第7話 羽化。

慌ててはだしのまま外に出るが、ユキはもういない。暗い中、足裏が痛んだが走った。

 一生懸命走った。彼女を追いかけた。けれど、どこにもいなかった。

そんな時、急にがやがやと騒がしい方向に気がつく。何事かと人が集まっている所へいそぐ。そこには不安げなユキがいた。


「ユキ!」


 僕は大きな声で叫んだが、届かない。グループの人間がユキを取り囲むように円になっている。

その時だった。同じ年頃の少年が後ろからユキに近づいていた、手には大きなヤリを持って。


「ユキ!」


 声をしぼって叫ぶ。はっとユキに僕の声は届いたようで、こちらに視線を向けようとした瞬間だった。

 後ろから勢い良く、ユキの体が貫かれる。衝撃で体が前に傾くが、ふらりと顔をあげる。その表情はどこか哀愁さを感じるものだった。傷口からどろりと流れ出る白い液体。

そんな、と、信じられない僕は唖然とする。彼女の血の色なんて、知らなかった。


「やっぱりこいつは化け物だ!」


 誰かがそう叫んだかと思うと、堰を切ったように次々と物をユキに向かって投げつけ始めた。僕は人をかき分けながら必死でユキの元へ近づこうとするが、人の壁が邪魔をする。なかなか前へ進めない。

 一生懸命前へ出た。近くで何かを投げようとしている者に気がつき、慌てる。それでも止めることが僕には出きない。拳ほどある石が、がつんと音をたてて頭にぶつかる。傷口から出る液体が頬を伝っていく。

 まるで涙のように。僕はなんとか中へ入り込み、細いユキの腕を掴み森へ走り出した。

背中から怒号が飛ばされるが、気にしない。後先など何も考えずに。僕は衝動でグループから飛び出していた。

 行き場など、考えていなかった。とりあえず、初めて会った川岸で僕は足を止めた。

もうグループには戻れない。十分わかっている。でも、ユキが一緒なら、人間じゃなくても、側にいてくれるなら……。

それで生きていけると思った。この手をにぎりしめて生きていけるなら、それも良いじゃないか。


「ユキ……」


 振り返ろうとすると、厳しい声で言われる。


「見ないで!」


 強い言葉に僕は振り返れない。彼女にもプライドがある。しかしグスっと泣かれては、放っておけない。


「ユキ」


 後ろを向くと、ユキの胴体からは白い液体がどろどろと流れ出し続けていた。止める方法を僕は知らない。そして声を押し殺して泣くユキ。

 どうすれば……いったい僕には何ができる?何もユキにしてあげられない。僕はただのちっぽけな人間で、彼女はこの星に住む天然生物で……。生きる世界が、違った。それでも僕は、構わないと思った。初めて会ったあの時から、僕はずっと彼女のことが好きだった。例え同じ時間を生きられないとしても、僕は迷うことなくユキを選ぶ。

僕は泣きじゃくるユキを強く抱きしめた。


ユキは驚いて固まるが、ゆっくりと肩に顔を押し付けてまた泣いた。体格は違っても、この女性はユキだ。心はあの少女のままなのだ。何度も何度も頭を撫でる。こんなに愛おしい気持ちになったのは初めてだった。僕はもう二度とユキを離さないと強く強く、抱きしめた。


「うっ」


 突然のユキの苦しそうな声。どうしたのかと思い慌てるが、ユキは僕にしがみついて離れようとはしない。しかし徐々にその声は増して行く。何が起こっているのか僕にはわからない。僕はユキをそっと離す。顔を覗き込みたずねる。


「どうしたの?」

「背中、痛いの……」

「怪我をしてるんじゃないかな、見せてみて」

「違う!」


 僕の言葉をさえぎり、叫ぶ。腕を振り払うと、ふらふらとしながらも川へと歩みよっていく強い否定に何かがひっかかた。ユキの体が心配だったが、とりあえず水分をとっているようで安心していた時だった。


 ブチっと肉が裂ける音がした。同時に、ユキが悲鳴を上げる。驚き立ち上がると、ユキが半身を起こし岩の上にいた。月光の下、細い体が震えている。僕は慌てるが、それよりも先にユキに変化が見られた。

 星明かりの下、悲鳴と共にユキの背中から、半透明の美しい羽がゆっくりと開いていく。ゆっくりと、ゆっくりと。あまりにも驚いて僕は動けない。これが人間もどきなのかと息を呑む。


 透き通る程薄い羽。


美しいと素直に思う。


けれどその羽はユキの背からしっかりと生えていた。


 それはユキが人間ではないという明確な事実だった。

普通の人間は羽など持たない。成長もこれ程早くない。ユキの全てを受け入れようと覚悟していたのに、僕は何も出きない。


こんなにも美しいのに。人間じゃなくてもいいじゃないか、と。僕は思う。一緒に生きられるのならば、同じ種族でなくても共存の道もあるのではないかと。そんな希望を持ってしまう。

 どれだけその光景を目にしていたかわからない。何秒だったのか、何十秒だったのか、何分だったのか。時間を忘れてしまう程、ユキは美しく完全に羽化をした。ピンと貼った半透明の羽は、ガラス細工のように美しかった。


 どさっという音で僕は現実世界に引き戻される。ユキが川原に倒れていた。慌てて駆け寄るが、苦しそうに息をしながら目を閉じていた。羽は水に塗れ、くたりとしている。

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