2-3.対象者の正体
召喚魔法陣は消え去った。人族の勇者召喚は失敗に終わった。
魔王は
「危ないところであった」
思い返して魔王はブルッとひとつ身震いした。まさに
とりあえずの危機は去った。しかし魔王は安堵はしても決して安心などはしてはいなかった。あの人族のこと、一度失敗したくらいで勇者召喚を諦めることはありそうにない。いまごろ王城内では勇者召喚の失敗を知って、対応に大わらわであろうことが容易に想像できた。
(召喚対象者を捉え損なったことは分かっているはず。「対象者がいなかったわけではない」という事実は人族にとって、希望を与えこそすれ損なうものでは決してない。おそらくは再度の召喚を試みてくるであろうよ。)
魔王は再び息を吐いた。召喚は阻止できた。しかし召喚勇者の脅威から完全に解き放たれたわけではない。魔王がこの異世界にやって来た目的が果たされたわけではない。
(まあよい。
そう、何も変わってはいない。それどころか事態は魔王に有利に展開しているともいえる。次なる勇者召喚までの時間が稼げた。勇者召喚とは人族最高クラスの魔道士が何人も集まってしかできぬ大技であるという。ならばポンポンと連発できる技ではないはず。いかに人族最高の魔道士といえども、そのような大技を繰り出すだけの魔力を回復するには時間がかかるはず。おそらく数時間といった単位ではない。早くとも数日はかかる。――魔王はそう推測した。
(数日か。我には不要であるな。数時間どころか、数分もあれば対象者を始末するには十分に過ぎるほど。)
そう考えると魔王は自然に笑みが浮かんできた。自分はいつでも全力を出せる状態だ。全速力で
魔王は笑みのまま振り向いた。対象者の姿があった。体は地に横たえたまま、上半身だけをいくらか起こして魔王の方を見ていた。周りには水が。どうやら魔法陣から飛び出した後に水たまりに突っ込んでしまったらしい。対象者の服がすっかり
「あ、あのう……」
か細い声がした。声までもが震えている。しかもか細い上に高い。魔王に匹敵する召喚勇者となるはずの存在の声とは思えない。どのくらい「思えない」かといったならば、意表を突かれた形になった魔王の思考が一瞬停止したほどに。
(な、何だこやつは? この声はまるで……。)
魔王は戸惑いながら対象者の顔をじっと見つめた。
瞬間、電撃が走ったかのような衝撃が魔王の体を貫いた。一瞬にして魔王はすべてを理解した。
(こ、こやつ……、女か!)
その通りだった。召喚対象者は女。それもひどく若い女。それですべてが説明できた。背格好が想像よりずっと小柄だと思ったのは対象者は男であると思い込んでいたから。脚の下の方が白く見えたのはスカートから脚が出ているから。
しかも理解できたのはそのことばかりではなかった。
(こ、この顔! この姿! そしてこの風景! こ、これは……。)
魔王は自身の動揺を悟られまいと必死になっていた。ともすれば崩れそうになる顔の笑みを懸命に維持した。もしも自身の姿をだれにも見られる恐れがなかったならば、いまの魔王は全力で大空に向かって「そうだったのか!」と叫びたい気持ちではち切れんばかりになっていた。
あの「夢の中の少女」がそこにいた。目の前にいたのだから。
少女ばかりではない。なぜいままで気づかなかったのか。黒い道。両側に並ぶ家々。細い丸柱。すべてが一致していた。レーダーで確認しなくても走る道が分かったのも当然だった。なぜなら魔王は以前に「ここ」を走ったことがあったから。もちろんこの世界を実際に走ったわけではない。走ったのは夢の世界で。だが夢の中で少女と駈けたのはこの道ではない。しかし夢の中の魔王はそれまで少女と過ごした記憶を持っていた。その記憶の中にたしかにこの道はあった。
魔王の心は感情が激しく渦を巻いていた。喜びとも感動ともつかぬ、いや、そんなものが全部ごっちゃになった感情が。しかしさすがは魔王だ。いかなる場合でも自身の感情をコントロールする
「大丈夫ですか?」
魔王らしからぬ優しげなイケメンボイスが発せられた。少女は震えこそ治まっていたものの、まだ何があったのか理解できていないといった表情で魔王の顔を見上げていた。しかし魔王が小首を
(なんと……。なんと美しい……。なんと愛らしい……。)
魔王の目は少女に
歳の頃は10代半ば。14,5,6ほどか。ややうつむきながら濡れた髪をかき上げる。髪の先からしずくがこぼれ落ちる。服も上下ともすっかり濡れてしまっている。紺のスカートは濡れてその色をますます濃くし、薄手の白い上着は肌に張り付いて下着の形が見て取れる。スカートから伸びる生脚にも水滴がつき、そのうちのひとつがツツッと少女の肌を滑り落ちた。
「あ、ありがとう……ございます。あのう、あれはいったい……?」
少女の発した言葉にハッとする魔王。魔王が気がついたと見るや、少女はゆっくりと視線と動かした。視線に合わせるように少女の右手が前方を指し示した。その手の先にはさっき魔法陣があったはずの場所があった。
魔王は視線を、まるで少女の手に導かれるように動かした。しかし彼の目が現実を捉えたのはほんの
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