没落貴族
「ボッフェン・カリナウス……」
断れるわけもなく、無理やり小屋を追い出された。
最初に目指す家、人物はボッフェン家の現当主。カリナウスである。
「落ちぶれた貴族が禁忌に手を出したってか」
ジン帝国はかつて貴族が大きな権威を持っていた時期がある。帝国軍の一翼を担っていたのは貴族たちが有する私兵軍だった。
それから強固な基盤で地位を築いた貴族は街中で幅を利かせ、蜜のような生活を送っていた。
しかし度重なる戦争、そして徐々に力を蓄えた平民が台頭するに連れてその権力は衰えていく。
数百年のときが流れた今となっては平民出身でも、元々貴族出の人間と同等の力を手に入れられるような状態になっており、貴族家に生まれたからといって安定を得られる世の中ではなくなっていた。
「しかも『魔術』だぁ?」
今回の依頼は、該当人物の隠密調査。理由は『魔術行為』の疑い。
そもそも魔術とはなにか、古今東西あらゆる未知は魔術とされてきた。だがその中に真実は一握りしか存在しない。
魔術はなにができるのか、どのように行い、対価は何なのか。
その答えは魔術師しか知らない。
つまり殆どの人間は魔術という言葉を知っていても、詳細はまったく知らない。
わからないということは『騙れる』ということ。
ただの奇術を魔術と言い張り、偶然の出来事に因果関係を主張する。あるいは人の不幸を指差し、呪いの所為だと語りかける。
当然こういったことは無闇な混乱を人々に撒き散らすので、為政者は禁じることが多いし、神官も悪魔の行いと同列に扱い忌み嫌う。
ジン帝国は近年宗教と密接に存在するので、人々は魔術を悪しきものと認識している。
ペッシュがセニーリに頼んだというのも、そうしたものを客にしたとあっては非難されることもあるので、先に知る必要があるとした。
そうした世界価値観においても、人は魔に魅了されるものだ。特に心に空きがあるものほどそういった傾向は強い。
とはいえ大々的に行えばすぐに見つかり刑に処される。隠れてやろうと痕跡は残るもの。
だが何事にも例外はあり、人目につかぬ場所はある。つまり権威を持ち、己の領地を持つ人間。そう貴族。
この理屈では王族も可能ではあるが、それは余人に詮索できることではない。
かつて見下していた平民に退けられ落ちぶれた貴族、そういったものが邪悪に惑わされるのは自然でもあろう。
「でも、もしも……」
セニーリの顔に影がさす。
彼は知っている、『本物』を知っている。
彼がひと月前に出会い、心胆を寒からしめた存在とそれが繰る術。
人の体を塵に変え、見るものの心すら凍らせる恐怖の具現。
仮に同様のことが凡人に出来るならば、大国ですらあっさりと消え去るのではないか。それほどに魔術が恐ろしいものなのだとセニーリは学んだ。
最近幾度となく繰り返した身震いをし、頭を振って気を取り直す。そうして思考の海から逃れ歩き続けると、目的地周辺にいることに気がついた。
「ここか……」
程なくセニーリはある建物、ペッシュから聞いた特徴と合致する家を発見した。
そこの家主がボッフェン家であり、いわゆる“落ちぶれ貴族”である。……まだ、と言うべきでもあるが。
今の当主はカリナウス、彼自体はこれといった問題のない人物であった。ただ彼の父親が酷い浪費家であり、隠居したあともその性格は治らなかった。
そうしてボッフェン家が溜め込んだ資産はあっというまに減りゆき、カリナウスが引き継いだときにはすでに収拾の聞かない状態になっていたのである。
カリナウスも奔走し、資金繰りに励んだが才に秀でているわけでもない彼にできたのは、滅びゆく速度を緩めることだけだった。
その様子は家の外観にも見て取れ、外壁の綻びは隠しきれていなかった。
セニーリは不自然さを出さぬように近づいて観察する。
しかし人の気配を感じて姿勢を正す。
ボッフェン邸宅から現れたのは中年の女性で、衣服からそれが奴隷だとすぐにわかった。
ジン帝国における奴隷は多種の用途に使われるが、貴族の家にいるものの多くは家主の身の回りの世話を行い、その家にもよるがひどく扱われることはあまりない。
奴隷もその家の持ち物であり、あまりにも汚い身なりであれば他の家から嘲られてもおかしくないのである。
なのでその女性も深緑の服には多少の汚れがあっても、破れやほつれは見当たらない。
そうしてセニーリはその女性に近づくが、その前に身だしなみを整えて髪を少し撫で付けた。
柔らかな雰囲気と笑みを心がけ話しかける。
「ここがカリナウスさんのお宅であっていますか?」
「……そうですが、あなたは?」
「ペッシュ様の伝言を預かっておりまして、ご主人様にお目通り願えますか」
「……少々お待ちください」
奴隷の女は家に戻っていき、しばし待っていればムスッとした顔で壮年の男性がでてきた。これがカナリウスだろう。
彼はその表情のままセニーリに話しかける。
「ペッシュ殿の言伝を持ってきたとか」
「ええ、理由はご存知だと」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます