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第2話『 Bleaching 』

　わたし、百川（ももかわ）翠（ミドリ）には記憶というものがない。

　1ヶ月前、殺風景（さっぷうけい）な病室で目覚（めざ）めた時に感じたことは、茹（う）だるような虚（むな）しさだった。

　起きたばかりで、視界は朦朧（もうろう）としている。チカチカと照明の明るさが瞳（ひとみ）に刺（さ）さる。頭の奥（おく）が悲鳴（ひめい）をあげていた。

　ずっと光を遮断（しゃだん）していたおり、突然（とつぜん）まぶたを押（お）し上（あ）げたのだ。針（はり）のような刺激（しげき）を滲（にじ）みでた涙（なみだ）で馴染（なじ）ませると、知らない顔（かお）が二（ふた）つ。

　それが自分の親（おや）だと知ったのは、それから2時間も経（だ）ったあとだった。

　長期記憶障害（ちょうききおくしょうがい）。

　息が詰（つ）まるような検査（けんさ）の後（あと）、淡々（たんたん）とそう告（つ）げられる。目覚（めざ）めたところは病院（びょういん）だった。

　あとから聞（き）いた話（はなし）、私は高校の帰り道に軽自動車と正面衝突（しょうめんしょうとつ）を起こしたらしい。

　なぎ倒（たお）された体は後方６メートルほど吹（ふ）き飛（と）び、そのまま病院に緊急搬送（きんきゅうはんそう）されたそうだ。

　生きているのが不思議なくらいの事故だったらしいのだが、幸い私は無傷（むきず）だったそうだ。スポーツをしていたこともあって、受け身が上手くとれていたのかもしれない、とお母（かあ）さんは言（い）っていた。

　ただ当て所が悪かったらしく、ここ2月ほど昏睡状態（こんすいじょうたい）だったらしい。

「お子さんは非常に健康（けんこう）です。本人の希望があれば、明日にでも退院は可能でしょう」

　皺（しわ）のない、小綺麗な医者の顔は実際より少し若（わか）く見（み）える。機械的な言葉に、両親は泣いていた。大の大人が人前で号泣するのを初（はじ）めてみた気（き）がする。

　ああ、記憶（きおく）がないからあたりまえか。

　寝疲れて酸素の行き渡ってない脳は、その時はまだ冷静（れいせい）で。目の前にぶら下がってる黒いメガネの縁（ふち）をぼうっと眺（なが）めていた。

　知（し）らない。なにも。

　事実（じじつ）だけが坦々（たんたん）と歩いて、身体はその異変（いへん）に気（き）づかない。

　白で統一された室内はひどく殺風景（さっぷうけい）で、なんとなくもの寂（さび）しい。まるでいままで描いたキャンバスの色を無理矢理上（うえ）から塗（ぬ）りたくったかのように微睡（まどろ）んでいる。