第3話 代わる呪い
今でも、あの団地での出来事はハッキリと思い出せますよ。それこそ、昨日のことのように――担任教師の顔も、同級生のことも、校舎の造りから通学路まで、鮮明に記憶に残ってます。きっと、他の人もそうだと思います。現に、小、中、高と学び舎を共にした友人達とは、今でも飲みの席であの団地の話ばかりになりますからね。四十も超えたオヤジたちが、ガキの頃の話ばかりしてしまう。中高の方が、よっぽど青春だったというのに。
いえいえ、そうじゃありませんよ。確かにあんな事故があったから――という貴方の意見も理解できます。ですが、それは違います。あの事故があったから、団地での日々を覚えているんじゃありません。それこそ、僕らからすれば、あの事故ですら、ある意味当然の結果だったんです。多くの子達が、あの団地で不思議な体験をした。幽霊、神隠し、心霊写真――おそらくあの団地に住み、あの小学校に通っていた者なら、何も経験してない方が珍しいくらいです。
だから、何が起きても不思議じゃないという空気はありました。言い得ぬ不安感というか、嵐の前の静けさのような漠然とした胸騒ぎが。そして事故が起きた後は、やっぱり。と皆で妙に納得しましたよ。それだけあの団地は不思議な場所なんです。
彼女の話――でしたね。懐かしいですね。ご連絡を頂いて、その名前を聞いた時は、大変驚きました。ましてや、あの行方不明事件と関りがあるっていうんですから。本当に信じられない気持ちでしたよ。
確か十一歳の女の子でしたっけ? 見つかって良かったですよ。二週間も経ってたのに、よくご無事で。でも、少女がどういう経緯で行方不明になったのか、まだ分かってないんでしたよね。
世間じゃ、家出でもしたんじゃないかって見方が増えてるようですけど、それも勝手ですよねぇ。散々、誘拐だーなんだーって騒いでおきながら、見つかったら他人事のように白けるんですから、本当に世間様はいつの時代も自分勝手で……
あぁ、すみません。彼女――久留宮あかりの話ですよね。彼女と遊んでいたと、その女の子が口にしたんですよね? それは妙な話なんですよ。だって彼女は、僕らが小学生だったころに、行方不明に――正直に言えば、僕らは死んだと思ってました。それに僕が見た彼女の最後の姿。それを考えれば、真っ当に人と関われるとは思えませんし。
えぇ、分かってます。今日は、彼女がどうなってしまったのかをちゃんと話しますよ。本当は墓場まで持っていくつもりだったんですがね。同じ秘密の共有者に先立たれてしまいましたし、こういうお話を頂いたのも何かの縁ですから。
にしても、貴方もモノ好きですね。確かに、今は出版不況なんて言いますし、記者たるもの、自ら虎穴に入らねばならない時もあるでしょうが。それにしてもこういったオカルトみたいな話など、誰も信じてくれやしないというのに。
そうですね。それを判断するのは、貴方ですものね。それじゃあ、本題に入りましょう。
僕は当時、田千間第四小学校に通ってました。当時、田千間市は高度経済成長期から続く出稼ぎ労働者の影響で、集合住宅地が乱立してました。そのせいで、田千間市のあの一帯だけで、小学校が五つも建ってた。その中でも、第四小学校は、ユウガオ団地の近く――二街区を超えた丘の麓辺りにある窪地にあったんです。なので、通っている生徒の殆どが団地に住んでいる子、もしくは丘の脇を通る川沿いの住宅の子ばかりでした。
それで、五年生になった春の時、転校生がやって来たんです。それが久留宮あかりという子でした。まぁ、でもそれは別に珍しいわけでは無いんですよ。何せ、さっき話した通り殆どの子が団地の子。流出入が激しいんで、転校なんて日常茶飯事です。だから、久留宮あかりも珍しがられる事無く、クラスの輪に入りました。
彼女は直ぐに人気者になりましたね。整った顔立ちとすらりと伸びた手足。背中まである絹糸のような黒髪で、まるで今でいうモデルのような歳不相応な美しさ。特に、彼女の目は、結構ツリ目で、アーモンドのような真ん丸さもある目なんですけど、それがまた妙に大人っぽくて、今でいう色気っていうのが、既にありました。だけど、話してみると、やっばり小学生らしい可愛い子で、性格も優しくて、品行方正な授業態度でしたし、場末の団地には不釣り合いな良い所のお嬢様のような子でした。
ただ、それも一学期だけでした。夏休みが明けてから、彼女の様子が一変したんです。今まで、花が咲いたような笑みを浮かべてた子が、突然、死んだ魚のような子になってたんです。最初は、元気がないだけだったんですけど、だんだん変わっていったんです。声を出さなくなって、目も虚ろになっていって、もう最後の方なんか、ずっとうわの空で生気が抜けた状態ですよ。
加えて、突然、肌の露出を避け始めたんです。どんなに暑い日でも、絶対に長袖長ズボン。よくしていたスカート姿も全く見なくなった。顔は、ずっとガーゼのマスクで覆っていて。だから、体育の授業もずっと見学なんですよ。着替えすらしない。もう極端に肌を晒すのが、嫌みたいになってたんです。
それでも衣服の隙間や顔のある程度から、肌は見えることができるんですけど、、すごい青白くなって。教師や保護者らの間では、専ら皮膚系の病気を患ったっていう話になってました。
だけど、僕らの間では違いました。なんせ、夏休みの間、彼女が何度も遊びに出かけている姿を何人もの子が見てたんですよ、同じ団地内に住んでましたから、そういうのは直ぐ伝わるんです。だから、そんな子が急に病気だなんて言われても、信じられませんでした。代わりに、呪われたんじゃないかって噂になりましたよ。
というのも、夏休みの間、彼女は学校の誰とも遊ばなかったんです。てっきり僕は、いつもいる仲良しグループの女の子達と遊んでると思ってたんですけどね。彼女達は一回も遊ばなかったそうで。じゃあ、何度も団地の中で目撃されてる子がどこに行ってるのか、となるんですけど、これが三街区に住んでた子達が何度も、家の近所で見かけたって話になったんです。
――そうです。貴方の仰る通り、あの事故の被害が最も大きかった三街区です。あそこは当時から、恐ろしい場所として伝わってましたよ。ご老人の間でも、忌み地なんて言われてましたし、聞いた心霊体験の多くも、そこが多かったですね。実際、僕も何度か足を運んだことはありましたけど、三街区だけ、空気が違うんですよ。嫌な気配というか、圧迫感があって、あまり近寄りたいとは思えなかった。それに、三街区だけ人の出入りが特に激しかった。学校の転校生の多くも、三街区に住んでた子でしたし。まぁ、三街区は丘のほぼ頂上という立地ですから、不便が多いというのもあると思いますが。
ただ、あそこは元々、団地建設の予定の段階では造るつもりがなかった場所らしいですからね。それを急遽、追加で、おまけに神社の敷地の半分をほぼ無断で使って建設したらしくて。だから、忌み地と言われてたわけです。
それで久留宮あかりは、その三街区に入り浸っていた。ただやっぱり三街区の子達も彼女とは遊んでない。それで一人の子が、たまたま、すれ違った彼女に聞いたそうです。どこで何してるのって?
そうしたら彼女は、
「藪の中の神社で、さっちゃんと遊んでる」
藪の中の神社というのは、先程、軽く話題に出しましたが、三街区のすぐ近くにある藪の中にある小さな神社なんです。藪にぽっかり人が一人通れそうな獣道があるんですが、そこをずっと草木をかき分けて進むと、薄暗い中に、左右非対称な不格好な鳥居と朽ちかけた社が出てくるんです。それが、もう大層不気味なんですよ。如何にも幽霊が出るというか、呪われそうな場所で。僕が子供の時から既に無人で、ろくに手入れもされてない場所でした。地図にすら載ってないので、正式名称は今でも分かりません。だから、僕らは藪神社って呼んでましたよ。
それから、さっちゃんですが、僕らの学校にはそんなあだ名で呼ばれている子なんていないんですよ。もちろん他校の子という可能性もありましたけど、他学区である三街区の藪の中にワザワザやって来るとは考えにくいわけで。久留宮あかりは誰と遊んでるんだってなった訳です。
それで夏休み明け、彼女が、ああいう風に変わってしまったんですから、そりゃもう呪いだっていう話になったわけです。
事件が起きたのは、そういう経緯があった中での九月中旬ごろでした。
当時、僕は飼育委員に所属してました。学校では、兎を五羽、それから三年生の教室でメダカを飼っていたんです。飼育委員の仕事は、そのお世話でした。兎は、ほぼ毎日当番制で。メダカは、普段はクラスに係の子がいるので、エサの補充も兼ねて土曜日だけやってました。
それで、その日、僕ともう一人の子で委員会の仕事をしたんです。放課後、学校に残って兎小屋の掃除をしてから、土曜日だったので、メダカの世話をしにいったんです。いつも通り、三年生の教室を回って、最後になった三年四組の教室に入った。そしたらもう一目で分かるんですよ。水槽の周りが水びだしになっていて。慌てて確認したら、水槽にいるはずのメダカがいない。一クラスだいたい15匹ほど飼ってたんですけど、1匹も残らず、です。
僕らはすぐに先生を呼びましたよ。確か図工の教員が、飼育委員の担当でしたね。高橋先生っていうんですけど。それで先生も、最初は僕らの勘違いか悪戯を怪しんでたんですが、教室まで連れてったら、やっぱり驚いてました。それからすぐに僕らには帰るよう言って、なので、その日は素直にそれに従って帰りました。
翌週はもう大騒ぎでした。朝の全校朝会で、校長先生がメダカが消えた事について話したんです。おそらく、隠せないと思ったんでしょう。だから、その日は学校中がこの話題で持ち切りになりました。犯人は誰だ、その動機は何だ、なんて皆刑事か探偵にでもなったような様子でしたよ。当然、そうなれば、犯人捜しが始まり、いろんな目撃情報が出てくる。土曜の放課後、誰々が学校にいたという話が。その結果、久留宮あかりの名前があがったんです。何人かが、放課後に校舎へ戻っていく姿を見たと。それで、すぐに彼女が犯人じゃないかって噂が広まりました。
ただ、誰も久留宮あかりに確認しなかったです。まぁ、当の本人には聞いたところで、まともに反応なんてしてくれない有様でしたからね。確認しようがない。だから、事件もこれ以上の進展はなく、噂は噂のままで、皆もだんだん興味が薄れていったんです。
そうして約一か月が経った頃でした。また僕に土曜の飼育当番が回って来たんです。いつもの様に放課後、活動するんですが、その日は先にメダカにエサをやってしまおうって、もう一人の子とそういう話になったんです。なんでそうしたかは、特に理由はなかったですね。
ペアの子には先に道具を取りに、自分は職員室で担当の先生から鍵を貰ってから、教室で合流することにしました。この鍵というのは事件以降、水槽の蓋を勝手に外せない様に学校側が取り付けたものです。
それで、教室前で合流して中へ入る。すると、キャッとペアの子が悲鳴をあげたんです。何事かと思えば、教室の隅に、久留宮あかりが立っていました。珍しくマスクを外して、青白い顔のまま、黙ってこっちを見ていた。
彼女は、異様な雰囲気でした。死んだようにじっと動かず、でも、しっかりと僕らを見据えている。僕の脳裏には、すぐにメダカ失踪事件の噂が浮かびました。やっぱり彼女が犯人じゃないのかって。だから、思わず身構えましたよ。
そうしたら、もう一人の子が、彼女に尋ねたんです。何か用かな? って。だけど、久留宮あかりは返事はしない。ずっと同じように突っ立ったまま。どうしようかと二人で相談しました。その結果、このままじゃどうしようもないので、ひとまず僕らは彼女をそのままに作業することにしました。一応、過去にも何度か、こういった飼育委員の仕事を興味本位で見学している子はいましたし、もし彼女が犯人だったとしても、流石に飼育委員がいる目の前で何かするとは思わなかったからです。
仕事内容は、水替え、エサやりと、水槽周辺、それから網などの道具の掃除です。なので、まずは鍵を外さなければいけません。いつもの様に仕事を分担して、彼女にはメダカを一時的に入れておくためのバケツの準備に出てもらい、僕は水槽の蓋を外しました。
その時でした。蓋を他の机に乗せていた時、びちゃりと水が跳ねる音がしたんです。何事かと水槽を見れば、いつの間にか久留宮あかりが水槽のそばにまで寄っていたんです。目を僅かに離した一瞬の出来事でした。彼女は、水槽に手を入れてばちゃばちゃと飛沫をあげている。中では、メダカ達が入ってきた腕に驚いて逃げ回ってるんです。久留宮あかりの手はそれを一生懸命、追いかける。そして、数匹のメダカを掴み取ると、彼女はメダカを生きたまま、口に放り込みました。
彼女の口が動く度に、ぐちゃぐちゃと音が立つ。彼女は、ずっと水槽にへばりつくように、一心不乱にメダカを捕まえてました。水槽の中では五匹、六匹、七匹とどんどん減っていく。僕は恐怖のあまり動けなくなりました。
我に返ったのは、戻ってきたもう一人の子の悲鳴のおかげでした。たまに女の子達がキャーキャー騒いでる事を耳にしたことがありますが、本当の悲鳴っていうのは、全然違うものですね。
その声で僕はようやく動くことができました。すぐに教師を呼びに飛び出すと、先程の悲鳴を聞いた先生が、何事かと廊下まで様子を見に来てくれていたんです。僕は急いでその先生を引っ張って教室に連れ込みました。そうしたら先生も入るや否や久留宮あかりの行動に、驚いた声をあげて、それからすぐに他の先生を呼んでくれ、となりました。
それ以降は、あっという間の出来事でしたが、凄まじい光景でした。教師二人がかりで、久留宮あかりを止めようとするのですが、全然、敵わないんです。どんなに抑えようとしても、梃子でも効かず、ずっとメダカを食べている。大の大人二人が羽交い絞めして引き離しても、それを振り解いて水槽にまたへばりつく。何度やっても、屈強な体育教師でも力負け。何をやっても、彼女はメダカを全て食べ終わるまで続きました。その姿はまるで、メダカ――というよりは目の前の獲物――に執着する野生動物みたいでした。
結局、彼女はメダカを食べると満足したのか、その後はまた何も言わずいつもの惚けた様な状態になり、最後は救急車に乗って運ばれて行きました。
それから一週間もせずに、久留宮あかりが入院したという話が、担任の教師からありました。既に土曜日の騒ぎは、救急車が来た事から校庭にいた生徒達の知る処となっており、学校では彼女が運ばれたことは広まっていました。とはいえ、発見者であり目撃者でもあった僕ともう一人の子は教師陣から固く口を閉ざすよう言われており、あくまでも久留宮あかりが倒れた――という形になっていました。
ただ、程なく久留宮あかりは精神病院に入れられたという噂が流れました。その出処やどんな内容だったかは、僕は知りません。既にその時から、彼女には深く関わらない方がいいと、そう考えていたからです。もう一人の子なんて、ショックが大きかったのか、一か月くらいは学校を休んでましたからね。それくらい、僕らが見たモノは衝撃的でした。
噂に関していえば、後に分かるんですが、本当に彼女はそういった病院に入れられていたそうです。ですが、僕らはそれを知っても、驚きもしませんでした。なんせ、十月に入った頃には、彼女はもうまともじゃないのは、学年の全員が分かってた事です。今でいう、廃人ってやつですかね。久留宮あかりはそういう状態になってました。まさに抜け殻のようで。
今思えば、可哀そうでしたね。保護者の間でも散々心配されてましたし、もっと早くに病院なり養護学校になり移してあげれば、あんなことにはならなかったんじゃないかなと思います。まぁ、時代柄、身内からそういう人が出るのが、憚られるご時世でしたから、仕方がないのかもしれませんけれども。ましてや、夏休みまでは至って普通の子でしたしね。
結局、久留宮あかりは学校へ一度も顔を出すことなく、そのまま転校になりました。それに伴ってか、メダカ騒ぎも、もう話題になる事はなくなりました。もう既に、僕らも彼女の事なんかすっかり記憶から薄くなっていってたんです。それこそ、あの団地ですから、話題には事欠きません。次から次へと新しい噂が流れます。だから、年の瀬が迫った十二月にはもう誰も久留宮あかりの話題など出しませんでした。
そうやって、学年が変わる頃、彼女の事を学校も団地の人間も忘れていった――けれども、僕だけはそうならなかった。
騒ぎから五か月くらい経った三月――春休みを迎えて、三日目のことです。休みにも関わらず、僕はもう一度学校へ向かわなければいけませんでした。というのも、終業式の日、僕は飼育委員として最後の仕事をしたのですが、その時に、持っていた手袋を小屋に忘れてしまっていたのです。その事に気づいてはいたのですが、取りに向かうのが面倒でほったらかしにしてい。大して思いれもありませんでしたから。ただ、それに気づいた母が、大激怒して。朝から大目玉をくらい、渋々、学校に行きました。
けれど、学校には教員が誰もいなかった。珍しく、その日は誰も来てらっしゃらなかったんです。いつも鍵は教員から直接手渡しで受け取ってた訳ですから、先生方がいないと場所が分からない。つまり先生がいないと兎小屋の鍵を借りれない。
仕方がないので諦めて帰ろうと思った時、運よく用務員のおじさんに出くわしたんです。何でも工事のために学校を開けに来たとかで、合わせて教員もお休みになってたんです。それで事情を説明すると、鍵を貸してくれる事になりました。本来、夏休みや冬休みなどの長期休みは、飼育委員や当直の先生でやはり当番を組んで回してたんですけど、丁度、委員が新しく変わるこの時期は、用務員さんがエサやりをしてました。
この用務員さん、小杉さんという当時で既に60歳近くになっていた方なんですけども、非常に優しい人柄でして、僕も含め生徒達からとても慕われていました。あの町で生まれ育った為、周辺に地理に凄い詳しいんです。虫取りの穴場とか、秘密基地作るのに最適な場所とか、泳いで良い川とか危険な川とか、そういう子供にとって、役立つ知識をいっぱい持ってました。
そう言えば、この小杉さんも三街区の事を忌み地だと言ってましたね。教育現場に関わってる訳ですから、あまりおおっぴらには言ってませんでしたけど、僕も近寄るなって注意された事がありました。
鍵を受け取った僕は、すぐに飼育小屋に向かいました。小屋は校庭の隅にあるプレハブ小屋で、その脇にはちょっとした芝生の庭があり、その周囲を金網で囲っている。小屋へはその柵から、庭を通って入る。それで、借りてきた鍵を使って、まずは柵の扉を開けたんですけど、そこで奇妙な事に気づきました。
芝の上に跡が付いてたんです。何かを引き摺った跡で、よく見ると芝が押しつぶされて、寝そべったままになっている。まるで、重いモノが上を通ったような、轍にも似た跡でした。それが、蛇行する様に続いてるんです。細かく、右に左にと。僕は、それが猫車か何かが通ったんだろうと思ったんです。
だから、特に気にしないことにして。それで小屋の扉を開けた。すると、いつもなら外に出られると思った兎達が庭へと飛び出していくんですが、それが一羽も出てこない。珍しい事もあるもんだなと中に入ると、突然、唸り声が聞えてきたんです。
低い低い声でした。それが小屋の奥、兎一羽一羽のための寝床になっている仕切りの奥から響く。そこは入り口から死角になっていて、音の正体が見えないんです。
一度、辺りを見渡すと、部屋の片隅で、一羽の兎が縮こまっていました。ひどく怯えた様子で震えているのが触らなくても分かったんです。その様子に僕は、何か生き物が入って来たんだなと直感しました。蛇か野犬か、そんな事を考えながら、その姿を確認してやろうと思ったんです。
声は、音を発する度に、酷く苦しそうでした。擦れ、空気が抜けていく音が混じっている。その呼吸にも似た唸りに合わせて、そーっと近づいていけば、やがてその姿を見えたんです。
そこには久留宮あかりがいました。体は床にあった糞尿にまみれていて、横たわっているんです。当然、僕は驚きました。おそらく変な声をあげたと思います。
それで、彼女を介抱しようと思ったんです。けどすぐに違和感に気づきました。彼女は、横たわっているんですが、それは明らかに気絶か倒れていたとか、そういうものじゃない。両手をピンと体脇に張りつけ、『気を付け』の姿勢を取っているんです。それはまるで、腕が元から胴体と一体であったかのようになっていました。
彼女は、そのまま、より一層、低い声をあげるんです。すると小刻みに震え出して、やがてその体が大きくうねり出した。本来人間が曲げられないような箇所までもが動いて、体全体で波打つように、床を這う。その姿はまるで、蛇のようでした。
僕は呆気に取られていました。本来ならばすぐにでも人を呼ばなくてはいけないのですが、まだ心の何処かで、彼女は人間だと信じたかったんだと思います。ですが、その考えも次の彼女の行動で、消え去ってしまいましたけど。
久留宮あかりはそのまま、体をくねらせ続け、そして一際大きく唸ると、突然、喉元がぼっこり膨らんだんです。ガマガエルの様に、皮をぱんぱんに張って、青筋が擦り切れんばかりに浮き出て。それから、口元から大量の体液と共に、どろりと黒い塊を吐き出したんです。四本の足に大きな耳が二つ――一目見た瞬間、それが飼っている兎の一羽だと直ぐに分かりました。そこでようやく僕は、部屋に居る兎の数が、減っていることに気づきました。そして、その居なくなったそれらが彼女の胃の中に入っているのだという事も。
彼女はゆっくりと、体を、鎌首をもたげるように起き上がらせた。そして彼女と目が合う。その表情は、恍惚にも恐怖で引き攣っている様でもあった。そして口をパクパクさせ、目を必死に走らせている。
僕はすぐに、彼女が何かを伝えようとしているんだと分かりました。けれど、それを理解する事も出来ませんでしたし、何より恐怖で体は動きませんでした。
すると、
「おーい」
という声と共に、小杉さんが小屋へ入って来たんです。後から聞くと、なかなか鍵を返しに来ないので、心配してとのことでした。小杉さんは中の状態、そして久留宮あかりを見るなり、驚いた声をあげた。そして持っていた鍵束を投げつけたのです。それは彼女の顔に当たりました。
「いねェ! いねェ!」
小杉さんが怒声をあげる。すると、久留宮あかりは大絶叫して、僕と小杉さんを押し退けて、外へと飛び出していった。そして、庭を抜けると、丘の上へと凄い速度で這いずりながら消えていきました。
その光景に、暫くの間、僕は茫然としていました。小杉さんは、僕と同じ様な状態でしたが、やがて、
「よがんみサマだ」
と、そう呟きました。それから直ぐに僕の両肩を掴むと、
「おい! 何かされたか!?」
と凄い剣幕で問いただしてきました。その掴んできた手は痛いくらいに力強く、また、初めて見る小杉さんの表情に、恐くなって泣きながら、何もされてないと答えました。すると、彼は安堵の表情を浮かべ、
「すまなかった。もう大丈夫だからな」
と、僕を抱きしめました。
それから、しばらくの間、学校の用務員さんの部屋で、飲み物を頂き、落ち着くまで過ごさせてもらいました。ただ、そこで小杉さんから、久留宮あかりの事については説明はありませんでした。僕も、それを尋ねる勇気はなかった。彼の表情から、あれは関わってはいけないものだと容易に理解できましたから。
ただ、小杉さんからは一つだけ、『今日見たモノは、誰にも話さないように』とだけ言われました。もちろん僕は話す気になんてなりませんでした。あんな恐ろしい光景、口にするだけでもおぞましく思えますから……
以上が、僕の体験した話です。あれから久留宮あかりがどうなったのか、僕には分かりません。一応、時折、地元紙に目を通しては、久留宮あかりに関係ありそうな事件や事故、目撃例なんかを探しては見たんですがね。僕が知る限りでは今日まで何とも。もちろん、神社についても少しだけ調べてみましたが、特に何かあった訳でもありませんでした。
だから、どうしてああなったのか、どうして彼女だったのか、結局は不明なまま。でもそれで良いんです。触らぬ神に祟りなし。知らない方が良いことなんですよ。
あぁ、ただ一つだけ。小杉さんと以前、お会いした時、
「儂が子供の頃、あの時と同じように一人の女の子が、やっぱり呪われてしまった。藪森に一人で入っていってね。戻ってきたら、もう手遅れだった。すっかり化け物になってしまった。さっちゃんと呼ばれて、皆から可愛がられてた子だったんだがな」
と、懐かしむ様に話してくれました。それから程なくして、小杉さんは亡くなられたんですけども。
これって、偶然なんですかね。久留宮あかりはさっちゃんという子と遊んでた。そして行方不明の女の子は、久留宮あかりと遊んでたという――
見つかった女の子、本当に、その子、なんですかね……
もしかしたらもう、別のナニカに成り代わってるかもしれませんよ。
トワイライト・ベッドタウン スズミ円点 @enten-00
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。トワイライト・ベッドタウンの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます