兄
AG.3433年 5月上旬
よく晴れた日の昼前、ダンは両手一杯に荷物を抱え城のすぐ前を歩いていた。重量的には問題ないが、落としては困るので注意深く進む。
荷物の正体は本である。ダンはグリア人に珍しく、読書を好む。グリア人に教養がないわけではないが、文字に残すことが少なく口伝が多いのだ。
城の一画に本が整理されている場所はあるが、その五割はダンが個人的に蔵書させたものだというのだからその傾向は明らかである。殆どが外国由来のもので、街に来る馴染みの行商人と取引をして得ていた。彼が日頃行っていた狩りは、そのための交換物を集めることも理由の大きなところである。
それを運んでいるのはと言うと、ローの死後は城の中も大いに慌ただしく後継を決めるための話し合いなど、その準備などが進められていた。
現状は順当に第一王子であるジェグが最有力であるが、やや傲慢さが目立つ性格なども考慮され、第二王子ジルや第二王妃の長兄ナレパも候補に上がっている。
ダンも一度は話に出たが、本人にその気が一切ないことを理由にそれ以降は触れられてすらいない。ただその時皆が口を揃え『ダンが継ぎさえすれば』と言ったことは城内の人間にとっては周知である。
「ふう、これでまだ半分か。さっさとしなくちゃ日が暮れるな」
山のように積み上げられたそれをダンは城から離れ、街の端の方にある自分のねぐらへと運んでいた。保存にはあまり適していない、綺麗とは言えない場所なので本当は嫌であるのだが。それはダンが掃除をしないことと、流石に城内であれば誰かしら手入れをしているからで、本のことを考えれば無理して運ぶことはない。
それでも今の慌ただしい城で読み耽るのには少々無理がある上に、隣国のロレリア帝国が襲撃を考えているとのことから多くの兵士たちも詰めているので、いよいよ読書には不適となったのだ。
すでに何度も読み込んだものは省き、厳選もしたはずの本はまだまだ蔵に残っている。
額に大粒の汗を滴らせ、息を吐いて再び作業に戻ろうとしたダン。そこに近づいてくるものがいた。
「――ご苦労なことだな」
「……」
ダンが返事をしないのは聞こえなかったからではない。相手をしたくなかったからだ、特に忙しい今は。
「おいおい、無視しないでくれよ。それともなにか、王権を継がない奴に興味はないってか?」
「……はあ、見てわかるだろう。忙しいんだ、話なら後にしてくれ」
厭味ったらしく話す男はニーン。艶のある黒髪を流し、後ろで一つに縛っている。目が細く、人に警戒心を抱かせるような不敵な笑みを浮かべる彼。それは第二王妃の次男であり、王位継承権はダンの一つ下で五番目となっている。
もっともジュラーでの継承権はそこまで重要視はされないので、あくまで生まれた順番でそう呼ばれているだけだ。大事なのは力と、王に値する器。それを元老院含め有識者たちが選定するのである。
「そんな『インクの染み』を見つめてなんになる? 武力の前ではただの紙切れだろう」
ニーンは王家の中でも特に王権に固執しており、ローの生前から虎視眈々と付け狙っていた。だが彼には決定的に足りないものがあり、それこそ彼が言う『武力』だ。
ローには当然、他の継承権が上の四人や弟にすら劣るところがある。
けれどもニーン自身はそれを認めず、いつか日の目を浴びることを夢見て生きている。そのためになら他人を蹴落とすことは意に介さず、グリア人が嫌う掠めてもいとわないどころかむしろ好んで使う。
しかしこういった性格を有識者は見抜いているので、王を選定する会議では話に上がったことすら無い。
そのことに気がついたニーンは焦りから苛立ち、周りに当たることが増えている。
「そう思うなら放っておいてくれ、俺はその染みに用があるんだ。『未来の王様』よりもな」
「――な」
明らかな皮肉だ。政(まつりごと)には疎いダンではあるが、王位の継承ともなれば知らないでは済まされない。もちろんニーンが蚊帳の外なことも聞き及んでいる。
一瞬間を置いて、ニーンの顔が赤に染まる。怒りで掴みかかろうとするのをすんでのところでこらえる。否、こらえねばならなかった。
「……どうした? 言いたいことがあるならそう言って、どうしても否定したいなら拳でどうぞ」
挑発的に口角を上げてみせたダンを前に、ニーンはプルプルと震えるばかりだ。
「そうか、なら消えてくれ。俺は作業に戻らせてもらう」
離れていくダンをただ見送り、姿が見えなくなったあたりでニーンが叫び声を上げた。
「くっそおおお! くそが!」
地面を激しく蹴りつけるニーン。王家の中では劣るとはいえ、鍛えられた肉体は並のグリアの兵士では刃が立たぬ。遠巻きに見ていた人々はおっかなびっくり、目に触れぬよう大人しくしていた。
「あの野郎、いつも人を見下しやがって!」
ニーンは他の兄弟の中でもダンを最も嫌っている。その理由は一つ、ローに迫る実力を持ちながらも責任を果たさず遊び歩いているからである。
つまりは嫉妬だ。自分が欲するものをもちながら、それを無為にしている。そうニーンには写っている。
昔からローとさえ比較され、その実力には大人すらも舌を巻いていたダンに比べ、ニーンは苦笑と慰めなかで育ってきた。忸怩たる思いはどす黒く、ダンを見れば所構わず絡みに行き、そのたびにこうしてあしらわれては怒りをばらまいていた。
ダンが放置した本の一部を見、つばを吐きかけ離れていくニーン。
しかめ面で歩きながら、ある噂を想起していた。
「なに考えているか知ったことじゃないがよ……」
本の整理を始めとして、ダンは最近ひと目については物の整理の追われているという。それはまるで旅支度をしているようであり……。
「――消えるなら早く消えろってんだ、そうじゃねえならこの俺が……」
物騒なことを頭と口に含ませるが、実行できないからこそ彼は彼なのだ。
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