、ディカ。相変わらずのようで何よりだ」

「え? なんですのそれ、ディカ、ちょっと口が悪いですわよ?」

「ミルルク、このクソ教員に対してはこれが丁度良いし、俺はそんなに口が悪くないよ?」

「そうだよー、クソ教員が間抜けなだけだぞー」

「リコ。いいかリコ、私はそれなりに権力があってな?」

「成績不良者に振りかざす権力なんて、ゲンコツより情けないけどねー」

「なんですのーこれー」

「気にするなミルルク、こいつらの両親の方がもっと口が悪い……」

 呆れたように、吐息を落とした。

「それよりもミルルク、帰寮時間が過ぎているが?」

「あら、そういえば、そうですわね。じゃあそろそろ戻りますわ。ご馳走様、ディカ」

「帰寮時間なんてあったんだ?」

ですわ」

 一度でも例外になれば、そうなる証明である。

「じゃあ送ってくるから、あとよろしく!」

「む――」

 止める間もなく、ディカは止める気もなかったが、二人は揃って外へ。陽が落ちてしまっているので、言い訳としては順当だ。

「どうぞ」

 ミルルクの座っていた場所を示し、ディカは彼女のぶんのお茶を作って運ぶ。

 彼女の名は、リン。かつては学園の教員であり、今は学園長の立場にある。

「まあクソッタレな嫌味は後回しにしよう。状況を確認だ」

「む?」

「ああ、その顔は聞いていないか。つまり、代役だクソ教員」

「……そっちか。こちらとしては、成績優良者を含め、選別中だったんだが、リコが先に動いたか」

「そのくらいの行動は読んで欲しいものだね」

「お前は?」

「リコに頼まれたからねえ……」

「なるほどな。状況を整えれば、やるんだな?」

 少し笑いながらの問いに、ディカは肩を竦めた。

「まあね。望み通りとはいかないだろうけど」

「それは戦闘教員の望みだ、私のものではない。ただし、あくまでも演武だ、お互いに怪我は控えろ」

「リコにはよく、言い聞かせておくよ」

「結構だ。では、早速だが金銭交渉といこう。外部講師としてのゲスト出演、それが一番早い」

「だろうと思ったよ。こっちも相場を知ってるから、誤魔化しは通用しないからね。とりあえず日雇いだろう?」

「その方が書類を用意するのも楽だ。うちはノザメエリアの所持物件だ、あまり期待しないでくれ」

 出演交渉のすえ、お互いの妥協点が決まり、契約が結ばれたのなら。

 とりあえず、ディカには断る理由はなかった。


 学園に足を踏み入れるのは、初めてではなかった。

「そうですの?」

「まあね」

 付き添いとして、ミルルクが立候補したらしく、学生服ではないこちらを誘導するよう、半歩前を歩く。既に礼儀として、学園長への挨拶は終わらせており、演武の時間まではどうするか、それを今からミルルクが教えてくれるらしい。

「こっちで生活するって決めた時に、リコと一緒に回ったから、だいたい知ってるよ」

 この学園は中高が一緒になっており、基本的な戦闘訓練や知識は当然のこと、大きく四つの学科に分かれている。

 工房などで得物や装飾品などを作る、工匠学科。

 魔術品やそれに類するものを研究する、開発学科。

 外に出て仕事をする、冒険学科。

 そして街の仕組みを考えて運営する、政治学科。

「リコは、そのどれにも属してないんだけどね」

「通称は、おちこぼれ枠ですわ」

「学生は得てして、何も持たないのと、何も選ばないのを一緒にしがちだからね。何でもできるだと、見方を変えるのに」

「それはリコが原因ですわよ……」

「だろうね」

 けれど、学園長であるミルルクも、高等部に入ってからは、これと学科を決めていない。果たして誰がどんな影響を及ぼしたのかと考えれば、自然とディカの口は閉じる。

 定期的に店舗へ顔を見せるようになったことから、理由など明白だからだ。

「ディカはいつもと変わりませんわね」

「うん?」

「服装ですわ」

「ああこれ。一応、こっちは客商売――に、なる予定だし、普段から寝間着でうろうろするリコみたいにはならないよう、ちゃんと心がけてるから、外出の時もそう変わらないよ。武装してないと落ち着かないのは昔からだ」

「そういうところ、根底が違いますわよねー」

「そんな呆れたように言わなくても。なんだろうね? こう、ミルルクがいつも三つ編みを一つ作ってるみたいに、いつもと違う自分を見せたくないっていう、こう、そういう?」

「あら、おかしいですの?」

「いや可愛いと思うけど。たまに結んでるゴムがちょっと違ったりして」

「え、あ、そ、そうですの。ええと――あっ、そう、こちらが闘技場ですわ!」

 そういう慌てた様子も可愛いとは思ったが、あまり踏み込むと嫌がりそうなので、やめておいた。

 一階にある訓練施設は、区画が別れているため、渡り廊下を歩く。その先にある訓練場の中でも、一番大きいのが闘技場だ。

 大きい――といっても、戦闘をする面積そのものは、大きく変わらない。変わっているのは、観客席の広さだ。

「あれ? もう外部の客を入れてるのか」

「気の早い人は、招いてますわ。学生たちは基本的に、教室で見ますわよ」

「二時間もあるだろうに」

「すぐですわよ、きっと。それでディカ、そこにいる方たち三名を、ちょっと見て欲しいんですけれど」

「……うん?」

「学園長のお言葉を借りるなら、実戦前の肩慣らしに、ちょっと運動してみては、と」

「へえ? つまり、ミルルクを含めて、リコの相手をさせようとしていた?」

「よくわかりますわねー……」

 睨むような視線に対して、ディカは軽く手を上げて挨拶としておいた。

「高等部?」

「ええまあ」

「あー、まあ、こういう言い方は好きじゃないけど、リコの相手にはならないかなあ」

 ちらりと横を見れば、木剣ぼっけんがあった。

「失礼、この木剣は誰の?」

「――俺の」

「うん、ちょっと借りていいかな」

「いいぞ。やるか?」

「いや、こっちは肩慣らしだ。ところで、間合いってのは難しい。攻撃したいなら間合いに踏み入り、逆に避けたいなら間合いを外す」

「中等部の頃から、そいつはよく言われる」

「じゃあちょっと、運動に付き合ってくれ。剣は腰に戻してほしいね」

「ん? ああ……」

「では」

 こうだと、右手に持った剣を、手元からやや上へ向け、つまりそれが背丈の差でもあるのだが、ともかく、ディカは木剣の先を彼の顎付近に向けて、ぴたりと止めた。

「本当は首なんだけど、こっちの方がきっと見やすいだろうから。さあ、この場合は間合いを外すのと、間合いを保つの、どっちが難しいのかを試して欲しい」

「――いいぜ」

 彼は。

 光風みつかぜは、その時に初めて、ディカを見た。こうしているのも、何かのゲームか、くらいにしか考えてはいない。何しろ初対面であり、相手が演武をする人物だとわかっていても、ただそれだけだからだ。

 それだけだ。

 ミルルクから聞いている情報は、それしかなく――現実を、目の当たりにする。

 左右へのフェイントから、斜め前への踏み込み、しゃがみ、大きく躰を振って飛びつつ、更に後方へ跳躍しても、切っ先が揺らがない。

 揺らがないどころか。

「くっ――」

 ディカの姿勢が、直立したまま、剣をまっすぐ向けたまま、変わっていないようにさえ見えた。

 体感で五分、だが実際には三十秒。

 シャツが汗で張り付く感覚があり、呼吸が荒い。切っ先が自分から動かないこと、ただその現実がものすごい威圧を与えてくる。ともすれば、殺され続けるような気分だ。

 何をどうしても、動く気配がない。大きく深呼吸をしてから、手を使って払い除けようとしても、手が空を切るだけで、どういうわけか切っ先の位置が変わっていない――ああ。

 それでも、現実として二分、耐えた。

「――は、はあ、駄目だ、すまん、勘弁してくれ」

「いえいえ、お疲れ様です。さて、そちらのお二人もいかがですか?」

 問えば、おうと言って参加した。

 光風は壁に寄って座り込み、タオルを首にかけると、水のボトルを一気にあおった。

「……はあ、ふう、……なあミルルクさん。何分やってた?」

「せいぜい二分ですわね」

「マジかよ。こっちは十五分以上やってた気分だぜ、なんだありゃ。適切な間合いを守り、それが最大の攻撃力を生むと教わっちゃいたが、一度間合いに踏み込まれた時、こんなに外すのが難しいなんてのは、初めてだ。今までの戦闘訓練じゃ、経験したこともねえぞ、おい」

「冒険学科でもそうですのね?」

「そうだよ。――チッ、水が切れた。もう二本目だ、クソッタレ」

 大きく吐息を落とし、二本目のボトルを手にして、光風は呼吸を整えた。

「外から見てて、どうだミルルクさん」

「たぶん同じですわよ。こちらから見ていても、切っ先が動いたようには見えませんでしたわ。こう、ほとんど半身にもならない、右脚を前に軽く出しただけで、躰は正面を向いたままでしょう? ――ずっと、そのままですわ。変な言い方ですけれど、光風が、そう感じるくらいですのよ」

「つまり、現実としては、こっちの動きを先読みしたのか、あるいは俺が動いてからでも間に合う動きで、寄せられたって感じだな?」

「ええ。この結果、わかってますわよね?」

「おう。野郎を相手に、間合いを外された時点で終わりってことだ」

 短い得物ならそれでもいいが、仮に長い得物だった場合、最初から剣の間合いに踏み込めないことになる。

 誰が考えたって、それは致命的だ。

「呼吸読みじゃないよな……俺、そこらへん変えたし。肩や腰のフェイントにも引っかからなかったし……こうやって、外から見ても、アーグルでも無理か。あいつの細かい戦闘、厄介なんだけど」

 ディカとそう背丈の変わらないアーグルは、一撃を決めるというよりは、細かい攻撃を積み重ねるタイプで、相手としては精神的にもイライラする手合いだ。早さを主体として、それこそ擦り傷をどんどん追加するようなやり方だ。

「ってことは、速度じゃねえな」

「本人の言葉を借りるなら、読みの精度ですわ」

「精度? いやけど、読みってどうなんだ? 視線、行動、フェイクを入れてもそれすらって……」

「そこまでは、私だってわかりませんわよ」

「そうなのか? ミルルクさん、俺らの間でもかなりやるって、評判だぜ?」

「私が望んだ評価ではありませんのよ? それに、私だってディカのことをよく知っているわけではありませんもの」

「ああそうなのか。演武が楽しみ――なんて思えねえぞ、これ。怖ぇよ」

 三人目と交代しても、呼吸すら乱さず、ただただ同じ光景が続く。ちなみにアーグルは、戻ってきて水を一気に飲むと、仰向けに倒れて動かなくなった。

「運動量がすげーからなあ、あいつ。……はあ? なんでそれに付き合って、あいつ汗かいてねえの?」

「年齢としては、まだ中等部くらいですわよ」

「マジかよ。何者だ?」

「さあ? ただ、励みになりますわね」

 三人目は盾持ち、いわゆる前衛の防御役タンクであり、素早い動きはしなかったが、しかし。

「――ん?」

 何度か、切っ先がブレるようにして、僅かに動いているように見えた。

 三人を終えて戻ってきたディカは。

「やあ、木剣をありがとう。ここに立てかけておくよ」

「おう……つーかお前、本当に疲労してねえな」

「躰は暖まったよ。冷めていたから勝てませんでした――と、そんなことを言った覚えはないけれど」

「嫌味だろ」

「はは、そうかもしれないね」

「それより、ベイドロ、今やってたやつ、切っ先が外れそうになってなかったか?」

「ああうん、それは正解だ。――ミルルク?」

「やってない私ですの?」

「だって今、考えてるじゃないか」

「もう少し時間が欲しかったですけれど、そうですわねー。……威圧じゃないかしら」

「――威圧?」

「慣れの問題ですわ。違いますの?」

「間違ってもいいから続けて」

「そういうところ、いやらしいですわよディカ。けれど、そうですわね、ベイドロは盾役ですもの、攻撃を前へ出て受けるのが仕事ですわ。だから、切っ先が突き付けられていても、怖くはありませんわよ? あるいは、怖くても、飲み込むのが日常ですわ。だから、それほど意識はしない」

「あー、俺らは意識し過ぎか?」

「外すのか向かうのか、その境界が曖昧になるんだよ。切っ先がずれた先に移動してるのにも気付かない」

「……どうすりゃ良かったんだ? 意識するなってのも変な話だろ」

「さあ、どうだろう? 結果、切っ先から逃げることができなかったなら、次は逃げようとする――としか、答えようがないよ。そもそも俺は、誰かに教えられるほど習熟しちゃいないからね。というわけで、――ジルベール!」

 観客席、数人いるうちの一人へ声をかけた。

「ガキに教えるのも仕事だろう? このくらいの錬度なら、いいんじゃないか?」

「ふん。学業が終わったらツラを見せろ」

「――だってさ。不愛想だが、信頼の厚い元冒険者だ。ベイドロ、あなたのように盾持ちをしていた人で、今は酒場を運営してる。出入口傍の大通りだ、許可も出たから三人とも、学業が終わったら顔を見せるといい。冒険者が情報交換をする酒場でもあるけど、暇があれば教えを請うこともできるだろう」

「うっス」

「あとでお邪魔します!」

 光風みつかぜは、ぺこりと頭を下げるにとどめた。

「さてと、そろそろ観客が入る時間になるかな? とっとと済ませておこうか」

「なにをですの?」

「準備を」

 ぐるりと周囲を見渡したディカが三歩ほど前へ出て、腰に手を当てれば。

「う――お!」

 足元から一気に、術陣が展開した。

 厳密には、ディカの足元から円形の術陣が、闘技場全域にまで一気に広がって消える。それが連続して、いくつも発生した。

「何をしてますの?」

「念のための布陣だよ。解析をしたがるクソッタレも観客にいそうだから、そっちの防御も含めてね。どこまでやるか知らないけど、本気じゃないにせよ、思い切りやられると、闘技場が壊れかねない」

「おい、おいミルルクさん、こいつ大丈夫か?」

「見るのは初めてですけれど、大丈夫ですし本気ですわよ……」

 数えれば二十四枚、術陣はそこで終わった。

「ま、こんくらいだろう。常時展開だけど、それほど負担もなさそうだ」

「おい、あーディカだっけ?」

「そうだよ光風」

「術式に関しては、ほとんど開発学科がメインでこっちは、それほど詳しくないんだが……」

「きっと、この後に酒場へ行けば、それほど詳しくない、なんて言ってられない現実を、経験談と共に教わるんだろうけれど、それはともかく、俺は魔術師だよ」

「お、おう……?」

「こういう男ですわ。さあ、そろそろ汗を流して、準備なさい。あなたたちには、控えのベンチを用意してあるから、現場で見れますわよ」

「そりゃいい。おい、動けるか? 行こうぜ」

 お前は一番最初だから動けるんだよ、なんて言い合いながら出て行くのを見送って、学生らしいなと思ってしまえば、そんな自分にディカは苦笑した。

「どうしましたの?」

「いや、自分の年齢を改めて感じていただけ」

「学生は元気だな、なんて思ったら駄目ですわよ?」

「じゃあ、学生は落ち着きが足りないと、我が物顔で頷いておくよ」

「まったく……こちら、控室ですわよ」

「ああうん」

 最後にもう一度、確認のために闘技場を振り返れば、半数とは言わずとも、観客が入ってきていた。

 見世物だ。

 演武なんて芸と同じかと思えば気楽だが、相手がそう思っているかどうかが問題になる。

「カメラは何台入る?」

「六台ですわ。教室ではそれぞれ、録画面で電子黒板に表示されますわ」

「ああ、そういえば去年あたりに大改造して、電子機器を増やしたっけね……スイッチングが不要なだけ、楽かもしれないけど」

「気にしますのね?」

「きっと退屈だろうから。ただまあ……いや、今更か」

 小さく笑うディカは、緊張の欠片もない。

「大勢の前でやることに、緊張はありませんの?」

「ないよ? たかが演武――戦闘訓練みたいなものだ。見るのは、周りが勝手にやることで、俺にとっては配慮の一つはするけれど、危機感はない。全員が敵に回ったところで対処できるよう、布陣しておいたし」

「――今、えらいこと言いましたわね?」

「気のせいだ」

 間違いなく言った。

 だがそれよりも、むしろ、この場で敵に回ることまで考えている方が、ミルルクにとっては疑問だ。疑問というより、おかしい。

 だって、そんなこと、思いつきもしなかった――。

「さあ、始まりましたわ。前口上がありますけれど」

「一年の終わりのイベントだろう? あのクソ教員が偉そうな顔をして、学生だった頃なんて忘れて長長ながながと演説をしようものなら、笑ってやるけどな」

「学園長の演説は短いですわよ」

「ミルルクは座席に?」

「いいえ、あなたを送り出して、そのまま見ますわ」

「――ん」

 じゃあと、手のひらの上に術陣を展開して、立方体の小さな金属を作り出す。

「これを持っていて」

「なんですの? というか、なんなんですの、そんな簡単に術式で作って……」

「まあまあ。簡単な防御術式が組み込まれてるから、念のため。避けきれなくても死ぬことはないから」

「あー、じゃあ感謝しますわー」

「なんで棒読み?」

「そういう事態がありうるってことが、ようやくわかったからですわー……」

「ああ、うん、現実に追いついてきたようで何より。おっと、先にリコが登場したね。実戦は久しぶりだ、俺も殺さないよう気をつけないとね」

「は?」

「行こうか」

 先導されるのではなく、自ら前に出たディカは、改めて闘技場の中へ。

 ――観客は。

 ほぼ、満席状態であった。

 中央まで歩いて行けば、三メートルの間を持って、止まる。リコはいつものようにぼんやりしており、ディカは笑っていた。

「それでは、卒業演武、――はじめ!」

 合図があったのにも関わらず、二人はお互いに背を向けて離れ――離れ過ぎて、それぞれ逆回転で、観客席を見ながら外周を歩いた。

 念のための、確認だ。

 厄介な観客が、どのくらいいるか、それを確認するのである。

 そして――二人は、ぐるりと一周してから、中央。そこに十メートルの距離で対峙して。

 リコは右の小太刀を、引き抜いた。

 だからディカも、普段は腰の裏に隠している小太刀を鞘ごと引き抜き、左の腰にく。

 リコの右手にあるのは、鍔のある小太刀。ディカの腰にあるものと、リコが左手で扱う小太刀は、鍔がない。

 そもそも小太刀にせよ太刀にせよ、引き抜く前に鍔を押し上げる。これは抜けないよう固定されているのと同じで、傾けても勝手に抜け落ちることがない――が、鍔のない小太刀は、違う。

 これは簡単に引き抜ける。

 刀身が曲線を描いているので、まっすぐ抜くことはできないにせよ、滑るように落ちる。たとえば、そう、常に片手を空けておいて、必要な時だけ抜いてすぐ納める、そういう戦闘に向いているわけだ。

 ただしそれは、居合いとは大きく違うのだけれど。

 小太刀に手をかけず、自然体で向き合うが、それなりに空気が張り詰めるような感覚があって。


 ――交差した。


 ほぼ、一秒以内に行われた攻防の中、一度ですら小太刀同士が打ち合うことはない。踏み込みはほぼ同時、やや速度が高かったリコが、距離を大きく詰めたが、せいぜい半歩ほど。迷わず首を刎ねる動きをした小太刀の切っ先を見ながら、踏み込みにおける停止を利用して上半身を反らし、回避する。

 ぎりぎりで回避した方が、後の動作に繋げやすく、また、最低限の労力で済むことは確かだが、そこからの変化に対応する際、余裕があまりないのも事実で、だからこそディカは回避の途中で小太刀を引き抜く。

 つまり、リコの次の動作を抑えるための攻撃だ。狙いは同様に首――だったが、勢いよく振り抜いたリコは、ディカの小太刀の下をくぐるよう姿勢を低くしつつ、二度目の踏み込みと同時に腰の小太刀を左で抜き、一閃。胴を切断するそれを、飛び跳ねるよう一気に前進したディカは、それ以上の追撃をせず、距離を取った。

 それを一秒でやって。


 十メートル、お互いに振り向いて視線を合わせる。

 二秒後、三つの斬戟が空を切るようにして、闘技場全体を大きく揺らした。


 切断の現象が具現し、ともすれば観客席ごと切断していたかもしれないが、そこはディカの布陣した術式がきちんと防いでいる。

 リコが、首を傾げた。

 おもむろに、既に納めていた左小太刀を、改めて一度引き抜いて、自分の左側に斬戟を繰り出して、納刀。

 地面から跳ね上がるよう、縦の斬戟はしかし、十五メートルほど移動して観客席の壁にぶつかって消えた。

 強度確認である。

 術式で威力を強化しているわけでもなく、魔術で切断の現象を作っているわけでもない、単純な体術から発生した、遠距離の斬戟は、武術において一つの壁と言われていた。

 考えてみて欲しい。そもそも、斬戟とは一体何かを。

 それは切る行為だ。斬るのである――空気を斬れば、斬戟は飛ばない。

 しかし、水を斬ったら、どうなる? プールだとしたのなら、水は左右に割れて斬戟だったものの形を作り、すぐ思い出したよう元に戻り、波を立てることだろう。

 それを空気の中でも可能にするのが、この、飛来する斬戟だ。

 次、遠距離から放たれたそれが、お互いにぶつかり合って破裂するのと同時、二人の姿が消えた。

「――」

 息を飲む。

 見失った? ああそれは確かだが、斬戟の余波だけが発生し、緩急をつける瞬間だけ、姿を捉えることができた。

 ――速い。

 ほかの何かと比較できないほどに。

 それにしても、この闘技場は大丈夫なのだろうかと、観客席に目を向けて、気付いた。

 ディカが繰り返し、観客に対して面倒だと言っていた理由が今、理解できる。

 大半の観客はミルルクのよう状況について行けず、呆然としていたり、怯えていたり、恐怖したりとさまざまだが、数人だけ、いるのだ。

 冷静に状況を目で追っている者がいる。頬杖をついて、退屈そうな態度で見ている者もいる。にやにやと、面白そうに笑いながら見ている者がいて――ああと、理解の先に納得を手にした。

 何も、リコとディカがやっている戦闘は、常軌を逸しているわけではないのだと。

 一部ではあるが、彼ら観客にとっては追いつける戦闘になっている。ならばこれは、単純な錬度の問題だ。

 だが、どこまでやればと、そう思って視線を戻せば、決着がついていた。

 振り抜こうとしたリコの右小太刀が、八枚の小さな術陣を壊す――が、しかし、残り二枚の地点でぴたりと停止した。

 少し笑ったような顔で、ディカは自然体のまま、左手を腰に当てて吐息を小さく一つ。

 リコが背中を向け、小太刀を納める。

 それが。

 演武の終わりであった。


 その日の夕方、店舗に顔を見せれば、ディカがいつものよう一階で掃除をしていた。

「おかえり」

「ただいまですわー。今日はお疲れ様でしたわ」

「ああうん、まったくだ。まあそこそこで終わらせておいたけど」

「学園長から、リコの卒業は問題ないとの返答をいただきましたけれど、リコはどこですの?」

「裏庭にいるよ」

「あらそうですの。ではお邪魔しますわ」

 しばらく前から、裏庭に菜園を作るとディカが作業をしていたので、場所はわかる。一人、そちらに向かえば、小太刀を二本振り回していたリコがこちらに気付き、動きを止めた。

「あ、ミルルク」

「――訓練中ですの?」

「手伝って。そこ立ってるだけでいいから」

「え?」

「いいから」

 左の腰にいた二本の小太刀に手を当て、けれど抜かず、右足を前に出す半身になったリコは、ミルルクを見据えたまま、ぴたりと静止した。

 すぐに。

 リコの額から出た汗が、頬を伝って顎からぼたぼたと、地面に落ち始める。

 よくわからないが、立ったままでいたら、後ろからディカが顔を見せた。

「――ああ、やっぱり」

「ディカ、これなんですの?」

「熱が引かないって、ずっと訓練をしてるんだよ。付き合ってやってくれ」

「それは良いのですけれど、立っていろと言われたのですわよ?」

「何をしているか、気になる?」

「それは、ええ、もちろん」

「じゃ、俺の言うことを少し聞いて。いいか、前へ踏み込むのはナシだ、危ないからね。軽く左足を引いて、腰を落とす。戦闘の姿勢」

「ええ……」

「返答はいらないから、よく聞いて。意識を戦闘に切り替える、糸を飛ばさずに指にかけてもいい。呼吸の意識、それから視界。全体をぼんやりと、焦点を結ばず、リコの姿を把握。視線は合わせないで――」

 言われた通り、ゆっくりと、次第に戦闘への意識を持つ。

「――相手の意識を持つ。攻撃の初動、踏み込みじゃなく、その意志。指先じゃない、肘でもなく、始まりはまず肩」

 瞬間的だった。

 足から指、腰、そして意識が肩に向けられた瞬間、この訓練の意図を理解する。同時にそれは経験だ。

「うっ――あ!?」

「へえ、順応が早い。さすが」

 後ろに倒れるよう尻餅をついて、迷わず右手が自分の首に触れる。

「い、い、今」

「うん?」

「今――首を、斬られましたわ……」

「うん。リコは抜いてないけどね」

 首を斬られて、ぽんと跳んだ顔を更に斬られ、胴体が切断されたのに気付いたのがほぼ同時みたいに感じられ、そのまま尻餅をついて、現実を認識できた。

「な、なんですの……?」

「俺たちは不動ふどうぎょうと教わったけど、いわゆる相手読みだよ。対峙しているはずの誰かと、想像の中で戦闘をするのが今のリコだ。本来なら、お互いに対峙して、攻撃をせず、攻撃の意図をぶつけ合う」

「……首を斬られる前に、私が対処しますのね?」

「そう」

「つまりそれは、斬る動作そのものの、更に予備動作を見抜いて、対応しなくてはなりませんわ」

「そうやって読みを深くするから、初見での読みも深くなるんだよ。水のボトルを置いておくから、良かったら付き合ってあげて」

「ええ」

「――あ」

 立ち上がったミルルクへ、苦笑しつつ一言。

「間違っても、前へ出ないように。攻撃の意図が、現実のものになりかねないからね」

「わかりましたわ」

 せいぜい、そこから十五分ほどだった。よほどの相手と対峙しているのか、リコの消耗が激しい。ミルルクは、最初に三つの斬戟だったのが、最終的には六つを見抜くことができた。おそらく、それ以上の手数があったはずだ。

 読みの深さ。

 肩に力が入るだけで、斬戟の初動であると見抜かなければ、遅いわけだ。まだまだ成長できると思えば、引きつりながらも笑いが出る。

 笑える。

 ならば、それでいい。

「あー……ありがと、ミルルク」

「いえ、私も勉強になりましたわー」

 お互いに地面に座り込んで、水のボトルを飲みつつ、タオルを首にかけた状態だ。

「けど、どうしましたの?」

「んー、熱が引かなくて。演武の。――相変わらず、ディカには勝てない」

「……え?」

「勝てないの」

「ディカは、リコには勝てないと言ってましたわよ?」

「――そうだね」

 そこには否定がない。だから、噛み合っていないように聞こえる。

「私はいろいろやるけど、ディカは徹底したカウンター型。自然体で回避して、隙を見つけて一撃で始末をつける」

「ええ、そういう感じに見えましたわ」

 スロー映像だったけれど。

「けれどリコ、避けてましたわよね?」

「訓練だから」

 そこで一息。

「――私を殺そうとしない」

「それは……そうですけれど」

「いいことだけど、でも、想定するといっつも私が負ける」

「……うん?」

「たとえば」

 軽く右手を頭上へ。そこから、太もものあたりに落とす。

「こうやって小太刀を振り下ろした時、?」

「それは――」

「だったらディカは、私の腕を斬り飛ばせる」

 本当だろうか。

 そんなことがあるのだろうか。

 けれどリコは、まるで疑っておらず、悔しそうに仰向けに倒れた。

「くっそー」

「汚れますわよ」

「お互い様」

 そう言われれば、だいぶ汗もかいたし、座り込んでいるので汚れている。制服であることを忘れていた。

 熱を冷ましていれば、ディカが食事の準備をしてくれていて。

 その日、初めてミルルクはここに泊まることとなる。

 化け物みたいにも感じたが、リコも大変なんだなあと、そんな感想だった。悔しさもあったので、いつか追いつこうとも思うが、まあ。

 焦りは禁物、である。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る