旅立ち

AG.3433年 5月下旬


 夕日が沈みかけている中、ダンは街の入口にいた。建物の伸びた影の下、薄ら暗がりを胴体と同じぐらいの大きさの麻袋を背負って歩く。

 時折街の方を振り返っては目を細め、また歩き出す。堂々としているようで、ひと目を嫌うような静かな足取りで建物群の切れ目へと差し掛かる。そこから先は街の外、広大な自然が広がる世界だ。

 さらに進めばグリアではない、また別の人間が住まう国々が待ち構えている。

 この一月半をかけて、ダンはそこにいく準備を進めていた。

 理由は明確、武者修行である。ダンは確信している、ローは殺されたのだと。それもおそらく“一個人”によって。ローが消える直前、彼が怯えていた正体。そして彼を上回る超常の、得体の知れないなにか。

 ローにすら及ばぬ、ローすら及ばぬ以上この国にいても先はない。ではどうするか、もっと広く。外の世界にいる、まだ見ぬ強敵を求めてダンは旅立とうとしていた。

 もともと孤独を愛し、郷愁にかられる質でもない。あっさりと決断し、まずは知識を求めた。これを決める以前から、外の世界への興味は強く本などから語学についても学んでいた。

 そうして機が訪れてからはそれを加速させ、一人で世界を回るに最低限の知識は蓄えた。後は野となれ山となれ、冒険は望むところだ。

 覚悟を孕んだ、力強い一歩で外の大地を踏みしめた。

 だがその思いが一旦止められた、横からかかった声によって。


「ね、やっぱりここで待っていて正解だったでしょう?」

「う、うん。すごい……」

「うふふ」


 とても聞き馴染みのある、ダンの心に小さなすきを生む柔らかい声。


「――ライラ」


 彼の母親、第一王妃ライラその人だ。


「あら、この娘は呼んであげないの?」

「……ルウも、揃ってこんなところになんの用事だ」

「もう、いつになったらまたお母さんと呼んでくれるの?」

「そんなこと、生涯無いだろうな」

「ひどいわ、よよよ……」


 大げさなライラの泣き真似、それを受けてつい言葉が見つからなくなるダン。

ライラはダンにとって天敵である。昔からローに対してはためらいなく言い返せるというのに、ライラ相手であるとどうしても歯切れが悪くなる。こういうところもローそっくりだ。


「まあ冗談はこのぐらいにして」


 コロッと表情を戻し、なにごともなかったように話を戻すライラ。


「お見送りよ、当然でしょう? 息子が旅立つのだもの」

「……」


 少し驚いたダン。別段隠していたわけではないが、暇でもないだろう王妃が日にちまで予測して見送りなどと。

 ダンはライラが、周りから思われているようなぼんやりした人ではないと知っている。むしろ勘が鋭く洞察力に長けている彼女は、人の機微に関しても読むことに卓越している。

 それは普段ローに対する態度、気難しい王をうまくコントロールするのはそうした微調整で成り立っていた。

 だから読まれたことは諦めた、ダンの負けだ。武者修行の始まりから敗戦とは幸先が悪いが、相手が悪いと自らを納得させる。


「じゃあ顔も見れた、十分だろう?」

「そうね、もともと心配なんかしていないわ。あなたはお父様に似て、とっても慎重だもの」

「……?」


 これはダンには自覚がなく、それに知らなかった。傍若無人を絵に描いたような男に慎重さなどあるのかと。


「あの人はとっても臆病でね、だからいつもああして強く振る舞っていたのよ。本人もわかっていなかった、無意識でしょうけれど。そうでもないと戦場で生き残れはしないでしょう?」

「まあ、確かに……」


 言われれば当然だ。いくら天下無双と謳われるローであろうとも不死身ではない、矢の雨にさらされれば無事では済まない。そこには正確無比な戦術眼が求められたろう。天性の直感とでも言うべきそれが、彼を幾度となく窮地から救ってきたのだ。

 言われてみれば、ダンも蛮勇と言われるような行いは嫌う。常に先を考え、最終的な勝利をこそ最優先とする。

 だからこそこうして己を鍛えなおそうとしているのだ。


「本当に、その反応もうり二つね」


 クスクスと笑われ思わず顔をしかめたダン。ごまかしついでに横のルウを見た。

 するとその手にはなにかが握られていた。


「それは?」

「え、えと……。あの……」


 言いよどむルウにライラが助け舟を出す。


「ネックレスをね、作ったの。ルウちゃんと二人で」

「ネックレス?」


 大型の魔獣の牙が糸に通され、その間にこれまた見事な大きさの、瞳より大きい赤い宝石が金属で囲われて垂れ下がっている。これは初めて見るものだが、同じような意匠のものは見覚えがある。ローが普段から身につけていたものとよく似ていて、ライラが作っていたのは知っているがなぜ自分にと疑問に思うダン。

 だがすぐに答えは出た。


「本当はね、あの人の為に作っていたの。でももう必要ないでしょう? だからあなたに、大きさも丁度いいでしょうから。はいルウちゃん渡してあげて」

「は、はい……。ほとんどライラ、様がやったんだけれど」

「もう、いつもどおりライラさんでいいのよ」


 これは意外だった。ダンはルウとライラが親しいのは聞いたことがなかった、それもこうして小物作りの手ほどきをするほどとは。


「――そうだ、つけてあげれば?」

「……え!」


 目を見開いて声を大きくしたルウ。髪で片目が隠れていてもその慌てようは明らかだった。

 おずおずとダンを見たが、横でニコニコしているライラを見てはあ、と息をはく。これはなにを言っても無駄だ、そういう顔をしている。なので仕方がなくルウの前によって片膝をついた。


「え、え、あの……、その……」

「早くしてくれ、日が暮れる前に出発したいんだ」

「もう、そんなに急かさないの。ルウちゃん、さあ」


 ルウはつばを大きく飲み込み、そそそとダンの後ろに回る。優しくダンの白銀の髪をかきあげ、糸を回して縛る。ルウよりも二回りは大きいダンの首周りはそれに比例して太く、少し手間取ったが無事つけることが出来た。


「おまじない、あなたの旅の安全を願ってそのネックレスを。きっと効果があるはずよ」

「――ああ、ありがとう」


 ダンが珍しく、優しく微笑んだ。恩を感じぬわけではないのだから、当たり前の振る舞いではあるが。


「それをルウちゃんにもね」

「……はあ。そうだな、ルウ」

「は、はいっ!」


 びくんと小さくはねたルウ。すでに顔は真っ赤で、目は大きく開かれどこを見ていいか困惑していた。

 それには構わず、ダンが短く告げる。


「……感謝している、ありがとうな」

「――」


 感極まった様子で、ルウはコクコクと首を立てに何度も振る。両手を胸の前でギュッと握り喜びを実感していた。ライラはそれを微笑ましそうに眺めていた。


「これで満足か?」

「ええ、とっても!」


 満面の笑みで答えるライラに、ダンは疲れた様子で肩を落とす。


「そうか、そりゃあよかった。――じゃあ、もう話はおしまいだ。俺は行く」

「行ってらっしゃい、体には気をつけてね」

「……あ」


 ルウが小声でなにか言いかけているのに気が付き、待ってみたダン。無視をすればライラがなにをするかわかったものではない。下手をすると馬にでも乗って追いかけてくるかもしれない、しかねない人間だと知っている。


「なんだ?」

「……また、戻ってきてね」


 即答に困ったダン。そうするつもりではあるが、確約など出来ない。危険に向かいに行くのだから、安全の保証などありはしない。

 だから少しだけ勢いのない様子で返事をしたダン。


「ああ、そうしたいな」


 それを最後にダンは離れていく。ライラも少し不満げではあるが追いかける様子はない。

 やがて見送り終えたところで、ライラはルウに話しかけた。


「会えて良かったわね」

「うん……、うん……!」


 ライラの声が聞こえているのか、いないのか。熱のこもったように先程のやりとりを反芻しているルウを見るライラの目に、慈愛と心配の色が同居していることに今のルウが気づくはずもなかった。

 ライラのネックレスには、グリア人のほとんどが信じていない“魔術”が使われている。それには作成者の“思い”が込められるという。

 ライラが込めたのはローへの愛、仕上げた時にはダンへの思い。

 ではルウが込めたのは一体なんなのか、知るのは本人だけである。






 夜空を見ながらダンは一人歩く。朝早くではなく夕方に出発したことに深い理由はない。グリア人は夜目が効くし、寒さにも強い。強いて理由を上げるなら夕日が好きだからだろうか。

 彼方に沈んでいく陽を眺めていると心が落ち着き、旅立つ前に見たかったのがそれに染められたオレンジのジュラーだったのかもしれない。

 

 目を閉じればまだ色濃く鮮明に街の景色が思い出される。だがダンは頭を振ってそれを振り払う。

 後ろは振り返らない、今は前だけを見て、目標を果たす努力を重ねるだけだ。

 誇り高く目線を高く上げ水平線を見渡す。月明かりはおぼろげに世界を照らすが、ダンの心は爽やかに、期待に膨らむ。初めての旅、遊びに行くわけでもないが彼は前途に大きな希望と夢を抱いていた。

 兼ねてからの夢、父親を超える。そしてそれより先の目標へと向けて、足取りは更に強くなっていった。

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