妹
葬儀はすっかり終わり、日が暮れたころ。いまだにダンは高台から街を見るとなく眺めていた。
色々な感情が渦巻く頭を、整理することに努めながらもなかなかに出来ぬまま時間だけが経過していく。
いい加減肌も冷えてきたところで、屋根の下から音と声が聞こえた。
「――うんしょ、えいしょ……」
か弱いかすれ声にダンは聞き覚えがあった。
「……ルウか?」
「あ、お兄……」
まだ手だけしか見えぬがその小ささ、平均に大柄なグリア人の中で、小柄な部類の体ににやや青みがかった血色の悪さ。
「ちょっと待ってね、もうちょっとだから……」
やがてなんとか屋根の上に這い上がってきたのは、第四王妃が末子。異端の娘ルウであった。
「んしょ、……うりゃ!」
おぼつかない動きで屋根によじ登ったあとのルウは息を切らして、かぶっている白いフードがズレているのを両手で直した。
風が吹く屋上で髪が揺れ、一瞬隠された片目を晒す。だがすぐに左目は髪に覆われ、いつもの暗い表情をより印象的にする。
「やっと見つけた……、でもここにいると思った」
「……なにしに来た」
いつにもまして棘のあるダンだが、今日に限っては誰しも仕方がないと思うだろう。ルウも承知の上であり、ことさら怯えることもなく、いつも通りおずおずとした口調で話す。
「なんてこと……、ない。姿が見えなかったから、探していたの」
タレ目をダンへと向け、小さな口から思いを吐露する。
「じゃあ目的は果たせたな、ご苦労さん」
「あ……、うん……」
連れない態度だが、ルウは慣れっこである。そもそもダンは慰めなど求めていなく、ルウもそういったつもりで来たのではない。ただ純粋にダンの顔が見たくなったのだ。それは街中に漂う暗い空気と、それに当てられたルウもまた誰かにすがりたくなったからである。
相手がダンだというのには当然理由があり、ルウは昔から彼になついている。それはとある、些細な事件がきっかけであり、ダンからすれば取るに足らないことであったものが、ルウにとっては一つの救いとなったのだ。
横に座ってもいいかと訪ね、ダンの横に座るルウ。ダンは特に返事することもなく、それをいいことに了承と捉えたルウはちょこんと足を折った。
縁の方までよって片足を立てているダンに対し、ルウはそれに少し下がって斜め後ろで三角座りをして黙っている。
ダンがなにかを話すことも、話す気がないのもルウはわかっている。けれどそれでもいい、その姿を、時間を共有しているだけで今は幸せなのだ。
いつしか陽はすっかり暮れ再び登るまでこの状態は続いたが、やがてダンが立ち上がった。ルウも顔を上げ見つめる中ダンがつぶやいた。
「……やっぱり、それしかないか」
「……?」
ルウに話したわけでもなく、ただ思考が漏れ出たものだがルウにも聞き取れた。その意味はわからないが、なにかを決意したような表情だった。
朝日が降り注ぐなか、ルウの腹がぐうと鳴る。ダンが振り返り少し笑ったようにみえたが、懐からなにかを取り出しルウに差し出した。それは一片の干し肉。
「……え?」
「くれてやる」
「……でも」
「俺は今いらん、腐らえるのもなんだ。それでもいらないなら野良猫にでもやれ」
「……うん」
返事を聞くより先にダンはやぐらから飛び降りた、それこそ猫のようにしなやかに着地をしどこかへと去っていく。それを見つめながらルウは干し肉をギュッと握り、うつむきながら微笑む。
ダンに懐くようになったきっかけ。幼少の、ルウがまだ七つのころ。すでにグリアの王族として失格の烙印を押されていたルウは、その母親である第四王妃から見捨てられ、その臆病な性格から侍女たちにも愛されなかった。だが幼いルウは母親の愛を欲するあまり、一人外の世界へと駆け出していった。そこには逃避と、きっと誰かが自分を探しに来てくれるだろうという願いが込められていた。
しかしながら力なき少女が散歩できるほど、この世界とジュラーは優しくない。あまりに自然な流れで森に迷い込んだルウは魔獣に襲われ、なんとか岩陰に隠れるのが精一杯だった。
そのころ侍女集もルウがいないことと、街で目撃があったことを知り王妃へと報告を行った、しかしそれと知りながら助けようとするものは誰一人としていなかった。グリア人の思考として、力ないのであれば淘汰は当たり前。幼子であろうと例外はなく、また母親だからといって手心を加えることもない。それも自分の目の前でならともかく、勝手にどこかへ行ったというのだから興味すら湧かなかった。
日が落ち、震えることしか出来なかったルウは極度の緊張から眠りことすら出来ず、ひたすらに孤独を味わっていた。
しかし嗅覚に優れた魔獣は目ざとく彼女を見つけ、完全に弱るのを今や遅しと待ち構えていた。やがてルウ自身も諦観に支配されていく中、遠くから魔獣の叫び声が響く。それから同じような鳴き声と、木々が揺れる音、風のざわめきが少しの間続いた。
そうしてふと、小さい魔獣の悲鳴を最後に森に静寂が戻る。
恐る恐る岩陰のから顔をのぞかせ辺りをうかがうと、遠くに人影が見えた。それは自分より年齢こそ上なれど、それでも成熟した大人ではなく、まだ年端も行かぬ少年だった。
あどけなさが残る顔つきだが、そこにはすでに精悍さがうかがえる。ルウの所感では五つほど離れているようだったが、それ以上の差を感じさせた。
それは小さい頃のダンであり、すでに何度となく仮に赴いていた彼は手慣れた手付きで魔獣の死体をさばいていた。
いくつかの肉と皮を調達したダンは紐で縛ったそれを肩に担ぎ歩き出す。慌ててルウが飛び出し助けを求めた。ダンはキョトンとした目でルウを見つめ、同じ王家とはいえルウについては知らない様子だった。
涙ながらに事情を説明しているのを黙って聞いていたダンは、聞き終わると同時に叱責をした。曰く甘えるな、身の程をわきまえろと言った厳しい言葉が並びルウも凹みながらうなずく。だがその後に、最後のチャンスとばかりに手を差し伸べた。ルウの手を引き、街の近くまで送り届けたのである。
ダンにすればまだ甘さの残るがゆえの行動であったし、今同じことをするかといえば怪しい話だ。けれどもそんな彼の気まぐれはルウにとって願っても叶わぬ救いの手であったし、後にも彼女が受けた思いの中でいまなお色濃く残っている。
そうしたことを経て、彼女はなにかとダンの背中を追う。常に話す機会を伺っているのだが、父親に似て奔放な彼を体力で劣る彼女が捕まえられることはできず、いつもその後姿を眺めるだけだった。
それにダンに助けられて城に帰ってきてからも、周囲のルウへの反応というものに一切の変化はなく、長い孤独の時間は彼女の体験をより鮮烈なものへと変えていくこととなった。
なので今こうして話すことはとても稀で、ルウにとってはかけがえのない時間なのだ。
――たとえそれが失意の中であったとしても。
「――ふふ、ふふふふ」
干し肉一枚。たったこれだけで、鬱屈としていたルウの心は満たされたものになっていった。
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