人形に涙は零せない

両腕に持った短剣は、やすやすと目の前の肉を切り裂いた。

体が、軽い。

信じられないほど、よく動く。

「お前がいなければ、とっくに我が軍は全滅していたな………」

混乱する戦局の中、随分前にその陛下の言葉を聞いたっきり。魔女様とも離れ離れになってしまった。


あの時みたいな大戦さで。

あの時みたいに馬鹿みたいに人が死んで。

陛下と魔女様が劣勢なのだけが反対だった。





「あーあ。負けるね。これは」



さっぱりと笑う魔女様の声が聞こえた。


姿は相変わらず見えなくって、気配だって全然ない。

ただいつもみたいにふふふ、と笑って。声だけが耳の下で囁いた。


「皇夜も私も、味方みーんな御陀仏。ああでも、あんただけは生き残るかも」



「あなたが死ぬなら僕も死にますよ。魔女様」


「ふふふ。私についてくるの?」



彼女は笑って、それで。



「無理だよ」



残酷に切り捨てた。



「死ねないの、自分が一番わかってるくせに。あの時私に付いて来ちゃうから、こんなことになるんだよ」



いつも笑って感情を隠す彼女が、本気で僕を哀れんでいた。

愚かだね、って笑いながら哀れんでいた。


「………あなたが自分から聞いたんでしょう。『こんな世界でも生きる価値はあるのか』って」


あなたは、僕を拒まなかったくせに。

あなたは、僕を受け入れたくせに。



「今更になって、僕を捨てるんですか。勝手ですね」


感情が溢れ出るかのように。

いつだって平坦で無機質だった声が震えた。


「あんただって知っていたよね。私がずるくて身勝手なこと。何?気づかないふりして逃げるの」


今の今になって、彼女は自分を突き放すようだった。

それはもう決定事項で変えられない。


「ねえ、覚えてる?私の言ったこと。あんたは私の死ぬ理由になるって。そしたら、あたしの生きた証とやら。見つけてねって」


「そんなの………」


みっともないほどに声が震えた。

泣いてるの、と彼女が茶化す。

それを否定する言葉さえ、全然音にならなかった。


「そんなの、覚えてません」


全然覚えてなんかない。覚えていたくなんかない。


堪えきれなかったかのように、魔女様が吹き出した。

「ふふふっ」


嵐の後の、からっきしに晴れた空のように。

明るい笑い声だった。

「嘘つき」

そんな風になじってくる声すら笑みを滲ませて。

今まで見た中で、最高に楽しげだった。



「私の森と家、あんたにあげる。好きにしていいわ。………多分、皇夜は潰そうとするけど」


「僕が欲しいのは、それじゃない」


「うん。知ってる。でも、あんたが一番欲しいものはあげれないの。ずっと前に、別の人にあげてしまったから」


だから、ごめんね。



「嫌です。許しません。僕だって譲れない」


許さなくていいよ。


吐息みたいな声だった。


許さなくて、いい。


「きっと、あなたにはできないことだから」


泣けないあんたに、私のために泣いて欲しいなんて。言えない。







それが、最後の声だった。

そうして彼女と僕の関係は、ふつりと途絶えた。















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る