質問

「や、やめてくれ。人違いだ。おれは三村ではない」


リューリクは男の首元を掴む。ここは旧市街の薄汚れた酒場の廃墟だ。ここで三村は週に一度、違法薬物の売人から賄賂を受け取る。治安維持省管轄の派出所のノンキャリたちは、僅かな給料を貰うよりも、悪事を見過ごしてその対価を懐に収める方が、仕事の割りにあっていた。しかし、今日三村が取引現場に訪れると、待っていたのは売人の死体と、青い目をしたガイジンだった。


「質問だ、お前は三村か」


「違う!人違いだ!」


リューリクは三村の出っ張った腹に、左手で鋭い一撃を加えた。三村の顔が苦悶に歪み、弱々しい声が漏れる。


「質問だ」


「助けてくれ、おれを殺したところで何にもならないぞ、金が欲しいんだろ、な?」


さらにもう一度、左拳が三村の腹に食い込む。何かが折れる音がして、三村は叫び声をあげる。


リューリクはその顔を三村に近づける。宝石のように澄んだ青い瞳も、いまは氷のような冷たさを放っている。だが、三村は気づいたであろう。その瞳の奥底には、今にも沸騰しそうな激情が渦巻いていることに。


「質問だ」


息も絶え絶え三村は答える。「ああ、そうさ私が三村だ」


リューリクは微笑み、三村の首元から手を離した。三村は力なく酒場の床にうずくまる。浅い呼吸の音が屋内に響く。だれも助けに来ないだろうことは、三村にもわかる。売人との取引がばれないように、徹底した遮音対策をしていたし、ましてや入口に「党による差押」の表示がある建物に、わざわざ近づく者などいるはずもない。


「お、お前は無政府主義者の一派だな。要求は何だ、運動への協力か。それとも他のやつの弱みでも知りたいのか。なんでもする、な、助けてくれよ」


「自分の存在価値を考えたことはあるかね」そう言いながら、床に這いつくばる三村に顔を近づける。


「自分は何の為に生き、何の為に死ぬか、考えたことはないか」


三村は震えて声が出ない。脳裏には息子の顔が浮かぶ。この穴蔵で安定した生活を送るには、党による高等教育を受けて、官吏になる他ない。有力な師弟がその席を埋めていく中で、頼りになるのは金しか無い。賄賂で息子の人生を買う、その為には金を集めるのだ。自分の手が汚れようが何をしてもいい。本気でそう思っていた。しかし自分の命終わりを悟るうちに、三村の中で何かが壊れた。頭が真っ白になって、もうどうにでもなればいいという投げやりな感情が、三村の中に溢れてくる。


「質問だ、お前は何の為に死ぬのだ」


「もういい、さっさところ」


最後の言葉が出てくる前に、リューリクの右手が三村の左胸に突き刺さった。そして、動いていた心臓を握りつぶした。無造作に三村の身体を、床に叩きつける。そして血が、酒場だった建物の床に広がっていく。


「貴様に自分の価値以上の役割を与えてやったのだから、喜んで死んでいくがいい」


三村だった亡骸に、リューリクはそう呟いた。自分も役割を終えたら、ただ死ぬだけの存在だ。せいぜい舞台が続く間は、踊り続ける他ないのだ。

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