2-4.雨の中の少女
「あ、あのう?」
問いかけるような少女の声が、ようやく魔王を現実に引き戻した。
「ああ、すまぬ。あれは魔法陣。異世界の奴らがおぬ……、あなたを召喚しようとしているのです」
「えっ、異世界……」
「間に合ってよかった。あと一歩遅かったらあなたはあれに引きずり込まれていたでしょう」
魔王は自身の思っていることをそのまま口にした。都合のいい
降りしきる雨の中、少女は「信じられない」といった表情で魔王と魔法陣があった場所を交互に見比べていた。
「で、でも……」
口ごもる少女に魔王は少し
しかし少女が口ごもった理由はそんなことではなかった。
「なんでそんなこと知ってるんですか!」
強い口調でまっすぐ目を見て問いかけてくる。その迫力に魔王は一瞬たじろいだ。
(どうした!
心の中で自身を
(どうやら彼女は異世界の実在を知らないらしい。
魔王は話すことを
魔王はひとつ
「失礼。実は私、その異世界からあなたを守るために来たのです」
言ってしまっておきながら、魔王は自身の言葉が信じられなかった。
(なぜだ!
そう考えながらも実は魔王にはその理由が分かっていた。自分はこの少女に嫌われたくないと感じている、と。
いや、「嫌われたくないと感じている」のではない。「嫌われたくない」だ。嫌われたくない理由? 理由などない。ただ「嫌われたくない」。理屈などではない。あえて言うなら自然に湧き上がる感情、それだけだ。
(おかしなものよ。)
魔王は自分で自分の思考が理解できなかった。
(魔族を統率する者として理知で物事を捉え、感情を廃するよう努めてきたはずの
魔王は自分で自分のことを笑い飛ばしたいと思った。この世界に来る前の魔王が今の魔王を見たなら、「そんなことで魔族を率いていけると思っているのか!」と怒鳴りつけていたことだろう。いや、怒鳴りつけるだけならばまだマシかもしれない。もしもこの世界に来る前の魔王が親で、今の魔王が子だったとしたら、親は怒りのあまり我が子を辺境の地に送り飛ばしていたかもしれない。
もちろん今の魔王もそんなことは重々分かっている。分かっているからこそ己自身を笑い飛ばしたい。笑い飛ばすしか対処の仕方が分からない。それほどまでに今の自分が理解できない。
「異世界から……、私を……、守る……、ために?」
少女は「言ってる意味が分からない」というような
「そ、そうです。私はこの世界ではない別の世界の住人。そのあちらの世界に住む一部の者たちがあなたをあちらの世界に召喚しようとしているのです。私は仲間とともにいち早くそのことに気づき、あなたの召喚を阻止するためにこの世界にやって来たのです。だから安心してください。私が来たからにはだれにもあなたを異世界などには行かせません!」
とっさに出た言葉にまたもや魔王は驚いた。少女の不安を取り除きたい、ただそれだけの思いが言葉を
(いったい我は何を言っておるのだ。)
ただでさえ混乱しているのに、意図せず出た自身の言葉が混乱にさらに拍車を掛ける。
(ならぬ、ならぬ、ならぬ! このままではならぬ! しっかりしろ魔王よ。おぬしはなぜこの世界へ来た。そいつを思い出せ! そやつは召喚対象者。おぬしはそやつと恋人ごっこをするためにこの世界に来たのか? 違うであろう? おぬしはそやつを抹殺するためにこの世界に来たのではなかったのか? そやつを殺さねば、やがて全魔族に
心の中で魔王は自身を叱り飛ばした。感情に負けまいとした。しかし目の前には太陽のごとく輝ける存在があった。その輝きは魔王の懸命の努力をもあっさり上回りかねなかった。
魔王は目を固く閉じた。首をひねって少女の方を見ないようにした。それが彼が今できる、己の感情に対する最大限の抵抗であった。
(よく考えるのだ魔王。いま彼女を見逃せばどうなる? 人族はいずれ再び召喚を試みるであろう。その時おぬしはどうする? また阻止できるのか? 今回は召喚の時に居合わせたからよかったものの、次回もそうであるとは限らぬぞ。まあ次回も運良く阻止できたとしよう。だがその次はどうだ? その次の次は? 人族の魔道士連中の力がいつまで続くかは正直分からぬ。だが1度でも阻止に失敗すれば努力のすべてが無になるのだぞ。己の下らぬ感情のために全魔族を危機に
ついに魔王の中で理性が感情に打ち勝った。強引にねじ伏せたと言うべきか。魔王は目を力いっぱい閉じたまま、体内に巡る魔力を己の右手のひらへと集中させた。まだ目を開くことはできそうになかった。いま目を開いてしまえば、せっかく勝利した理性があっけなく崩壊してしまうような気がしたからだ。
(目を開くのは最後の瞬間でよい。
魔王は無言のまま自身の右手のひらを少女に向かって突き出した。手の内部には魔力が魔王の全身から集まってきていた。その力が解放される時を今か今かと待ち構えていた。
ついに魔王はカッと目を見開いた。と同時に叫んだ。
「ファイヤーボール!」
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