4-2-2.人族の王城 謁見の間にて その2

 その時、国王が突然ぐらりとよろめいた。人族の王国が今まさに直面している危機を思い起こして気が遠くなりかけたのだった。バランスを崩し倒れかかる国王の体を、脇から飛び出してきたお付きの者らが数人で支えた。国王はすぐには立てそうになかったので、お付きの者らは彼の体を慎重に玉座へと沈めた。


「済まぬ。みっともない姿を見せてしまったな」


 しばらくして落ち着いた国王の発した声は悲しそうな響きを含んでいた。王国にとって重要な意味を持つ今回の謁見での失態を恥じていた。国の内外に王国がまだ戦う力を有していると示すことができる重要な場。なので国王は気丈に振る舞ってはいたものの、危機の王国を背負う者として、心と体にかなりの無理がかかっていたのは隠しようがなかった。国政の実務は臣下が行い自身は形だけの決済を行う身とはいえ、国王が王国のく末を真剣に思っているのはまぎれもない事実であった。まだ耄碌もうろくするような年ではなかったが、もし彼の身体年齢を測定したなら実年齢を20は上回る値が出たことだろう。


 謁見の間がしばしのあいだ静まりかえった。だれもが国王に掛けるべき言葉を見つけられなかった。国王は玉座のひじ掛けに体をもたれかからせると、再び中央の若者を見つめて声を掛けた。


「召喚勇者よ、そなたと同じ召喚勇者であったという勇者シンの伝説は存じておるな」

「修練中に教わりました」

「ならば余がそなたらに期待する大きさをも理解しておるな」

「もちろんでございます」

「うむ、そこでじゃ」


 国王は玉座で己の姿勢を正した。そして威厳の込めた声でこう言い放った。


「余はそなたらに勇者シンの伝説を再現してもらいたい。魔王を討て。そしてこの国を救うのだ!」


 並みいる有力者たちから「おおっ」という歓声が上がった。これまでの勇者パーティーであれば、ここで勇者が力強く「はっ、必ず」といったセリフを吐くのが常であった。当然この場の全員がその流れを期待した。


 だが若者から発せられた言葉は皆の期待とは違っていた。


わたくしにできますでしょうか」

「うぐっ」


 あまりにも思いがけない返答に国王の声が詰まる。


「私にできますでしょうか。今おっしゃったように、新たな魔王は3つの大軍を実質たったひとりで打ち倒したほどの者。それほどの存在に私のような者が本当に太刀打たちうちできるのでしょうか」


 若者の声は落ち着いているように聞こえた。だがあまりにも落ち着いているために、それを聞いたすべての人々は実は彼が内心に大きな不安を押し殺しているのだと考えた。もちろん国王もそのひとり。国王は若者の不安を取り除かねばと思った。


「心配はいらぬぞ、召喚勇者よ。報告によれば新魔王の魔力量はあの強大であった前魔王の半分ほどであるそうじゃ。召喚勇者たるそなたの魔力量ならば勝機は十分にあろうて。あの勇者シンも自身と同等の魔力量を持つ魔王を打ち倒したのじゃ。そなたにできぬはずはない。いや、必ずや成し遂げるであろう。余はそう信じておる。案ずることはない」


 国王の声はこれまでより大きかった。普通ならば声を掛けられた者は大いなる勇気を与えられることだろう。しかし中央の若者は顔色ひとつ変えない。そして前と変わらぬ落ち着いた声でこう言った。


「国王陛下のお言葉、誠にありがたく存じます。しかし私はまだ不安がぬぐえませぬ。そこで誠に勝手ながら私から国王陛下にお願いしたき儀がございます」


 思いも掛けぬ若者の言葉に周囲からはどよめきの声が。


「なんじゃ。申してみよ」


 国王はなるだけ平静を装って答えた。だが一体この若者はどんなことを要求するのであろうかといぶかしんだ。戦力に不安があるのならパーティーメンバーの増員か? はたまた武器のアップグレードを要求してくるのか? それとも……。


 だが若者の返答は国王の想定とは丸っきり向きが違っていた。


「我ら魔王国には向かわず、まずは王国内をくまなく回ることをお許し頂きたいのです」


 さっきとは比べものにならないどよめきが謁見の間を満たした。しかもその声を発した中には、あろうことか他のパーティーメンバーも含まれていた。勇者パーティーが魔王国に向かわない? この場にいた一体だれがそのような事態を想定できただろうか。


「な、何を言うか。いまにも魔王国が攻めてくるかもしれんのだぞ!」

「もちろん分かっております。ですが国王陛下は先におっしゃいました。『今すぐではない』と。ならばその間を利用し、なるべく多くの経験を積みたいのです。たしかに我々は王国最高の師に学びました。あらゆる技、あらゆる型を学びました。しかし思いも寄らない事態に遭遇するのが実戦ではありませんか。さらに我らが戦うのは人間ではなく魔族。ならば修練の時のような決められた場でない、もっと様々な場で己自身を鍛えたいのでございます。できるだけ多くの場所で。できるだけ多くの人と。すべては我らが力をより高めるため」


 若者の声はあくまで落ち着いている。しかしこれまでよりは声の強さと張りがいくらか大きくなったように聞こえた。言葉に力と決意がこもっていた。人々は始め「何を言い出すのだ」と思っていた。だが若者の弁が進むにつれて、その力と決意が人々の気持ちを「なるほど、もっともだ」というように変えていった。


 その場の皆の視線が国王に注がれた。国王は手をあごに当てて少し考え込むような様子を見せた。


「ううむ……」


 国王は戸惑っていた。本来この謁見はあくまで儀式にしか過ぎない。国王が「魔王を討て」と命じ、勇者が「必ず!」と答える。それだけの場でしかない。勇者パーティーが魔王国に向けてつのは既定事項。この場に国王が判断を下す要素など何もない、そのはずだった。


 だがいま、思いも掛けず国王としての判断が求められた。もちろん即座に却下してしまうこともできる。しかし国王は自身の心がなぜか躍っているのを感じていた。自分が必要とされているのだという思いが湧き上がっていた。普段の国政では臣下が決めたことを無条件に了解するだけの自分。それがよりによって勇者から判断を求められている。頼りにされている。その事実が彼の心にここ十年以上となかった「国王としての実感」を思い起こさせていた。


 国王の顔に再び喜色が宿った。


「さすが、よい心がけじゃ」


 国王はゆっくりと立ち上がった。台座の階段を一歩ずつ下った。勇者パーティーの面々の前に降り立つと、膝をついて身を低くする若者の頭にその右手を添えた。


「よかろう。そなたの思うようにするがよい」


 途端に謁見の間いっぱいに「国王陛下万歳!」の声が響いた。有力者たちだけでなく近衛師団からも。国王はまた玉座の前に戻ると万歳の声に手を上げて応えてみせた。それから側近の者に二言三言何ごとかを伝えると、威厳を保った姿勢のまま謁見の間を後にした。


 国王は退出した。しかし謁見の間は騒然とした空気に包まれたままだった。だれもが興奮と感動を隠しきれていなかった――ただのひとりを除いては。


 中央の若者は国王が去っても身を低くした姿勢を崩さなかった。彼の顔は床に向いたまま微動だにしなかった。他のパーティーメンバーが話しかけてきても返事すらしなかった。彼の周囲だけその場の空気とは隔絶されているようだった。


 だから若者があるひと言を発したとき、その言葉を聞いていた者は周囲にだれもいなかった。若者がその言葉を聞かせたいと願う人間はその場のだれでもなかった。


 若者――召喚勇者マオは固い決意を込めてそのひと言をつぶやいた。


「ユウコ、必ず君を見つけ出す」

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